>>957
>カルケドン信条ではテオドロスに同意して受肉における二つの本性の存在が認められた。
>カルケドン公会議では、キリストにおいて二つの本性が…合一すること、が宣言された。
>この合一の精確な本性は人間の限定的な理解を受け付けず、位格的結合は「神秘的な合
>一」と呼ばれることもある。アレクサンドリアのキュリロスは「名状し難く、理解を
>超えたかたちで合一した」と表現している。

このカルケドンで活躍した二大学派の巨頭がそれぞれ>>939
テオドレトス 曰く
「聖書が教えてくれる通り、祝された教父たちが常に説いてこられたように
キリストは神であり人間であるとすれば、人間として受苦されたのであり、
神としては不受苦のままであられたのである」(Ettlinger,p264,15-17)
キュリロス曰く
「自分に固有の肉において受苦したのであって、神の本性においてではない。」