禿げと婆の問題は位格的結合を理解していない点、以下wikiから編集して引用

◾概要
位格的結合は、主流派のキリスト論において、一つのヒュポスタシス(あるいは実体、位格)に即してキリストの神性と人性が合一されることを指すのに使われる、キリスト教神学の術語

◾正統教義における位置付け
エフェソス公会議でこの教義が認められるとともにその重要性が確認され、キリストの人性と神性はロゴスにおいて本性とヒュポスタシス(実体、位格)に即して合一すると述べられた

◾ヒュポスタシスの用法
実際的・具体的な自立存在を指し、プラトンのイデアのような抽象的なカテゴリと対比される

◾歴史的背景
ラオディケイアのアポリナリオスが初めてヒュポスタシスの語を使って受肉を理解しようとした。
アポリナリオスはキリストの神性と人性の結合を一つの本性に一つの実体―一つのヒュポスタシス―を持つものとして表した。

ネストリオス派の モプスエスティアのテオドロスは別方向に進み、キリストにおいては二つの本性(神性と人性)、二つのヒュポスタシス(「実体」つまり「位格」の意味で)が共存すると主張した

カルケドン信条ではテオドロスに同意して受肉における二つの本性の存在が認められた。
しかし、カルケドン公会議では三位一体の定義に用いられるときと同様の用法でヒュポスタシスの語が用いることが主張された。つまり、ヒュポスタシスを位格の意味で使い、アポリナリオスの使ったような本性という意味では使わないことが主張された。

そのため、カルケドン公会議では、キリストにおいて二つの本性が存すること、二つの本性がそれぞれの特性を保持していること、唯一の位格、唯一の自立存在において合一すること、が宣言された。

この合一の精確な本性は人間の限定的な理解を受け付けず、位格的結合は「神秘的な合一」と呼ばれることもある。アレクサンドリアのキュリロスは「名状し難く、理解を超えたかたちで合一した」と表現している。

以上

禿げは位格が自立存在であることを知らず、本性を自立存在と混同している

なので、こんな不毛が生まれているのである
禿げなだけに

大爆笑である