>>943
>いいえ、人はゾーマとプシュケーを持ち、まずゾーマが受苦して腐敗し死ぬんです

禿げがなにを言おうが、キリスト教では人は霊魂を神に与えられていることは変わらん

33 人間――真理と美に向かって開かれた心、倫理的感覚、自由、良心の声、限りないものと幸福へのあこがれを持っている人間、この人間は神の存在について自問します。
これらのすべてのものを通して、霊である自分の魂のしるしを認めます。「人間の中にある永遠なるものの種は、物質だけに還元することはできないので」、このような霊魂の起源はただ神のうちにしかありえません。

359 「聖パウロの教えによれば、人類の起源には二人の人がいます。アダムとキリストです……。聖パウロによれば、最初のアダムはいのちを受けた人間として造られましたが、最後のアダムはいのちを与える霊的存在です。
最初のアダムは最後のアダムによって造=られ、そのかたから霊魂を受け、それによって生きていす……。

>身体ゾーマを殺されると、人の霊魂プシュケーが身体ゾーマから離脱するだけ
>ですね。ましてや霊プネウマである神性を人が殺せるはずもないのです。

はい、ここでもまた禿げは勘違いをディスクローズしてます
禿げは神性を殺せるわけない、とか訳のわからないことを言ってます
おまいは「性質」を殺せる、という命題がナンセンスでしかないことをそろそろ悟れ
禿げの「人性という性質は性質でしかないんだよ」、殺されるのは禿げ自身だ
従って、「人性において禿げが死ぬ」とは言い得るが
「禿げの人生が死ぬ」はナンセンスでしかないんだよ

禿げの主張の誤謬の全ては、本性への無知から生じている
また、そもそも本性への無知で、正統教義では異端!とかカルケドン信条をディスるところから始まってる

まったくハゲ散らかしているのである

大爆笑である