>>883
「死ぬのは肉です 霊は死にません その意味では、「人間も同じ」です
なぜなら、人も霊を持つからです」

いいえ、人はゾーマとプシュケーを持ち、まずゾーマが受苦して腐敗し死ぬんです
そしてプシュケーは死者の世界である黄泉に下ります。そして裁きを受け有罪だと
永遠に滅ぼされるんです。
人のプネウマはプシュケーに閉じ込められたままです
神を信じ信頼し神と対話をし神の愛に感謝し喜ばないと閉じ込められたままです

「人の霊魂も殺人で殺せるわけではない」
そうですね。十字架で殺せるのは人の身体ゾーマだけです。
身体ゾーマを殺されると、人の霊魂プシュケーが身体ゾーマから離脱するだけ
ですね。ましてや霊プネウマである神性を人が殺せるはずもないのです。

「位格とは人でいうと人格を指します 人格とは感じたり考えたりする主体を指します
本性は人、神にまつわる普遍的な性質を指します 性質は普遍的で客観的なものです
なので人格みたいな主体とは違うんでつ 」とのことですが、これがあなたの誤解です

位格は人格のことでもあります。ここでは神格ですがいっしょです。
「感じたり考えたりする主体」でもありますが、というより
ラテン語でペルソナと呼ばれギリシャ語でプロソーポンと呼ばれる位格の本当の意味は
自ら個別のものとして存在し、フュシス(本性)と付帯的なものからなるものとして
実在しているものです。例えばペテロとかパウロが位格です。
といのもプネウマもプシュケーも「考える主体」なんです。
ゾーマは「感じる主体」受苦する主体です。

さて「本性は人、神にまつわる普遍的な性質を指します
性質は普遍的で客観的なものです なので人格みたいな主体とは違うんでつ」
とのことですが、フュシス(本性)は「生まれる」という動詞の名詞化で
人の自然に持っている性質、生まれながら持っている性質のことです。
派生して天性、素質、起源、生まれ、家系、出身、更に自然、自然界の法則秩序
という意味となり、哲学的に本性という意味を有するようになった概念です。
カルケドンにある神性とは、テオテース神であることです。
コロサイ2:9にあります。英訳ではGodhead 三位一体教義では神性ですが
一般的には神格でもある語で、主体を持っています。