0935愛の天使
2018/11/17(土) 00:33:39.95ID:nw37G8c+>>942
個人的には肉体の死については人性においてだが、
人性と神性は二つの本性の一つの位格だから、
神性が人性の死を「味あわれた」という点は強調し過ぎてもよいとは思ってる
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「神性が苦しみ死を味わった」とする、上記サティの書き込みは異端中の異端です。
神性が苦しまず、死なない8の理由
1 公教要理に「神性は死なない。苦しまない」と書かれています。
2 公教要理に「神の御子が苦しみを受け死んだというとき、それは人性が苦しみを受け死んだのである」と書かれています。
3 人体には痛覚があるので苦しみますが、神性は肉体を持たないので痛覚がありません。したがって、神性は苦しみません。
4 肉体から霊魂が離れてしまうことを肉体の死といいます。霊魂は離れるだけで死にません。まして神性が死ぬことはありません。
5 生命維持機能が停止することを死と呼びます。神性は生命そのものですから死にません
6 人は神を殺すことができません。人は霊を殺すことはできません。殺すことができたとすれば、神は人以下、霊は肉以下になり、神を信仰する必要はなくなります。
7 「死を味わう」と和訳されている動詞【γεύομαι】は、「経験する」という意味です。死は人が経験するものであり神が経験するものではありません。
8 神性(Divine Nature)とは神の性質です。苦しみも死も神の性質ではありません。それは人性(Human Nature 人間性)に属するものです。