>>768
>「キリストの神性は死なないし受苦もできない」という理解のどこが
>三位一体と抵触するのでしょうか。教父たちもこの理解ですけど

上記の文章であれば語弊はない
しかし論点は子なる神の一つの位格は神性、人性を合わせ持ち、その一つの位格の御子の受難と贖罪と復活をするわけですが、禿げとなるみさんはその御子から神性を抜き出して別の人格として分けて、
一つの位格が人性しか持たず、その「御子マイナス神性」が受難と贖罪を果たした、みたいな訳の分からない理解をしているのが、勘違い、と指摘してるんだけど、本当に分からないみたいね

>三位一体と矛盾しているの?
はい、してます
なぜなら子なる神は完全に人であり、かつ同時に神であること、また、禿げとなるみさんは人性と神性を位格のように扱い、
それらを二つの霊に分けていること、また、さらに禿げはキリストの神性を父なる神とイコールであると勘違いしていること、などが大きな勘違いポイントです

>「位格は一つなのだから、神性が受苦できない、という発想自体、
>本性を位格と勘違している」とのことですが、なんで?

なぜなら、子なる神は神性だけでなく、かつ人性だけでもなく、それら二つの本性が混じり合うこともなく、かつ、一つの位格として成立している神だからです

>いいですか。神は霊です。人は肉です。神は霊であるので肉を持ちません

これは明確に間違いである
神と人を霊と肉にわけるのはナンセンスです
なぜなら、人は霊と魂と身体を備える人間だからです
神と人を分けるものは霊と肉ではなく、創造主と被造物という点です