>>720
>1 公教要理に「神は死なない。苦しまない」と書かれている。

神の本性に「死」はありまてん、それは事実です

>2 公教要理に「神の御子が苦しみを受け死んだというとき、それは人性が苦しみを受け死んだのである」と書かれています。

公教要理では苦を受けた対象は神性、人性の話であり、一つの位格の子なる神として死んでない、という意味ではありません
子なる「神」は人性と神性を合わせ持つ位格だから、「神だが人を救うために死ぬことができた」という「意味」でしかありません
証拠は以下の通りです。よく読むように


87.神の御子は人となられた結果、神であることをおやめになりましたか。
神の御子は人となられても、神であることに変わりはありませんでした。

89.そうすると、イエズス・キリストは二つの本性を持っておられるのですか。
神であると同時に人であるイエズス・キリストは、人性と神性の両方を持っておられます。

90.同じように、イエズス・キリストには神としてのペルソナと人間としてのペルソナとがあるのですか。
人となられた御子には、たった一つのペルソナ、すなわち神としてのペルソナしかありません。

98.「苦しみ」とは何を意味しますか。
「苦しみ」とは、イエズス・キリストが御受難において体験されたもろもろの苦痛を意味します。

99.イエズス・キリストが死去されたのは、神としてですか、それとも人としてですか。
イエズス・キリストは人として死去されました。神としては、苦しむことも死ぬこともないからです。

106.神の正義にふさわしいつぐないをするために、イエズス・キリストは神であると同時に人間である必要がありましたか。
苦しみ死去するためにイエズス・キリストは人間でなくてはならず、この苦しみが無限の価値を有するためには同時に神でなければなりませんでした。