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ウェスレー研究の野呂芳男『贖罪論の実存論的理解方向』

1.古典説(Classic Theory) 劇的説(Dramatic Theory)
神はキリストの十字架の死と復活を通し、悪の諸勢力のすべてに対し
偉大な決定的な勝利を得たのである。人間はキリストへの信仰を通して
勝利に満ちた神との交わりに入る。
つまり始めから終りまですべてが神の継続的業である

2.司法説(Juridical Theory)
中世期のアンセルムス及び宗教改革者たちが持っていた説。
ルターは微妙だが、カルヴィン(John Calvin)が、この司法説を保持していたことは疑う余地がない。
満足説と刑罰代償説とを含んでいる。
A満足説
アンセルムスの『神は何故人となり給うたか』によると
満足とは、個人法(private law)的に「なされた悪に対しての償い」
ところが、神に対して犯した罪のためには、人間は償いをなすことが出来ない。
ここで人間が要求されている償いは無限である。神御自身のみがそれを供給する
ことの出来るものである。それ故に、神はキリストにおいて人間になったのである。
B刑罰代償説
公衆法(public law)的に法廷における裁判者として神が考えられ、
満足が刑罰を要求する法廷的正義として取り上げられている。
すなわちそれは、刑罰を通しての満足であるということができる。
満足が、人間の罪のためにキリストがその総ての刑罰を自己の上に背負い給うた
という意味において成就されたもの

AB両説とも、イエス・キリストが人間の罪の責任を背負い神に服従を捧げることに
より、神を満足せしめたということである。