▼▼▼仏教は不幸な死は前世が悪いと言う▼▼▼
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前世なんて、あるか無いかもわからないのに…
宗派によって違うと言う人もいたが、どうやら
救いようが無い。 テーラガーター
5.1.1 ラージャダッタ長老の詩偈
315.(315) 比丘であるわたしは、墓所に行って、廃棄された女を見た。墓場に捨てられ、諸々の虫で充満し、喰われている女を見た。
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316. まさに、或る者たちは、その死んだ者を悪しきものと見て、忌避するが、(わたしの場合は)欲望の対象にたいする貪りの思が明らかと成った(死体に欲情した)。流れ出る汚物のなかにいる盲者のように、わたしは成った。
317. 飯が炊き上がるよりも早く、わたしはその状況から去って行った。気づきと正知の者として、わたしは、一方に近坐した(坐禅瞑想をした)。
318. そののち、わたしに、根源のままに意を為すこと(如理作意:固定概念なく思い考えること)が生起した。世俗の危険は明らかと成り、世を厭う思いは確立した。
319. そののち、わたしの心は解脱した。見よ――法(事象)が見事に法(事象)たることを。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。 (I.2.3)【子ほど可愛いいものはない】 (第二章 歓喜の園) サンユッタ・ニカーヤ I
1.傍らに立って、かの神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。
「子ほど可愛いいものは存在しない。牛に等しい財は存在しない。
太陽に等しい光輝は存在しない。海は最上の湖である。」
2.〔尊師いわく、−−−〕
「自己ほど可愛いいものは存在しない。穀物に等しい財は存在しない。
智慧に等しい光輝は存在しない。雨雲(あまぐも)は最上の湖である。」 インターネット掲示板に書き込まれている事を都合よく曲解して
名誉毀損だなんだって言い掛かりをつけて見境なくスラップ訴訟を仕掛けてきたら
かなり危ないカルト教団かな?
例えば
元信者が過去の教団の様子や行事を
当時を思い出しながら書き込む
↓
都合が悪いと思った
教団シンパかスタッフか盲目的狂信者が
コピペ荒らしでスレッドごと丸々潰す
これを数ヶ月に渡り延々と繰り返す
↓
元信者が
「コピペで荒らしたりスレッド丸ごと潰すのはよほど都合が悪いからだ
議論させたくないからだ
いつまでもそういう態度だとお前の所属する教団は反社会的カルトだとみなされても仕方がないぞ」
と書き込む
↓
教団の顧問弁護士、
元信者の件の書き込みを都合よく切り取り編集して
「当団体を反社会的カルト教団と名指ししましたね?
名誉権の侵害に該当します
つきましては訴訟して損害賠償を請求しますので個人情報の開示をプロバイダーに請求します」 身も心も、因縁によってできているものであるから、この身には実体はない。この身は因縁の集まりであり、だから、無常なものである。
もしも、この身に実体があるならば、わが身は、かくあれ、かくあることなかれ、と思って、その思いのままになし得るはずである。
王はその国において、罰すべきを罰し、賞すべきを賞し、自分の思うとおりにすることができる。それなのに、願わないのに病み、望まないのに老い、一つとしてわが身については思うようになるものはない。
それと同じく、この心にもまた実体はない。心もまた因縁の集まりであり、常にうつり変わるものである。
もしも、心に実体があるならば、かくあれ、かくあることなかれ、と思って、そのとおりにできるはずであるのに、心は欲しないのに悪を思い、願わないのに善から遠ざかり、一つとして自分の思うようにはならない。
この身は永遠に変わらないものなのか、それとも無常であるのかと問うならば、だれも無常であると答えるに違いない。
無常なものは苦しみであるのか、楽しみであるのかと問うならば、生まれた者はだれでもやがて老い、病み、死ぬと気づいたとき、だれでも、苦しみであると答えるに違いない。
このように無常であってうつり変わり、苦しみであるものを、実体である、わがものである、と思うのは間違っている。
心もまた、そのように、無常であり、苦しみであり、実体ではない。
だから、この自分を組み立てている身と心や、それをとりまくものは、我とかわがものとかという観念を離れたものである。
智慧のない心が、我である、わがものであると執着するにすぎない。
身もそれをとりまくものも、縁によって生じたものであるから、変わりに変わって、しばらくもとどまることがない。
流れる水のように、また灯火のようにうつり変わっている。また、心の騒ぎ動くこと猿のように、しばらくの間も、静かにとどまることがない。
智慧あるものは、このように見、このように聞いて、身と心とに対する執着を去らなければならない。心身ともに執着を離れたとき、さとりが得られる。
(パーリ中部 蜜丸経) スッタニパータ
193 或いは歩み、或いは立ち、或いは坐り、或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす、──これは身体の動作である。
194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。
195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、
196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。
197 またその九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、
198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。
199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。
200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。
201 犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。
202 この世において知慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する。なんとなれば、かれはあるがままに見るからである。
203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)と内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。
204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。
205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。
206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。 ユダヤ系宗教のエロヒムって人のストーカーだろ
殺されるとわかっていて何度も預言者でアピールし自分の子さえさしだしてアピールしてる
どんだけ人に媚びてんだ スッタニパータ
574 この世における人々の命は、定まった相なく、どれだけ生きられるかも解らない。惨ましく、短くて、苦悩をともなっている。
575 生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。実に生ある者どもの定めは、このとうりである。
576 熟した果実は早く落ちる。それと同じく、生まれた人々は、死なねばならぬ。かれらにはつねに死の怖れがある。
577 たとえば、陶工のつくった土の器が終りにはすべて破壊されてしまうように、人々の命もまたそのとうりである。
578 若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。すべての者は必ず死に至る。
579 かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、父もその子を救わず親族もその親族を救わない。
580 見よ。見まもっている親族がとめどもなく悲嘆にくれているのに、人は屠所に引かれる牛のように、一人ずつ、連れ去られる。
581 このように世間の人々は死と老いとによって害われる。それ故に賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。 ダンマパダ
146 何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?──世間は常に燃え立っているのに──。汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?
147 見よ、粉飾された形体を!(それは)傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病いに悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安住していない。
148 この容色は衰えはてた。病いの巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかたまりで、やぶれてしまう。生命は死に帰着する。
149 秋に投げすてられた瓢箪(ヒョウタン)のような、鳩の色のようなこの白い骨を見ては、なんの快さがあろうか?
150 骨で城がつくられ、それに肉と血とが塗ってあり、老いと死と高ぶりとごまかしとがおさめられている。
151 いとも麗しい国王の車も朽ちてしまう。身体もまた老いに近づく。しかし善い立派な人々の徳は老いることがない。善い立派な人々は互いにことわりを説き聞かせる。 スッタニパータ
804 ああ短いかな、人の生命よ。百歳にたっせずせして死す。たといそれよりも長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。
805 人々は「わがもの(我所)である」と執著した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまってはならない。
806 人が「これはわがものである」と考える物、──それは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理を知って、わかものという観念に屈してはならない。
807 夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。それと同じく、愛したひとでも死んでこの世を去ったならば、もはや再び見ることはできない。
808 「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。
809 わがものとして執著したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみと慳(モノオシ)みとを捨てることがない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏(アンノン)をみたのである。
810 遠ざかり退いて行する修行者は、独り離れて座所に親しみ近づく。迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。 ダンマパダ
牛飼いが棒で牛たちを牧場に追い立てて行くように 、老いと死は命あるものの寿命を駆り立てていくのである 。 (一三五 )
怒りを断とう 。慢心を捨てよう 。すべての結縛を征服しよう 。名称と色形 (即ち 、心と身体 )に執着していない者 、無一物である者に 、諸々の苦しみが降りかかることはない 。 (二二一 ) クンニリングス(英: 仏: 独: cunnilingus)は、
女性器(クリトリス・尿道口・膣・小陰唇・大陰唇)を直接舌や唇・歯などで舐めて
性的刺激を与える行為。オーラルセックスの一種。俗ラテン語のcunnus(外陰部)と
lingere(舐める)が語源である。 スレタイのような話は、密教系か日蓮系みたいだけど
いちばんスレタイのようなこと言わない宗派どこ? キリスト教より、酷い宗教かもしれない。
宗教に、いい宗教なんて無いんだろうね? いじめで自殺した熊本の女子高生の
前世も悪いと言うんだろうね。
当然、自分は信じない 虐待と考えずに、執着と欲に突き動かされた普通の動物的行動とか考えたらどうか
前世で人間が悪を行った結果などと考えずに
前世でただの獣が欲求のままに生きていた結果だと考えれば
仏教には人格神は存在しない
こういうことを行えば悪とかいう決まりはない
ただ動物的な執着、欲求があるだけであると 前世の前世の前世…となると最初は前世の影響がなかったってことになるの?
それとも無始無終というなら業を積んだのはいつからなの? 人類が小麦を支配しているのか小麦が人類を支配しているのか 植物は動けないのでなく、動かなくても繁栄可能な動物より高等な生物なのかも 池袋の事故で死んだ母娘の前世も悪かったとか言うんだろうね。
当然、自分は信じない 仏教だと「不幸」とも「悪い」事ともしていないんじゃないの
因果律云々で巡り巡ってそうなっただけ
みたいな 北朝鮮、数百万人飢餓迫る 深刻な食料不足と国連機関
2019/5/3 20:12
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44417310T00C19A5000000/
【ジュネーブ=細川倫太郎】国連世界食糧計画(WFP)と国連食糧農業機関(FAO)は3日、北朝鮮で数百万人に飢餓状態が迫っていると発表した。猛暑や洪水の影響で2018年の農産物の収穫量が490万トンと、過去10年で最低水準となったためだ。
すでに人口の約40%にあたる1010万人が食料不足に陥っており、国際的な支援が必要だと指摘した。
1月から国民1人当たりの食料配給量は1日300グラムと、以前より80グラム減った。食事は主にコメやジャガイモで、たんぱく質が不足している。十分な栄養が摂取できない世帯が増え、幼児や妊娠中の女性への影響が懸念されると報告した。
WFPは「多くのコミュニティーがとても脆弱な状態で、食料配給がさらに削減すると、飢餓の危機に陥る可能性がある」との懸念を表明した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています