坐禅と見性 第百十九章「胡乱より後三十年、塩?を少かず」
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ただ須らく十二時中、無理会の処に向って、
究め来り究め去るべし。 >>60
この場合の欲求と云うのは、発疹が生じる事ではなくて”痒みを掻く”事ではないでしょうか?
つまり、そもそも発疹が生じなければ”掻いて楽をしたい”という欲求も生じませんので。
というか、貴殿が誤解されるのも実は無理もない話で、この「発疹の喩(2-70)」は、”女体の不浄性とそれへの愛着”という題材で始まる「宝行王正論」の2-48から70に亘る記述の最後の70の部分なんです。
要するに一部抜粋ってやつですね。
それ故、「宝行王正論」2-48〜70を通しで読んでいただくと、当方の見解もご納得いただけると思います。
部分抜粋であらぬ誤解を招いてしまった様で失礼いたしました。 発疹が生じなければと願っても発疹は勝手にできますよね?
それはコントロールできない
欲求(コントロールできるもの)を例えるのに
発疹(コントロールできないもの)で例えるのは上手くないなぁというたったこれだけのことなんですけどね
どうしても私が誤解しているという事にしたいんですねw
あなたがそうおもいたいのであればそれで結構ですが まぁ、
(発疹を100%防ぐことは叶わないだろうけど)発疹を掻けば楽になるというなら、そもそも発疹が無いに越したことはない
って事でいいんじゃないんですか? >>62
>発疹が生じなければと願っても発疹は勝手にできますよね?
>それはコントロールできない
仰る通りです。
>欲求(コントロールできるもの)を例えるのに
>発疹(コントロールできないもの)で例えるのは上手くないなぁというたったこれだけのことなんですけどね
いやいや、そうではございませんよ?
この文章の主旨は”欲求のコントロール”ではなくて、”原因が無ければ欲求も生じない”との趣旨ではありませんか?
原因 = 発疹(この文章における女性の喩として、不浄の喩として)
欲求 = 掻けば楽になる(この文章における女性に対する過ぎた愛着の喩として)
ですよ?
貴殿は文脈をはき違えておりませんか? まぁ、実際に「宝行王正論」の2-48から70に亘る記述を読んで頂ければ、”女体の不浄性とそれへの愛着”という題材で、
女体の不浄性=発疹
それへの愛着=掻いて楽になる
に喩えた龍樹尊者の御趣旨も納得頂けると思います。 ”原因が無ければ欲求も生じない”、としても
原因がはっきりせず勝手に生じる発疹は
例えとしてはあまり適切ではないとおもいます
そうですね機会があれば読んでみたいとおもいます
本当に私が誤解してる可能性もありますからねw >>66
そうですね、実際に読まれてからその喩えが適切かどうかの判断された方が良いと思いますよ?
てか、そもそもその喩えが適切かどうかを私に言われても困るんですがねw
ましてや著者は(一応)龍樹尊者ですし。
ちなみにテクストは大乗仏典シリーズ(中公文庫)です。 >>66
>原因がはっきりせず勝手に生じる発疹は
龍樹に言わせればその因果も否定されるんでしょうがね。 三毒怒りまみれの早朝覚醒で朝の4時からマルチポストレスするぐらいだから、まともじゃない笑。
下記参照
608ジャンキー大山2017/08/24(木) 04:18:29.60ID:ib6Zu9df
えへん!
俺様は天台三昧王、禅定力No.1こと、
パキシルくんでおーだじょー!
\( ‘ᾥ’ )/
童天?かかし?
お、俺様じゃないじょー!
昨日は27レスだじょー!
http://hissi.org/read.php/psy/20170823/RFk5SEpkRHg.html
坐禅と見性第121章麦の秋、ひばり舞い歌う [無断転載禁止]©2ch.net
712 :ジャンキー大山[]:2017/06/01(木) 13:12:31.30 ID:UzRLkHgyおい!
自爆轟沈・三毒ヘタレのかかし丸!
>それともビビってるのか?
>マヂで訪ねるからちゃんと教えろ
さぁ!
場所は教えた通りだ!
早よせいや?
いつ行くんだ?
行く日を宣言しろや?
http://hissi.org/read.php/psy/20170601/VXpSTGtIZ3k.html 571神も仏も名無しさん2018/11/10(土) 19:49:53.88ID:hINGO75m>>573
大山は自分の事が見えないのかwww
仏教モドキ悟れない大山スレでもいいぞwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www 「治禅病秘要法」を参照に白隠の内観法と軟酥の法が作られた? めっちゃディスられてるのも因果かな?
己の蒔いた種かな
過去の悪業の報いなのかな 「両掌相打って声あり、隻手に何の音声かある」
けだし隻手の声とはいかなることぞとならば、即今両手打ち合わせて打つ時は丁々として声あり、唯だ隻手を挙ぐる時は音もなく香もなし。
これ耳を以て聞くべきにあらず、思慮分別を交えず、見聞覚知を離れて単々に行住坐臥の上において透間もなく参究して行き侍れば、
理尽き詞極まる処において忽然として生死の業根を抜翻し、無明の窟宅を劈破し、鳳、金網を離れ、鶴、籠を抛つ底の安堵を得。
この時に当たりて何時しか心意識情の根盤を撃砕し、流転常没の幻境を撥転し、三身四智の宝聚を運び出し、六通三明の神境を超越す。 74.公案を透過していない見本である。どこかからの引用であろうが、合格にならない。
大爆笑である。 イヌヤマ→咲坂
https://www.youtube.com/watch?v=XZYjfYL4nPo&list=PLPAM2vW_eE6wTlmG0Hnc1UfM9A_bdYaJe&index=36
山川草木国土悉有仏性
問う、門前の痩せ犬に仏性有りや、答える、有。
又、問う人あり、門前の痩せ犬にも仏性有りや、答える、無。
>公案が進んで無く よくわからないので、by無頭無脳脱糞邪鬼イヌヤマ
問う、両手で打てば音がする、片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい
イヌヤマはまず初関を透れ。
脳は眼で外を見るが赤肉団上を真人が出入りす、会すや。
月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証
命取りの摂心に親子家族で100回参加と虚飾。
もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったのなら、初関を透る、じゃねーべ。
5ちゃんねるの会話はバトル形式、馴れ合いを禁じる。
ググるシッタカ糞邪鬼は、褒めてクレヨの哀願奴隷。
相手を罵倒する悪口雑言の数々は、糞邪鬼へのリアル社会の絶対評価。
糞邪鬼は「暴れさせゴミが溜まれば透明あぼ〜ん,NGID登録で決してレスしない事。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○荒らし脱糞糞邪鬼はスルーが一番ツライ、耐えられない。
|| シッタカ脱糞邪鬼は常に誰かの反応レスを待ち焦がれる。
|| ○荒らし糞邪鬼は、佛心皆無。
|| ググる糞邪鬼はシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷。
|| ○荒らし糞邪鬼は問いに問いで返す脊髄反射の脳足リン。
|| コピペ糞邪鬼は未悟ミゴ、金魚ドジョウと救い難い。
|| ○荒らし糞邪鬼の重複スレには誘導リンクを貼リ放置プレイ透明アボーンが一番。
|| ウザイと思ったら専ブラのNG機能やスルーあぼ〜んを活用。
|| ○脱糞糞邪鬼は煽りや自作自演でアナタのレスを誘います。
|| ワケワカメ糞邪鬼にノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。
|| ○反撃は荒らし糞邪鬼の滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。
|| 門前の糞邪鬼につけ入るエサを与えない
|| ○外道脱糞邪鬼が枯死するまで孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除です。
|| ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 「業の行為者は存在しない。行為だけがある。結果を受ける者も存在しない。結果だけがある。
構成要素のみが生起し続ける。これが真理であり、正見である」
(清浄道論 Visuddhi Magga) 86.悟っていないバカが言う、ことである。信用しない、が正解である。
大爆笑である。 要素分割主義。
車の喩え。
究極まで分割されたものはある?
点?振動? 宗教にキチガイは付きものなんだろうな。
単に知識や体験が無いってレベルじゃないわ、これ。
こちらの話している主旨が全く通じないとか、重度の統失って事なんだろう。
人間なんて脆いもんなんだろうな。 「一波を以って一波を消さんと欲す、千波万波交々起こる」 悟れないバカ大山である。よってして、仏教徒ではなく、外道であるバカ大山である。 カメ五郎の狩猟生活 - ほか - 75件の動画
https://www.youtube.com/watch?v=FOja322QmqE&list=PL2FXf0zeE-SxfpIiqzO8NOa08r4dY25Rb 三類境〜性境・独境・帯質境
見分・相分は同じ種子から生じるのか?それとも別の種子から生じるのか?
・・・同種所生(仮法)と別種所生(実法)
同種所生(仮法)〜第六識の意識の分別力が見分から相分という影像を作り出す。
三種類の見解 〜 相見同種説、相見別種説、相見或同或異説
相見或同或異説(護法)
相境(相分)〜見分とは別の種子から生じる
阿頼耶識が縁ずる五根・器世間・種子
五識の相分
五具の意識の相分
無分別智が縁ずる真如
独影境〜見分と同じ種子から生じる、本質の無いもの(ex:兎の角・カメの毛)、遍計所執性
第六識が無法を縁ずる時の相分
第六識が仮法を縁ずる時の相分
第八阿頼耶識に相応する心所の相分
帯質境〜相境ではあるが第六識の意識の分別力が絡み錯覚したもの
第七末那識が第八阿頼耶識の見分を縁ずる場合の相分
第六識が非量するときの相分
円成実性・・・・実有
依他起性・・・・仮有〜実法、仮法
遍計所執性・・畢竟無〜無法 仮法〜存在はしなくとも想像上存在するもの(ex:兎角亀毛)
無法〜決して存在しないもの 不相応行法 〜 有部では実法、唯識では仮法とみる。
得〜得る者と得る物の和同・・・仮法
成就 〜 (悟りを得る)
自在成就〜加行(実践・修行)によるもの
種子成就〜本来そなわっているもの
現行成就〜得ることの顕在化
命根 〜 肉体のあたたかさと心のはたらき、生き続ける限り命を保つ力
生識の用〜来世の阿頼耶識を生じる作用
住識の用〜一期の間、阿頼耶識を相続せしめる作用 所縁縁 〜 所縁は心法が起こる縁となるゆえに所縁縁(しょえんねん)という。
境(対象・相)があって識が生じる 〜 境がなければ識もなくなる・・・境識倶ミン(サンズイ+民)
相を持つ心を”己が相を帯せる心”という
帯〜帯似(似て非なる帯び方)・挟帯(けったい)
相〜相状(対象の表層的姿)・体相(対象そのもの)
日常心の認識 〜 識の認識 ・・・ 帯・帯似、相・相状
無分別智の認識 〜 智の認識 ・・・ 帯・挟帯、相・体相
無分別智 〜 所縁能縁平等平等智 無為 〜 縁のよって作り為されたものでないから。(⇔有為)
1.虚空無為 〜 法性の無為、真如無為、識変の無為・・・心の中に相分として描き出されたものに過ぎない。
2.択滅無為 〜 無漏の智慧のはたらき(簡択)により煩悩が滅されたところ
3.非択滅無為 〜 本来清浄の真如、縁闕(欠)所顕の真如
4.不動無為 〜 不苦不楽の受(三受〜苦受・楽受・不苦不楽受)、動揺しない心の心を「不動」とし、第四禅定にては不苦不楽の受のみが残る。
5.相受滅無為 〜 滅尽定にて現れる真如。
真如 〜 無垢真如・有垢真如、依言真如・離言真如 種子 〜 色心の諸法の気分(法相二巻鈔) ※気分:現象的存在が残した残気、習気、薫習。
新たに作られたもの新薫習子
本来のもの〜本有種子(法爾種子)
Xを見るという眼識が働くとき、その見分と相分が阿頼耶識に植え付けられる(→新薫習子)。
薫習
するもの(所薫)とされるもの(能薫)に分類される。
所薫の四性質(を備えたものを阿頼耶識という)
堅住性、無記性、可薫性、能所和合性
能薫の四性質(を備えたものを他の七転識という)
有生滅、有勝用、有増減、能所和合性転 有漏のから生じた八識 → 無漏の種子から八識に転じる(転識得智)
成所作智・・・五識
→ 有情を利益し安楽せしめる為にあらゆる場所において様々な変化身を示現して、有情救済のために作すべきことを成就するはたらきがある。
→ 感覚なく無くして人々は救い得ない。
妙観察智・・・意識
→ 巧みにものを観察する智慧。
→ 自相とは、共相とはなにかを見抜く智慧。
平等性智・・・末那識
→ 自己と他者が平等であるとみる智慧。
→ 慈悲心の展開へ
大円鏡智・・・阿頼耶識
→ 心の本体である阿頼耶識から完全に汚れが取り除かれた状態。 有漏位では八識、無漏位では四智。
有漏位:八識>四智 八識が四智に勝る状態
↓
(転識得智)
↓
無漏位:四智>八識 四智が八識に勝る状態 三品の無漏
見道の無漏種子 〜 妙観察智・平等性智
修道の無漏種子 〜 妙観察智・平等性智
佛位の無漏種子 〜 四智全て(+成所作智、大円鏡智)
見道において妙観察智・平等性智の二智が起こり、分別起の二障を断じて二空所顕の真如を見る。
第六識が尋と伺によって諸法を観察し、その結果意識が妙観察智に変化する。
その結果、二空と見る妙観察智の影響が末那識に及び、末那識が平等性智に転識する。 阿頼耶識の相分として身体・器世間(外の世界)維持されている → 生
業〜善悪の性質がある、業の結果〜無記 → 異熟
(成唯識論の)善悪観 〜 善と不善
善 → 「能く此世と他世に順益するにおいて、故名付けて善と為す」(成唯識論)
不善 → 「能く此世と他世に違損するにおいて、故て不と名付く」(成唯識論)
業を造るもの
〜 第六識の意識と随する前五識
→ 阿頼耶識と末那識は無記なので作業しない
業そのものは刹那生滅により消滅するが、阿頼耶識に薫習される。
薫習されたその種子は、潜在的なはたらきとなる習気(気分・種子)となる。
三種の習気
1.名言習気(言語)
・表義名言種子 〜 言葉によって対象を認識する心、「外(ことば)に依り/(述記)」
・顕境名言種子 〜 言葉に拠らず対象を認識する心、「外に依らない(心・心所)/(述記)」
2.我執習気(自我があると思う)
・倶生の我執 〜 先天的な我執
・分別の我執 〜 後天的な我執
3.有支習気 〜 有:三界での生存、支:原因
・有漏善
・諸不善 無分別智が開発(かいほつ)されると後得智がおきる。 三品の無漏
見道の無漏種子 〜 妙観察智・平等性智
修道の無漏種子 〜 妙観察智・平等性智
佛位の無漏種子 〜 四智全て(+成所作智、大円鏡智)
見道において妙観察智・平等性智の二智が起こり、分別起の二障を断じて二空所顕の真如を見る。
第六識が尋と伺によって諸法を観察し、その結果意識が妙観察智に変化する。
その結果、二空と見る妙観察智の影響が末那識に及び、末那識が平等性智に転識する。
尋〜言葉に発せず心の中で言葉の表現を探すこと。考える事。
伺〜心の中で推察すること。 バカ大山は、引用バカである。
大爆笑である。悟ってから言え。 量について(仏教辞典引用)
仏教では、一般的に直接知覚(現量)と推理知(比量)の2種、あるいはまた、聖典に基づく知(聖言量)を加えた3種が知識根拠として認められていた。 懲りん奴だな、シコシコ自己愛オナニーレス噴出しやがって笑。
恥を知れ!!!!! 346コメディ大山に関するご意見2019/01/22(火) 12:53:20.40ID:ThPek7jm
465神も仏も名無しさん2019/01/16(水) 23:58:16.38ID:oXNNgQZo
>>462
スジャータ大山は他人を貶めるためなら自演でもなんでもする基地外だから本気にしたらダメよ?
471神も仏も名無しさん2019/01/17(木) 00:04:48.38ID:D8djxb2w
>>463
ID変えてるとか そういった妄想はどこらへんから現れるの?
493神も仏も名無しさん2019/01/17(木) 00:28:48.71ID:IGRE1+e8
>>490
精神障害者がバカで人格否定されて当然と言ってるのが大山さんだと思いますが?
せこい言い回し頑張ってください
371神も仏も名無しさん2019/01/16(水) 21:00:59.18ID:va26nsFZ
>>368
大山は負けん気だけは人一倍じゃな。
その万分の一でも、自分自身に向けてみたら?
ちーとはましになれるかも。
知らんけど。
373神も仏も名無しさん2019/01/16(水) 21:08:26.58ID:va26nsFZ
>>372
屁理屈も上手だなあ。
426神も仏も名無しさん2019/01/16(水) 22:46:35.72ID:va26nsFZ
>>418
わーー直ぐ出てくる。
子供じゃな。
必死じゃな。
心療内科ーーーwwwwwwww 直接経験
例えば「三本の煙突が立っている」という判断は誤っている可能性があるが、その判断のもとである、「三本の煙突が立っているように見える」という視覚経験それ自体は誤りようがない。
実際の煙突の数が二本であっても、感覚自体はすでに起こっていて打ち消しようがない。
これは「錯覚論法(argument from illusion)」といわれる。
そのような「見える、聞こえる、感じられる」といった感覚経験こそが、様々な知識や判断の土台にある。それ以上は遡れない最も基礎的な現れが「直接経験」である。
直接経験を「私的」なものとして、経験を「……のように私には思われる」と記述するのが独我論である。
しかし無主体論は独我論と反対のベクトルをもち、直接経験は一人称の経験でなくニュートラルなものなので、所有者など存在しないと考える。
例えば「三本の煙突が立っているように見える」という心的経験があっても、その経験を所有する「私」はない。
「私」という主体などは反省的に見出された概念、論理的構成物であって、直接経験自体は特に「誰」のものでもないのである。
また直接経験は非人称的なものだから、それを基礎にする考え方は必ずしも独我論にはならないとする。 5.63
私とは私の世界である。
5.631
思考し表象する主体は、存在しない。
5.632
主体は世界に属するのでなく、それは世界の限界である。
5.64
ここにおいて、独我論は徹底的に遂行されると、純粋な実在論と一致するということを見て取れることができる。
独我論の私というものは、広がりを持たない点へと収縮し、その私と対応する実在がそのまま残る。 「知覚されている」とはかならず「思いをこめて知覚されている」ことなのである。
思いが全くこもらない知覚(知覚的立ち現れ)はありえない(悟性的要素を全く排除した直観の多様などありえない)。
しかし、たとえ思いがいかに濃密にこもっていようとも、机を「見る」こと「触れる」ことと、見も触れもしないでただ(心に、頭に)「思う」こととの分別は子供にも見誤ることのない歴然たるものである。
ただ全く純粋な知覚的立ち現れとは、感覚与件と同様考えることのできぬものであり、すべての知覚は思いのこもった知覚である、このことを忘れてはならない。いかなる知覚も思いをこめての知覚なのである。
大森荘蔵 意識が五感に対して言葉を適用すると、その経験が意識下の阿頼耶識に保存され、その後、その意識の言葉による分節に見合うあり方で諸感覚が生起してくるというのだ。
竹村牧男 入門 哲学としての仏教 (講談社現代新書) 隙あらばシコシコレスしてんなあ笑。
恥を知りなさい笑。 認識とは?
1.○○が眼に入った瞬間(=卒爾心)
↓
2.意識に移動 → あれは何?(=尋求心)
↑
3.阿頼耶識・末那識の種子(能縁)から情報提供(花)
↓
4.これは花だ!(=決定心)
5.綺麗な(汚い)花だ(=染浄心)
卒爾心・尋求心・決定心=無記
上記は弾指頃(だんじきょう)、一瞬でなされる
1.花=相分 眼識=見分
2.眼識=見分 意識=相分(所縁縁) 外境の器物
↓
五根・五識
↓
(卒爾心)
↓
第六識
(尋求心) →
阿頼耶識・種子
(決定心) ←
↓
末那識
↓
(染浄心)
↓
阿頼耶識 >>105>>108
また適当なデタラメと「言語により構築された世界の解体」って昨日話した事のパクリか?
コトバの意味作用とは、本来的には全然分節のない「黒々として薄気味悪い塊り」でしかない「存在」にいろいろな符牒を付けて事物を作り出し、それらを個々別々のものとして指示するということだ。
つまり言語脱落とは、「本質」脱落を意味する。
そして、こうしてコトバが脱落し、「本質」が脱落してしまえば、当然、どこにも裂け目のない「存在」そのものだけが残る。
(井筒 俊彦 意識と本質−精神的東洋を索めてより)
妄念の初動はすでに不可得である、というのもやはりおなじところを指している。
『起信論』は、もともと実体のない猛風の出所や行方を追うことをやめて、波が水の動き以外のなにものでもないことを、まずしっかりと内省せよと教えるのである。
それは、煩悩の非本来性と、真如の体が不生不滅であり、無自性空であることを前提している。
(井筒 俊彦 意識の形而上学: 「大乗起信論」の哲学より) (誕生)
倶生起の煩悩(先天的)
(成長)
分別 〜 分別起の煩悩(後天的) 識は境に託して心と為す。境(濫)を捨てて識(純)を留める。 痴ワワ大山はお勉強よりも狂った性格を自覚しなさい笑、 唯識の知識のお勉強が役立っているのかな?痴ワワ大山君
この痴ワワぶりは大山の別人格が行ったのかな?笑。
痴ワワの妄念だな笑。
11スジャータ大山2019/02/06(水) 01:21:59.88ID:4CW4scjM
自称覚者様一覧(その一)
でおー 〜 知育障害者。「〇〇きたぞ」から始まり入門書レベルの低次元知識を恰も鬼の首を取ったかの様に大袈裟に話す。施設収容者との噂もあり。
鬼和尚 〜 統失。「〜じゃ」と語尾に付ける。和尚でも無いのに和尚と詐称し、「智慧の声が聞こえたのじゃ〜」と幻聴を悟り体験と吹聴している。
ひふみ 〜 統失。最近はポッタン師と名乗る。「 宇宙の創造主と語り、二行程の煽りを執拗に繰り返す。「である」と語尾に付ける。
12スジャータ大山2019/02/06(水) 01:39:17.05ID:4CW4scjM
コジ 〜 薬物中毒者。ナマポの中卒。語尾に「ぢゃ」をつける。ファシスト。違法ドラックでラリって体験した幻覚を悟りと吹聴している。
日本鬼子 〜 統失。本気でクーデターを画策し、自衛隊に請願書を送る。最新このスレでは見ない。
うお 〜 薬物中毒者。語尾に「魚」を付ける。
ポタ公 〜 痴呆、脳疾患。ポッタン、アハ等と名乗る。「黄金の炎が立ち上がる」とか「あれれ自分が無い」とか、幻覚体験を悟りと吹聴する。この頃は痴呆が進行し、廃人の様言動を繰り返す。 有部の三世実有説について
基本的視座
認識態 〜 認識できるもの → 実在する
非認識態 〜 認識できないもの → 実在しない
有部の見解
眼・耳・鼻・舌・身等、知覚の対象を実在とし、意識(思惟)の対象も実在とするのが有部の考え。
〜過去や未来について思惟出来るということは、認識体であるから実在する。
有部の誤謬
過去や未来についての認識とは記憶や推理の問題であり、実在するとは限らない。
メモ
ここでの思惟は言語に等しい。 経量部・中観派・唯識派
直観(前五識)だけを事実の世界として認め、思惟の世界は人間の構想(虚構)としてのみ認める。
有部
思惟の世界を本体と看做し、事実の世界を現象と考える。 明晰な理解とわれわれが考えているものは、多くの瞬間において断片的におこった多くの判断の記憶による総合であって、それは人間のことばによる構成で ある。
そのときわれわれは最初の実在からは遠く隔たっている。
(仏教の思想 3 空の論理<中観> (角川ソフィア文庫)) 宗教板はキチガイの巣窟か?
覚者やキリストを名乗るとかw
そういう奴らは実社会でどんな生活をしてるんだろう? 悟れない外道であるバカ大山が言う、ことである。信用しない、が正解である。
バカ大山はバカ師の前で平身低頭しているが良い。
大爆笑である。 >>149
ハイハイ、知育障害のおじさんw
今年何歳になるんだ?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww そうそう、本性丸出しで素直でよろしい痴ワワ
小恥ずかしい、禅、仏教を恥知らずに知ったかレスしている時よりも素敵だ笑。 >>151
論文を眺めるのは勝手だが、論文を読む時はちゃんとひらがな・カタカナ・漢字等、日本語を学ばないと読めないからな?
これ、大事だぞ?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 悟れない外道であるバカ大山が言う、ことである。信用しない、が正解である。
バカ大山はバカ師の前で平身低頭しているが良い。
大爆笑である。 >>154
wwwwwwwwwwwwwwww
知育障害のおじさん、もう切れたの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています