西田幾多郎は時間についてW絶対現在の自己限定Wっていう見方をしている。
西田哲学といえばWすべて有るものは何かに於てあるWという場の論理で、終極的な場として絶対無を説いている。

……絶対無とは(絶対の)現在であって、自己限定というのが一念という図式が思い浮かんでくるんだよなぁ。
また、その絶対と限定に、一即一切(多)・一切(多)即一の華厳の世界を見るんだけど。