>>791
カテキズム的にいうと、この部分の強調がネクザさんの言ってることよね

461 「みことばは肉となられた」(ヨハネ1:14)というヨハネの表現を踏襲して、教会は神の御子がわたしたちの救いを実現するために人性をとられたことを「受肉」と称しています。
教会は、パウロが遺した賛歌の中で、受肉の神秘を次のように歌います。 「互いにこのことを心掛けなさい。それはキリスト・イエスにも見られるものです。
キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2:5-8)86。