【教えて】聖書のディボーション【みこころ】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ガイドを活用しましょう。 『manna』いのちのことば社 リジョイス 改革派 febc キリスト教放送局 ほか 教皇ツイッター わたしたちのいのちは、それが奉仕するために使われるとき、光を放ちます。喜びの秘けつは、仕えるために生きることです #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #奉仕 引用ツイート Pope Francis @Pontifex Our life spreads light when it is given in service. The secret of joy is living to serve. 午前9:06 · 2018年12月16日 · Twitter We 最近、聖書の語句が変わってしまった超常現象についてご存知? ライオンと羊→オオカミと羊 に変化 サンダル→シューズ ソファー エイリアン マトリックス こちらで語りましょ 【マンデラ】現実と違う自分の記憶28【宮尾すすむ】 https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1544529015/ 🎈本日の『manna』エレミヤ 25:1-14 70年のさばき リビングバイブル 8-9 そして今、神である主はこう宣告します。 「あなたがたがわたしのことばを聞かなかったので、わたしは代理人に立てたバビロンのネブカデネザル王の率いる北方軍団を呼び、この国と住民、それに周囲の国々を攻めさせる。こうして、徹底的に破壊し、あなたがたを永久にあざけりの代名詞とする。 10 喜びと楽しみ、結婚式の喜びを取り除く。 事業は失敗し、家庭は暗闇に閉ざされる。 (ピッピ談) 神様は罰をお与えにはなりませんと断言する人がいます。十字架で私たちの罪の贖いが完了したからだと。 罰をお与えにならないとすればどんな神様でしょう。懲らしめをお与えになる神様です。黙示録の7つの教会への預言を思い出しましょう。わざわいが全くなくなると思ったら大間違いです。 契約違反しなければイスラエルも永遠に祝福されたはずですから。 エレミヤの二十三年間にわたる預言にも民は耳を貸さず「悪の道」または「悪い行い」を改めませんでした。 私は、主の十字架のときにいたるまで、彼らは何が「悪の道」「悪い行い」なのかを判断できなかったのだと思います。 目が見えなくされるとはどういうことか、見えないとはどういう状態か、当人にはわからないのです。 バビロン捕囚が終わるにあたり、神はバビロン人を他の強い国々の奴隷とします。「わたしは彼らを、彼らがわたしの民を扱った基準に従って罰する」(14節 リビングバイブル) 愛の神様なら罰することはないと優雅に構えているあなたは大丈夫ですか。 。。。。 † マタイによる福音書7章13節から20節 13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 15 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。 16 あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。 17 すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 18 良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。 19 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。 20 このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」 。。。。 https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/tenrei/taikosetsu/ この七つの交唱の冒頭をラテン語で表記すると以下のようになります。 “O Sapientia”(英知) “O Adonai”(主) “O radix Iesse”(エッサイの切株) “O clavis David”(ダビデのかぎ) “O Oriens(朝日) “O Rex gentium”(諸国民の王) “O Emmanuel”(インマヌエル) これらのラテン語の“O”の次にくる単語の頭文字を逆から並べると、“ERO CRAS”となります。これは「明日、わたしはいるだろう」という意味で、各交唱の結びの「来てください」という嘆願に応えることばとなっています。 教皇ツイッター 「おお、すべてを越える神から出た英知よ。あなたは果てから果てまで、すべてを力強くやさしく整えられる。賢明の道を教えに来てください」 #AdventAntiphons #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #待降節の交唱 #12月17日 引用ツイート Pope Francis @Pontifex "O Wisdom from the mouth of the Most High, you fill the whole world. With strength and gentleness you order all things: come to teach us the way of prudence." #AdventAntiphons 午前2:01 · 2018年12月18日 · Twitter Web Client 🎈本日の『manna』エレミヤ 27:1-11 バビロンに服従しなさい リビングバイブル 5 『わたしは大きな力をもって、地と全人類と、あらゆる動物を造った。これらを、わたしの目にかなった者に与える。 6 わたしはすでにおまえたちの国々を、わたしの代理人、バビロンのネブカデネザル王に与えた。また、おまえたちの家畜を全部彼のものとした。 7 時が来るまで、すべての国は彼とその子孫に仕える。そのあとで、多くの国の民と強い王たちがバビロンを征服し、住民を奴隷とする。 8 今は彼に従い、彼に仕えよ。おまえたちの首をバビロンのくびきに入れるのだ。わたしは、彼の奴隷になろうとしない国の民を罰する。戦争とききんと疫病を送るので、その国は彼に征服される。 (ピッピ談) 神の目にかなうというのが決して憐れみ深い性質の者ではないことが示されていると思います。こうして最後はバビロンも滅ぼされます。 私は神様がなぜ悪魔サタンの活動をこの世界に許可されているのか理解できませんでした。残虐非道が世界中いたるところで行われています。 そもそも私たちの欲望が引き金だとはいえ、こうした不幸を目の当たりにして声を荒げずにいられるでしょうか。 そんな時、主の十字架を思い出し、神の摂理の不思議さに信頼するしかないこと、人間の無力さ、山や丘は低くなり谷は埋められ、世界がすべて平らにされ整えられる時を待ち焦がれるのです。 🎈本日の『manna』エレミヤ 30:1-11 救いの約束 リビングバイブル 8 全能の主は、こう約束します。「その日になると、わたしは彼らの首のくびきを壊し、体に巻きついてる鎖を断ち切る。外国人は二度と彼らを支配しない。 9 イスラエルとユダは、わたしと、わたしが彼らのために立てるダビデ王に仕えるようになる。 10 わたしのしもべヤコブよ、怖がることはない。 イスラエルよ、うろたえなくてもいい。 わたしがあなたを遠い国から連れ戻し、 あなたの子孫を、捕らえ移されて行った先から 連れ戻すからだ。 彼らは自分の国でゆったりくつろぎ、 だれも彼らを脅かすことはなくなる。 11 わたしがそばについていて救うからだ。 わたしはあなたの寄留先の国々を 全滅させることがあっても、 あなたを滅ぼし尽くすことはしない。 もちろん、完全に罰を免れるというわけではないが。…」 (ピッピ談) ほらね、と思いました。 主の約束はこのとおりです。 滅ぼし尽くすことはしないが罰は与えると。 「外国人は二度と彼らを支配しない」(8節) そうでしたか? ゆったりくつろぐことも約束ですが、さばきも受けるでしょう。なぜならイスラエルの神は契約の神だからです。違反があれば懲らしめを受けます。 神を畏れ敬いましょう。私たちは自分の違反さえわからないかもしれません。 🎈本日の『manna』エレミヤ 37:7-14 回復の喜び リビングバイブル 8 わたしが彼らを、 北から、また地の果てから連れ戻すからだ。 盲人や足の不自由な者、赤ん坊を連れた若い母親、 出産の近い女には、特別に心を留める。 彼らは大きな集団となって帰る。 9 だれの頬にもうれし涙がこぼれる。 わたしは彼らを、 壊れ物を運ぶように注意して連れ帰る。 彼らは静かに流れる川のほとりを歩き、 つまずくことはない。 イスラエルにとってわたしは父であり、 エフライムはわたしの長男だからだ。」 (ピッピ談) バビロン捕囚からの解放のときは必ず来ると預言しています。 「彼らは帰国して、シオンの丘で喜びの歌を歌います」(12節) 「苦しいことばかりの捕虜の時代は、もう過去のこととなった」(13節) 「わたしの民がすっかり満足するまで、十分に食べさせる」(14節) しかし、このあとのことを誰が思ったでしょう。 自分らのメシアを迫害して殺してしまうなどという出来事が起きようとは。 🎈本日の『manna』エレミヤ 34:12-22 奴隷の解放 リビングバイブル 17 結局、あなたがたはわたしの言うことを聞こうとせず、奴隷を解放しなかったので、わたしは戦争とききんと疫病であなたがたを打つ。流浪の民として世界中に散らす。 18-19 あなたがたは契約を守らなかったので、誓いを確かなものとするために牛を二つに断ち切ってその間を通る儀式にならい、あなたがたを真っ二つにする。 高官であろうが、宮廷の役人であろうが、祭司であろうが、一般市民であろうが、誓いを破った以上は、家畜のように殺す。 20 わたしがあなたがたを敵の手に渡すので、敵はあなたがたを殺す。あなたがたの死体は、はげたかや野獣のえじきとなる。 (ピッピ談) エジプト脱出の際に、ファラオが度々心を変えたようなことが神の民にもあったということですね。 六年の年季明けに奴隷を解放するという契約があったのに、自由にしなかったのです。 いったんは正しいことへ向かうものの、また翻してしまうという。 「そのことは実行されなかった」(14節) 「ところが最近になって…正しいことをして、奴隷を自由の身とした」(15節) 「今になって急に態度を変え、誓いを破って…再び奴隷にした」(16節) 私ごとですが付録や福袋は買わないと決めてからすでに5万円分の予約をしてきました。 恐怖が止むと涙も止みますが、隣人のことなどすっかり忘れています。 この季節に隣人を忘れるなんてことがあっていいものでしょうか。 当初の予定ではあやめ♀とダリア♀のワクチン接種がありました。 私の食費を削ることも考えましたが、電気代が怖いのです。 福袋をキャンセルしましょう。 食事はちゃんと取らないと。 今年は野菜が安いですよ。 本日のリジョイスより 民数記11-12章 悔い改めて神に立ち帰る 民は出て行って、終日終夜、そして翌日も、うずらを集め、少ない者でも10ホメルは集めた。 …肉がまだ歯の間にあって、かみ切られないうちに、主は民に対して憤りを発し、激しい疫病で民を打たれた。そのためその場所は、キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)と呼ばれている。(民数記11:32-34) 荒れ野の旅路は、たいへん厳しいものでした。イスラエルの民は出発してさっそく不満の声を上げてしまいました。1回目の理由は不明ですが、2回目は食べ物についての泣き言でした(4節以下)。 マナによって、基本的な食べ物は満たされています。うずらが与えられることもありました(出16章13節)。けれども、肉や魚を求める声に誘惑されて、与えられているものに満足することを忘れてしまったのです。 主なる神は再びうずらを与えられましたが、それは貪欲な者に対しては主の裁きを招くものでした。終日終夜集めるような行為は、日毎に糧を与えて養ってくださる主を信頼する行為ではありません。そのため、疫病で打たれることになりました。 貪欲は偶像礼拝の罪だと指摘されています(コロ3章5節)。自分の思いを満たすことを求めて生きるなら、私たちも神の御前に罪を犯すことになります。この出来事は私たちを戒めています(1コリ10章6節)。 悔い改めて神に立ち帰る者こそ、真実に主イエス・キリストの到来を喜び祝う者とされるのです。 リジョイスをコピー 「貪欲は偶像礼拝の罪である」 頭を下げて跪かないなら偶像崇拝ではないと 考えている人もいます。 それがどれだけ表面的な理解であるかを知って欲しいのです。 知らずに神と敵対していることさえ気づかないでしょう。私たちはそれほど無自覚に偶像崇拝しているのです。 Νεκρώσατε οὖν τὰ μέλη τὰ ἐπὶ τῆς γῆς, πορνείαν ἀκαθαρσίαν πάθος ἐπιθυμίαν κακήν, καὶ τὴν πλεονεξίαν, ἥτις ἐστὶν εἰδωλολατρία, なるほど 文法的にはἥτις (ホスティスの女性・単数・主格)は、直前の τὴν πλεονεξίαν 冠詞・女性単数対格 貪欲を を受けて 「これは」、偶像崇拝である。と書いてますね。 だけども意味的には地上の肢体であるところの πορνείαν ἀκαθαρσίαν πάθος ἐπιθυμίαν κακήνも含めているのではないか と思います。 🎈本日の『manna』ルカ2:1-7、ガラテヤ4:4-5 時が満ちて ルカ そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町に上って行った。 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。 ガラテヤ しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。 それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。 (ピッピ談) バビロン捕囚から解放されて祖国へ戻っても、神の民はローマ帝国に支配されていました。 苦難の時期、メシア到来の期待の中、救い主はお生まれになりました。 八日目には割礼を受けられています。 エジプトへ逃げ、ナザレに戻り、30歳になるまで静かに暮らされていました。 >>244 も含めているのではないか、とは 何ですか。読めない者にはわからんぞ。 私の貪欲 🔻福袋 🔻雑誌付録とおまけと無料の配り物 🔻神の神秘探索 🔻スマホ 🎈本日の『manna』ルカ 2:8-20 救い主を礼拝する 12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」 13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。 14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。 地の上で、平和が みこころにかなう人々にあるように。」 15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。 「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」 16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。 (ピッピ談) 伝承によるとこの羊飼いたちは、その後、キリスト信者となったということです。 倒れたイエズスの代わりに十字架を背負わされた通りがかりのキリキヤ人も、キリストのおからだを槍で突き通したローマ人もキリスト信者になりました。 反対していた祭司たちも、十字架の後、大勢がキリスト信者になったと聖書に書いてあります。 羊飼いたちに現れた御使いははっきりと告げました。 「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(11節) >>249 あっ! ハマンは敵だ。 撤退とは何を指して書いたのか忘れてしまった。 ハマンのように撤退しているでしょうか、って何かしら。 >>250 おそらく 「モルデカイのように徹底しているでしょうか」ですね。 前にもダビデの王子の名前を間違えました。 アムノンのことをアブシャロムと書いたことがあります。 異母妹タマルを犯したのはアムノンですが、アブシャロムと書いてしまいました。 聖なる夜(よ)、独り静かに記す事 "聖なる夜(よ) 心に羽根が 舞い降(ふ)りて 傷心(こころ)の哀しみ 想いの希望に" "哀しみの あなたの涙 胸痛め 涙拭えば 笑顔の涙に" どうか、これからのあなた(方)に、 "春の日差しと陽気の幸あらんことを" "幸せもたらす福音の鐘の音を" 2018/12/25 stranger coin 聖なる夜(よ) 静かな時間(とき)を 過ごしつつ 失礼ながら 此処書き記す 本日のfebc エコーオブヴォイスズを聞いて (ピッピ談) 家族や周りの人からの反対や無理解から、キリスト信仰を胸に秘めているしかない時。 その期間、あなたは神様と二人きりでお話しし専心することができます。 暮らしのなかであなたをとおして神様が働かれるでしょう。 あなたが罪深いなら、罪深いあなたが求め続けた神がキリストだと知られるようになるのです。 世の玉石混交の信仰のなかで、あなたは真珠であるキリストを伝える器として選ばれました。 あなたが弱ければ、弱いあなたが信じている神がキリストだと知られます。 その人が罪を犯し弱くなってあなたを思い出す時、あなたは力強くキリストを伝えたことになるのです。 コロサイ1:15-17 (リビングバイブル) キリストは、目には見えない神のかたちであり、神がすべてのものをお造りになる前からおられました。 事実、キリストはすべてのものの創造者なのです。天にあるものも地にあるものも、目に見えるものも見えないものも、霊の世界の王座も主権も支配も権威もすべて、この方がご自身の目的と栄光のために造られたのです。 キリストは他のすべてのものに先立って存在し、すべてのものは、キリストによって成り立っています。 (ピッピ談) 『manna』の解説には、はっきりと書いてあります。 「…イエス・キリストが天地万物を創造され、またそのすべてを今も支えておられる神であって、それと共に昔旧約の民イスラエルを導かれたあの主、ヤハウェなる神であるということです」 詩編58より 【指揮者によって。「滅ぼさないでください」に合わせて。ダビデの詩。ミクタム。】 しかし、お前たちは正しく語り/公平な裁きを行っているというのか/人の子らよ。 いや、お前たちはこの地で/不正に満ちた心をもってふるまい/お前たちの手は不法を量り売りしている。 神に逆らう者は/母の胎にあるときから汚らわしく/欺いて語る者は/母の腹にあるときから迷いに陥っている。 蛇の毒にも似た毒を持ち/耳の聞こえないコブラのように耳をふさいで 蛇使いの声にも/巧みに呪文を唱える者の呪文にも従おうとしない。 神が彼らの口から歯を抜き去ってくださるように。主が獅子の牙を折ってくださるように。 彼らは水のように捨てられ、流れ去るがよい。神の矢に射られて衰え果て なめくじのように溶け/太陽を仰ぐことのない流産の子となるがよい。 鍋が柴の炎に焼けるよりも速く/生きながら、怒りの炎に巻き込まれるがよい。 神に従う人はこの報復を見て喜び/神に逆らう者の血で足を洗うであろう。 人は言う。「神に従う人は必ず実を結ぶ。神はいます。神はこの地を裁かれる。」 >>264 幸いを告げるうた―詩篇(再)1/18 投稿者: Staff03 小林和夫(日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師、東京聖書学院名誉院長) 19 全地に正しい裁きを行い給え 詩篇58 コーヒーブレイクインタビュー 凄まじい神の御手をお証ししてます。 ぜひお聴きください。 http://netradio.febcjp.com/2019/01/19/cbi190119/ 野原昭子氏(ボリビアの障害者自立支援施設「聖マルティンの家」施設長)(1) サムエル 上 15章より ◾万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。 行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」 ◾サウルはハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討った。 アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。 しかしサウルと兵士は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くした。 ◾主の言葉がサムエルに臨んだ。 「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない。」サムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだ。 ◾サムエルがサウルのもとに行くと、サウルは彼に言った。「主の御祝福があなたにありますように。わたしは主の御命令を果たしました。」 サムエルは言った。「それなら、わたしの耳に入るこの羊の声、わたしの聞くこの牛の声は何なのか。」 サウルは答えた。「兵士がアマレク人のもとから引いて来たのです。彼らはあなたの神、主への供え物にしようと、羊と牛の最上のものを取って置いたのです。ほかのものは滅ぼし尽くしました。」 ◾サムエルは言った。「あなたは、自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれない。しかしあなたはイスラエルの諸部族の頭ではないか。主は油を注いで、あなたをイスラエルの上に王とされたのだ。 主はあなたに出陣を命じ、行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし尽くせ、彼らを皆殺しにするまで戦い抜け、と言われた。 何故あなたは、主の御声に聞き従わず、戦利品を得ようと飛びかかり、主の目に悪とされることを行ったのか。」 ◾サウルはサムエルに答えた。「わたしは主の御声に聞き従いました。主の御命令どおりに出陣して、アマレクの王アガグを引いて来ましたし、アマレクも滅ぼし尽くしました。 兵士が、ギルガルであなたの神、主への供え物にしようと、滅ぼし尽くすべき物のうち、最上の羊と牛を、戦利品の中から取り分けたのです。」 ◾サムエルは言った。「主が喜ばれるのは/焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。 反逆は占いの罪に/高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは/王位から退けられる。」 ◾サウルはサムエルに言った。「わたしは、主の御命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました。 上記は15章からの抜粋です 自分たちから見てつまらないものは捨て、 上等なものは生かして分捕るということが主の目に悪と映った。 23 従わないことは占いの罪、 高慢は偶像崇拝の悪。 あなたが主のことばを退けたので、 主もあなたを王位から退けた。」… >>272 神を信じない人の中にも神の恵みをふんだんにいただいている人がいます。 お金、地位、人間関係、善行、知能、芸、気質、平安、名声などです。 良い賜物はすべて神から来ています。 ですから神に感謝せず、人から来たものとして受け止めると盗みと同じなのです。 神はご自分の「聖」に繋がらないこれらのものは惜しげも無く捨て去られます。 神の恵みは無尽蔵ですから与えたいと思う人に与えられるからです。 >>268 >>269 >>270 >>271 >>273 ヒントになったものは『黄金伝説1』 主の降臨と再臨 立ち読みで検索すると読めます febcを聴きました。 MEGUちゃん、重いお話をありがとう。 ほんっとうにそう! こっそり神様にお話しするのが一番です。 確実です。 それでもアウトプットしたいときはホワイトボードか匿名掲示板でつぶやく。 マルコ4章より (そのとき、)イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。 おびただしい群衆が、そばに集まって来た。 そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。 イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。 …(種まきのたとえ) イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。そこで、イエスは言われた。 「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。それは、 『彼らが見るには見るが、認めず、 聞くには聞くが、理解できず、 こうして、立ち帰って赦されることがない』ようになるためである。」 >>277 初めからそのおつもりで話されていたのだとすれば、あらゆる病気の癒しはご自分の性質を伝える手段として用いられただけだったという気もする。 『manna』詩篇97:1-12 1 主は王である。 地は小躍りせよ。多くの島々は喜べ。 2 雲と暗黒が主を囲み 義とさばきが御座の基である。※ 3 火は御前に先立ち 主の敵を囲んで焼き尽くす。 4 主の稲妻は世界を照らし 地はそれを見て おののく。 5 山々は主の御前にろうのように溶ける。 全地の主の御前に。 6 天は主の義を告げ 諸国の民はその栄光を見る。 ※ (リビングバイブル) 2 雲と暗闇が主を取り囲み、 正義がその王座の土台です。 >>280 このあとイエズスは崖の上に追い立てられ殺されそうになりました。 私はここでカインの捧げものに目を止められなかった神に対してカインが取った行動を思い起こしました。 聞いた人は否定されたような気がしたのでしょう。カインは寂しい思いをしたかもしれません。でもこの時、忍耐して冷静になっていたら、別の感情が湧いてきたかもしれないのです。 私たちは試みを受けているのではないでしょうか。 詩編24 8栄光の王とはだれか。 勝利を得られる力ある神。 10栄光の王とはだれか。 すべてを治める神、神は栄光の王。 ヘブライ11章より 皆さん、これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。 信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。 女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。 また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。 彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです。 ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。 神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。 >>283 地上の繁栄とは真逆の義人たちを思いましょう。 詩篇100より 喜び叫べ 主(ヤハウェ)を 全地よ。 仕えよ 主(ヤハウェ)に 喜びをもって。 来たれ 御前に 喜び歌いながら。 知れ 主(ヤハウェ)こそ 神であられることを。 この方が私たちを造られた。私たちは主のもの 私たちは主の民、主の牧場の羊である。 来たれ 主の門に 感謝をしながら、 主の大庭へと 賛美しながら。 それは 主(ヤハウェ)が いつくしみ深く 主の恵み(へセド)は とこしえまで 主の真実は 代々に至るから。 >>285 「いつくしみ(善)」 「恵み(へセド=変わらない契約の愛)」 「真実(信頼できること)」 ヘブライ12章より 皆さん、あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。 「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。 主から懲らしめられても、 力を落としてはいけない。 なぜなら、主は愛する者を鍛え、 子として受け入れる者を皆、 鞭打たれるからである。」 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。 詩篇101:1-8 リビングバイブル 1 主よ。あなたがどんなに恵み深く 公正なお方であるかを、ほめ歌います。 2 私は潔白な道を歩もうと心がけていますが、 神の助けなしには何もできません。 特に、私の家において、 あなたの御心に添って歩むことができるよう 助けていただきたいのです。 3 卑しいものを退け、あらゆる不正を憎んで、 それにかかわることがないように助けてください。 4 私はいっさいの自己中心を捨て、 すべての悪から遠ざかります。 5 陰で隣人を中傷するような者は容赦をしません。 また、うぬぼれや思い上がりも許しません。 6 主に従う人こそりっぱな人と認めて、 私の家に招きます。 身も心も潔白な人だけが、 わが家に仕えることができるのです。 7 うそを言ったり、裏切ったりする人を 泊めることなどしません。 8 悪人を追い出して神の都を守ることが、 私の日々の務めなのです。 >>287 はミサ朗読箇所 >>288 は本日の『manna』 ヘブライ12章より あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。 その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、 すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。 >>291 天に登録されている長子たち そっか、長子か。 ヘブライ13章より 皆さん、兄弟としていつも愛し合いなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。 「主はわたしの助け手。 わたしは恐れない。 人はわたしに何ができるだろう。」 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。 詩篇103:6-14、16 6 主は 義とさばきを すべての虐げられている人々のために行われる。 7 主は ご自分の道をモーセに そのみわざをイスラエルの子らに知らされた方。 8 主は あわれみ深く 情け深い。 怒るのに遅く 恵み豊かである。 9 主は いつまでも争ってはおられない。 10 私たちの罪にしたがって 私たちを扱うことをせず 私たちの咎にしたがって 私たちに報いをされることもない。 11 天が地上はるかに高いように 御恵みは 主を恐れる者の上に大きい。 12 東が西から遠く離れているように 主は 私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。 13 父がその子をあわれむように 主は ご自分を恐れる者をあわれまれる。 14 主は 私たちの成り立ちを知り 私たちが土くれにすぎないことを 心に留めてくださる。 出エジプト34章より 新共同訳 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。 「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、 幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。 ヘブライ13章より 皆さん、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。 指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、 御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。 >>297 ここで「施し」と訳された原文は「コイノーニア」(交わりの意味)です。この単語は新約聖書で19回使われているそうですが、その13回はパウロの手紙で使用されているということです。 新改訳聖書では、「持ち物を人に分けること」、フランシスコ会訳では、「物を分け合う」と訳されています。こう見てみると、意味合いが明確になるかもしれません。 https://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle1/1_ord04sat.php フィリピ2章より だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。 >>299 何もしなくてもすでに救いは達成されているとは 書いてないのですよね… イザヤ6章より ウジヤ王が死んだ年のことである。 わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。 「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。 主の栄光は、地をすべて覆う。」 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。 わたしは言った。 「災いだ。わたしは滅ぼされる。 わたしは汚れた唇の者。 汚れた唇の民の中に住む者。 しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。 「見よ、これがあなたの唇に触れたので あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」 そのとき、わたしは主の御声を聞いた。 「誰を遣わすべきか。 誰が我々に代わって行くだろうか。」 わたしは言った。 「わたしがここにおります。 わたしを遣わしてください。」 ふくいんのなみ リジョイスも カトリックミサ福音朗読箇所と同じ ルカ5:1-11 ペトロ(シモン)の召命場面です >>302 febc日曜礼拝番組の説教のなかでも 同じ場面が紹介されました 雅歌2章より 恋しい人は言います。 「恋人よ、美しいひとよ/さあ、立って出ておいで。 ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。 花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。 いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ/さあ、立って出ておいで。 岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ/姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」 >>304 イエズスがマグダラのマリアに向かって 外に出るようにと優しく語りかけているように聞こえてきます。 あなたの罪の咎は消し去られ、新しい一歩が待ち構えているよと。 ビューティフルイスラエルのカレンダー ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。 地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、 山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。 雅歌2:11〜12 >>306 カレンダーめくりを忘れていて さっき開きました。 2月の写真は赤いポピー(アネモネ) >>305 ラブラブって素晴らしいなと思います。 信じてくれる人がいて、自分もその人を信じているということが、どんなに愛を強固にするか。 迷い猫と親切な発見者、または迎えに来た母猫を見るときの子猫のようなものを想像します。 私は、やはりこの二人は愛し合っていたと思うんですよね。 聖書の真の著者は聖霊だといわれています。 福音書のエピソードには別人のようにして紹介されているけれど『黄金伝説』によるとマグダラのマリア本人なんです。 この女性との関わりが頻繁に書いてあることから、そして最後の福音書でヨハネがマグダラとイエズスの生々しい対話を挿入していることからも、最重要人物であることは間違いないです。(と私は確信している) 私の推察では、黙示録の描写があまりにもマグダラのマリアと一致しているために、この女性がキリストの花嫁ですよと大胆に仄めかして、墓の前の二人を具体的に書かざるを得なくなったのではないかと思うのです。 聖霊のうながしによって。 創世記1章より 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。 「光あれ。」 こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 神は言われた。 「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。 神は言われた。 「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」 そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。 神は言われた。 「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」 そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。 神は言われた。 「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」 そのようになった。 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。 第四の日である。 >>310 カトリックの見解は ここに描かれる創造物語は、科学的な描写ではなく、創造者が被造物を創造する、つまり、神が創造物に対して目的をもっておられるという神学的な描写、主張であることを理解することが大切です。 https://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle1/1_ord05mon.php 詩編104より 1心を尽くして神をたたえよう。 神よ、あなたはまことに偉大なかた。 2a誉れと輝きを身に帯びて、 衣のように光をまとわれる。 24神よ、あなたが造られたものは数えきれない。 英知によって形造られたものは地に満ちている。 33わたしは生涯、神に向かって歌い、 いのちのある限り神をたたえよう。 ビューティフルイスラエルのカレンダー 2月の表紙写真 ※ 赤いポピー(アネモネ)の絨毯の中に黒い樹々が立っている
ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。
地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、
山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。
雅歌2:11〜12 マグダラのマリアは、罪を赦された後もしばらくは家に閉じこもっていたんじゃないかと思う。恐くて。 イエズスはマリア(マグダラ)に優しく語りかけ「ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。」という。 なんて甘く響く言葉だろう。 「あなたの罪は赦された」とイエズスの声を聞いた人はなんて幸い、なんて恵まれていることか。
「ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。 地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、
山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。 」 そこにはマリア(マグダラ)のかつての罪を責める思いはどこにもない。 七つの悪霊に囚われた女性を解放しイエズス一行と一緒に旅をさせていたという。 創世記より 神は言われた。 「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。 神はそれらのものを祝福して言われた。 「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」 夕べがあり、朝があった。第五の日である。 神は言われた。 「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」 そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。 神は言われた。 「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 神は彼らを祝福して言われた。 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 神は言われた。 「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」 そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。 天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。これが天地創造の由来である。 1コリント10章より 兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、 皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、 皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。 しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。 これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。 彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。「民は座って飲み食いし、立って踊り狂った」と書いてあります。 彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました。 また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。試みた者は、蛇にかまれて滅びました。 彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。 これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。 わたしの愛する人たち、こういうわけですから、偶像礼拝を避けなさい。 febcの関野和寛牧師 先週はユダについての想像 今週はピラトについての想像 こんな自由な想像が許されるなら、私の想像は『黄金伝説』を参考にしてるからもっと根拠あるわ 今朝も映画のシーンのようにイエズスとマグダラのマリアをコマ割りしていた 詩篇105:7-17、24-26、42 リビングバイブル 神の恵みは、全地の至るところで明らかです。たとえ何千年を経たのちでも、主は約束を忘れず、アブラハムやイサクと結んだ契約を守ります。 そして、その契約をヤコブに再認識しました。「カナンの地を相続させよう」という、イスラエルへの約束です。 このころはまだ、イスラエルはほんの一握りの民族で、カナンの寄留民にすぎませんでした。 彼らは国々に散らされ、国から国へと放浪したこともありました。しかし、そんな時でも、主のお許しなしには、だれも彼らを攻撃することはできなかったのです。 彼らを攻撃しようとする多くの王が滅ぼされました。 神の警告が響き渡りました。 「わたしの選んだ者にさわるな。 わたしの預言者に害を加えるな。」 主がカナンの地にききんを呼び寄せると、食糧が底をつきました。一方、ご自分の民を飢えから救うため、ヨセフを奴隷としてエジプトに送りました。 … それ以後、イスラエルの民は増え、支配者たちを脅かす大民族にまでなったのです。 このころ神は、エジプト人をイスラエルの敵と変え、イスラエルは奴隷にされました。 しかし、主はご自分の代理として、モーセをアロンとともに派遣しました。 … 主は、しもべアブラハムへの約束を覚えておられたのです。 >>317 『manna』の解説「みことばを味わおう」より 筆者は最初、主がアブラハムと結んだ「契約」という観点から聖書を読むことができていなかったため、旧約での残酷な物語や、救いが選びによるという教理にも違和感を覚えました。 しかし、この観点から全体を読み出すと、すべてに一貫性が見えてきました。 創世記2章より 主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。 しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。主なる神は人に命じて言われた。 「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」 febc恵子の郵便ポスト (ピッピ談) 修道院のような教会を嫌って世俗に生きる教会を求めてきたかたのお便り。 カトリックでは交わりのない信仰生活をする聖人の話もよくあります。でも普通の人にはこんな生活するのは難しいと思います。 でも世俗で生きると生きにくさが出てきて心を病ませることも少なくありません。 この後の番組がもう一面の危険を伝えていると思います。 「しるしを見たからではなく満腹したからだ…」 こうなってしまっていないかと振り返るときが来ると思います。 キリストを語ると迫害も起きます。十字架は反対を受けるしるしなんですから。 日々の暮らしを全力投球されたい方は、明日の番組「どこへでも、どこまでも」のような説教を聴くと励まされるかもしれません。 >>320 タラントを生かすということをお便りの方が書いておられました。 どんなタラントかは人によります。祈りのタラントを持っている人、引きこもって神様と対話し説教に生かす方もいると思います。 弟子たちは食物配給のことで自分たちが煩わされないようにと評判の良いひとを任命してことに当たらせましたよね。 皆が外へ出て、労働し、社会の歯車の一員となって交わることが唯一求められているわけではないでしょう。 聖書続編には労働を免れた研究者のことが書いてあり彼を尊ばれています。 創世記2章より 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。 「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼうまさに、 男(イシュ)から取られたものだから。」 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。 人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。 詩編128より 額に汗してかてを受け、 恵みと平和に満たされる。 実り豊かなぶどうの木のように、 妻は家庭をうるおす。 オリーブの若木のように、 子どもたちは食卓を囲む。 神の祝福がシオンから臨み、いのちのある限り、 エルサレムの栄えと、数多くの子孫の群れを見る。 「私の実感」が信仰の根拠ではない 恵子の郵便ポスト http://netradio.febcjp.com/2019/02/14/post190214/ 吉崎恵子(日本FEBCメイン・パーソナリティ) イエス様が共にいる実感が欲しい 創世記3章より 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。 「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」 女は蛇に答えた。 「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」 蛇は女に言った。 「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる