【教えて】聖書のディボーション【みこころ】
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ガイドを活用しましょう。 『manna』いのちのことば社 リジョイス 改革派 febc キリスト教放送局 ほか 🎈本日の『manna』エレミヤ 神からの答え リビングバイブル 5 エルサレムよ。 だれが、あなたのために心を痛めて泣くだろうか。 だれが、あなたの安否を尋ねるだろうか。 6 あなたはわたしを捨て、わたしに背いた。 だからわたしは、あなたを打ち据えようと、 こぶしを振り上げる。 立ち直る機会を与えるのがいやになったのだ。 7 あなたを町の門でふるいにかけ、 大切にしている物をみな奪い取る。 わたしの民は悪の道を振り切って わたしに立ち返ろうとしないので、彼らを滅ぼす。 (ピッピ談) ユダの王ヒゼキヤの子マナセがエルサレムで行ったことの罰が予告されました。 マナセは55年にわたり南王国を統治しましたが、偶像崇拝や殺人などあらゆる悪を行なっています。 バアルの祭壇とアシェラ像の造営、自然崇拝、人身犠牲、占い、まじない、霊媒、口寄せ、罪なき人々の殺害…(列王記二 21章)。 神は「たとえモーセとサムエルがわたしの前に立ち、この国のために嘆願しても、わたしは彼らを助けない」(1節)と言われます。 こうして罰は民を襲います。今、安らかでいても、神の御目にはどう映っているのかわからないのですから、自惚れず身を低くして仕えましょう。 >>212 🎈本日の『manna』エレミヤ 15:1-9 現代そっくりです。 宗教の多様性が平和に共存する社会を求める人が多いですから。 初冬の夜、落書きとして書き記す事 −−− どんな容姿を持ったとしても、自分では決して得られないものがある。 どんな腕力を持ったとしても、自分では決して得られないものがある。 どんな財産を持ったとしても、自分では決して得られないものがある。 どんな権力を持ったとしても、自分では決して得られないものがある。 どんな知識(叡智)を知ったとしても、自分だけでは決して叶わぬものがある。 それは・・・、 あなたの私に向ける"本心"による純粋な愛情(善意)。 何故なら、何かによって身勝手、無理矢理にあなたを従わせた(従えさせようとした)時点で、もう既にあなたの"本心"は消え失せてしまっているのだから。 (私に対する愛情(善意)の"ふり"を向けられる事(本心ではない)) また、あなたは自分から"好き"を語る事が出来る様に、自分から"嫌い"を語る事が出来るのだから。 "驕り・傲慢"はその目を曇らせます。 −−− 栄誉、賞賛、名誉等、即ち「愛される事」について思う事。 2018/12/11 stranger coin https://www.youtube.com/watch?v=ajiHUgkyimo Ettore Bastianini - Vergin tutto amor (Durante) - STUDIO recording - RARE レスNo.214について思う事 "宗教の多様性"を"党派心の多様性"にすると・・・。 主の御心について、皆一様に同じ理解をされれば宜しいかと思われますが・・・。 (最近の他のスレッドを拝読させて頂きまして思う事として) 先程のレスも含めて勝手に書き記す事を失礼致します。 上から目線な差別の教えの差別だけ取り出したようなゴーンとマクロン >>211 不正な裁判官 → 神を畏れず、人を人とも思わない裁判官 🎈本日の『manna』エレミヤ 17:1-11 罪とその結果 リビングバイブル 1 「鉄のペンかダイヤモンドの先端で、 石の心と祭壇の端に、 悪いおきてが刻み込まれているように、 わたしの民は罪を犯す。 2 若者でさえ罪を犯すことだけは忘れず、 木々の下で偶像を拝み、 高い山でも平地でも偶像に仕えている。 だから、あなたの全財産を、 罪に見合う代価として、敵に渡す。 9 人の心は何より欺きに満ち、芯まで腐っている。 それがどんなに悪質であるか、 だれにもわからない。 10 ただわたしだけが人の心を知っていて、 隅々まで探り、 一番奥に隠された動機まで読み取る。 そして一人一人に それぞれの生き方に応じた報いを与える。 (ピッピ談) 大変な言われようですが、身に覚えがある人ばかりではないでしょうか。 「私は良い心しかない。悪いことは何もしてない」と言う人は偽り者です。 裁きの日にはどんな恥をかくことでしょう。 それは人の目によるのではなく、神の御目による裁きだからです。 人の目の延長で神を判断しないようにしましょう。 🎈本日の『manna』エレミヤ 20:1-6 迫害を受けるエレミヤ リビングバイブル 1 神殿を管理する祭司であるイメルの子パシュフルは、エレミヤの語ることを聞くと、 2 彼を逮捕してむちで打たせ、神殿に近いベニヤミンの門にある足かせにつなぎました。 3 エレミヤは一晩中そこにさらされ、 翌日、パシュフルが釈放すると、エレミヤは言いました。 「パシュフル、主はあなたの名を変えました。あなたはこれからは『おびえながら生きる者』と呼ばれるようになる、と主は言います。 4 主があなたとあなたの友人に、恐怖を与えるからです。あなたは、友人が敵の剣で殺されるのを見るでしょう。 主はこう言います。『わたしはユダをバビロンの王に引き渡す。王はこの民を奴隷としてバビロンへ連れて行き、そこで殺す。 5 またわたしは、敵にエルサレムを略奪させる。この町の財宝は、王の宝石や金銀もろとも、遠くバビロンへと運ばれる。 6 パシュフルよ。おまえと家族、一族の者どもはみなバビロンで奴隷となり、そこで死ぬ。おまえをはじめ、万事うまくいくという偽りの預言を聞いた者もみな、同じ運命に会う。』」 (ピッピ談) 偶像礼拝を糾弾することがどうして気が触れているように見えたのか、現代の私たちの信仰生活の中で考えたら理解できるでしょう。 狭量、頑な、独善、平和的ではないなどと言われ、偶像崇拝者たちから反発を食らうでしょう。 エレミヤは「気がふれて預言する者」(29:26)に見えたのです。そういう者には「足かせや首かせをはめる」(同)という責任が祭司にはあったそうです。 🎈本日の『manna』エレミヤ 王への警告 2 『ダビデの王座に着くユダの王よ。あなたも、これらの門の内に入って来るあなたの家来も、またあなたの民も、主のことばを聞け。 3 主はこう言われる。公正と正義を行い、かすめ取られている者を、虐げる者の手から救い出せ。寄留者、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。 また咎(とが)なき者の血をここで流してはならない。 4 もし、あなたがたがこのことばを忠実に行うなら、ダビデの王座に着く王たちは車や馬に乗り、彼らも、その家来も、またその民も、この家の門の内に入ることができる。 (ピッピ談) 現代では誰が地上の神の国の王なのでしょうか。カトリックでは教皇、プロテスタントではルターでしょうか。 教会ごとに司祭や牧師がいますから、彼らが信徒たちにとって王でしょうか。それとも地上の王は誰でもなく、私たちの王は天におられるイエズスキリストだけでしょうか。 「寄留者、みなしご、やもめ」神は何度も何度もこの三者を苦しめてはならないと教えておられます。 社会的弱者をとても大切にしておられます。 王たる者は権力を用いる時は社会的弱者を下支えして仕える者になるのです。 🎈本日の『manna』エレミヤ 23:1-8 牧者と羊 リビングバイブル 5-6 やがて、わたしがダビデの王座に、 正義の若枝を置く時が来る。 彼は知恵と正義をもって治める王となり、 地上に公義が行き渡るようにする。 その王は、『主は私たちの正義』と呼ばれる。 その日、ユダは救われ、 イスラエルは平和のうちに生きる。 7 その日には、誓いを立てるとき、人々は『イスラエルの民をエジプトから救い出した主は生きておられる』とはもう言わずに、 8 『ユダヤ人を、追いやられた国々からイスラエルの地に連れ戻した主は生きておられる』と言うようになる。」 (ピッピ談) キリストの来臨は降誕に始まりました。次は再臨です。 イスラエルの子らは再臨の日に完全に救われます。その日、惑わす者である悪魔サタンが滅ぼされるのです。 🎈本日の『manna』ルカ 15:11-32 捜し求める神 28 すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。 31 父は彼に言った。『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。 32 だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。』」 (ピッピ談) 三つのたとえ話の二つ目です。 一つ目は失われた子羊の話。二つ目が戻ってきた放蕩息子の話。三つ目はラザロと金持ちの話です。 二つ目と三つ目の間には唐突ともいえるような姦淫のことが語られます。 「…妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を犯すことになる。離縁された女を妻にする者も姦通の罪を犯すことになる。」(18節) キリストによって福音が語られるようになっても律法が崩れ去る訳ではないというのですが、その真意は何だったでしょう。 私はこう思います。神様が願われているのは「憐れみであっていけにえではない」のだと。 🎈本日の『manna』ヨハネ(一) 4:7-21 愛を示す 14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、その証しをしています。 15 だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています。 21 神を愛する者は兄弟も愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。 (ピッピ談) 7節から10節は詩の形式で書いてあるそうです。教会の賛美歌か信仰告白のようなものだったのではないかと解説にはありました。 「私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、 宥(なだ)めのささげ物として御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。」(10節) 教皇ツイッター わたしたちのいのちは、それが奉仕するために使われるとき、光を放ちます。喜びの秘けつは、仕えるために生きることです #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #奉仕 引用ツイート Pope Francis @Pontifex Our life spreads light when it is given in service. The secret of joy is living to serve. 午前9:06 · 2018年12月16日 · Twitter We 最近、聖書の語句が変わってしまった超常現象についてご存知? ライオンと羊→オオカミと羊 に変化 サンダル→シューズ ソファー エイリアン マトリックス こちらで語りましょ 【マンデラ】現実と違う自分の記憶28【宮尾すすむ】 https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1544529015/ 🎈本日の『manna』エレミヤ 25:1-14 70年のさばき リビングバイブル 8-9 そして今、神である主はこう宣告します。 「あなたがたがわたしのことばを聞かなかったので、わたしは代理人に立てたバビロンのネブカデネザル王の率いる北方軍団を呼び、この国と住民、それに周囲の国々を攻めさせる。こうして、徹底的に破壊し、あなたがたを永久にあざけりの代名詞とする。 10 喜びと楽しみ、結婚式の喜びを取り除く。 事業は失敗し、家庭は暗闇に閉ざされる。 (ピッピ談) 神様は罰をお与えにはなりませんと断言する人がいます。十字架で私たちの罪の贖いが完了したからだと。 罰をお与えにならないとすればどんな神様でしょう。懲らしめをお与えになる神様です。黙示録の7つの教会への預言を思い出しましょう。わざわいが全くなくなると思ったら大間違いです。 契約違反しなければイスラエルも永遠に祝福されたはずですから。 エレミヤの二十三年間にわたる預言にも民は耳を貸さず「悪の道」または「悪い行い」を改めませんでした。 私は、主の十字架のときにいたるまで、彼らは何が「悪の道」「悪い行い」なのかを判断できなかったのだと思います。 目が見えなくされるとはどういうことか、見えないとはどういう状態か、当人にはわからないのです。 バビロン捕囚が終わるにあたり、神はバビロン人を他の強い国々の奴隷とします。「わたしは彼らを、彼らがわたしの民を扱った基準に従って罰する」(14節 リビングバイブル) 愛の神様なら罰することはないと優雅に構えているあなたは大丈夫ですか。 。。。。 † マタイによる福音書7章13節から20節 13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。 14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 15 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。 16 あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。 17 すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 18 良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。 19 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。 20 このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」 。。。。 https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/tenrei/taikosetsu/ この七つの交唱の冒頭をラテン語で表記すると以下のようになります。 “O Sapientia”(英知) “O Adonai”(主) “O radix Iesse”(エッサイの切株) “O clavis David”(ダビデのかぎ) “O Oriens(朝日) “O Rex gentium”(諸国民の王) “O Emmanuel”(インマヌエル) これらのラテン語の“O”の次にくる単語の頭文字を逆から並べると、“ERO CRAS”となります。これは「明日、わたしはいるだろう」という意味で、各交唱の結びの「来てください」という嘆願に応えることばとなっています。 教皇ツイッター 「おお、すべてを越える神から出た英知よ。あなたは果てから果てまで、すべてを力強くやさしく整えられる。賢明の道を教えに来てください」 #AdventAntiphons #教皇 #法王 #カトリック #キリスト教 #待降節の交唱 #12月17日 引用ツイート Pope Francis @Pontifex "O Wisdom from the mouth of the Most High, you fill the whole world. With strength and gentleness you order all things: come to teach us the way of prudence." #AdventAntiphons 午前2:01 · 2018年12月18日 · Twitter Web Client 🎈本日の『manna』エレミヤ 27:1-11 バビロンに服従しなさい リビングバイブル 5 『わたしは大きな力をもって、地と全人類と、あらゆる動物を造った。これらを、わたしの目にかなった者に与える。 6 わたしはすでにおまえたちの国々を、わたしの代理人、バビロンのネブカデネザル王に与えた。また、おまえたちの家畜を全部彼のものとした。 7 時が来るまで、すべての国は彼とその子孫に仕える。そのあとで、多くの国の民と強い王たちがバビロンを征服し、住民を奴隷とする。 8 今は彼に従い、彼に仕えよ。おまえたちの首をバビロンのくびきに入れるのだ。わたしは、彼の奴隷になろうとしない国の民を罰する。戦争とききんと疫病を送るので、その国は彼に征服される。 (ピッピ談) 神の目にかなうというのが決して憐れみ深い性質の者ではないことが示されていると思います。こうして最後はバビロンも滅ぼされます。 私は神様がなぜ悪魔サタンの活動をこの世界に許可されているのか理解できませんでした。残虐非道が世界中いたるところで行われています。 そもそも私たちの欲望が引き金だとはいえ、こうした不幸を目の当たりにして声を荒げずにいられるでしょうか。 そんな時、主の十字架を思い出し、神の摂理の不思議さに信頼するしかないこと、人間の無力さ、山や丘は低くなり谷は埋められ、世界がすべて平らにされ整えられる時を待ち焦がれるのです。 🎈本日の『manna』エレミヤ 30:1-11 救いの約束 リビングバイブル 8 全能の主は、こう約束します。「その日になると、わたしは彼らの首のくびきを壊し、体に巻きついてる鎖を断ち切る。外国人は二度と彼らを支配しない。 9 イスラエルとユダは、わたしと、わたしが彼らのために立てるダビデ王に仕えるようになる。 10 わたしのしもべヤコブよ、怖がることはない。 イスラエルよ、うろたえなくてもいい。 わたしがあなたを遠い国から連れ戻し、 あなたの子孫を、捕らえ移されて行った先から 連れ戻すからだ。 彼らは自分の国でゆったりくつろぎ、 だれも彼らを脅かすことはなくなる。 11 わたしがそばについていて救うからだ。 わたしはあなたの寄留先の国々を 全滅させることがあっても、 あなたを滅ぼし尽くすことはしない。 もちろん、完全に罰を免れるというわけではないが。…」 (ピッピ談) ほらね、と思いました。 主の約束はこのとおりです。 滅ぼし尽くすことはしないが罰は与えると。 「外国人は二度と彼らを支配しない」(8節) そうでしたか? ゆったりくつろぐことも約束ですが、さばきも受けるでしょう。なぜならイスラエルの神は契約の神だからです。違反があれば懲らしめを受けます。 神を畏れ敬いましょう。私たちは自分の違反さえわからないかもしれません。 🎈本日の『manna』エレミヤ 37:7-14 回復の喜び リビングバイブル 8 わたしが彼らを、 北から、また地の果てから連れ戻すからだ。 盲人や足の不自由な者、赤ん坊を連れた若い母親、 出産の近い女には、特別に心を留める。 彼らは大きな集団となって帰る。 9 だれの頬にもうれし涙がこぼれる。 わたしは彼らを、 壊れ物を運ぶように注意して連れ帰る。 彼らは静かに流れる川のほとりを歩き、 つまずくことはない。 イスラエルにとってわたしは父であり、 エフライムはわたしの長男だからだ。」 (ピッピ談) バビロン捕囚からの解放のときは必ず来ると預言しています。 「彼らは帰国して、シオンの丘で喜びの歌を歌います」(12節) 「苦しいことばかりの捕虜の時代は、もう過去のこととなった」(13節) 「わたしの民がすっかり満足するまで、十分に食べさせる」(14節) しかし、このあとのことを誰が思ったでしょう。 自分らのメシアを迫害して殺してしまうなどという出来事が起きようとは。 🎈本日の『manna』エレミヤ 34:12-22 奴隷の解放 リビングバイブル 17 結局、あなたがたはわたしの言うことを聞こうとせず、奴隷を解放しなかったので、わたしは戦争とききんと疫病であなたがたを打つ。流浪の民として世界中に散らす。 18-19 あなたがたは契約を守らなかったので、誓いを確かなものとするために牛を二つに断ち切ってその間を通る儀式にならい、あなたがたを真っ二つにする。 高官であろうが、宮廷の役人であろうが、祭司であろうが、一般市民であろうが、誓いを破った以上は、家畜のように殺す。 20 わたしがあなたがたを敵の手に渡すので、敵はあなたがたを殺す。あなたがたの死体は、はげたかや野獣のえじきとなる。 (ピッピ談) エジプト脱出の際に、ファラオが度々心を変えたようなことが神の民にもあったということですね。 六年の年季明けに奴隷を解放するという契約があったのに、自由にしなかったのです。 いったんは正しいことへ向かうものの、また翻してしまうという。 「そのことは実行されなかった」(14節) 「ところが最近になって…正しいことをして、奴隷を自由の身とした」(15節) 「今になって急に態度を変え、誓いを破って…再び奴隷にした」(16節) 私ごとですが付録や福袋は買わないと決めてからすでに5万円分の予約をしてきました。 恐怖が止むと涙も止みますが、隣人のことなどすっかり忘れています。 この季節に隣人を忘れるなんてことがあっていいものでしょうか。 当初の予定ではあやめ♀とダリア♀のワクチン接種がありました。 私の食費を削ることも考えましたが、電気代が怖いのです。 福袋をキャンセルしましょう。 食事はちゃんと取らないと。 今年は野菜が安いですよ。 本日のリジョイスより 民数記11-12章 悔い改めて神に立ち帰る 民は出て行って、終日終夜、そして翌日も、うずらを集め、少ない者でも10ホメルは集めた。 …肉がまだ歯の間にあって、かみ切られないうちに、主は民に対して憤りを発し、激しい疫病で民を打たれた。そのためその場所は、キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)と呼ばれている。(民数記11:32-34) 荒れ野の旅路は、たいへん厳しいものでした。イスラエルの民は出発してさっそく不満の声を上げてしまいました。1回目の理由は不明ですが、2回目は食べ物についての泣き言でした(4節以下)。 マナによって、基本的な食べ物は満たされています。うずらが与えられることもありました(出16章13節)。けれども、肉や魚を求める声に誘惑されて、与えられているものに満足することを忘れてしまったのです。 主なる神は再びうずらを与えられましたが、それは貪欲な者に対しては主の裁きを招くものでした。終日終夜集めるような行為は、日毎に糧を与えて養ってくださる主を信頼する行為ではありません。そのため、疫病で打たれることになりました。 貪欲は偶像礼拝の罪だと指摘されています(コロ3章5節)。自分の思いを満たすことを求めて生きるなら、私たちも神の御前に罪を犯すことになります。この出来事は私たちを戒めています(1コリ10章6節)。 悔い改めて神に立ち帰る者こそ、真実に主イエス・キリストの到来を喜び祝う者とされるのです。 リジョイスをコピー 「貪欲は偶像礼拝の罪である」 頭を下げて跪かないなら偶像崇拝ではないと 考えている人もいます。 それがどれだけ表面的な理解であるかを知って欲しいのです。 知らずに神と敵対していることさえ気づかないでしょう。私たちはそれほど無自覚に偶像崇拝しているのです。 Νεκρώσατε οὖν τὰ μέλη τὰ ἐπὶ τῆς γῆς, πορνείαν ἀκαθαρσίαν πάθος ἐπιθυμίαν κακήν, καὶ τὴν πλεονεξίαν, ἥτις ἐστὶν εἰδωλολατρία, なるほど 文法的にはἥτις (ホスティスの女性・単数・主格)は、直前の τὴν πλεονεξίαν 冠詞・女性単数対格 貪欲を を受けて 「これは」、偶像崇拝である。と書いてますね。 だけども意味的には地上の肢体であるところの πορνείαν ἀκαθαρσίαν πάθος ἐπιθυμίαν κακήνも含めているのではないか と思います。 🎈本日の『manna』ルカ2:1-7、ガラテヤ4:4-5 時が満ちて ルカ そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。 これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。 人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。 ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町に上って行った。 身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。 ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。 ガラテヤ しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。 それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした。 (ピッピ談) バビロン捕囚から解放されて祖国へ戻っても、神の民はローマ帝国に支配されていました。 苦難の時期、メシア到来の期待の中、救い主はお生まれになりました。 八日目には割礼を受けられています。 エジプトへ逃げ、ナザレに戻り、30歳になるまで静かに暮らされていました。 >>244 も含めているのではないか、とは 何ですか。読めない者にはわからんぞ。 私の貪欲 🔻福袋 🔻雑誌付録とおまけと無料の配り物 🔻神の神秘探索 🔻スマホ 🎈本日の『manna』ルカ 2:8-20 救い主を礼拝する 12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」 13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。 14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。 地の上で、平和が みこころにかなう人々にあるように。」 15 御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。 「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」 16 そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。 (ピッピ談) 伝承によるとこの羊飼いたちは、その後、キリスト信者となったということです。 倒れたイエズスの代わりに十字架を背負わされた通りがかりのキリキヤ人も、キリストのおからだを槍で突き通したローマ人もキリスト信者になりました。 反対していた祭司たちも、十字架の後、大勢がキリスト信者になったと聖書に書いてあります。 羊飼いたちに現れた御使いははっきりと告げました。 「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(11節) >>249 あっ! ハマンは敵だ。 撤退とは何を指して書いたのか忘れてしまった。 ハマンのように撤退しているでしょうか、って何かしら。 >>250 おそらく 「モルデカイのように徹底しているでしょうか」ですね。 前にもダビデの王子の名前を間違えました。 アムノンのことをアブシャロムと書いたことがあります。 異母妹タマルを犯したのはアムノンですが、アブシャロムと書いてしまいました。 聖なる夜(よ)、独り静かに記す事 "聖なる夜(よ) 心に羽根が 舞い降(ふ)りて 傷心(こころ)の哀しみ 想いの希望に" "哀しみの あなたの涙 胸痛め 涙拭えば 笑顔の涙に" どうか、これからのあなた(方)に、 "春の日差しと陽気の幸あらんことを" "幸せもたらす福音の鐘の音を" 2018/12/25 stranger coin 聖なる夜(よ) 静かな時間(とき)を 過ごしつつ 失礼ながら 此処書き記す 本日のfebc エコーオブヴォイスズを聞いて (ピッピ談) 家族や周りの人からの反対や無理解から、キリスト信仰を胸に秘めているしかない時。 その期間、あなたは神様と二人きりでお話しし専心することができます。 暮らしのなかであなたをとおして神様が働かれるでしょう。 あなたが罪深いなら、罪深いあなたが求め続けた神がキリストだと知られるようになるのです。 世の玉石混交の信仰のなかで、あなたは真珠であるキリストを伝える器として選ばれました。 あなたが弱ければ、弱いあなたが信じている神がキリストだと知られます。 その人が罪を犯し弱くなってあなたを思い出す時、あなたは力強くキリストを伝えたことになるのです。 コロサイ1:15-17 (リビングバイブル) キリストは、目には見えない神のかたちであり、神がすべてのものをお造りになる前からおられました。 事実、キリストはすべてのものの創造者なのです。天にあるものも地にあるものも、目に見えるものも見えないものも、霊の世界の王座も主権も支配も権威もすべて、この方がご自身の目的と栄光のために造られたのです。 キリストは他のすべてのものに先立って存在し、すべてのものは、キリストによって成り立っています。 (ピッピ談) 『manna』の解説には、はっきりと書いてあります。 「…イエス・キリストが天地万物を創造され、またそのすべてを今も支えておられる神であって、それと共に昔旧約の民イスラエルを導かれたあの主、ヤハウェなる神であるということです」 詩編58より 【指揮者によって。「滅ぼさないでください」に合わせて。ダビデの詩。ミクタム。】 しかし、お前たちは正しく語り/公平な裁きを行っているというのか/人の子らよ。 いや、お前たちはこの地で/不正に満ちた心をもってふるまい/お前たちの手は不法を量り売りしている。 神に逆らう者は/母の胎にあるときから汚らわしく/欺いて語る者は/母の腹にあるときから迷いに陥っている。 蛇の毒にも似た毒を持ち/耳の聞こえないコブラのように耳をふさいで 蛇使いの声にも/巧みに呪文を唱える者の呪文にも従おうとしない。 神が彼らの口から歯を抜き去ってくださるように。主が獅子の牙を折ってくださるように。 彼らは水のように捨てられ、流れ去るがよい。神の矢に射られて衰え果て なめくじのように溶け/太陽を仰ぐことのない流産の子となるがよい。 鍋が柴の炎に焼けるよりも速く/生きながら、怒りの炎に巻き込まれるがよい。 神に従う人はこの報復を見て喜び/神に逆らう者の血で足を洗うであろう。 人は言う。「神に従う人は必ず実を結ぶ。神はいます。神はこの地を裁かれる。」 >>264 幸いを告げるうた―詩篇(再)1/18 投稿者: Staff03 小林和夫(日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師、東京聖書学院名誉院長) 19 全地に正しい裁きを行い給え 詩篇58 コーヒーブレイクインタビュー 凄まじい神の御手をお証ししてます。 ぜひお聴きください。 http://netradio.febcjp.com/2019/01/19/cbi190119/ 野原昭子氏(ボリビアの障害者自立支援施設「聖マルティンの家」施設長)(1) サムエル 上 15章より ◾万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。 行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」 ◾サウルはハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討った。 アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。 しかしサウルと兵士は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くした。 ◾主の言葉がサムエルに臨んだ。 「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない。」サムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだ。 ◾サムエルがサウルのもとに行くと、サウルは彼に言った。「主の御祝福があなたにありますように。わたしは主の御命令を果たしました。」 サムエルは言った。「それなら、わたしの耳に入るこの羊の声、わたしの聞くこの牛の声は何なのか。」 サウルは答えた。「兵士がアマレク人のもとから引いて来たのです。彼らはあなたの神、主への供え物にしようと、羊と牛の最上のものを取って置いたのです。ほかのものは滅ぼし尽くしました。」 ◾サムエルは言った。「あなたは、自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれない。しかしあなたはイスラエルの諸部族の頭ではないか。主は油を注いで、あなたをイスラエルの上に王とされたのだ。 主はあなたに出陣を命じ、行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし尽くせ、彼らを皆殺しにするまで戦い抜け、と言われた。 何故あなたは、主の御声に聞き従わず、戦利品を得ようと飛びかかり、主の目に悪とされることを行ったのか。」 ◾サウルはサムエルに答えた。「わたしは主の御声に聞き従いました。主の御命令どおりに出陣して、アマレクの王アガグを引いて来ましたし、アマレクも滅ぼし尽くしました。 兵士が、ギルガルであなたの神、主への供え物にしようと、滅ぼし尽くすべき物のうち、最上の羊と牛を、戦利品の中から取り分けたのです。」 ◾サムエルは言った。「主が喜ばれるのは/焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。 反逆は占いの罪に/高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは/王位から退けられる。」 ◾サウルはサムエルに言った。「わたしは、主の御命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました。 上記は15章からの抜粋です 自分たちから見てつまらないものは捨て、 上等なものは生かして分捕るということが主の目に悪と映った。 23 従わないことは占いの罪、 高慢は偶像崇拝の悪。 あなたが主のことばを退けたので、 主もあなたを王位から退けた。」… >>272 神を信じない人の中にも神の恵みをふんだんにいただいている人がいます。 お金、地位、人間関係、善行、知能、芸、気質、平安、名声などです。 良い賜物はすべて神から来ています。 ですから神に感謝せず、人から来たものとして受け止めると盗みと同じなのです。 神はご自分の「聖」に繋がらないこれらのものは惜しげも無く捨て去られます。 神の恵みは無尽蔵ですから与えたいと思う人に与えられるからです。 >>268 >>269 >>270 >>271 >>273 ヒントになったものは『黄金伝説1』 主の降臨と再臨 立ち読みで検索すると読めます febcを聴きました。 MEGUちゃん、重いお話をありがとう。 ほんっとうにそう! こっそり神様にお話しするのが一番です。 確実です。 それでもアウトプットしたいときはホワイトボードか匿名掲示板でつぶやく。 マルコ4章より (そのとき、)イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。 おびただしい群衆が、そばに集まって来た。 そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。 イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。 …(種まきのたとえ) イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。そこで、イエスは言われた。 「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。それは、 『彼らが見るには見るが、認めず、 聞くには聞くが、理解できず、 こうして、立ち帰って赦されることがない』ようになるためである。」 >>277 初めからそのおつもりで話されていたのだとすれば、あらゆる病気の癒しはご自分の性質を伝える手段として用いられただけだったという気もする。 『manna』詩篇97:1-12 1 主は王である。 地は小躍りせよ。多くの島々は喜べ。 2 雲と暗黒が主を囲み 義とさばきが御座の基である。※ 3 火は御前に先立ち 主の敵を囲んで焼き尽くす。 4 主の稲妻は世界を照らし 地はそれを見て おののく。 5 山々は主の御前にろうのように溶ける。 全地の主の御前に。 6 天は主の義を告げ 諸国の民はその栄光を見る。 ※ (リビングバイブル) 2 雲と暗闇が主を取り囲み、 正義がその王座の土台です。 >>280 このあとイエズスは崖の上に追い立てられ殺されそうになりました。 私はここでカインの捧げものに目を止められなかった神に対してカインが取った行動を思い起こしました。 聞いた人は否定されたような気がしたのでしょう。カインは寂しい思いをしたかもしれません。でもこの時、忍耐して冷静になっていたら、別の感情が湧いてきたかもしれないのです。 私たちは試みを受けているのではないでしょうか。 詩編24 8栄光の王とはだれか。 勝利を得られる力ある神。 10栄光の王とはだれか。 すべてを治める神、神は栄光の王。 ヘブライ11章より 皆さん、これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。 信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。 女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。 また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。 彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです。 ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。 神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。 >>283 地上の繁栄とは真逆の義人たちを思いましょう。 詩篇100より 喜び叫べ 主(ヤハウェ)を 全地よ。 仕えよ 主(ヤハウェ)に 喜びをもって。 来たれ 御前に 喜び歌いながら。 知れ 主(ヤハウェ)こそ 神であられることを。 この方が私たちを造られた。私たちは主のもの 私たちは主の民、主の牧場の羊である。 来たれ 主の門に 感謝をしながら、 主の大庭へと 賛美しながら。 それは 主(ヤハウェ)が いつくしみ深く 主の恵み(へセド)は とこしえまで 主の真実は 代々に至るから。 >>285 「いつくしみ(善)」 「恵み(へセド=変わらない契約の愛)」 「真実(信頼できること)」 ヘブライ12章より 皆さん、あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。 「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。 主から懲らしめられても、 力を落としてはいけない。 なぜなら、主は愛する者を鍛え、 子として受け入れる者を皆、 鞭打たれるからである。」 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。 詩篇101:1-8 リビングバイブル 1 主よ。あなたがどんなに恵み深く 公正なお方であるかを、ほめ歌います。 2 私は潔白な道を歩もうと心がけていますが、 神の助けなしには何もできません。 特に、私の家において、 あなたの御心に添って歩むことができるよう 助けていただきたいのです。 3 卑しいものを退け、あらゆる不正を憎んで、 それにかかわることがないように助けてください。 4 私はいっさいの自己中心を捨て、 すべての悪から遠ざかります。 5 陰で隣人を中傷するような者は容赦をしません。 また、うぬぼれや思い上がりも許しません。 6 主に従う人こそりっぱな人と認めて、 私の家に招きます。 身も心も潔白な人だけが、 わが家に仕えることができるのです。 7 うそを言ったり、裏切ったりする人を 泊めることなどしません。 8 悪人を追い出して神の都を守ることが、 私の日々の務めなのです。 >>287 はミサ朗読箇所 >>288 は本日の『manna』 ヘブライ12章より あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。 その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、 すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。 >>291 天に登録されている長子たち そっか、長子か。 ヘブライ13章より 皆さん、兄弟としていつも愛し合いなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。 金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。 「主はわたしの助け手。 わたしは恐れない。 人はわたしに何ができるだろう。」 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。 詩篇103:6-14、16 6 主は 義とさばきを すべての虐げられている人々のために行われる。 7 主は ご自分の道をモーセに そのみわざをイスラエルの子らに知らされた方。 8 主は あわれみ深く 情け深い。 怒るのに遅く 恵み豊かである。 9 主は いつまでも争ってはおられない。 10 私たちの罪にしたがって 私たちを扱うことをせず 私たちの咎にしたがって 私たちに報いをされることもない。 11 天が地上はるかに高いように 御恵みは 主を恐れる者の上に大きい。 12 東が西から遠く離れているように 主は 私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。 13 父がその子をあわれむように 主は ご自分を恐れる者をあわれまれる。 14 主は 私たちの成り立ちを知り 私たちが土くれにすぎないことを 心に留めてくださる。 出エジプト34章より 新共同訳 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。 「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、 幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。 ヘブライ13章より 皆さん、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。 指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、 御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。 >>297 ここで「施し」と訳された原文は「コイノーニア」(交わりの意味)です。この単語は新約聖書で19回使われているそうですが、その13回はパウロの手紙で使用されているということです。 新改訳聖書では、「持ち物を人に分けること」、フランシスコ会訳では、「物を分け合う」と訳されています。こう見てみると、意味合いが明確になるかもしれません。 https://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle1/1_ord04sat.php フィリピ2章より だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。 >>299 何もしなくてもすでに救いは達成されているとは 書いてないのですよね… イザヤ6章より ウジヤ王が死んだ年のことである。 わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいた。彼らは互いに呼び交わし、唱えた。 「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。 主の栄光は、地をすべて覆う。」 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。 わたしは言った。 「災いだ。わたしは滅ぼされる。 わたしは汚れた唇の者。 汚れた唇の民の中に住む者。 しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。 「見よ、これがあなたの唇に触れたので あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」 そのとき、わたしは主の御声を聞いた。 「誰を遣わすべきか。 誰が我々に代わって行くだろうか。」 わたしは言った。 「わたしがここにおります。 わたしを遣わしてください。」 ふくいんのなみ リジョイスも カトリックミサ福音朗読箇所と同じ ルカ5:1-11 ペトロ(シモン)の召命場面です >>302 febc日曜礼拝番組の説教のなかでも 同じ場面が紹介されました 雅歌2章より 恋しい人は言います。 「恋人よ、美しいひとよ/さあ、立って出ておいで。 ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。 花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。 いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ/さあ、立って出ておいで。 岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ/姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」 >>304 イエズスがマグダラのマリアに向かって 外に出るようにと優しく語りかけているように聞こえてきます。 あなたの罪の咎は消し去られ、新しい一歩が待ち構えているよと。 ビューティフルイスラエルのカレンダー ご覧、冬は去り、雨も過ぎて行ったから。 地には花が咲き乱れ、刈り入れの季節がやって来て、 山鳩の声が、私たちの国中に聞こえる。 雅歌2:11〜12 >>306 カレンダーめくりを忘れていて さっき開きました。 2月の写真は赤いポピー(アネモネ) >>305 ラブラブって素晴らしいなと思います。 信じてくれる人がいて、自分もその人を信じているということが、どんなに愛を強固にするか。 迷い猫と親切な発見者、または迎えに来た母猫を見るときの子猫のようなものを想像します。 私は、やはりこの二人は愛し合っていたと思うんですよね。 聖書の真の著者は聖霊だといわれています。 福音書のエピソードには別人のようにして紹介されているけれど『黄金伝説』によるとマグダラのマリア本人なんです。 この女性との関わりが頻繁に書いてあることから、そして最後の福音書でヨハネがマグダラとイエズスの生々しい対話を挿入していることからも、最重要人物であることは間違いないです。(と私は確信している) 私の推察では、黙示録の描写があまりにもマグダラのマリアと一致しているために、この女性がキリストの花嫁ですよと大胆に仄めかして、墓の前の二人を具体的に書かざるを得なくなったのではないかと思うのです。 聖霊のうながしによって。 創世記1章より 初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。 「光あれ。」 こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 神は言われた。 「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。 神は言われた。 「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」 そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。 神は言われた。 「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」 そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。 神は言われた。 「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」 そのようになった。 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。 第四の日である。 >>310 カトリックの見解は ここに描かれる創造物語は、科学的な描写ではなく、創造者が被造物を創造する、つまり、神が創造物に対して目的をもっておられるという神学的な描写、主張であることを理解することが大切です。 https://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle1/1_ord05mon.php ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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