聖体奉仕会2〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜
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塀に小便かけた後に何か飼い主がかけていたように見えた 宇宙を愛する。 地球を愛する。 生きものを愛する。 今日は、ポーランドから巡礼団30人が路線バスで来たって。 間違いなく秋田は、世界の巡礼地やな。 バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 【お知らせ】 秋田・聖体奉仕会での「聖母と共に過ごす祈りの夜」(2013年10月12日〜13日) 「聖母と共に過ごす祈りの夜」 既にご存知の方も多いかと思いますが、 是非ご紹介したい祈りの行事が行われます。 2013年10月12日〜13日に、「信仰年」特別行事として、 全世界から選ばれた聖母巡礼地10ヶ所をつなぐロザリオの祈りが行われます。 これは、後援・教皇庁新福音化推進評議会、主催・ローマ教区によるものです。 その聖母巡礼地の一つとして、秋田・聖体奉仕会が選ばれたのです。 秋田でメッセージが告げられて40周年の今年、 このようなお恵みが与えられたことに、心から感謝を捧げたいと思います。 参加を希望される方は、聖体奉仕会まで、 お葉書にて参加をお申込み下さい。(必要事項等、申込方法は下記をご参照下さい) 聖体奉仕会より、ブログ掲載の許可をいただきましたので、 以下に詳細を記載致します。 [E:club] カトリック新潟教区長 菊地功司教様のお知らせより抜粋 ( 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から >> 「聖母とともに過ごす祈りの夜」おしらせ[2013/08/14] ) 信仰年にあたって、ローマでは様々な霊的催しが開催されております。 この度、ローマ教区より、 ローマで開催される行事の一つに新潟教区も参加するようにとの申し出がありましたので、皆様にお知らせいたします。 信仰年の一連の霊的催しの一つとして、来る2013年10月12日と13日は 「聖母マリアの日」とされております。このうち、10月12日(土)の夜7時から9時半(ローマ時間)は「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」として、 世界中10ヶ所の聖母マリア巡礼所を衛星中継で結んで、ロザリオの祈りが行われることになりました。主催するローマ教区から、聖体奉仕会の修道院( 秋田の聖母 Our Lady of Akita )も参加するようにとの呼びかけがありましたので、これを承諾致しました。 ファティマの緯度は「39度37分」に対して、秋田市の緯度は「39度43分」となります。 よく「北緯38度ライン」と呼ばれるように、地球上で同じ緯度の地域が聖地であったり、似たような出来事や事件が起こることがありますが、これと同じようにファティマと秋田市は「北緯39度ライン」上に並んであり、それも、その差は僅か6分しかありません。 日本の中でも6分の差は誤差ですが、これが世界の広さにおいてはほぼ同じ位置に横並びになっていることを意味します。 ちなみに「北緯39度ライン」をファティマからさらに西の果てにいくと、ユーラシア大陸の西端ポルトガルの“ナザレ”の町にたどり着きます。 ここには以前にもお伝えしたように、幼子に授乳している母子像があり、これはイエスと妻であるマグダラのマリアと娘サラの姿であります。 そして秋田市の東の先の「北緯39度ライン」には龍人となった「たつこ像」で有名な田沢湖があり、ここでも聖母マリアならぬ女神の存在が関わってきます。 https://space8000k.com/2018/11/11/fatimaakita/ Mary Mother of All : E07 - Akita: The Fatima of the East https://www.youtube.com/watch?v=45p81Hm592Y 【衝撃映像】キリストの赤子像が血の涙で大号泣! 「人類は今すぐ悔い改めよ」神の怒り…人類滅亡の予兆か!?=メキシコ https://tocana.jp/2019/03/post_89483_entry.html 血の涙を流すイエス・キリストの赤子像に世界中が驚愕している。 英紙「The Sun」(3月18日付)によると、メキシコ南西部下ゲレーロ州アカプルコの小さな村に保管されているセラミック製のキリストの赤子像から血の涙が滴る現象が今年の元日から今まで4回も起こったという。 ある地元住民はこの像が血の涙を流している理由を同地域の犯罪率の上昇に関連付けているというが、地元に住むソレダッド・ナチヴィダッド・フロレス氏は現地紙「El Nuevo Diario」に次のように話している。 「神からのメッセージだと言う人がいる一方で、多くの人が悪魔の仕業だとも考えています。いずれにしろ、この像が泣いたということは事実です。像を抱えていても涙は流れたんですから」(フロレス氏) キリスト像やマリア像が血の涙を流す現象は世界中で報告されているが、そのほとんどが売名のためのやらせだと言われている。 これまでカトリック教会が本物と認定したものはたった1つだけ。日本の秋田県秋田市にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」に保管されている「秋田の聖母マリア」だけだ。 秋田の聖母マリアは1975年〜1981年にかけて101回も涙を流し、 1988年にバチカン(教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に“奇跡”と認定されている。 今回のキリストの赤子像の涙が本物かどうかは調査してみない限り分からないが、もし本当に“奇跡”だとしたら、一体何を訴えかけているのだろうか? ちなみに先述した秋田の聖母マリアは、「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。 その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう」という恐ろしい預言を残している。 北朝鮮の核実験再開やロシアのポセイドン、米中関係など、冷戦時代を思い出すような物騒な話題が続く今を憂いてのことなのか……。 キリストの赤子像の涙が神の怒りの表れで、人類滅亡の暗示ないことを願いたい。 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 ”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、 秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と は思われない。 ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に 伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。 歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、 人々の好奇心を刺激している現状である。 しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、 聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、 と私は思う” 〜中略〜 ”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、 やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、 姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、 この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、 を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。 聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、 人々は無視してしまったのである。 このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を 通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された のである。” 秋田とファティマの秘密 - Akita Message is the Fatima Secret https://vimeo.com/293381681 ヤシンタのご遺体は死後 15年後と 31年後の2回、掘り返されていますが、どちらの場合も「顔だけはまったく腐敗していなかった」ことが記録されています。 1951年(死後31年後)に掘り返された際のヤシンタの様子 http://tok2.up.n.seesaa.net/tok2/image/jacinta-1951.jpg?d=a1 秋田とファティマの秘密 - Akita Message is the Fatima Secret https://vimeo.com/293381681 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは? ■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」 「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。 そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。 この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。 ■マリアの催促!? 第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。 また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。 だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、 「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。 これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。 聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。 http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン 2018年1月15日 掲載 「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、 マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。 マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、 海外でも知られるようになった。 近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、 マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。 http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ Third Secret of Fatima & Our Lady of Akita https://www.youtube.com/watch?v=7W096JKxTfc 【お知らせ】 秋田・聖体奉仕会での「聖母と共に過ごす祈りの夜」(2013年10月12日〜13日) 「聖母と共に過ごす祈りの夜」 既にご存知の方も多いかと思いますが、 是非ご紹介したい祈りの行事が行われます。 2013年10月12日〜13日に、「信仰年」特別行事として、 全世界から選ばれた聖母巡礼地10ヶ所をつなぐロザリオの祈りが行われます。 これは、後援・教皇庁新福音化推進評議会、主催・ローマ教区によるものです。 その聖母巡礼地の一つとして、秋田・聖体奉仕会が選ばれたのです。 秋田でメッセージが告げられて40周年の今年、 このようなお恵みが与えられたことに、心から感謝を捧げたいと思います。 参加を希望される方は、聖体奉仕会まで、 お葉書にて参加をお申込み下さい。(必要事項等、申込方法は下記をご参照下さい) 聖体奉仕会より、ブログ掲載の許可をいただきましたので、 以下に詳細を記載致します。 [E:club] カトリック新潟教区長 菊地功司教様のお知らせより抜粋 ( 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から >> 「聖母とともに過ごす祈りの夜」おしらせ[2013/08/14] ) 信仰年にあたって、ローマでは様々な霊的催しが開催されております。 この度、ローマ教区より、 ローマで開催される行事の一つに新潟教区も参加するようにとの申し出がありましたので、皆様にお知らせいたします。 信仰年の一連の霊的催しの一つとして、来る2013年10月12日と13日は 「聖母マリアの日」とされております。このうち、10月12日(土)の夜7時から9時半(ローマ時間)は「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」として、 世界中10ヶ所の聖母マリア巡礼所を衛星中継で結んで、ロザリオの祈りが行われることになりました。主催するローマ教区から、聖体奉仕会の修道院( 秋田の聖母 Our Lady of Akita )も参加するようにとの呼びかけがありましたので、これを承諾致しました。 ファティマの緯度は「39度37分」に対して、秋田市の緯度は「39度43分」となります。 よく「北緯38度ライン」と呼ばれるように、地球上で同じ緯度の地域が聖地であったり、似たような出来事や事件が起こることがありますが、これと同じようにファティマと秋田市は「北緯39度ライン」上に並んであり、それも、その差は僅か6分しかありません。 日本の中でも6分の差は誤差ですが、これが世界の広さにおいてはほぼ同じ位置に横並びになっていることを意味します。 ちなみに「北緯39度ライン」をファティマからさらに西の果てにいくと、ユーラシア大陸の西端ポルトガルの“ナザレ”の町にたどり着きます。 ここには以前にもお伝えしたように、幼子に授乳している母子像があり、これはイエスと妻であるマグダラのマリアと娘サラの姿であります。 そして秋田市の東の先の「北緯39度ライン」には龍人となった「たつこ像」で有名な田沢湖があり、ここでも聖母マリアならぬ女神の存在が関わってきます。 https://space8000k.com/2018/11/11/fatimaakita/ ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは? ■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」 「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。 そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。 この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。 ■マリアの催促!? 第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。 また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。 だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、 「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。 これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。 聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。 http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html ファティマ第三の予言の真実 内なる神への自覚 ファティマの予言といえばオカルト好きならばだれでも知っている言葉であろう。 1916年ポルトガルの村ファティマに聖母マリアが出現し、3人の少年少女に数多くの警告を授けたと言われている。 3つの予言と特別な礼拝方法が知られているが、予言に関しては戦争に関する2つの予言しか公開されなかった。秘密の予言はローマ法王が聞くと同時に失神したため、公開されなかったという曰くつきのものである。 後にローマ法王暗殺の予言であったとディスクロージャーされたが、これは聖母マリアから警告を受け取ったルチアが「教会が嘘をついている」と批判した。 それでは、その秘匿された三番目の警告とは何だったのであろうか。 実を言うと同じような事件が日本でも発生している。 1970年代から80年代にかけて、秋田の教会において聖母マリアが出現し、修道女に警告を与え、教会のマリア像から涙があふれたという事件があったのだ。 続きを読みたい人は以下でメルマガをお読みください。いまなら一ケ月無料!!! https://mnsatlas.com/?p=48381 ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。 これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。 すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、 すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、 無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。 とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、 聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。 しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、 このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。 それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。 B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。 いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。 どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。 創造とは神のみが行われる業ではないか。 ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、 最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。 再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、 すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。 聖母マリアへの信心業〜ウィキペディア〜 聖母マリアへの信心業(せいぼマリアへのしんじんぎょう、英: Marian devotions、聖母への信心)とは、キリスト教におけるイエスの母・マリアに対して行われるもので、「信心業」とは一般概念として、 個人の信仰などを祈りによって表す行いを言う[1]。 これらの聖母マリアに対する祈り・行いは、聖母マリアに神への執り成しを求めて行われるとされる[2][3]。 聖母マリアへの信心業は数多くあり、ロザリオの祈りは最もポピュラーなものの一つで、その他にも、聖体訪問、十字架の道行き[4]、 数日間に及ぶ祈祷をするノベナや、ローマ教皇によるマリア像への戴冠の儀式、東方教会によるイコンへの崇敬、 また、祈りの業を伴わないが、スカプラリオを身に着けたり、「聖母の園」(en:Mary garden)を整備維持することなどが挙げられる[5]。 聖母出現を基にしたもの : これらには、「グアダルーペの聖母(スペイン)、(メキシコ)」や「ルルドの聖母」、「ファティマの聖母」、「秋田の聖母」のような著名で公式に認められた聖母出現が挙げられる。 また、インドの「善き健康の聖母」(en:Our Lady of Good Health)から、ポーランドの「リケンの聖母」まで、大陸を横断する範囲で様々な地域のものがある[33][34]。 このような信心業は、たいていの場合において聖母マリアを記念するカトリック教会の建設へと結果的に繋がっていく[35]。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%BF%A1%E5%BF%83%E6%A5%AD >>148 >、「グアダルーペの聖母(スペイン)、(メキシコ)」 これは知らない ファティマ第三の予言の真実 内なる神への自覚 ファティマの予言といえばオカルト好きならばだれでも知っている言葉であろう。 1916年ポルトガルの村ファティマに聖母マリアが出現し、3人の少年少女に数多くの警告を授けたと言われている。 3つの予言と特別な礼拝方法が知られているが、予言に関しては戦争に関する2つの予言しか公開されなかった。秘密の予言はローマ法王が聞くと同時に失神したため、公開されなかったという曰くつきのものである。 後にローマ法王暗殺の予言であったとディスクロージャーされたが、これは聖母マリアから警告を受け取ったルチアが「教会が嘘をついている」と批判した。 それでは、その秘匿された三番目の警告とは何だったのであろうか。 実を言うと同じような事件が日本でも発生している。 1970年代から80年代にかけて、秋田の教会において聖母マリアが出現し、修道女に警告を与え、教会のマリア像から涙があふれたという事件があったのだ。 続きを読みたい人は以下でメルマガをお読みください。いまなら一ケ月無料!!! https://mnsatlas.com/?p=48381 2019年 7月16日 秋田の聖母巡礼の旅 3日間 大 阪、広島、岡 山、名古屋、東京発 〆 切*国内キリシタン巡礼セ ンター企画 95,000円 巡礼 団募集開始(パンフレット) 2019年 8月20日 ポー ランド巡礼の旅 コルベ神 父様を訪ねて 9日間 関空・成田出発 コルベ神父 438,000 円 巡礼 団募集開始(パンフレット) 2019 年 9月 5日 イ スラエル巡礼の旅 8日間 関空発 イスラエル 395,000 円 巡礼 団募集開始(パンフレット) 2019 年 9月18日 秋田の聖母巡礼の旅 3日間 大 阪、広島、岡 山、名古屋、東京発 *国内キリシタン巡礼セ ンター企画 97,000円 http://www.cybersuds.co.jp/ge/pilg/ ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/ 「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、 他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、 本当にびっくりするようなことを言われました。 伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、 ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。 伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。 翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、 枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。 分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。 『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは? ■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」 「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。 そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。 この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。 ■マリアの催促!? 第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。 また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。 だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、 「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。 これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。 聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。 http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html 秋田の聖母の日2019 今年も例年の通り、9月14日、15日に「秋田の聖母の日」を行います。 今年は、土日だから大盛況だろうな。ww 「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者 「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる 「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、 日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。 涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、 多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。 一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。 ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。 奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。 聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。 http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? コーヒー飲む? (⌒`) (~) ( ) γ´⌒`ヽ __( ) {i:i:i:i:i:i:i:i:} |;;lヽ::/ コポコポ ( ´・ω・) .|;;| □o (:::::::::::::) .i===i=i  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| (~) コーヒー飲む? γ´⌒`ヽ __ {i:i:i:i:i:i:i:i:} |;;lヽ::/ ( ´・ω・`)∫ |;;| □o (:::::::::つc□ .i===i=i  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 彡⌒ ミ ⊂(´・ω・`)つ /// /::/ |::|/ ⊂ヽノ|::|」 /  ̄ ̄□o ̄ ̄/| /______/ | | |------ー----ー|/ バチカン大使の証言。 「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田 http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/ 今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。 伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。 伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。 仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。 アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。 これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。 すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、 すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、 無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。 とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、 聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。 しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、 このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。 それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。 B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。 いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。 どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。 創造とは神のみが行われる業ではないか。 ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、 最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。 再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、 すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。 秋田の聖母マリア像101回の涙は、ファティマの聖母に遭遇したヤシンタ・マルト と絶妙にリンクする。秋田の聖母の修道女に天使からロザリオの各連の最後に ファティマの祈りを唱えるようにと天使からのお告げがあったり、 共に10月13日にマリアが最後の出現をし、大予言を告げたこと。 ヤシンタ・マルトの誕生日1910年3月11日に秋田の聖母マリア101回の涙を 足すと東日本大震災2011年3月11日にピタリと一致することは、 もはや偶然ではなく、秋田の聖母マリア101回の涙の意味は、 東日本大震災の津波や原発事故、それにともなう数多くの死者を 予言していたといえるだろう。 ファティマの聖母 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D 聖母からの大きな奇跡があった。 1.1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。 世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。 居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載(画像参照)[17]された。群衆を散らすために山岳兵部隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。 ヤシンタ・マルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%88 秋田の聖母マリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、 と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、 天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。 そもそも私がキリスト教、マリア像に興味を持ったのが、 Bloody Mary(血のマリア)というエレキギターのエフェクターからラジオが聴こえたのが 始めでした。 そのBloody Mary(血のマリア)というエフェクターは、買ってからずっと使いこなせずにいて、 いくら工夫してもイイ音が鳴らなかったのでした。 そこで私は、SNSに「目覚めよ!!今そのときだ!!」とこのエフェクターに 関して書き込んだら、その何ヵ月後かした後、ふと何気なくギターを弾こうとしたら、 アンプからラジオが聴こえて来るのでした。 これは、アンプの小型真空管が原因かと初め思いましたが、 エフェクターのスイッチを切るとラジオが止むことが分かりました。 そしてギターの弦を弾いてみると、今迄とは違う、とてもイイ音が鳴ったのでした。 Bloody Mary(血のマリア)、wikipediaで調べてみるとアメリカの都市伝説の幽霊とか、 イングランド王女メアリー一世の別称だとか、書いてありましたが、 私は、これをキリスト教やマリアの奇跡と受け止め、 それ以来キリスト教やマリア崇敬をしている所存であります。 私は、BLOODY MARY(血のマリア)、すなわち秋田の聖母に天命を受けたのだ!! 涙を流すマリア像(秋田市) 秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」にあるマリア像。 高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、海外でも知られるようになった。落涙は秋田大、岐阜大の両法医学教室で「ヒトの体液」と鑑定された。 カトリック教会ローマ教区が2013年10月、世界10カ所の聖母巡礼所を衛星中継で結んで行った「聖母とともに過ごす祈りの夜」では、東アジアで唯一、同修道院が選ばれた。 近年は東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。 https://www.navitabi.jp/article/389 ヤシンタのご遺体は死後 15年後と 31年後の2回、掘り返されていますが、どちらの場合も「顔だけはまったく腐敗していなかった」ことが記録されています。 1951年(死後31年後)に掘り返された際のヤシンタの様子 http://tok2.up.n.seesaa.net/tok2/image/jacinta-1951.jpg?d=a1 聖母マリアへの信心業〜ウィキペディア〜 聖母マリアへの信心業(せいぼマリアへのしんじんぎょう、英: Marian devotions、聖母への信心)とは、キリスト教におけるイエスの母・マリアに対して行われるもので、「信心業」とは一般概念として、 個人の信仰などを祈りによって表す行いを言う[1]。 これらの聖母マリアに対する祈り・行いは、聖母マリアに神への執り成しを求めて行われるとされる[2][3]。 聖母マリアへの信心業は数多くあり、ロザリオの祈りは最もポピュラーなものの一つで、その他にも、聖体訪問、十字架の道行き[4]、 数日間に及ぶ祈祷をするノベナや、ローマ教皇によるマリア像への戴冠の儀式、東方教会によるイコンへの崇敬、 また、祈りの業を伴わないが、スカプラリオを身に着けたり、「聖母の園」(en:Mary garden)を整備維持することなどが挙げられる[5]。 聖母出現を基にしたもの : これらには、「グアダルーペの聖母(スペイン)、(メキシコ)」や「ルルドの聖母」、「ファティマの聖母」、「秋田の聖母」のような著名で公式に認められた聖母出現が挙げられる。 また、インドの「善き健康の聖母」(en:Our Lady of Good Health)から、ポーランドの「リケンの聖母」まで、大陸を横断する範囲で様々な地域のものがある[33][34]。 このような信心業は、たいていの場合において聖母マリアを記念するカトリック教会の建設へと結果的に繋がっていく[35]。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%BF%A1%E5%BF%83%E6%A5%AD New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】 https://www.youtube.com/watch?v=JjGPL_hN2fE& ;feature=youtu.be 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋 この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。 これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。 すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、 すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、 無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。 とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、 聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。 しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、 このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。 それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。 B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。 いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。 どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。 創造とは神のみが行われる業ではないか。 ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、 最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。 再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、 すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。 ★☆★カトリック教会・聖人等の生誕・帰天年から読み解く未来★☆★ ●聖チリロ(アレクサンドリア)司教教会博士の生誕年−−「378年」から1650年後は「2028年」 ●マイスター・エックハルト・神秘主義者の帰天年−−−−「1328年」から700年後は「2028年」 ●聖シャベール・マクルーフ司祭の生誕年−−−−−−−−「1828年」から200年後は「2028年」 ●聖レオナルド・ムリアルド司祭の生誕年−−−−−−−−「1828年」から200年後は「2028年」 ●属人区聖十字架とオプス・デイの創立年−−−−−−−−「1928年」から100年後は「2028年」 ●聖パウロ六世教皇の帰天年−−−−−−−−−−−−−−「1978年」から 50年後は「2028年」 ★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2029年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ●聖フィリポの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−−−−「79年」から1950年後は「2029年」 ●聖グレゴリオ(ナジアンズ)司教教会博士の生誕年−−−−−「329年」から1700年後は「2029年」 ●聖バシレイオス(カイサリア)司教教会博士の帰天年−−−−「379年」から1650年後は「2029年」 ●聖テオドシオ修道者の帰天年−−−−−−−−−−−−−−−「529年」から1500年後は「2029年」 ●カトリック教会最古の修道会ベネディクト会の創建年−−−−「529年」から1500年後は「2029年」 ●聖ヨアンネス・クリマコスの生誕年−−−−−−−−−−−−「579年」から1450年後は「2029年」 ●聖エテルドレダの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−−「679年」から1350年後は「2029年」 ●聖ワルブルガの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−−−「779年」から1250年後は「2029年」 ●聖スタニスラオ司教殉教者の帰天年−−−−−−−−−−−−「1079年」から950年後は「2029年」 ●聖ヒルデガルト修道女の帰天年−−−−−−−−−−−−−−「1179年」から850年後は「2029年」 ●マクデブルクのメヒティルトの帰天年−−−−−−−−−−−「1279年」から750年後は「2029年」 ●ジャン・ジェルソン・神学者の帰天年−−−−−−−−−−−「1429年」から600年後は「2029年」 ●聖ヨハネ(サハグン)司祭の帰天年−−−−−−−−−−−−「1479年」から550年後は「2029年」 ●聖マルチノ・デ・ポレス修道者の生誕年−−−−−−−−−−「1579年」から450年後は「2029年」 ●聖マグダレナ・ソフィア・バラ修道女の生誕年−−−−−−−「1779年」から250年後は「2029年」 ●クロンシュタットの聖イオアンの生誕年−−−−−−−−−−「1829年」から200年後は「2029年」 ●聖ベルナデッタの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−−「1879年」から150年後は「2029年」 ●聖ホセ・マリア・ルビオ司祭−−−−−−−−−−−−−−−「1929年」から100年後は「2029年」 ★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2030年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ●聖イレネオ司教殉教者の生誕年−−−−−−−−−−−−「130年」から1900年後は「2030年」 ●聖パウロ山修士の生誕年−−−−−−−−−−−−−−−「230年」から1800年後は「2030年」 ●聖セシリアの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−−「230年」から1800年後は「2030年」 ●聖ジェルジオ殉教者の生誕年−−−−−−−−−−−−−「280年」から1750年後は「2030年」 ●聖セバスチアノ殉教者の帰天年−−−−−−−−−−−−「280年」から1750年後は「2030年」 ●聖バシレイオス(カイサリア)司教教会博士の生誕年−−「330年」から1700年後は「2030年」 ●聖ヘレナ皇太后の帰天年−−−−−−−−−−−−−−−「330年」から1700年後は「2030年」 ●聖フルメンチオ司教の帰天年−−−−−−−−−−−−−「380年」から1650年後は「2030年」 ●聖ペトロ・クリソロゴ司教教会博士の生誕年−−−−−−「380年」から1650年後は「2030年」 ●聖オイフラシア修道女の生誕年−−−−−−−−−−−−「380年」から1650年後は「2030年」 ★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2030年」になる聖人等の方々リスト(その2)★☆★ ●聖アレクシオの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−「430年」から1600年後は「2030年」 ●聖アウグスチヌス司教教会博士の帰天年−−−−−−−−「430年」から1600年後は「2030年」 ●聖ベネディクトの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−「480年」から1550年後は「2030年」 ●聖スコラスチカおとめの生誕年−−−−−−−−−−−−「480年」から1550年後は「2030年」 ●聖セヴィリノ・ボエチオ殉教者の生誕年−−−−−−−−「480年」から1550年後は「2030年」 ●聖マクシモスの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−「580年」から1450年後は「2030年」 ●聖エテルドレダの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−「630年」から1400年後は「2030年」 ●「第3コンスタンティノポリス公会議」の開催年−−−−「680年」から1350年後は「2030年」 ●聖バルドヒルドの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−「680年」から1350年後は「2030年」 ●聖女ワルトルーディスの生誕年−−−−−−−−−−−−「680年」から1350年後は「2030年」 ●ハンガリーの聖ステファノ王の生誕年ーーー−−−−−−「980年」から1050年後は「2030年」 ●聖ブルーノ司祭の生誕年−−−−−−−−−−−−−−−「1030年」から1000年後は「2030年」 ●聖スタニスラオ司教教会博士・殉教者の生誕年−−−−−「1030年」から1000年後は「2030年」 ★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2030年」になる聖人等の方々リスト(その3)★☆★ ●聖ノルベルト司教の生誕年−−−−−−−−−−−−−−「1080年」から950年後は「2030年」 ●聖イシドロ農夫の帰天年−−−−−−−−−−−−−−−「1130年」から900年後は「2030年」 ●聖アルベルト司教教会博士の帰天年−−−−−−−−−−「1280年」から750年後は「2030年」 ●ネポムクの聖ヨハネ司祭の生誕年−−−−−−−−−−−「1330年」から700年後は「2030年」 ●トマス・ア・ケンピスの生誕年−−−−−−−−−−−−「1380年」から650年後は「2030年」 ●聖リドヴィナおとめの生誕年−−−−−−−−−−−−−「1380年」から650年後は「2030年」 ●聖ベルナルディノ(シエナ)司祭の生誕年−−−−−−−「1380年」から650年後は「2030年」 ●聖カタリナ(シエナ)おとめ教会博士の帰天年−−−−−「1380年」から650年後は「2030年」 ●聖カエタノ司祭の生誕年−−−−−−−−−−−−−−−「1480年」から550年後は「2030年」 ●聖ヨサファト司教殉教者の生誕年−−−−−−−−−−−「1580年」から450年後は「2030年」 ●聖ペトロ・クラベル司祭の生誕年−−−−−−−−−−−「1580年」から450年後は「2030年」 ●聖ヨハネ・ユード司祭の帰天年−−−−−−−−−−−−「1680年」から350年後は「2030年」 ●福者ジャン・マリー・ド・ラメネ司祭の生誕年−−−−−「1780年」から250年後は「2030年」 ●聖アロイジオ・ヴェルシリア司教殉教者の帰天年−−−−「1930年」から100年後は「2030年」 ●聖カリスト・カラヴァリオ司祭殉教者の帰天年−−−−−「1930年」から100年後は「2030年」 ★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2031年」になる聖人等の方々リスト(その1)★☆★ ●シチリアのアガタの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−−「231年」から1800年後は「2031年」 ●聖大アナスタシアの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−−「281年」から1750年後は「2031年」 ●聖モニカの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−「331年」から1700年後は「2031年」 ●「第1コンスタンティノポリス公会議」の開催年−−−−−−−「381年」から1650年後は「2031年」 ●「エフェソス公会議」の開催年−−−−−−−−−−−−−−−「431年」から1600年後は「2031年」 ●聖パウリノ(ノラ)司教の帰天年−−−−−−−−−−−−−−「431年」から1600年後は「2031年」 ●聖アーデルハイトの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−−「931年」から1100年後は「2031年」 ●マグデブルグの聖アダルベルト大司教 の帰天年−−−−−−−−「981年」から1050年後は「2031年」 ★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2031年」になる聖人等の方々リスト(その2)★☆★ ●聖フランシスコ(アシジ)修道者の生誕年−−−−−−−−−−「1181年」から850年後は「2031年」 ●聖アントニオ(パドバ)司祭教会博士の帰天年−−−−−−−−「1231年」から800年後は「2031年」 ●聖エリザベト(ハンガリー)修道女の帰天年−−−−−−−−−「1231年」から800年後は「2031年」 ●聖ゲルトルードおとめが深い内的な回心を遂げ、 以降20年間、幻を見るなど神秘的な体験を始めた年−−−−−−「1281年」から750年後は「2031年」 ●聖カタリナおとめ(スウェーデン)の生誕年−−−−−−−−−「1331年」から700年後は「2031年」 ●聖コレタおとめの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−−−「1381年」から650年後は「2031年」 ●聖カタリナおとめ(スウェーデン)の帰天年−−−−−−−−−「1381年」から650年後は「2031年」 ●聖リタ(カシァ)修道女の生誕年−−−−−−−−−−−−−−「1381年」から650年後は「2031年」 ●聖ラウレンチオ・ユスチニアノ大司教の生誕年−−−−−−−−「1381年」から650年後は「2031年」 ●聖ジャンヌ・ダルクおとめの帰天年−−−−−−−−−−−−−「1431年」から600年後は「2031年」 ★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2031年」になる聖人等の方々リスト(その3)★☆★ ●聖アルフォンソ・ロドリゲスの生誕年−−−−−−−−−−−「1531年」から500年後は「2031年」 ●エコランパディウス・宗教改革者の帰天年−−−−−−−−−「1531年」から500年後は「2031年」 ●フルドリッヒ・ツヴィングリ・宗教改革者の帰天年−−−−−「1531年」から500年後は「2031年」 ●聖ペテロ・クラベル司祭の生誕年−−−−−−−−−−−−−「1581年」から450年後は「2031年」 ●聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭の生誕年−−−−−−−−−「1581年」から450年後は「2031年」 ●聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士が創設した 改革派の「男子跣足カルメル会」が認可された年−−−−−−「1581年」から450年後は「2031年」 ●聖フランシスコ・アントニオ・ファザニ司祭の生誕年−−−−「1681年」から350年後は「2031年」 ●聖ヨハネ23世教皇の生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−「1881年」から150年後は「2031年」 ●聖マリア・ドメニカ・マザレロ修道女の帰天年−−−−−−−「1881年」から150年後は「2031年」 ●「神の母聖マリア」の祝日が制定された年−−−−−−−−−「1931年」から100年後は「2031年」 ●聖グイド・マリア・コンフォルティ司教の帰天年−−−−−−「1931年」から100年後は「2031年」 ●聖ファウスティナに主イエス・キリストが出現した年−−−−「1931年」から100年後は「2031年」 ●福者御聖体のマリア・イネス・テレサの帰天年−−−−−−−「1981年」から 50年後は「2031年」 ★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2032年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ●聖エウフラシア修道女の生誕年−−−−−−−−−−−−「382年」から1650年後は「2032年」 ●聖ニニアノ司教の帰天年−−−−−−−−−−−−−−−「432年」から1600年後は「2032年」 ●聖セヴェリノ(ノリクム)の帰天年−−−−−−−−−−「482年」から1550年後は「2032年」 ●聖サバス修道院長の帰天年−−−−−−−−−−−−−−「532年」から1500年後は「2032年」 ●聖フーゴ司教の帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−「1132年」から900年後は「2032年」 ●聖ルトガルディス修道女の生誕年−−−−−−−−−−−「1182年」から850年後は「2032年」 ●聖ペテロ・ノラスコ司祭の生誕年−−−−−−−−−−−「1182年」から850年後は「2032年」 ●ボヘミア(プラハ)の聖アグネスの帰天年−−−−−−−「1282年」から750年後は「2032年」 ●ラドネツの聖セルジオの帰天年ーーー−−−−−−−−−「1382年」から650年後は「2032年」 ●聖テレジア(イエスの)おとめ教会博士の帰天年−−−−「1582年」から450年後は「2032年」 ●聖クロード・ラ・コロンビユール司祭の帰天年−−−−−「1682年」から350年後は「2032年」 ●聖アルフォンソ(リゴリ)司教教会博士が 聖母の出現を受けた年−−−−−−−−−−−−−−−−「1732年」から300年後は「2032年」 ★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2033年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ●シラクサのルチアの生誕年−−−−−−−−−−−−−−「283年」から1750年後は「2033年」 ●聖ウルスラおとめ等殉教者の帰天年ーーー−−−−−−−「383年」から1650年後は「2033年」 ●聖カグノールド司教の帰天年−−−−−−−−−−−−−「633年」から1400年後は「2033年」 ●聖クネグンダ皇后の帰天年−−−−−−−−−−−−−−「1033年」から1000年後は「2033年」 ●聖アンセルモ司教教会博士の生誕年−−−−−−−−−−「1033年」から1000年後は「2033年」 ●”聖母マリアのしもべ会”七聖人である創立者たちに 聖母マリアが御出現して出家修道を勧められた年−−−−「1233年」から800年後は「2033年」 ●聖リドヴィナおとめの帰天年−−−−−−−−−−−−−「1433年」から600年後は「2033年」 ●マルティン・ルター・宗教改革者の生誕年−−−−−−−「1483年」から550年後は「2033年」 ●ジャン・カルヴァン・宗教改革者が回心を経験した年−−「1533年」から500年後は「2033年」 ●聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会の創立年−−−「1633年」から400年後は「2033年」 ●ニコラオ福永ケイアンが 聖母マリアの出現を受け殉教した年−−−−−−−−−−「1633年」から400年後は「2033年」 ●聖ホアキナ・デ・ペドウルナの生誕年−−−−−−−−−「1783年」から250年後は「2033年」 ●聖ベネディクト・ヨゼフ・ラブルの帰天年−−−−−−−「1783年」から250年後は「2033年」 ●聖バルトロメア・カピタニオの帰天年−−−−−−−−−「1833年」から200年後は「2033年」 ●聖セラフィム(サーロフ)の帰天年−−−−−−−−−−「1833年」から200年後は「2033年」 ●聖テレジア(幼いイエスの)おとめ教会博士が 聖母像の微笑む奇跡を受けた年−−−−−−−−−−−−「1883年」から150年後は「2033年」 ★☆★カトリック教会・聖人等の生誕・帰天年から読み解く未来★☆★ ●●●>>174 (6件) →→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2028年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ●●●>>175 (18件) →→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2029年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ●●●>>176-178 (38件) →→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2030年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ●●●>>180-182 (31件) →→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2031年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ●●●>>183 (12件) →→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2032年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ●●●>>184 (16件) →→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2033年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ●カルメルの聖母のスカプラリオの信心が クレメンス7世教皇の認可を受けた年−−−−−−−−「1530年」から500年後は「2030年」 ★スカプラリオの恵みを受ける条件(カトリック信者のみ) 1.最初にスカプラリオを受ける時は、スカプラリオを授ける司祭から祝別されねばならない。 2.日夜常にスカプラリオ(または代用のメダイ)を身に付けていなければならない。 **土曜日の特典のためには次のことを守る。** 3.それぞれの身分(既婚、未婚)に応じて貞潔を守ること。 4.理想的なことは、ロザリオを唱えることであるが、 スカプラリオを授ける司祭がその代わりを決めることができる。 ふつう毎日10回の天使祝詞を唱える。 ★”いつかある日、ロザリオとスカプラリオによって私は世界を救うでしょう。” ★”ロザリオとカルメル山の聖母のスカプラリオとは、切り離しては考えられません。” 〜〜〜ファティマのシスタールチア〜〜〜 http://hushiginomedai.holy.jp/rozario%20and%20sucapurario%20of%20mt%20carmer.htm ★ファチマの聖母は茶色のスカプラリオに対する古い信心を奨励なさる http://www.d-b.ne.jp/mikami/fc0408.htm ●マリア像の絵画(イコン)がエルサレムから ヤスナ・グラ修道院に安置された年−−−−「1382年」から650年後は「2032年」 ↓ ★ヤスナ・グラの聖母『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D 「ヤスナ・グラの聖母」はファティマ・ルルド・(クノック)とならぶ 欧州における聖母マリアの三大奇跡・巡礼地として知られる。 ●教皇庁がさまざまな声明を出し、 聖ピオ(ピエトレルチナ)司祭の人生で起きた出来事は いっさい神の御業によるものでないと否定した時期。 −−−−−−−−−−−−−−「1924年〜1931年」の100年後は「2024年〜2031年」 ★ピオ神父 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%AA%E7%A5%9E%E7%88%B6 ★神が聖人「ピオ神父」に告げた“世界の終わり”の12の兆候に戦慄! イエスが送信「暗闇で3日間生きられるよう準備せよ」「隕石が…」 https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201806_post_17101/ ●修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である コルカタの聖テレサ(Saint Teresa of Calcutta)がノーベル平和賞を受賞した年 −−−−−−−−−−−−−−「1979年」の50年後は「2029年」 ★マザーテレサ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B5 古代キリスト教関連の古碑ということで世界的に知られている、 キリスト教ネストリウス派(景教)の教義や中国への伝来などを刻す 大秦景教流行中国碑(だいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひ)が、 唐の時代、当時世界的な国際都市であった長安の大秦寺に建立された年。 (日本ではその模造碑が真言宗高野山奥之院にあることでも知られている。) −−−−−−−−−−−−−− 「西暦781年(建中2年)」の1250年後は「2031年」 ※大秦景教流行中国碑 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A7%A6%E6%99%AF%E6%95%99%E6%B5%81%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%A2%91 ●Hidden: A Life All for God https://www.youtube.com/watch?v=Ntt98rTky-g ●Ave Maria - Pasja (The Passion of the Christ) https://www.youtube.com/watch?v=eWHDd8HqrhU ●東ローマ皇帝ヘラクリウスがペルシャを破り、聖十字架を取り戻した年 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−「628年」から1400年後は「2028年」 ●取り戻した聖十字架を皇帝自身が担ぎ、東の門(黄金門)からエルサレムに入り、 モデストスによって修築されたMausoleumのカルヴァリオに再び顕示された年 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−「629年」から1400年後は「2029年」 ●エルサレムにてキリスト処刑に使われた十字架を発見した ローマ皇帝コンスタンチヌスの生母聖へレナの帰天年 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−「330年」から1700年後は「2030年」 ちなみに聖へレナがエルサレムにて聖十字架を発見した年 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−「326年」から1700年後は「2026年」 ★聖十字架『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6 ★聖十字架発見の記念 - Laudate | 聖人カレンダー https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=050401 ★☆★☆★聖十字架発見の奇跡と聖ピエトロ大聖堂の創建、バチカン市国の建国年より読み解く未来★☆★☆★ ●主イエス・キリストが公生涯を始められた年 −−−−−−−−−−−−−− 「西暦26年」から2000年後は「西暦2026年」 ●聖へレナがエルサレムにて聖十字架を発見した年 −−−−−−−−−−−−−− 「西暦326年」から1700年後は「西暦2026年」 ●第二代目の聖ペテロ大聖堂(現在のサンピエトロ大聖堂)が完成された年 −−−−−−−−−−−−−− 「西暦1626年」から400年後は「西暦2026年」 ●神の御名によって、近代初の「自由と平等」の理想を掲げ 建国された神聖なる国家「アメリカ合衆国」が設立された年 −−−−−−−−−−−「西暦1776年(7月4日)」の250年後は「西暦2026年」 ★「アメリカ合衆国」は 主の公生涯の始められた年から「1750年後」 聖へレナがエルサレムにて聖十字架を発見した年から「1450年後」 第二代目の聖ペテロ大聖堂が完成された年から「150年後」 −−−−−−−−−−−−−− にイギリスより独立、建国された国家である。 ★Statue of Liberty & Ellis Island - 2 minute HD tour https://www.youtube.com/watch?v=42yO2FUWL6A ★Statue of Liberty in New York City, American Freedom, Aerial Night Video of Liberty Island https://www.youtube.com/watch?v=kP51WAi1xw8 ●Magnificat (ton royal) https://www.youtube.com/watch?v=GvQ1YRN5Pr8 ●Winchester Cathedral Choir - O Magnum Mysterium https://www.youtube.com/watch?v=bkIDNnZ9pMk ●Ave Verum Corpus (Mozart) - King's College, Cambridge https://www.youtube.com/watch?v=HXjn6srhAlY ●Pyotr Ilyich Tchaikovsky - Hymn of the Cherubim https://www.youtube.com/watch?v=OPlK5HwFxcw ●The Lord's Prayer (Our Father): A Russian Orthodox Liturgical Work by Nikolay Kedrov, Sr. https://www.youtube.com/watch?v=p3iYnHx8P0s ●Praise the Lord - Sergei Rachmaninov https://www.youtube.com/watch?v=oYvw7jm-lsw >>174-199 よりつづく ●14 Most Beautiful Catholic Cathedrals and Churches in the World https://www.youtube.com/watch?v=OhnydLHX_u4 >>205-206 より ●【圧巻】世界遺産「サグラダファミリア」の入り口から出口まで! https://www.youtube.com/watch?v=boQEt1kjCKs ●Amazing fligts with birds on board a microlight. Christian Moullec avec ses oiseaux https://www.youtube.com/watch?v=owiwCIhc0I0 ※ローマカトリック教会 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1536009685/90-95 より ●弦楽のためのアダージョ / Adagio for Strings Op.11 / Samuel Barber https://www.youtube.com/watch?v=BV37qZki31U ※ローマカトリック教会 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1536009685/274-289 より ●NASA Live: Earth From Space - Nasa Live Stream | ISS LIVE FEED : ISS Tracker + Live Chat https://www.youtube.com/watch?v=4993sBLAzGA ●主イエス・キリストが公生涯を始められた年 −−−−−−−−−−−−−− 「西暦26年」から2000年後は「西暦2026年」 ●聖へレナがエルサレムにて聖十字架を発見した年 −−−−−−−−−−−−−− 「西暦326年」から1700年後は「西暦2026年」 ●キリストの再来と謳われたイタリアの守護聖人である アッシジの聖フランシスコが帰天した年 −−−−−−−−−−−−−−−「西暦1226年」から800年後は「西暦2026年」 ●第二代目の聖ペテロ大聖堂(現在のサンピエトロ大聖堂)が完成された年 −−−−−−−−−−−−−− 「西暦1626年」から400年後は「西暦2026年」 ●神の御名によって、近代初の「自由と平等」の理想を掲げ 建国された神聖なる国家「アメリカ合衆国」が設立された年 −−−−−−−−−−−「西暦1776年(7月4日)」の250年後は「西暦2026年」 >>174-200 よりつづく ●主イエス・キリストの受難と復活・昇天の年 −−−−−−−−−−−−−−−−−「西暦30年」の2000年後は「西暦2030年」 ●聖ヒルデガルトの預言による「世の終わり」の年 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−「西暦2030年」 ●フランス7月革命(市民革命) が起こった年 −−−−−−−−−−−−−−−−−「西暦1830年」の200年後は「西暦2030年」 ●(参考)「民衆を導く自由の女神」がウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた年 −−−−−−−−−−−−−−−−−「西暦1830年」の200年後は「西暦2030年」 ★★★聖ヒルデガルトの預言による「世の終わり」の年−「2030年」と主な奇跡の出現年の関連★★★ ●聖ヒルデガルトの帰天年−−−−−−−−−−−−「1179年」から850年後は「2029年」 ●ベルナデッタの帰天年−−−−−−−−−−−−−「1879年」から150年後は「2029年」 ●クノックに聖母マリアが最初に出現した年−−−−「1879年」から150年後は「2029年」 ●「浦上四番崩れ」の弾圧から開放された信徒たちが 故地・浦上に小聖堂を建てた年−−−−−−−−− 「1879年」から150年後は「2029年」 ●ルシアが修道院で聖母マリアを伴った 聖三位一体の神さまの御出現を受けた年−−−−−「1929年」から100年後は「2029年」 ●主イエズス・キリストの受難と復活の年−−−−− 「30年」から2000年後は「2030年」 ●聖ヒルデガルトの預言による「世の終わり」の年 −−−−−−−−−−−−−−−「2030年」 ●ベルナデッタが入会した ヌヴェール愛徳修道会の設立年−−−−−−−−−「1680年」から350年後は「2030年」 ●カトリーヌ・ラブレに聖母マリアが出現した年−−「1830年」から200年後は「2030年」 ●クノックに聖母マリアが最後に出現した年−−−−「1880年」から150年後は「2030年」 ●故地・浦上の小聖堂を現在地旧浦上村庄屋に 移転し浦上天主堂(仮会堂)を建設した年−−−−「1880年」から150年後は「2030年」 ●ルシアが修道院で主イエズスの出現を受けた年−−「1930年」から100年後は「2030年」 ※「ファティマ」「ルルド」「グアダルーペ」をカトリックの世界三大奇跡という ※「ファティマ」「ルルド」「クノック」をカトリックの欧州三大奇跡という >>174-203 (>>203 )よりつづく ※「ファティマ」「ルルド」「グアダルーペ」をカトリックの世界三大奇跡という ※「ファティマ」「ルルド」「クノック」をカトリックの欧州三大奇跡という ●聖ゲルトルードおとめが深い内的な回心を遂げ、 主イエス・キリスト、聖母マリアを見るなど 神秘的な体験を始めた年−−−−−−−−−−−「1281年」から800年後は「2031年」 ●グアダルーペに聖母マリアが出現した年−−−−「1531年」から500年後は「2031年」 ●聖ファウスティナに 主イエス・キリストが出現した年−−−−−−−「1931年」から100年後は「2031年 ●シスター笹川の生誕年−−−−−−−−−−−−「1931年」から100年後は「2031年」 ●秋田の聖母マリア像に起きた最後の奇跡の年−−「1981年」から 50年後は「2031年」 ■■□■■□ ■■□■■□ ■■□■■□ ■■□■■□ ■■□■■□ ■■□■■□ ヤシンタのご遺体は死後 15年後と 31年後の2回、掘り返されていますが、どちらの場合も「顔だけはまったく腐敗していなかった」ことが記録されています。 1951年(死後31年後)に掘り返された際のヤシンタの様子 http://tok2.up.n.seesaa.net/tok2/image/jacinta-1951.jpg?d=a1 ★☆★ペトロ岐部と187殉教者より読み解く未来★☆★ 1603年 ジョアン南他 6人 −−−−−−−400年後は「西暦2003年」 1605年 ダミアン伝道士他 2人 −−−−−−−400年後は「西暦2005年」 1608年 レオ税所七右衛門 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2008年」 1609年 慈悲役、その子供他 8人 −−−−−−−400年後は「西暦2009年」 1613年 有馬の殉教者他 8人 −−−−−−−400年後は「西暦2013年」 1614年 アダム荒川 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2014年」 ★1619年 京都の殉教者他 55人 −−−−−−−400年後は「西暦2019年」 1623年 江戸の殉教者 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2023年」 1624年 フランシスコ遠山甚太郎他 3人 −−−−−−−400年後は「西暦2024年」 1627年 パウロ内堀他 29人 −−−−−−−400年後は「西暦2027年」 ★1629年 米沢の殉教者 53人 −−−−−−−400年後は「西暦2029年」 ★ 30年 主イエス・キリストの受難・復活・昇天の年 −−−2000年後は「西暦2030年」 1633年 ニコライ・ケイアン神父他 3人 −−−−−−−400年後は「西暦2033年」 1636年 ディオゴ結城了雪神父他 16人 −−−−−−−400年後は「西暦2036年」 (1637年 トマス金鍔次兵衛神父 1人) (1639年 ペトロ岐部神父 1人) ※1637年、1639年の各年の殉教者は、 司祭(聖職者)のみの為、除外しています。 ★☆★ペトロ岐部と187殉教者より読み解く未来★☆★ ↑ 1603年 ジョアン南他 6人 −−−−−−−400年後は「西暦2003年」 ↑ 1605年 ダミアン伝道士他 2人 −−−−−−−400年後は「西暦2005年」 ↑ 1608年 レオ税所七右衛門 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2008年」 ↑ 1609年 慈悲役、その子供他 8人 −−−−−−−400年後は「西暦2009年」 ↑ 1613年 有馬の殉教者他 8人 −−−−−−−400年後は「西暦2013年」 ↑ 1614年 アダム荒川 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2014年」 ↑ ↑★1619年 京都の殉教者他 55人 −−−−−−−400年後は「西暦2019年」 ↑ ↑ 1623年 江戸の殉教者 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2023年」 ↑ 1624年 フランシスコ遠山甚太郎他 3人 −−−−−−−400年後は「西暦2024年」 ↑ 1627年 パウロ内堀他 29人 −−−−−−−400年後は「西暦2027年」 ↑ ↑★1629年 米沢の殉教者 53人 −−−−−−−400年後は「西暦2029年」 ↑ ↑★ 30年 主イエス・キリストの受難・復活・昇天の年 −−−2000年後は「西暦2030年」 ↑★聖ヒルデガルトの預言による世の終わりの年 −−−−−−−−−−−− 「西暦2030年」 ↑ (殉 教 者 に 神 父 を 含 ま ず) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (殉 教 者 に 神 父 を 含 む) ↓(1633年 ニコライ・ケイアン神父他 3人) ↓(1636年 ディオゴ結城了雪神父他 16人) ↓(1637年 トマス金鍔次兵衛神父 1人) ↓(1639年 ペトロ岐部神父 1人) ※1633年、1636年、1637年、1639年の各年の殉教者は、 司祭(聖職者)を含むため、別扱いとしています。 秋田の聖母の日2019 今年も例年の通り、9月14日、15日に「秋田の聖母の日」を行います。 今年は、土日だから大盛況だろうな。ww ★☆★九州島原・有馬地方の殉教者より読み解く未来★☆★ ↑ 1612年 ミゲル奥村磯吉等 10余名 −−−−−−−400年後は「西暦2012年」 ↑ 1613年 有馬直純の弟2人他 16人 −−−−−−−400年後は「西暦2013年」 ↑ 1614年 パウロ西七郎飢右衛門等 101名 −−−−−−−400年後は「西暦2014年」 ↑ 1615年 ミゲル石田等 2名 −−−−−−−400年後は「西暦2015年」 ↑ (1622年 パウロ・ナワロ神父 1名) −−−−−−−400年後は「西暦2022年」 ↑ 1625年 ペテロ志岐等 3名 −−−−−−−400年後は「西暦2025年」 ↑ 1626年 ジョアン長井内膳等 9名 −−−−−−−400年後は「西暦2026年」 ↑ 1627年 トマス宗信等 80余名 −−−−−−−400年後は「西暦2027年」 ↑ 1628年 ミゲル中島等 5名 −−−−−−−400年後は「西暦2028年」 ↑ 1629年 シメオン末竹 1名 −−−−−−−400年後は「西暦2029年」 ↑ ★1630年 トマス吉兵衛等 250名鋸引50名死他10名−−− 400年後は「西暦2030年」 ↑ ★ 30年 主イエス・キリストの受難・復活・昇天の年 −−−2000年後は「西暦2030年」 ↑ ★聖ヒルデガルトの預言による世の終わりの年 −−−−−−−−−−−−−− 「西暦2030年」 (殉教者に神父(司祭)を含まない) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (殉教者に神父(司祭)を含む) ↓ 1631年 バルトロメオ・グチェレス神父等 7名 ↓ 1633年 イグナチオ・喜右衛門等 14名 ●日本三大殉教 1619年10月6日 京都の大殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2019年」 1622年9月10日 長崎の殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2022年」 1623年12月4日 江戸の殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2023年] ★キリシタンへの迫害が最も過酷であったとされる「西暦1630年」頃−−− 400年後は「西暦2030年」 ★主イエス・キリストの受難・復活・昇天の年「西暦30年」−−−−−−− 2000年後は「西暦2030年」 ★聖ヒルデガルトの預言による世の終わりの年 −−−−−−−−−−−−−−−−− 「西暦2030年」 ●日本三大殉教 ★1619年10月6日 京都の大殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2019年」 ★1622年9月10日 長崎の大殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2022年」 ★1623年12月4日 江戸の大殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2023年] ★★★聖ヒルデガルトの預言による「世の終わり」の年−「2030年」と主な奇跡の出現年の関連★★★ → >>203 >>204 ★☆★ ファティマの聖母マリアさま出現の奇跡より読み解く未来 ★☆★ ★☆★ 秋田・聖体奉仕会に安置される聖母マリア像におきた奇跡より読み解く未来 ★☆★ ★☆★ ルルドに聖母マリアさまが出現した奇跡より読み解く未来 ★☆★ → >>185 ★☆★聖母マリアさまの出現をうけたコルベ神父さまより読み解く未来★☆★☆★ ★☆★クノック・パリ(ラブレ)・グアダルーペに聖母マリアさまが出現した奇跡より読み解く未来★☆★☆★ ★☆★長崎・浦上四番崩れ−安太郎に出現した聖母マリア−から読み解く未来★☆★☆★ → >>186 ★☆★聖十字架発見の奇跡と聖ピエトロ大聖堂の創建、バチカン市国の建国年より読み解く未来★☆★ → >>187 今年もあと4ヶ月ほどを残すばかりとなってきました。 この世もあと10年ほどかもしれませんが、 わたしたちキリスト教徒にとっては、贖いのとき、救いのときなのですから、 なんら悲しむことはありません。 天地万物の創造主であられる唯一の神さまの御一人子、 主イエス・キリストさまがお出でくださるのですから。 ノンクリスチャンの人たちにとっては絶望するほかないのかもしれませんが、 わたしたちキリスト教徒にとっては幸いのとき、喜びのときです。 わたしたちはそのとき、三位一体の神さまの愛につつまれることでしょう。 世界情勢は政治、経済、環境等さまざまな分野で 問題を抱え行き詰まりをみせています。 それらは複雑に互いに絡み合い容易には解決が困難なものばかりです。 科学技術の進歩は、一見するとバラ色の楽観的な未来を約束してくれるように思えますが、 現実にはそのテクノロジーがもつ負の側面によって、人類社会は破滅していくことでしょう。 問題は小さなほころびが、 やがては世界全体の破綻・破壊へと展開していくその過程です。 米中の貿易戦争はどうでしょうか。英国のEU離脱問題はどうでしょうか。 香港のひいては中国の民主化をめぐる問題はどうでしょうか。 イランと北朝鮮をめぐる核開発疑惑の問題はどうでしょうか。 いくつか政治的な問題を挙げただけでも、 うまく解決できそうなものもあれば、 そううまくいきそうにないものもありそうです。 >>174-208 >>210-214 よりつづきます 世界経済を牽引している先進諸国の財政、経済自体が、 どこも危険な綱渡り状態ですから、 外交と経済が絡み合って不測の事態を招く危険性も非常に高い。 おおよそ未来予測というものがはずれる原因は、 その予測の前提となる条件そのものが本来流動的なもので、 移り変わってしまうものだからそうですが、 そういう意味で、ほんとうに舵取りの難しい時代であることを思います。 しかし聖書に親しんでいるわたしたちキリスト教徒は、 そのような終末の時代だからこそ、 たとえどのようなことがこの世界でおころうとも、どのようなときでも、 神さまがくださった御言葉を通して、 心の平安・安らぎを信仰をとおしていただける恵みにあずかれるのでした。 天地万物の創造主でおられる唯一の主なる神さまにお祈りして歩みましょう。アーメン ファティマ第三の予言の内容とは?予言の真実や秘密になった理由は? ファティマ第三の予言をみなさんは知っていますか。ファティマ第三の予言は2005年に公開されたもので、 その内容には疑問が多く残っているものです。今回はファティマ第三の予言の内容や左手に火の剣をもった天使の真相、 日本で起きた出来事について紹介していきます。 ファティマの予言に関して日本でも出来事があったようです。日本で起きたことについて紹介していきます。 ファティマに関する出来事が起こったのは日本の秋田にあるカトリック女子修道院で起こったようです。 内容はこれから詳しく説明しますが、ファティマと秋田は北緯39度近くに位置しておりなんらかの繋がりがあるのではないかと言われています。 またその秋田ではファティマの奇跡から100年を記念してファティマにある聖母像が秋田にやってきたこともあるようです。 https://pouchs.jp/GCfxY?page=4 ファティマの予言の第三の部分の内容 この記事によれば、ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿は西暦2000年、「第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺を予言していた」と公表し、 直接マリア様に予言を聞いたルチア女史は、「第3の予言は喜ばしい知らせです。世界の終わりを告げたものでありません」と親戚関係者に漏らしたそうだ。 ネットでファティマの予言の第三の部分について検索しても、詳しい内容が出てこないが、青山圭秀氏が2000年に書いた小説「最後の奇跡」には、 作品内でドイツの新聞が外交筋から入手したものとして掲載した内容が掲載されている。パウロ六世が1963年に予言の内容を主要国の首脳に送ったとも書かれているので、予言の内容が外交筋から漏れることはありうる。 ※ドイツの新聞に掲載されていたという内容も、パウロ六世が第三の予言の内容を各国の首脳に送ったという事柄も小説のための作り話であるなら、以下の引用はただの創作という事になってしまうが、 著者あとがきには「ここに用いた仙台の聖母出現は架空であるが、ルルド、ファティマ、秋田等、主要な御出現とそこにおける奇跡、メッセージの内容は、 実際に報告されているものを用いた」とあるので、第三の予言とされる部分も、青山氏がどこかで手に入れたものではないかと考える。 以下、文庫本の266ページ引用。 https://kininarukabu.com/archives/17071 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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