あらゆるもの(事象)を、ありのままに捉えるということが出来難い出来の悪い脳ミソ
は、思考区分>>57のどこに偏在していると考えられるでしょうか?それは、私の思い
という身体的主観性をもっていない「客観的客観性」の領域(機械的思考領域)におい
て多く見受けられるようです。つまり、四元的思考が可能な人間には、その可能性は薄
いのですが、原理的に一元的にしか思考できないAI的(脳)機能において、ものごと
を、ありのままに捉えるということの不可能性が推定できるのです。
この「ありのまま」性が無い思考領域では、ものごとが、どのように見えて(考えられ
て)いるのでしょうか?そのひとつの例が、理系の唯物論者に特有の思考である、すべ
てを物理的に(物質を基底として)理解しようとする発想です。この発想が馬鹿げてい
るのは、「幽霊」と「観念」に関する了解の仕方に如実に現れています。理系の唯物論
者曰く、脳ミソという物質の中に「観念」という「幽霊」が居るらしいのですが、この
解釈がいかにバカバカしいかは、「幽霊」についての現象学的考察で簡単に証明される
でしょう。そもそも「幽霊」とは、生きている人間の外部から、その人間を客観視して
いる何か、というものだったのではないでしょうか?真偽の程は定かではありませんが
心霊写真というものがあります。いったいどこに、脳ミソの中に写った「幽霊」を撮影
した心霊写真がある(あった)でしょうか?「幽霊」は、人間の外部から(うらめしそうに)「人間を客観視している存在」だったはずなのです。
脳ミソの中にあるのは、カオス状態の記号ではあっても「観念」ではありません。その
記号の断片は、人間の身体から必然的に(本能的に)生成されるものであって、より広範な世界全体を意味する「神の観念」とは別次元のものに過ぎないわけです。理系の
唯物論者は、カオス状態の記号を「観念」のように思い込んで、神の意志すらコントロ
ールできるのだとホザいています。笑止なことと言わざるを得ません。