>>479

およそ「宗教」的教義によって、耳に心地よく、目を楽しませ、心に癒しを与えるもの
として定立された言語的概念的対象としての「神」は、すべて主観的主観性の産物が
共同主観の中で巨大化偉大化したものに過ぎません。それらの「神」と呼ばれるものを
信じたところでパラドックスに陥るのがオチで、現実的悲劇を回避することなどもとも
と出来るはずも無いのです。「神」の定立の仕方によっては、最悪な様相をもたらす場
合も十分に考えられます。それが「パラドックス」の恐ろしいところで、どの宗教とは
あえて言いませんが、それが極端にヒドイと宗教の名のもとの大虐殺が起こったりしま
すね。それは歴史が示すとおりです。
われわれは、思考区分>>57によって、そういう虚偽の「神」を見抜き、本当の「神の
観念」を知らねばなりません。AIの純粋に客観的な行為が人間を解釈して暴走する前
に少なくともその作業は終えておく必要があるのです。