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ローマカトリック教会
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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/09/04(火) 06:21:25.58ID:Sf+6fEvU
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Rock54: Caution(BBR-MD5:51946f6eee861e2451231e2b1d17194f)
0719神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 20:13:24.29ID:GdvpsYKV
>>694
その「司祭と信徒全員」の方々は「ファティマのメッセージを信じて」そして「ロザリオを誠実に」
「毎日・・・祈る生活を送」っておられたでしょうか。
「ファティマのメッセージを信じて、そのように生き」ることはとても重要です。
ただ義務感から唱えるのでは意味がありません。
主を求めマリアさまを敬愛する信仰がなければ、「ロザリオを毎日、誠実に祈る」ことはできないのではないでしょうか。
聖母マリアさまは毎日祈るように求めておられています。
気が向いたとき、週に1回、2回というような祈りかたでは守っていただけないのでしょう。
聖母マリアさまを慕い求める気持ち−信仰−がなければ、毎日、誠実に祈る」のは不可能なのです。
「あなたの信仰が、あなたを救う」といわれる所以が、そこにあります。
0720神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 22:41:17.06ID:GdvpsYKV
>>694
真実は広島には「ファティマのメッセージを信じて」そして「ロザリオを誠実に」
「毎日・・・祈る生活を送」っておられた方がいらっしゃった。
しかし長崎には司祭、信徒の方々を含め、「ファティマのメッセージを信じて」
そして「ロザリオを誠実に」 「毎日・・・祈る生活を送」っておられた方が、
ひとりもいらっしゃらなかった、というだけのことなのかもしれません。
あなたは聖母マリアさまを心から慕い求める気持ちをおもちでしょうか?
なければ「毎日、誠実にロザリオを祈る」ということは困難でしょう。
おわかりですね、聖母マリアさまはそのことを承知でもとめておられるのですよ。
聖母マリアさまはロザリオを祈るという「行い」をとおして、
実は「信仰」を求めていらっしゃるということ。
あなたを救うのは、ロザリオを祈る「行い」のようにみえて、
実は聖母マリアさまを心から慕い求める「信仰」いかん、
いやむしろ「信仰」のみにかかっているということなのですね。
古今東西、聖母の出現を受けた方々を振り返ってみてもわかることは、
共通していえることは、みなさん聖母マリアさまへの深い「信仰」−敬愛の思いを
もってらっしゃるということではないでしょうか。
「あなたの信仰があなたを救った」という有名な主イエスさまの御言葉が聖書にありますが、
「信仰」がなければできないことを、神さまはお求めになられるのですね。
だまされてはいけませんよ、あなたを救うのは「行い」ではないのです、
「信仰」があなたを救うのです。
長崎の人たちがもし聖母マリアさまの取次ぎによっても神さまに守られなかったのだとしたなら、
それは一見表面的には「ロザリオの祈りを毎日しなかった」からという「行い」の結果のように見えて、
実は「毎日、誠実にロザリオの祈り」をすることができる「思い」がなかったからという「信仰」の問題になるのですね。
0721神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/12/19(水) 22:45:16.75ID:GdvpsYKV
>>720よりつづく
新約聖書のなかに主イエスさまが生まれつきの盲目の人を癒す奇跡物語があります。
主イエスさまは−地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。
「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」と。
泥を見えない目に塗られたその盲目の人は、主イエスさまへの「信仰」があったので素直に従って
「行って、洗った。すると、見えるようになっ」たのですが、もしこの盲目の人に、
主イエスさまへの信仰がなかったらどうだったでしょうか?
見えない目に泥を塗られて、池で洗い落としなさい、と命令されて素直に従えたでしょうか。
あるいは旧約聖書には、城門を堅く閉ざし、誰も出入りすることができなかった城壁を、
主(神)の言葉に従い、イスラエルの民が契約の箱を担いで7日間城壁の周りを廻り、
角笛を吹くと、その巨大な城壁が崩れた、という有名な「エリコの城壁」の話がヨシュア記ででてきます。
このお話も、7日間で7回城壁の周りを廻り、最後に民の声を上げれば城壁が崩れるから、などという主(神)の
御言葉を信じる「信仰」がなければ実現しなかったことでしょう。
ロザリオの祈りを軽蔑まではしなくても軽く見ている方々は確かに多くいらっしゃることと思います。
ですけれども、いやだからこそ、聖母マリアさまがロザリオの祈りをしなさい、とおっしゃっておられることの意味を
今一度考えなおしてみる必要もあるのではないか、と思えてきます。
どうして、広島には原爆が投下されたとき「毎日、誠実にロザリオの祈りをしていた人」が8人しかいなかったのか。
どうして、長崎には原爆が投下されたとき「毎日、誠実にロザリオの祈りをしていた人」が
司祭、一般信徒含めひとりもいなかったのか、わかってくるような気がします。
今も状況は、その当時とそう変わりはないことでしょう。
「ファティマのメッセージを信じて、毎日、誠実にロザリオの祈りを、
聖母マリアさまにささげているひと」が、はたしてどれほどいらっしゃるか。
あなたを救うのは「行い」ではなく「信仰」なのですよ。
祈りという「行い」をさせるのが「信仰」なのだから。
だまされてはいけないよ、と声を大にして言いたいものですね。ほんとにアーメンです。
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