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【イエス】これは私の愛する子part35【キリスト】
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0591ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:21:56.26ID:xYXAwoQ3
年間第1水曜日2019年1月16日 (水曜日)

第一朗読  ヘブライ人への手紙2・14-18

人は
2・14血と肉を備えているので、
イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。
それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、

15死の恐怖のために一生涯、
奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。

16確かに、イエスは天使たちを助けず、
アブラハムの子孫を助けられるのです。

17それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、
忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、
すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。

18事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、
試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
0592ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:22:43.42ID:xYXAwoQ3
いま現在のキリスト教の理解状況。

人間([H]アダム)とエバ(人間の女)は、
ヤハウェという御名前の神様([H]エル)に造られた。

人間は死ぬといけないからという神様の注意を聞かず
楽園([G]パラディソ)の中央にある木の実(知恵)を食べるという
罪([G]ハマルティア、原意は「的外れ」の生き方)を犯し、
天上の楽園から地上に追放された。

最初の人間という初代アダムによって
その後の人間たちには
罪が熟して肉体に死(第一の死)が起こるようになった。

人間は罪を犯した為に神様と人間の間は不和になり
人間の罪が神様の怒りに達した場合は絶えず、
天変地異や病気や障害や戦争の敗北という罰を下される事となった。

(第一の死からの)復活の初穂の命を得ているイエス様が
神様と人間の間に立って仲介者(仲保者)となって
神様と人間の間はイエス様の御名前を通して祈る場合のみ「和解」し、
イエス様を信じる者は人間の霊が滅ぼされる(第二の死)という
最後の審判の罰から「救われる」事になった。

人間は輪廻転生せず一度死ぬ事が決まっているが
イエス様を
キリスト(神様の右に座す王であり大祭司)で神様の
御子(おんこ)と信じるものに
新しいエルサレム、神様の天国([G]ウーラノス)で
永遠の命(第二の死に至らない命)で生きる事が出来るようになった。


[H]は、ヘブル語のこと。
[G]は、ヘレニズム時代のコイネーギリシア語(共通ギリシア語)のこと。
0593ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:25:04.42ID:xYXAwoQ3
>>592 参考に聖書を引用します。

> 最初の人間という初代アダムによって
> その後の人間たちには
> 罪が熟して肉体に死(第一の死)が起こるようになった。

> (第一の死からの)復活の初穂の命を得ているイエス様が

> 神様と人間の間に立って仲介者(仲保者)となって

新約聖書 ヤコブの手紙 1章
15 欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。

新約聖書 コリント人への第一の手紙 15章
20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、
  死人の中からよみがえったのである。
21 それは、死がひとりの人によってきたのだから、
   死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
22 アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、
  キリストにあってすべての人が生かされるのである。

新約聖書 ヘブル人への手紙 9章
15 それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。
  それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過を
  あがなうために死なれた結果、召された者たちが、
  約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。

( 聖書 口語訳 日本聖書協会 )
0594ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:25:44.95ID:xYXAwoQ3
>>592 参考に聖書を引用します。

> 神様と人間の間はイエス様の御名前を通して祈る場合のみ「和解」し、
> イエス様を信じる者は人間の霊が滅ぼされる(第二の死)という
> 最後の審判の罰から「救われる」事になった。


新約聖書 ローマ人への手紙 5章

7  正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。
  善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

8  しかし、まだ罪人であった時、
  わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、
  神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

9  わたしたちは、
  キリストの血によって今は義とされているのだから、
  なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。

10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、
  御子の死によって神との和解を受けたとすれば、
  和解を受けている今は、なおさら、
  彼のいのちによって救われるであろう。

新約聖書 コロサイ人への手紙 3章
17 そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、
  いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。

新約聖書 ヨハネの黙示録 2章
11 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。
  勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。

( 聖書 口語訳 日本聖書協会 )
0595ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:27:56.57ID:Xt/YhP4d
>>592 参考に聖書を引用します。

> イエス様を
> キリスト(神様の右に座す王であり大祭司)で神様の
> 御子(おんこ)と信じるものに

新約聖書 ローマ人への手紙 8章
34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。
  キリスト・イエスは、死んで、否、
  よみがえって、神の右に座し、また、
  わたしたちのためにとりなして下さるのである。

新約聖書 ヘブル人への手紙 10章
12 しかるに、キリストは多くの罪のために
  一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
4章
14 さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた
  大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、
  わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。
7章
27 彼は、ほかの大祭司のように、
  まず自分の罪のため、次に民の罪のために、
  日々、いけにえをささげる必要はない。
  なぜなら、自分をささげて、
  一度だけ、それをされたからである。
( 聖書 口語訳 日本聖書協会 )

ウェストミンスター信仰告白 第8章 仲保者キリストについて

新約聖書 使徒行伝 3章
22 モーセは言った、『主なる神は、わたしをお立てになったように、
  あなたがたの兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう。
  その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがいなさい。
( 聖書 口語訳 日本聖書協会 )
0596ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:28:59.05ID:Xt/YhP4d
【 問題提起 】パウロは福音書を引用していない

それは福音書を基本にその後の連中が教義で決めたもの
よく知られるようにパウロは福音書を引用していない
https://christian-classics-jp.github.io/site/first-clement/chapter0-10.html
クレメンスなどの初期教父も福音書の引用を行っていない
この時代はキリスト教はユダヤ教の一派だった

「ユダヤ人に受け入れられるキリスト教」というのをまず考える
その場合、どう考えても「罪人イエス」を前提に考えないと、ユダヤ人に受け入れられる教義にはならない

ユダヤの伝承ではイエスは売春婦の私生児といわれるが
それも何か名残のようなものだったんじゃないか

もしイエスが(律法的に)罪人であったならば、
そのイエスの死と復活、それのみを信じればいい
その上で「信仰のみによって神の国に達する」がある
としたらユダヤ人も受け入れられるだろう
0597神も仏も名無しさん
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2019/01/17(木) 19:31:33.31ID:Xt/YhP4d
>>596
> よく知られるようにパウロは福音書を引用していない

確かにパウロ書簡が先に書かれ福音書が後に書かれているからでしょう。
それは私も認識しています。

ただユダヤ教の「契約」の概念や「隣人愛」は
聖パウロにも主イエスにも共通の概念だし
主イエス昇天後の聖ペトロや聖ヤコブの教団は
洗礼者ヨハネの教団を合併したと思われているから
「洗礼」を授ける教えが含まれている。

新約聖書の福音書にも聖パウロにもある「共通の教え」は
パンと杯を使った新しい契約としての「聖餐」・
聖霊の洗礼や水の洗礼など種々の「洗礼」・
十戒のうちの盗むな殺すな姦淫するななどの「隣人愛」ではと。

主イエスは何者かについては福音書で
主イエスが取りつかれている人から悪霊を追い出された時に
悪霊は主イエスに向かって「神の聖者」だと言っているのです。
悪霊の証言では「罪人イエス」とは言ってないのです。
これは立場や認識の差だとは思うのですが。

ところで貴殿は
新約聖書の書簡と福音書の教えの共通項と
主イエスは何者かなどについて
ドウ思われますか?
0598ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:32:45.46ID:Xt/YhP4d
>>597 聖書の参照個所。

> パンと杯を使った新しい契約としての「聖餐」・

旧約聖書 エレミア 31章31節
主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに
新しい契約を立てる日が来る。

新約聖書 マルコによる福音書 14章
22節 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、
祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、
「取れ、これはわたしのからだである」。
23節 また杯を取り、感謝して彼らに与えられると、
一同はその杯から飲んだ。
24節 イエスはまた言われた、
「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である。

新約聖書 コリント人への第一の手紙 11章
23節 わたしは、主から受けたことを、
また、あなたがたに伝えたのである。
すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、
24節 感謝してこれをさき、そして言われた、
「これはあなたがたのための、わたしのからだである。
わたしを記念するため、このように行いなさい」。
25節 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、
「この杯は、わたしの血による新しい契約である。
飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。

〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕
0599ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:33:32.98ID:Xt/YhP4d
>>597 聖書の参照個所。

> 聖霊の洗礼や水の洗礼など種々の「洗礼」・

新約聖書 マルコによる福音書 1章8節
わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、
聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。

新約聖書 使徒行伝 1章5節
すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、
あなたがたは間もなく
聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。

〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕

新約聖書 ヘブライ人への手紙 6章1‐2節
だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、
種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、
死者の復活、永遠の審判などの
基本的な教えを学び直すようなことはせず、
キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。

〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕
0600ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:34:40.22ID:Xt/YhP4d
>>597 聖書の参照個所。

> 十戒のうちの盗むな殺すな姦淫するななどの「隣人愛」ではと。

旧約聖書 レビ記 19章18節
あなたはあだを返してはならない。
あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。
あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。
わたしは主である。

新約聖書 マルコによる福音書 12章31節
第二はこれである、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これより大事ないましめは、ほかにない」。

新約聖書 マルコによる福音書 10章19節
いましめはあなたの知っているとおりである。
『殺すな、姦淫するな、盗むな、
偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。

新約聖書 ローマ人への手紙 13章9節
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、
そのほかに、どんな戒めがあっても、結局
「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」
というこの言葉に帰する。

〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕
0601ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:36:50.11ID:+IAhrQ5J
>>597 聖書の参照個所。

> 十戒のうちの盗むな殺すな姦淫するななどの「隣人愛」ではと。

新約聖書 マルコによる福音書 12章
29節 イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、
『イスラエルよ、聞け。
主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
30節 心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、
主なるあなたの神を愛せよ』。
31節 第二はこれである、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これより大事ないましめは、ほかにない」。

旧約聖書 申命記 5章
7節 あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない。
8節 あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。
上は天にあるもの、下は地にあるもの、
また地の下の水の中にあるものの、
どのような形をも造ってはならない。
11節 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
主はその名をみだりに唱える者を罰しないではおかないであろう。
12節 安息日を守ってこれを聖とし、
あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ。
16節 あなたの神、主が命じられたように、あなたの父と母とを敬え。
あなたの神、主が賜わる地で、
あなたが長く命を保ち、さいわいを得ることのできるためである。
17節 あなたは殺してはならない。
18節 あなたは姦淫してはならない。
19節 あなたは盗んではならない。
20節 あなたは隣人について偽証してはならない。
21節 あなたは隣人の妻をむさぼってはならない。
また隣人の家、畑、しもべ、はしため、牛、ろば、
またすべて隣人のものをほしがってはならない』。
〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕
0602ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:40:20.21ID:+IAhrQ5J
>>597 聖書の参照個所。

> 十戒のうちの盗むな殺すな姦淫するななどの「隣人愛」ではと。

新約聖書 ヘブライ 13章
15節 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、
すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。
16節 善い行いと施しとを忘れないでください。
このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。

新約聖書 マルコによる福音書 12章
32節 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。
『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
33節 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、
また隣人を自分のように愛する』ということは、
どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
〔 聖書 新共同訳 日本聖書協会 〕
0603ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:41:07.97ID:+IAhrQ5J
>>597 聖書の参照個所。

> 悪霊はイエスに向かって「神の聖者」だと言っているのです。

新約聖書 マルコによる福音書 1章24節
「ナザレのイエスよ、あなたは
わたしたちとなんの係わりがあるのです。
わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。
あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。
〔 聖書 口語訳 日本聖書協会 〕
0604ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:42:58.28ID:+IAhrQ5J
新約聖書 マルコによる福音書 9章41節
だれでも、キリストについている者だというので、
あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、
よく言っておくが、
決してその報いからもれることはないであろう。

新約聖書 テモテへの第一の手紙 6章18節
また、良い行いをし、良いわざに富み、
惜しみなく施し、人に分け与えることを喜び、

新約聖書 ヘブル人への手紙 13章16節
そして、善を行うことと施しをすることとを、
忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。

新約聖書 ルカによる福音書 23章
42節 そして言った、
「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、
わたしを思い出してください」。
43節 イエスは言われた、
「よく言っておくが、
あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。

( 聖書 口語訳 日本聖書協会 )
0605ろん(ろんぎぬす)
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2019/01/17(木) 19:44:26.68ID:+IAhrQ5J
キリスト教信心は 神を賛美し、救いに感謝する事とみた。

ミサ(カトリック)や奉神礼(正教)に参加して「五感」で感じれば分かるよ。

教会の聖像画と、聖霊のかたどりのロウソクの炎を「見て」

神に向かって賛美の聖歌と答唱詩篇とアレルヤを「歌い」

旧約預言書・使徒書・福音書の朗読と説教を「聞いて」

聖堂いっぱいの地中海産の乳香の香りを「嗅いで」

聖体のパンを「食べて」

尊血のワインを「飲んで」

西方ローマ教会(聖公会(監督教会))や

東方正教会の礼拝のすばらしさを体感して

神の救いに感謝する。

プロテスタントは 聖書1か所朗読で 体感なく 礼拝が「貧しい」。
0606ろん(ろんぎぬす)
垢版 |
2019/01/17(木) 19:46:05.71ID:+IAhrQ5J
旧約聖書 コヘレトの言葉
9章
07 さあ、喜んであなたのパンを食べ/気持よくあなたの酒を飲むがよい。
  あなたの業を神は受け入れていてくださる。
08 どのようなときも純白の衣を着て/頭には香油を絶やすな。
09 太陽の下、与えられた空しい人生の日々/愛する妻と共に楽しく生きるがよい。
  それが、太陽の下で労苦するあなたへの/人生と労苦の報いなのだ。
10章
19 食事をするのは笑うため。酒は人生を楽しむため。
  銀はすべてにこたえてくれる。
日本聖書協会刊『聖書 新共同訳』(1987)による
0607ろん(ろんぎぬす)
垢版 |
2019/01/17(木) 19:47:30.35ID:+IAhrQ5J
主イエスの肉の脇腹を槍突きし死の証人である聖ロンギヌ[ス]よ、
キリストの肉体の復活を明かす聖トマ[ス]よ、
キリストの昇天を目撃したる12使徒たちよ、
教会のいしずえたる12使徒の頭なる聖ペトロよ、
後任の監督なる聖クリメントよ、
その監督を継たる獣と戦いて殉教したる聖イグナチィよ、
更に監督を託されたる生きたまま火あぶりの殉教をしたる聖ポリュカルプよ、
また前代から継ぎたる教会の博士で信仰の父である監督たちよ、
我等、キリストを信じたる者たちの為に、
神の救いの願いを祈りたまえ。

唯一の神の右に座したまえる
ユダヤの預言者であり
身を捧げた大祭司であり
ユダヤ人の王であり
油注がれたキリストである
我らの御主人なるイエスを通して
救い主である天の父なるヤハウェ様の御名前を賛美いたします。
ハレルヤ。

日々の栄光と幸せを唯一の神、万軍の主に帰します。
主の平和。神に感謝。

就寝を前に、また臨終に際し、
世を去る感動と天福にあずかる涙とを、主よ与えたまえ。
アーメン。

新約聖書 ペトロの手紙一 4章 6節
死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、
彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、
神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。
『聖書 新共同訳 日本聖書協会』
0608ろん(ろんぎぬす)
垢版 |
2019/01/17(木) 19:48:56.12ID:+IAhrQ5J
年間第7木曜日2019年2月28日(木曜日)

第一朗読 シラ5・1-8

5・1自分の財産を頼みとするな。
「わたしは、何でも思いのままだ」と言うな。
2本能と自分の力に引きずられ、欲望のままに生きてはいけない。
3「だれもわたしを支配できない」と言うな。
主は必ずお前に復讐なさるだろう。
4「罪を犯したが、何も起こらなかった」と言うな。
主は忍耐しておられるのだ。
5どうせ罪は贖われるのだからといい気になって、罪に罪を重ねてはならない。
6「主の憐れみは豊かだから、数多くのわたしの罪は赦される」と言うな。
主は、憐れみだけでなく、怒りをも持ち、その激しい怒りは罪人たちの上に下る。
7速やかに主のもとに立ち帰れ。
一日、もう一日と、引き延ばしてはいけない。
主の怒りが、突然やって来て、裁きの時に、お前を滅ぼしてしまうからだ。
8人を惑わす財産を頼みとするな。
いざというとき、何の役にも立たない。

信仰の糧... 今日のために! カトリック教会より
0609ろん(ろんぎぬす)
垢版 |
2019/01/17(木) 19:53:35.74ID:+IAhrQ5J
ロシア正教やユダヤ教にハロウィンなんてない。

新大陸の野菜のカボチャの儀式が
ローマやパレスチナにあるわけなんだろう。

[イエス様のユダヤ教はノアやアブラハムや、]
モーセやダビデの頃ではなく
実は、バビロン支配終了後のペルシャ時代に興っています。
エズラ・ネヘミヤの頃です。
[ヘレニズム時代以降でも変わって来ています。]

また旧約聖書(ユダヤ人はタナハと呼んでいる)には4資料仮説があります。

E資料(神、エロヒムの単語を使う文書、北王国(イスラエル王国)の資料)
J資料(主、ヤハウェ(アドナイ)の単語を使う文書、南王国(ユダ王国)の資料)
P資料(祭司の文書、北王国がアッシリア支配で南王国に亡命した際に持ち込まれた時の儀式の資料)
D資料(申命記による宗教改革があった南王国の時代とされる文書、アッシリア形式の宗教資料)

エロヒム(神)と人間との関係は
隔絶のあるものとして描かれています。
アドナイ(主、その名はヤハウェ)と人間との関係は
父と子のような関係で描かれています。

特に、この神と主の2つの性格の使い分けで、
人間に対する、神なる主の救いが語られていて、
それで聖書の理解に苦しむ事があるのです。

神は陶器師、人は陶器、命を与えている神は、命を奪う神でもあるという隔絶さ。
主は父なる神で、人は神の子、父は息子を愛してやまない。救いたい気持ちがある。

旧約聖書のユダヤの神が二重人格ではないか?二枚舌ではないか?と、
理解に迷う原因を、学者は4資料説(仮説)によって解決しようとしている。

神の視点では、被造物の分際で、創造主に逆らうんじゃない。
失敗作の焼き物(不出来の人間)を壊す(死なす)のは焼き物師の、みココロ次第。
そうかと思えば、
主なる天の父の視点では、子を救い(罪を罰するのを赦し)たい、ご計画がある。

これが入り混じって新約聖書では、
神の御子(みこ)キリスト・イエスの十字架のイケニエで
洗礼で神の子になる人間(キリスト信者)の罪を赦し天国に住まわせる、という
十字架の、しょく罪の考えが生まれたと。
0610ろん(ろんぎぬす)
垢版 |
2019/01/17(木) 19:56:56.76ID:hV3wuhFL
最近わかったのですが
古代ローマ帝国で国教となった時の「カトリック」という言葉は
「普遍の」「公(おおやけ)の」「分派ではない正統的な」という意味で
使われていました。

「カトリック教会」は「正統の教会」という意味になります。
つまり「正教会」と言っているのと同じだったんです。

洗礼で唱えるニカイア・コンスタンチノープル信条では
「一つの、聖なる、公なる、使徒の教会を」と唱えられています。

ラテン語で(私は〜信じます、)
エト・ウナム(一つの)・サンクタム(聖なる)・カトリカム(正統的な)・
エト・アポストリカム(使徒の)・エクレジアム(教会を)
となります。

ラテン語のエクレジアムは、
コイネー・ギリシア語(共通ギリシア語)のエクレーシア(〔招集された〕集会)です。
聖餐だけでなく、洗礼を受けるのでさえ、教会を離れては出来ない事なのです。
現在の私はそう理解しています。
0611ろん(ろんぎぬす)
垢版 |
2019/01/17(木) 19:59:22.83ID:hV3wuhFL
またキリスト教というのは、
天の御父様(ヤハウェ〔さま〕)と
地上の教会の御父様(現在の教父・ローマ司教・教皇〔・パパ〕)がおり
おミサの時の御父様(神父)が居るのです。

〔天の〕おとうちゃんに、アッバ父よ、と、すがる宗教なのです。
0612ろん(ろんぎぬす)
垢版 |
2019/01/17(木) 20:01:31.78ID:hV3wuhFL
十字架に掛かった時のピラトの書かせたへブル語・ラテン語・ギリシア語の罪状(書き名)が、
ギリシア語・新約聖書・ヨハネ19:19 

@Ιησουσ Aο Ναζωραιοσ Bο βασιλευσ Cτων Ιουδαιων

CユダヤのB王(支配者)Aナザレ人@イエス

新約聖書 ヨハネによる福音書 19章19節
ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上にかけさせた。
それには「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書いてあった。
( 聖書 口語訳 日本聖書協会 )
0613神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/17(木) 20:03:26.89ID:hV3wuhFL
【 キリスト教成立のキーワード:私的考察 】

@罪(ハマルティアαμαρτια) 神との契約違反で天国の自由を失う 
 地上生活と人類の「原罪」の発生 
A愛 地上生活での神の戒め
 神と人への『愛(アガペーαγαπη)』 
B契約(ディアテーケスδιαθηκησ) 律法と預言書と詩篇から最期の晩餐による 
 肉(パン)による信者の繋がりの教会と血(ブドウ酒の杯)による「贖罪」の「契約」 
C十字架(スタウロスσταυροσ) 神との新しい契約としての人類の原罪の贖い 
 贖いで足りない所を補う 主への讃美と善行と施しをイケニエとして捧げる事 
 行いの有る『信仰(ピスティスπιστισ)』 
D復活(アナスタシンαναστασιν) 
 古いものを捨て「神のロゴスθεοσ λογοσ」によって新しく生きる甦りの命と 
 最後の審判でのキリスト(χριστοσ)の弁護による救い(ソーテールσωτηρ) 
 天国に戻る『希望(エルピスελπισ)』 
E教会(エクレシアεκκλησια) 契約により
 キリストを頭(かしら)として肢体になった信者は 
 天国(パラディソ)を相続する自由人の女から生まれた子となり 
 聖霊(ハギア・プネウマ)の賜物として
 異言(グロッサ)や霊的な歌や癒しの奇跡を得る 
F公会議 同質・同一本体 神人一人格(神であり人であるキリスト) 三位一体 各信条 
 聖職者制・総主教制 神の母の呼称 聖書(テモテU3:16)の選抜などを決定
0614神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/17(木) 20:09:31.48ID:hV3wuhFL
105神も仏も名無しさん2018/11/02(金) 05:35:52.06ID:u+Z+Np+G
キリスト教は、霊感商法です。

疲れた者、重荷を背負う者はだれでもわたし(イエス)のもとに来なさい。
休ませてあげよう。(マタイ11章28節)
教会へ行くと、その疲れや重荷の原因がアダムとエバの原罪にあると教えられます。
重荷が降りるどころか、「罪の意識」という余計な重荷を背負う羽目になります。
こうして私たちがみな「罪びと」だという思想をわざわざ植え付けた上で、
「でも、キリストを信じれば罪から救われて永遠の命を与えられる」と説くのです。
キリスト教に出会いさえしなければ知りうることがない「原罪」の思想を植え付け、
「私たちは罪びとだから、このままでは地獄に落ちる。でも、キリストを信じれば
救われる」と、もっともらしく説くわけです。これは、霊感商法と同じです。
「あなたは呪われている、でも、この壷を買うと幸せになれる」と言うようなものです。
こうして、知らず知らずのうちに懺悔や献金という習慣を守らされる羽目になります。
0615神も仏も名無しさん
垢版 |
2019/01/17(木) 20:10:53.70ID:hV3wuhFL
106神も仏も名無しさん2018/11/02(金) 05:37:40.60ID:u+Z+Np+G
このようなわけで、一人の人(アダム)によって罪が世に入り、
罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。
すべての人が罪を犯したからです。(ローマの信徒への手紙 5:12)
罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの
主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。(ローマ信徒への手紙6の23)
死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによって
すべての人が生かされることになるのです。(コリントの信徒への手紙一 15の22)

こうして、潜在意識の中に罪だの死だの罰だの暗い思想を植え付け、
その上で救いを説いているのです。
しかも、アダムとエバの原罪や、救いとは、実はイエス本人ではなく
パウロの教えだったのです。パウロは、イエス死後、25年ほどあとに、
[ローマ信徒へ]や[コリント信徒へ]を書いたのです。
結局、アダム(とエバ)が犯した罪によって私たちに「死」が
入ったとか、信じれば永遠の命が与えられるなどと言う教えは、
パウロが作り上げた教えだったのです。
これを教会では「イエス様のありがたい教え」であるかのように説明しているのです。
こうして、永遠の命を得るために毎週日曜の礼拝に出席し、
懺悔や献金をする生活を守らされることになります。
これがいわゆるマインドコントロールです。
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