しかし、俱舎論になると預流向もある程度修行の進んだ聖者とされたわけです。だから辞典や本を読んで、預流向を聖者と説明しているからといって、単純に判断してはいけない。原始仏教(阿含経)の預流向と俱舎論での預流向とは定義が違うからです。