比丘たちよ、では、六処(六根六境によってなる認識)とはなんであろうか。
眼の認識と、耳の認識と、鼻の認識と、舌の認識と、身の認識と、意の認識とである。
比丘たちよ、これを六処というのである。

(略)

比丘たちよ、では、識(識別する作用)とはなんであろうか。
比丘たちよ、それには六つの識がある。
すなわち、眼識と耳識ち舌識と鼻識と舌識と身識と意識とがそれである。比丘たちよ、これを識というのである。

(相応部経典12-2 分別)
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama7050602.html

これだけだと十二支縁起の中の六処と識の違いは分からないね

行については

比丘たちよ、では、行(意志のうごき)とはなんであろうか。
比丘たちよ、それには三つの行がある。
すなわち、身における行と、口における行と、心における行とがそれである。比丘たちよ、これを行というのである。

と説法しているから身口意の三業のことで
この経典に沿うと行は業であるとみていいと思う