【仏教】 悟りを開いた人のスレ311【天空寺】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>235
>色界の菩薩
チベットの意味ではなく、
六道の天界の色界だと。俺的には。
禅のスタンスでは、六道の天界の色界では・・・と。いう意味で童天がヒスる気分も理解できるが、
あのジャンキーに等しい障碍者差別的見下し批判はなあ笑。面白すぎる笑。 六道の天界の色界オタかもしれん。
山伏仏教、浄土教の光明にはまってますから、
一歩間違えれば教祖様になれる笑。
童天みたいにブログは出しませんよ笑。 でおーのような霊的体験する人はオウムでも聞いたことない(笑)
大概空を飛んだとか、何か別の生き物になったとか(笑)
仏様に合掌を請われるというのは聞いたことがない。
俺は精神病云々じゃなく、凄いことだと思ったくらい。
徳のない人には体験できないから。 >>238
まだ序の口ですよ、
高野山関連ではモンスタークラスの出来事ありますばい、書かないよ。
俺、基本神秘体験の昔話は、流れが無いと出さないし笑。 >>288
仏の別名は「世王」というのです。
世法を離れて仏法は無いのです。
かつて、こうした勘違いの仏法者(ナンチャッテ覚者)がいたから、大乗仏教が生まれたんですよ。
>>232
>題目は唱えると死んだら究極の生命に生まれ変わるパワーがあるんですか
生まれ変わるとかじゃなくて、生きている内に仏界の生命を凡夫の我が生命の中に瞬間瞬間、湧現すると言うことでしょう。 >仏様に合掌を請われるというのは聞いたことがない。
仏さまに手を合わせない文化が一部ある臨済禅スタンス故に、俺には、その色気が濃く(神秘禅定ライディングオタ趣味の癖に矛盾笑)
曹洞宗寺院では仏を礼拝を重んじるので、そう示したんじゃないの笑。 霊的体験は内に秘めて置いた方がいいかもしれないね。
精神病とか言われるのがオチだし。 >>242
その話が出たのは、曹洞宗寺院での出来事なので、曹洞宗禅の夕との話の流れで、流れが無いとレスしないし。
どっちかというと、これも面白レス気分でしたし、
それをジャンキーが喜び、それを童天が怒りのついでに笑。 >>245
ついでに、
仏のバカタレ。 蹴っ飛ばせ。
へいこら連中作りやがって。 >>240
湧現とは具体的に!?
題目を唱えると病気が治るとか仕事がうまくいくとか聞くんですが^^ >>248
そんなことは晃とカのデマじゃwww
南無ビッグアミターバのみが偉大なリwww
笑っちゃ魚www でおーの面白レスはこのスレの楽しみの1つですわ(笑)
他の人とは明らかにテンションが違う。
嫌いじゃないんだよそういうの。 >>250
臨済禅をジャンキー、ぼったんみたいに一方的垂れ流すなんて、アホの域だし。
対話相手も無いのに道元禅を垂れ流すのもアホだからなあ。
やはり神秘色界風レスが一番お気楽笑。 仏様に合掌を請われるのを想像して俺もそいう体験してみたいと思った(笑)
仏様のご加護が欲しいのもあるし。
すでにご加護されてるのかもしれないけどね(笑) >>253
一方的徹夜寝かさないぞ圧倒的教育ていうトンデモがある、言わないぞ笑。 天才ですから。
神秘体験は否定しきれなところが自分にもありますので。
私に、無と言い切る。私はこの言葉に感動してしまったw >>27
∞ノノハ∞
川^〇^ハレニューロンの発火は一念♪ そんな事よりこれめっちゃ面白い。Kindleめんどくせーけど。
日本人が知らないブッダの話 ― お釈迦さまの生涯の意外な真相
https://www.amazon.co.jp/dp/B07DMLPDKB/ >>187
うん、収入によって、これ以上払わなくていいというのがあると思う。。
あなたのことを気にかけてるんじゃなくて、気になるんだな。。
見てて痛いんだよ、確かに。。w ブッダの生涯かね?
私が想像するに彼はただなんとなく
ひとり言の様に呟きながら説教していたのではないだろうか?
居るか居ないか分からない様な者たちを前にして誰に向かって説教しているのか分からない形で彼は語っていたのかもしれない。
むしろそれは説教ではなかった筈だ。
完全にひとり言だったに違いない。 日本人が知らないブッダの話
ブッダはエイリアン^^ >>265
ブッダはエイリアンではない
ブッダであるシッダールタは地球上に生まれた人間である これは抽象的なたとえとして言っているのではありません
あなたと他者 他の人間たちとを分かつのは あなたの皮膚だけなのです
皮膚がなければ あなたは他者の触覚を 自身の頭の中で経験します
他者との間のバリアがなくなるのです
このことは東洋哲学の基礎と言えます そこには 超越して 世界や他の人々を
達観しているような 独立した自己は存在しません 第31話 道徳と宗教はどう違うか
http://www.jtvan.co.jp/howa/Hasegawa/houwa031.html
このサイトによると道徳は個人の人格の完成で宗教は他の人の人格の完成とか幸せも祈るものとされてる >>268
夢の世界と現実世界の違いは、それだろうか
そうかもしれない
肌感が夢にはない >>269
わたし自身すら救えないのに
他人様を救うなど
遥か遠い話になってしまう
もしもわ私を救えたなら他の人も救えるかもしれないが 独立した自己は存在しません 事実 あなた方はフェイスブック インターネットを介して
つながっているだけでなく ニューロンを介してもつながっているのです
そしてこの部屋の中にも つながり合った一連のニューロンがあるのです
そこには誰かの意識とあなたの意識の 区別といったものはないのです
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん^^ 苦しい
この苦しさの原因は、我が肉体と心である
この肉体と心が
苦しみをもたらしてくるのである
からして
このわたしの肉体と心から開放されるのが
苦しみから逃れる方法である
どうだろうか
そういうことだろうか >>272
因縁果さんと
わたしの
意識は
まったく同じものである
ということである >>271
まあそのサイトの例では
妻は怠けもので虚栄心の強い人であるが、夫は立派な道徳的な人であったとする。
と一人は自分自身を既に救えているような例で説明しているからね >>268
その通りだ。
個人的な自己は偽りだ。
バナナはどこまでがどの部分がバナナだろうか?
宇宙全体がバナナだ。 要するにざ前名僧の技術ある人は泥水の仲からミルクを飲める技術があるし
技術のない僧は泥水を飲んで有る苦があるし
めでたしめでたしでまあ良いか
鬼さんいうだけではだめ 実戦しないと言う鴨
人
人 人
人 人 そんなバナナ >>276
わたしはナマケモノで
自尊心も虚栄心もあるのだが
妻はいない
笑 >>274
じゃあ、
おれが今腹が減っているか、それともイナイカ、当ててみな? >>281
まったく、わからん
意識が同じというのは、その内容が同じという意味ではない
内容は業が意識に写している >>269
道徳とは受け取るもの
宗教とは与えるもの^^ >>279
人は苦しみにくっついている
苦しみを生ずるのは自然とあるが
それを引きずる
引きずるのは思念妄想により
恐怖と怒りが生ずる
そしてまた、逃れることの無い混乱の中で
訳のわからないままに
生存してゆく >>282
とすると、
内容が違う意識同士が、同一って?
意味が分からん。 >>283
道徳とは文化により変わるものであり
宗教は文化によっては変わりえないものである >>286
意識は同一である
意識に反映されているものは同一ではない テレビは同じである
しかし、番組はチャンネルによって違う 同じスマホをもっている
しかし使い方は人によりけり >>273
一切皆苦
全ては苦しみなのに、どこに逃げる場所があるんだい?^^ >>288
皆さんそれぞれ意識を持っているということなら、当たり前。
あえて言うまでもないよ。
業の集積
身と口と意の行い
これらの習性の蓄積が
現象意識に
映りきたる
のである 仏道をならふといふは,自己をならふなり。 自己をならふといふは,自己をわするるなり。
自己をわするるといふは,万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは,自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
悟迹の休歇なるあり,休歇なる悟迹を長々出ならしむ。
(意味)
仏道を学ぶということは 、自己を学ぶことだ 。
自己を学ぶというのは 、自己を忘れること 。
自己を忘れるというのは 、悟りの世界に目覚めさせられることである 。
悟りの世界に目覚めさせられるということは 、自己および他己 (他なる自己 。すなわち自己のうちにある他人 )を脱落させるである 。
悟りの痕跡すら残してはならぬ 。しかも 、その痕跡なき悟りを長時間にわたって保持し続けるのだ 。 >>292
それぞれの意識ではない
意識は同じである >>296
だからその程度の意味なら当たり前。
平等性に落ち込んどる。 >>298
であるからして
因縁果さんの意識と
わたしの意識は同じである
と書いたのである
これは当たり前のことである >>298
平等性に落ち込んでいるとは?
各人が業にしたがって違いがある
しかし、このシステム自体には、なんの不平等もない
自業自得である >>299
二人の意識の内容は違う、という意味ならいい。
しょーもない。 >>301
そりゃ内容は違うでしょうwww
同じ意識に写しあってるんだから >>287
道徳は文化がつくる
宗教は文化をつくる 意識は静寂であるからして
内容が異なるんやで
同じ大地にそれぞれの家が建つようにな
w >>295
この世界を宇宙を滅ぼすの?
ドラゴンボールの敵役かよ^^ >>305
うむ
たぶん、そんな感じでしょう
同じスレに書いていても
内容は違う
しかし、同じスレに生じている
わけだ >>306
世界も宇宙も滅ぼさないよ
世界も宇宙もないところが
滅尽したところでしょうw >>311
なにもかもが滅尽したところには
描写可能ないかなるものも存在しない
のではなかろか >>313
ええええ!
みんな、こんなこと知ってたのか
僕は、めちゃめちゃビックリした
笑 >>315
無と言えば無が存在しているので
滅尽をしていない
ので
それは滅尽をしたのではなく
無があるところ
ということになってしまうのだ
無というのは存在しないのだから
無なのだが
無と言ってしまうと、ない
無というものがイメージされており
それでは消失していないのである >>267
脇の下から生まれてすぐ立ち上がって喋るだの32相だの
エイリアンとするのが合理的です!^^ 今夜は、内容が薄いのう。
お盆か。
明日は墓掃除でもするか。 >>291
》全ては苦しみなのに、どこに逃げる場所があるんだい?
世界を捨て去る事だ。
そしてそれは心を捨て去る事によって為される >>317
そんな何もないところに居たら逆につまんなくて苦しくねーか。 >>321
世界や心を捨て去るなんて
できっこありません
世界や心の正体を見破る
これらの意識
この見抜いていることで
わたしなるものの空性を見る
そして
この、散々にある執着、習性
苦しみの因縁
を
剥がしていく
脱いでいく
解いていく
執着が完全になくなったものが
悟ったもの
ゆえに見抜いたものは、修行して、脱いでいかないといけないのであり
その迅速な方法が
坐禅、念仏だったりするのだろうか?
まったく
よくわからんが
そんなふうにイメージしている >>322
何も無いなんてこともありません!
滅尽をしたところは
何も無いというものはありません 悟りとは奉仕だというのは何か分かるな。
意識の内容は異なるていうのは分からないが。
天狗さんの呟きは示唆に富んでる。 >>327
滅尽したところを感得し
滅尽したところにブレずにあることで
執着を
くっついていることを
習性を
外していく
というイメージが、さいきん出てきている
それが方向として正解かは知らない 悟った人は奉仕のみだよね考えてみると。
お釈迦様しかり。
己がないから己のために何かするというのがないからね。 >>330
それで苦しくないんなら正解ちゃうか^^ たとえ世を捨てたと思ったとしても
また捨てた後の世があるんやw
乞食の世界にも縄張りやらルールがあるようになw >>331
サービス残業とか奉仕するもんな。
ブラック企業やないブッキョウ企業や^^ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています