※生命が永遠なのは、大宇宙の生命が永遠であるからです。
ゆえに輪廻がなくなることはありません。
最高の経典である法華経には「衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず。 しかも実には滅度せず。 常に此に住して法を説く」と説かれてあります。
これがなかなか普通には理解できない。法華経が仏の随自意の教えであり「諸経の中で法華経が最も難信難解であると明かされている」ゆえんです。

この大宇宙の生命の実態が「仏」なのです。
ゆえに、本来、私たちすべての人が「仏」なのです。

ただ、凡夫は煩悩によって「仏」であることを内観出来ないのです。

だったら、煩悩や執着を断ずれば「仏」の生命を覚知できるのかと言えばそうではありません。
むしろ、煩悩は仏の悟りを得るためには必要なのです。(煩悩即菩提、生死即涅槃)

このことは、一念三千の法門を学べば多少理解できるかもしれません。

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輪廻を考える上で、生命は何も人間だけではありませんよね。

犬猫、牛馬もそうだよね。

では、彼らはどういう因縁でこの世に犬猫、牛馬に生まれてきたんだろう。

縁起を説く仏教に「偶然」や「たまたま」なんかあるわけないし。

私たちが、必ず来世に人間として生まれ、再び仏教に巡り会えると、どうして確証できるのでしょうか?

そこら辺を探求してみるのもおもしろいかもです。