正直!「ムガ、ムガ、無我」言ってても、その境智に達する人間などいないだろうね。
現実世界は人間の妄想だと言ってるのは、絶対、マトリックスの映画の見過ぎだよ。
だから私は「無我、無我」言ってても「無駄、無駄」と思っているんです。

言ってることがほとんど唯識論に近い。仏法でいう「無我」とは常住の固定化された自分という個体が存在するわけではない、
縁起によって五蘊仮和合しているに過ぎないと言うことでしょ。

殴られれば痛いし、煽られれば、すぐムカッとする。それが現実です。
諸法実相です。森羅万象一切が仏法なんです。

だから、自分を「無」にすることじゃないんだよ。

なかには、

「無我と死は同じ事」(※だったらハヨ死ねば?)とか

「生きながら死ぬことが最高の悟り」(リアルゾンビですか?)とか意味不明なこと言ってる人も居るけど

たぶん、一生涯「ムガムガ」言って、つまんない人生を終わるのだと思う。

それなら、人を助け、社会の平和と繁栄の為に何か役に立つ事に自分を活かした方が価値的だと思う。

釈迦仏法における最高の経典は「法華経」です。
哲学的な原始仏教と比べ、やや文学的、示唆的な内容となっているが、唯一、仏の随自意の教えなのです。

人は縁起によって五蘊仮和合しているわけですが、「五蘊仮和合」させる本源の法を釈迦は最後まで明かしませんでした。

その本源の法「能生の根源」を「妙法」と言います。

この妙法の実態を釈尊は「法華経」のなかに、種々の方便をもって密かに隠して説きます。
ゆえに、この究極の生命(仏の生命のそのも)を唯一説く教典であるから、南三北七の高僧を論破した天台、南都六宗を論破した伝教も「法華経最上第一」の教えとしたのです。

その「能生の根源」である「妙法」を日蓮大聖人が「南無妙法蓮華経」の七文字で顕されたのです。