>>12 夕職人

> 支店長に相変わらずだなと言われ

> 童天さんの言葉 夕さんは

> でおーにも言われたけど、 』


また 同じことを指摘するね。
夕職人は走狗ですね。ランニングドッグ。

入れ墨する人の真理と同じで、弱みの補強、
また、糞雀鬼と同じで、自己肥大を願う、と言う、

おやめになったが、いいですよ。
自治会の役員をするような人が、常に誰かのツカイッパシリニ終始してしまうなんてのは、
その自治会の利益代表と言う一本、筋を入れるように、
それに乱入するには、
わたしとは何か、と答えは出てなくても、つねに自己に内側に問う事を続ける、大切 です。

自分の頭の上に、もう一個の 別の、他人の、頭を乗っけて歩いている人などは 居ないと、わかったことが、わたしが万巻の仏教所を読み始める最初のきっかけになりました。
唯心的グループと唯物的グルーと、その両者の間を数度、往復していたのです、それまでは。

2500年前の人の言う、
汝こそ汝の主人公、他の誰が 汝の主人公で有り得るか。

このことをマブダチ道元は 鼻は直(たて)についている、と喝破しました。
また、キリスト教徒が聖なるものとして十字架を押し頂きますが、わたしはこのことを眼横鼻直(がんのうびちょく)である、と受け取りましたよ。

この道をサイの一本ヅノのように、ひとり歩め。

師独悟(むしどくご) 独覚(どっかく)のわたしには、たいせつな後ろ盾、追い風 です。

やがて、私も死にますが、いかに頼みにしていた人々もやがては、死にます、居なくなります。
それがいつになるのかは、わかりません。
年長者から順序良く列に並んで乗り合いバスに乗って出かけていければ、
古人は、目出たい、と言ってます。
だが、無常、常と言う事が無いので、誰が先やら、後やらか、決まりきったことが有りません。
だから、
他を頼り、としてはならず、独坐大雄峰の公案が有ります。

ただし、100人居れば、100人の答えが有る公案の答えですから、あなただけの答えを出してみてください。
わたしはこの公案には、二つの公案が有る、と最近、出会いましたよ。