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--佛教論議の伽藍スレ-- 第二巻
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0001神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/08/01(水) 05:54:24.84ID:rYZcsElT
仏教に関するKeyword
「無我」と「アートマン(我)」、「輪廻」や「涅槃(ニルヴァーナ)」などについて、
原始経典(「パーリ五部聖典」や「漢訳四阿含経典」)に説かれているブッダからの教説を中心にして、
激しく議論したり、または有益な情報を互いに交換するためのスレです。
尚、自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されますよう宜しくお願いします。
基本的に仏典(原始経典)の記述を根拠にしていることが大前提ですが、
もし、そうでない場合には明確な理由を必ずしっかりと説明して下さい。

-------------------当スレの戒律(マナーとルール) -------------------
条項 1.コピペ・アスキーアートは原則禁止(議論に使用する為の真面目な図解については可)
   2.文章、三行以下の投稿は連投を禁止します---落書き帳やメモ帳ではない
    (チャットような使い方はすぐ1000レス使い切るので辞めて下さい。もっと内容を一つに纏めてから投稿しましょう)
   3.一行明け投稿や無駄な空間を使用した投稿は遠慮願います。
   4.意味の無い無駄な投稿は完全な犯罪級の荒らしです。スレ主である私(宝珠真範)の判断で即刻、退場してもらいます。
   5.南伝仏教(または上座部仏教/南方仏教..)を「小乗仏教」と呼称することは差別用語なので使用禁止です。
    (1950年の世界仏教会議にて決議した)
   6.議論でヒートアップしても相手を不当に侮辱した言葉を使わないこと(節度ある態度で接しよう)
   7.仏教徒として当り前の話ですが、ブッダを侮辱する意味の言葉は厳禁です。即刻、退場してもらいます。
   8.次スレを立てる際は、勝手に「スレタイ」や「テンプレ」(レス番2の戒律と資料リンク含む)を変えないこと。厳守!!
 以上ですが、基本的には参加者皆さんの良識に期待します。
0261宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:05:13.72ID:HSZNFowA
>>257
その、『十牛図』を読ませて頂きました。
禅的なエピソードと悟りの極意的な逸話ですね。

そこでいっている意味はもちろん分かるし、
それから、すべての(想いからの)捉われを捨てること、
及び、悟りを求める想いすらも無くなっていてく...的な意味もわかるのですが、
しかし、そういった禅的な教え〜捉われを捨てて心が無になる〜というのは、
ある部分では大きく修行の道程の中では役に立つことはこの私も認めつつも...
しかし、大本であるところのゴータマの説いた解脱へ至る教説そのものとは、
やはり、ちょっと異なるものだろうと私は思う。

まず基本には、
ゴータマが目覚めた人ブッダと成ったという物語を伝える典型的な「仏伝」によれば、
それは悟りを得るまでは決して諦めることなく、死の覚悟を以てあらゆる困難に立ち向かったというものですよ。
六年麻麦の苦行では、その途中、何度もゴータマ死んだと噂されたほどの難行荒行へと挑んだ。
苦行では悟れないとみると、今度は悟りを開くまでは死んでも座を立たないと誓って臨んだのが菩提樹下の瞑想だった。
0262宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:07:50.54ID:HSZNFowA
『【23−06】成道----菩提樹下の誓い
   菩薩が菩提道場に坐し、悟りを開くまで座を立たないと誓う。
[B]仏伝経典
@ NK.(vol.T p.071, 南伝28 p.151);
 菩薩は菩提樹の幹を後にして東の方に向い堅い心を以て「仮令我が皮膚も筋の骨も乾び、全身の肉も血も干乾びるとも、
 我は正覚を成ぜずばこの跏趺坐を解くまい」
G LV.(Lef.p.289, 溝口 p.260);
 ここで、この座の上で、たとえ私の体が干からびようとも、私の皮膚が、骨が、肉が溶け去ろうとも!この、幾多のカル
 パの時間の中で、獲得することの困難な智慧を獲得することなしに、私の体がこの座から動くことはない!
K BC.(12−120);
 ……「余は目的を完遂するまでは断じてこの坐をくずすことなかるべし」と念じて、彼は眠れる蛇のとぐろのように身体
 を凝縮して、最上かつ不動なる結跏趺坐を組んだ。』
(【資料集3】仏伝諸経典および仏伝関係諸資料のエピソード別出典要覧 森 章司・本澤綱夫・岩井昌悟)
http://www.sakya-muni.jp/pdf/03_01.pdf
http://www.sakya-muni.jp/monograph/03/3-1/2527.html

この私が、言いたいこととは、
どんな崇高な想いであろうとそれすらも捉われと欲望となり得るものであるということと、
“真実の自己を求め続ける”ということ、つまり、大乗でいう菩提心かな?
というものとは混同しないよう注意すべきだということ。

>修行の頂点に達して
>そこには
>悟る法という『想い』もなく

いやいや、それは勝義的な意味合いでしょう!?
“ (ゴール地点)には無い”ということであって、
そこに至るためには必ず道標と悟る法(菩提分法か?)がある。
それは、実際にその道程を辿った達成者がそのことを示したものです。

>>258
では、大乗からは完成者は輩出したのか?
0263宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:10:20.95ID:HSZNFowA
>>259
相変わらず、
“デタラメ”ばっかり書かれてあるけれど...

>滅尽定は仏教だけ

だからまず、
その滅尽定を示したというテーラワーダ聖者の具体的な事例を提示してくれ、
と、この私はいってるのですよ。
「誰々が滅尽定を示した」というだけの記述ではなくて、
それはいつ、どこで、そしてどんな...といった具体的な記録なり、またエピソードを知りたい。
千年も二千年も太古の伝説めいた話は辞めてね。

尚、ヒンドゥーにはこの近年でも事例(具体例)は事欠かないから。
こちらは結果が出てるから。
0264宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/02(火) 16:15:36.02ID:HSZNFowA
いつも仏教徒は屁理屈ばかり。
素直さもない

これが私が感じる2chでの感想です。
0265おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 18:21:17.60ID:nAfgARSK
 
>大乗からは完成者は輩出したのか?

ベトナム出身の禅僧
ティク・ナット・ハン
アメリカとフランスを中心に、仏教及びマインドフルネスの普及活動を行なっていた

ダライ・ラマ
1世 ゲンドゥン・ドゥプパ 〜 14世 テンジン・ギャツォ(たぶん中観帰謬)

ダルマキールティ唯識派(たぶん瑜伽行の実践派)

カマラシーラ瑜伽行中観派(瑜伽行の実践派・中観帰謬)

空海 - 真言宗

天海 - 天台宗(江戸の設計をした)

そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっている
という道元 曹洞宗

大乗の立場としては
『釈迦は(上座部系も含めて)大乗の開祖でもある!』みたいな感じなので
釈迦 - 大乗仏教の開祖でもある

大日如来 - 涅槃も含めて
縁起している、すべて一切の諸法

机師匠
承狂師匠
セブン師匠
縁起一代師匠

その他諸々の師匠の方々
0266おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 19:02:27.60ID:nAfgARSK
 
>仏教徒は屁理屈ばかり。素直さもない

その理由は
慈悲の冥想の実践をしてない人が多いから

↓大乗的な慈悲の冥想

↓無明に依存することのない

仏そのもの
仏性からの真如縁起

般若の智慧と慈悲をもって

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

(無明に依存している)
我癡・我見・我慢・我愛(遍計所執性)を手放しできるのなら

素直になれる(かもしれない?)

上座部系とかの場合なら
我癡・我見・我慢・我愛(遍計所執性)を手放しするそのために
四界分別観とか第一禅定とかから始めて逝く

苦集滅道 → そして解脱智見

仏性からの真如縁起をもって
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m
0268おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/02(火) 21:33:12.51ID:nAfgARSK
 
>>267 >俺は違うぞ。(笑)

正真正銘の悪の芦屋道満の弟子である

承狂元密教僧なら大丈夫です

即身成仏、間違いなしで おじゃります

ちなみに
承狂元密教僧は
イヴァン・イリイチのバナキュラーに似てる?らしですね

ということで、とりあえず

大日如来(阿摩羅識)をもって

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ m(_ _)m

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%81
イヴァン・イリイチ

バナキュラーって何ぬねの? おじゃる?
0270おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/03(水) 02:11:31.83ID:BoX9owlk
 
>>269
これを大乗的に説明すると

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して
無明に依存して

我癡・我見・我慢・我愛に依存して

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンという法がある
と掴もうとしている『想い』が、現れ変化して滅している

 − これを対処するために −

無明に依存することのない
仏そのもの
仏性からの真如縁起をもって

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
というアートマンという法がある
と掴もうとしている『想い』も手放して

無明が依存している縁起も手放して、そして

本来自性清浄涅槃

阿摩羅識 = 真我、真如、如来蔵

(↑大乗の場合)
0271ポッタン師
垢版 |
2018/10/03(水) 21:17:16.89ID:SJilpX/0
264.屁理屈の代表者がバカおじゃる、である。大爆笑である。
0272神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/06(土) 14:18:29.84ID:95SAwmUL
>>263
滅尽定に至れるのは阿羅漢だけですが、阿羅漢であることを自ら名乗りでるのは布施がその人に集中するとかサンガの中でも位が上がるとかの利益誘導に繋がるので禁止されています。
なので滅尽定に至った、体験したということもできません。
なぜならそれは自分は阿羅漢であると名乗りでるのと同じだからです。
0273おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/06(土) 17:40:32.23ID:ruhqo0bJ
 
>阿羅漢であることを自ら名乗りでるのは…禁止されています

たとえば
自ら名乗りでるのは禁止されていたとしても

上座部系
マハーシ・サヤドー
サティア・ナラヤン・ゴエンカ
パオ・セヤドー
その他諸々

大乗系
ティク・ナット・ハン
ダライ・ラマ
その他諸々

この師匠の方々の元には
沢山の衆生の方々が集まっている

これから先(仏教も含めて)
宗教に興味がない人々が増えていったら、どうなるのか?わからないけど

宗教(仏教)に興味がないのなら
戒・定・慧
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若

解脱智見する如来も少なくなっていくでしょう。ということで ヨロ m(_ _)m
(大乗の場合は「如来の世界から解脱智見する」という意味)
0274宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:02:53.05ID:+DDYyYVy
>>271
おじゃるさんはとてもよく勉強してる。
そして日々、真理について真面目に思索してる。
少なくともあなたの百倍は進化している。

笑わられてるのは、
あ・な・た!!
0275宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:04:54.17ID:+DDYyYVy
非常におめでたいことで、
日本の京都大学特別教授の本庶佑氏に対して、ノーベル医学生理学賞が授与されました。
本庶氏のモットーは、“常識を疑うこと”だという。論文や教科書に書かれてあることは信じない、と。
それから、「ネイチャーやサイエンス誌に出ているものの9割は嘘で、10年たったら残って1割だ」ともいった。

この私の採るスタンスは、
これまで仏教として信じられてきたことの多くが実は間違いで、実際には違うというもの。
その真実を知っている者はごく僅かしかいないというものです。
こうして、2ch-5chにて投稿を続けてきて、なんともう早10年となった。
これまで何度も私に対する無知な者からの誤解として、
「おまえは神智学の権威付けのために仏教(ブッダ)を利用してるのだろう!」というものがありました。
神智学徒が権威利用を目的に仏教にも手を出しているというものですが、
しかし、事実はその真逆なのであって、元々、一番最初に出会い、そして、学修してきたものが仏教なのでした。
そこで分かったことというのは、本来の正しい仏教を指導しているところは皆無であるということ。
そして、それまで仏教側から一方的に与えられてきた偏見の目を捨てて、自分自身で知ろうとしたものがヒンドゥーなのでした。
私は自分の経験上、クリシュナの教え『バガヴァッド・ギーター』、シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』、
ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』、ラーマクリシュナ・ミッションの書籍、
そして、ラマナ・マハルシの教えを学ばない者は“ヒンドゥーを知らない”と見ています。

それから、また別の顔としては、
現在はあまり精力的に活動していないけれども、地震予知における宏観現象の研究についても長い。
今も登録だけはしているが、以前は「日本地震学会」のメーリングリストにて東大地震研の学者たちとも議論を戦わしたりしてきた...。
彼らの思考は硬直化していて柔軟な発想に掛けており、いつも常識に条件付けられている。
彼らが予知を成功できないのは、その方法が間違っているからに過ぎない。
0276宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:16:28.35ID:+DDYyYVy
>>275
つづき...

学修経緯としては、「仏教」→「ヒンドゥー」→「神智学」の順でした。
ヒンドゥーだけで満足できなかった理由としては、
ヒンドゥーというのはどうしてもインド教としての性質のものだということがあった。
しかし、「神智学」はその枠を超えたものであり、更には「宗教」というカテゴリーすらも脱したものでした。
0277宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:36:31.75ID:+DDYyYVy
>>265
おじゃるさん!

 もしも、大乗の系譜上でそんなに完成者が輩出してるのであれば、大乗非仏説も何も関係ないじゃないですか?
それでは、あまりにもオメデタ過ぎるのでは?
 大乗非仏説だと一体、何が問題なのかというと、それはつまり、ゴータマ自らの経験にもとづいて涅槃への道を語られたもの
が後々の経典となったのだとするのならば、その直説に拠らないで後代の弟子たち自分らで勝手に書いただけの大乗経典という
のは涅槃の経験にはもとづいてはいないので、その記述というものは涅槃行きの保証がまったくないのだということ(そこで大乗
の言い訳としては、ゴータマではない別の如来からの通信なんだとするものであったり...)。

 確かに、どの宗教からでもゴールへの道を上ることができると私はいつも公言してきたけれども、それでも宗教の違いによっ
てはそのレベルが異なり、高度でかつ難解なものもあれば、容易でかつ低レベルのものもある。専門少数派向けもあれば万人向
けのものもある。そして、そこで昇れる梯子についても実に様々で多種多様です。早く登れるものもあれば時間を要するものも
ある。安全なものもあれば、脚を踏み外す危険性の高いものもある。そしてまた、登れる梯子の高さそのものが違ったりもし、
それはちゃんとゴールまで真っ直ぐ届いているものもあれば、途中までしか届かないのもある。
 その場合には、他の道へと乗り換えなければならない...。
0278宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:38:40.62ID:+DDYyYVy
 大乗のためにならないのでハッキリといっておくけれども、世に知られている大乗僧侶の中に完成者などは皆無だと思われる。
空海の場合は、自ら“即身成仏の法”を説きつつ、今も高野山奥の院にて瞑想(生存)しながら救済活動を続けられているものと
信じられていることから、確かに、真言僧と信者の多くからは本物の完成者であると見なされている日本僧侶の筆頭であるかも
しれないが、その空海については、神智学が提示する当時の進化段階は最澄と並んで2.0段階というものです(5.0段階で覚者と
いうこと)。
 以前、一代が完成者として名を挙げた後代における仏教者の事例にチベット・カギュ派のミラレパがいましたが、このわたし
から言わせれば、親族を数十人も呪殺した人間が完成者である筈がないし、当然、その生涯で到達できるわけがないのです。何故
なら、その凄まじい報いを来世以降〜において自ら受けなければならないのだから。
 この空中を自在に飛行したと伝えられるミラレパの進化段階は確かに高くて、3.5段階でした。ミラレパの師(マルパ)について
は、ほぼ覚者に近いレベルの4.5段階でした。その他、パドマサムバヴァ3.0段階、カルー・リンポチェが2.35段階、パンチェ
ン・ラマ(第十代)は1.7段階と公表されています。
 それと、現法王のダライ・ラマ14世はこの私も大好きな方なのですが、しかし、これらの進化段階と比較するならば3段階(阿
那含/不還)あたりか、3段階後半かその前後くらいではないかと推察します。スッタニパータを読めばゴータマの持つ驚異的な読
心術の凄さがわかると思いますが、しかし、ダライ・ラマ猊下は相手の意図すら見通すことができなかったのか? オウム麻原と
好意的な謁見をしたことでオウム教団の宣伝に大いに利用されました(信者たちは猊下を観世音菩薩の化身として崇めますが、法
王も普通の人間であってそういうことはない)。
0279宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:39:56.06ID:+DDYyYVy
>>269
だ・か・ら
〜ちゃんと読みましょう!!

 『「識に縁って名色がある」と、このようにすでに説いた。どのように識に縁って名色があるかというこのことは、アーナンダよ、この
ような観点からも知らなければならない。
 アーナンダよ、もし識が母胎に入らないとすれば、いったい名色は母胎において凝固するであろうか。
Vin~n~a^nam va hi a^nanda ma^tu kucchiṃ na okkamissatha, api nu kho na^maru^paṃ ma^tukucchismiṃ samucchissatha^ ti
 尊師よ、そうではありません。
 アーナンダよ、もし識が母胎に入ってから消失するとすれば、いったい名色はそのようなものとして現起するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 アーナンダよ、もし識が男児あるいは女児にせよ幼児の時に断たれるとすれば、いったい名色は増大し、成長し、発達するであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 それゆえここでは、アーナンダよ、これが名色の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがす
なわち識である。22. Nāmaru^pa-paccaya^ vin~n~a^ṇaṃ「名色に縁って識がある」と、このようにすでに説いた。どのように名色に縁って識
があるかというこのことは、アーナンダよ、このような観点からも知らなければならない。
 アーナンダよ、もし識が名色のもとに依り処をうることがないとすれば、いったい未来に生老死苦の生起の存在が知られるであろうか。
 尊師よ、そうではありません。
 それゆえここでは、アーナンダよ、これが識の原因であり、これが縁由であり、これが起因であり、これが縁なのであり、それがすな
わち名色である。
 アーナンダよ、この限りにおいて、あるいは生まれ、あるいは老い、あるいは死に、あるいは逝去し、あるいは生処に達するのであり、
この限りにおいて言葉の通路があり、この限りにおいて語義解釈の通路があり、この限りにおいて定立の通路があり、この限りにおいて
慧の領域があり、この限りにおいて流転を繰り返し、この況位を表すことになる。それはすなわち、名色は識とともに互いに縁って生起
するのである。(ディーガ・ニカーヤ 15, Maha^nida^nasuttanta /PTS vol.2, pp.55-71)』
0280宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:44:45.84ID:+DDYyYVy
 このように、「識」こそが母胎に宿る輪廻主体だと説いたのはゴータマ御自身ですよ。その宮崎氏の述べているサーティの誤解と
いうのは、「識」もまた縁起によって生じているものに過ぎないのに、これを永久不滅のアートマンだと見なしたことに対するゴー
タマからのお叱りのこと。
 正確には“魂=識ではなくて”、「魂」が母胎に流入することで「名色」と結合して「識」が生じるということかもしれないけれど
も、一般的な簡潔的理解としては、識が輪廻主体の魂であるというものです。ゴータマからのサーティへの戒めというのは、“「識」
(アートマンでないもの)をアートマンと見なすことなかれ”ということ。要するに、アートマンと識(魂)とは異なる別モノだという
ことです。

 この問題について、魂(識)もアートマンも混同してゴチャ混ぜで否定するのがテーラワーダであり、そして、この無霊魂思想に飛
びついて賛同してくるのが唯物主義者たちなのだということ。彼らは仏教徒面(日本僧侶も大勢いる)していても、その中身はただの
唯物論者です(テーラワーダは違うが)。この宮崎哲也氏のことについては、評論家やコメンテーターとしては私も好きなんですけれ
ども、ただし、彼は典型的な唯物主義者なのですよ。
 そして、>>244に抜粋再掲しましたが、玄奘三蔵の留学によって確認されたこととして“インド仏教では消滅寸前まで霊魂を認めて
いた”ということからも分かる通り、後代のあなた方テーラワーダ教団が勝手に無霊魂思想を説いているだけなのです。
 日本の曹洞宗においても、宗門は誤解して無霊魂の態度を採っているから、これは早急に正さなければならないというのが、この
曹洞の禅僧たちによる対談内容の主旨です。>>158-162
 まずは、「アートマン」と「霊魂」をトキトウに混同するのは止めましょう。
すべて、あなた方の勉強不足です。
0281宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:45:56.55ID:+DDYyYVy
>>263で述べたように、
>色界第一禅定
>滅尽定は仏教だけ
などとは、自分たちの無知を棚上げしつつ、まったく以てデタラメばかりです。

ヒンドゥー聖者においては近代においても、滅尽定はもちろんのこと、
そしてまた『ディーガ・ニカーヤ』の『沙門果経』(出家の功徳)において説かれるような
一連の驚異的な神通を自在に発揮することできる方が何人も出現しています。
そう〜まさに飛んだリ跳ねたり、消えたり出現したり、物体を通過したり...
といった文字通りの“自在”であり、それこそ何でもできる。
それらは“霊妙な目に見える沙門の果報”(修行達成の証)だとゴータマはこの経で教えているのです。
これについても、具体的に誰がいつどこで何を発揮したかについて(こちらはいつでもできますが)、
是非、そちらテーラワーダでの記録(千年以上の古過ぎる伝説などは辞めて欲しい)の提示を願いますか?

要するに、
結果が出てるということは、その教えが正しいことの証明に他ならない。
結果の出ないものというのは、必ずそのどこかに間違いが生じている証拠です。
ゴータマは、次に出現される如来(仏陀)は弥勒仏であると予言された。
これは、それまでは生ける如来の出現はないということを意味する。
では、何故に如来の出現がないのか?
その答えは簡単明瞭です。間違ったことをしてるから輩出できないに決まってる
0282宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 04:47:51.05ID:+DDYyYVy
>>272
なるほどね...言い分としては、
まぁ、わかりました。

けれども、
それだと大乗の説く救済活動のために敢えて涅槃に入らないという言い訳と何かダブるような印象を受けますが...
(疑問としては、本当は涅槃に入れるレベルにないことの誤魔化しではないのか?)。

それに...隠そうとしたって?
滅尽定の瞑想状態に入ったのなら側近の高僧(弟子)たちがそれを目の当たりに見てるわけだから、
それを隠そうなどということができるものなのか? 
また、そこまでして必死に隠すようなことなのかどうか?...。
つまりは、要するに情報がないのならぱ信用のできるソースがないということです。
0283神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 05:43:11.33ID:GfCbtrx/
輪廻についてのたとえを思いついた。
色、受、想、行、識、その他もろもろ全てが業として生じては消えていく川の流れのようなもので、
どこにも我や実体は無いのだけども、そこに誰かが竹の籠を投げ込む。この中に入っているものが私だと。
籠の中の水も、外の水も流れて常に変化しているけども、籠は変化せず、上流から下流へと流れていく。
この籠が、「私がある」という思いが、今の生、次の生と、輪廻しながら流れていく。
籠は無明で出来ている。無明が無くなれば籠は消える。
0284神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 05:53:55.47ID:GfCbtrx/
“インド仏教では消滅寸前まで霊魂を認めていた” = 霊魂を認めたのでインド仏教は消滅した。ヒンドゥーとごっちゃになったから。
0285神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 06:02:47.29ID:GfCbtrx/
阿羅漢は滅尽定にも、神通力にも執着しない。どうでもいい。多少欲があっても気にしない。他から見たら普通のオジサン。むしろ変なオジサン。
仏教にも修行にも説法にも興味がない。一休、良寛は完全な阿羅漢。
0286おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/07(日) 06:30:35.43ID:5byRsmqH
 
>輪廻について

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して
無明に依存して

http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
瑜伽師地論(ゆがしじろん)

我愛と戯論と善悪業により輪廻を繰り返す

中論 第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為、言葉による行為、心による行為を行う(カルマを積む)

青目(ピンガラ)の中論 觀涅槃品 第二十五

諸の因縁を受けるが故に、生、死の中で輪転する
顛倒を如実に知らないが故に
五陰を受けることに因って、生と死を往来する
0287おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/07(日) 06:56:17.09ID:5byRsmqH
 
曹洞宗の良寛
臨済宗の一休宗純

(中国経由の)日本の禅宗系も

(中国経由の)日本の天台宗も
仏性を衆生(人間)に限らず
山川草木や生類すべてに仏性があるとする
一切悉有仏性なので

たとえば
『(縁起している世界も)すべて無である!』という
中観帰謬の?机師匠も

そもそも仏法というものは
円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもない
という感じらしい

たとえば
円成実性を見ずして依他起性を見ることはできないので
それゆえに

仮設としての
無明に依存しているのなら
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(の智慧と慈悲)の実践をした方が良い
という気もするけど…
0288神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 07:17:03.17ID:GfCbtrx/
阿羅漢 + 無明 = 凡夫
阿羅漢 = 仏性
仏性 = 凡夫 ー 無明
智慧 = ー無明
仏性 = 凡夫 + 智慧
0289おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/07(日) 08:20:11.31ID:5byRsmqH
 
>智慧 = ー無明

無明ではない。という法がある

(円成実性の否定的側面として)
円成実性という『想い』も手放して
勝義無性という『想い』も手放して
そして
無明に依存することのない
仏そのもの
般若の智慧と慈悲

↑こんな感じ?
0290宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 18:00:59.50ID:+DDYyYVy
>>275
>この私の採るスタンスは、
>これまで仏教として信じられてきたことの多くが実は間違いで、実際には違うというもの。
>その真実を知っている者はごく僅かしかいないというものです。

補足:

〜とはいっても、その大部分については
経典(原始経典)をしっかりと読めば書かれてあることばかりです。
現存する仏教教団が間違ったことばかりとなってしまっている根本的理由は、
大乗のように、勝手に書かれた創作経典に依存していたり、
テーラワーダのように経典(原始経典)の記述に(ごく部分的に)従ってないからです。
0291宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 18:21:47.57ID:+DDYyYVy
>>283-284
いやいや、だから...
「霊魂」は「アートマン」ではなくこれも縁起してる存在に過ぎないのだということが理解できず、
霊魂もアートマンも一緒にしてごちゃ混ぜにしてるというテーラワーダの無知が露呈してる結果ですよ。

>>285
執着してないことはいい(こと)。
がしかし、その結果が出てるのかどうか? ですよ。
結果に執着しないことと、
できないこととは意味がまったく異なるからね。

「仏教にも修行にも説法にも興味がない」
→うーん。これでホントにいいのかな?
かなり疑問だな...

「一休、良寛は完全な阿羅漢」
→コレ、評価基準が低いな...。
しかし、一休に対する評価が過剰に高くて脅かされますね。
多くの場合には、俗物の生臭レベルの評価だけれど...。

まっ、とにかく自分の言葉で自分の見解をしっかりと語れる人間だということはよく分かりました
(あなたが、いつものコピー転載やリンク貼りばかりの長老信者だとするならば)。
0292神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/07(日) 18:53:20.97ID:GfCbtrx/
まぁ輪廻は涅槃に入ってみないと分からないみたいですからね、結局のところ。

一休は27才で大悟徹底ですからね。日本最速じゃないでしょうか。
「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」
この句はヤバすぎます。阿羅漢中の阿羅漢にしか吐けない言葉でしょう。
0293ポッタン師
垢版 |
2018/10/07(日) 19:04:39.28ID:j5+dworw
292.釈迦は迷いを、無くすために登場した。迷ったのはバカ一休である。バカには理解できない。大爆笑である。
0294おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/07(日) 21:55:01.59ID:5byRsmqH
 
>リンク貼りばかりの長老信者だとするなら

(上座部と大乗の世界は違うので)
上座部系を理解した上で肯定して
そして更に
大乗の世界も理解した上で肯定する師匠は
かなり少数のような感じがするので、それゆえに

ID:Fpab4fBX師匠と
ID:GfCbtrx/師匠は別人のような気がするけど、どうなのかしらん?

(『上座部と大乗の世界は相性が悪い場合もある』と言う意味)
  _  _  _

>輪廻は涅槃に入ってみないと分からないみたいです

これも
円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない
般若の智慧と慈悲によって観照された → 依他起性している世界

人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする

(たとえば本来自性清浄涅槃などの)
大乗としての世界観を理解できないと

この意味を理解するのは難しい(かもしれない)
0295おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/07(日) 22:22:13.45ID:5byRsmqH
 
>>294の続き

これも同じことを
何回も書き込みしているけど

たとえば
仮設としての
無明に依存している

おじゃるが

妄想に依存することなく
善悪の判断することなく平等性智をもって

八正道の正見をもって観照することができるのか?

 − これを対処するために −

大乗の場合は
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたってるので
それゆえに

(無明に依存することのない)
仏そのもの
仏性からの真如縁起
般若の智慧と慈悲をもって

八正道の正見をもって → 依他起性している世界を観照する

という大乗としての対機説法
(『上座部系と大乗の世界観は違う』という意味)
0296宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/07(日) 23:36:06.38ID:+DDYyYVy
>>291
追記:

良寛の進化段階は1.4
つまり、預流(須陀洹)〜一来(斯陀含)レベル
(一休については未確認)

>>292
私の場合には、
別に仏教(出会いは18歳頃)に拠って輪廻を知ったのではない。
それは誰からも教わることなく書籍を読むこともなく、
またTVか何かを見ることもなく、自分自身の思索のみでこのことを理解した。
それは小学に入学する以前の幼少時〜小学低学年の間でのことでした。
座禅のような習慣についても、別に誰からも言われずに小学低学年で自然と行っていた。

自分の頭で理解(考えられない)できない者というのは結局は、
自分で(現象を)体験するまでは分からないとなるのか...。

>大悟
>阿羅漢中の阿羅漢

ある種の一つの禅的な悟りに達するということと、
ゴータマの説いた完全な解脱による涅槃の境地とを混同することなかれ!
コレは極めて“重要”なことです。
0297神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/08(月) 01:33:54.90ID:Ew9EBtho
>>296
良寛は泥棒に間違われ、生き埋めにされそうになった時、「これもまた因縁」と言って平気な顔をしていたようです。
欲界に未練が無いようですから、不還果以上でしょう。

輪廻を本当に理解するためには、無明を無くし、行を無くし、生老病死を無くす必要があると思いますよ。
これがある時、輪廻がある。これがない時、輪廻が無い。という事が分かって始めて、輪廻を理解したと言えるでしょう。
しかも理論ではなく、実践で確かめてこそです。
野球のバッティング理論でも、頭だけで理解して、実際に打てなかったら意味ないです。

私は禅の悟りとブッダの悟りは同じものだと思いますよ。
インド、中国、日本、人間は皆同じです。
十牛図は四向四果に対応してるんじゃないですかね。
0298宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/08(月) 02:11:09.48ID:cKDvkk3s
>>28
インド仏教消滅の理由として、
一般的によくいわれるのがこのヒンドゥー化が過ぎて吸収消滅したというもの。

けれども、
霊魂を認めてはいても“アートマンは認めない”というのが仏教徒なのであって、
それはインド仏教であろうと、はてまた日本大乗であろうと密教であろうとも同じく一貫したものですよ。
このアートマンを認めないという断固たる姿勢の無我論を貫くことで、
インド仏教はインドの大衆たちから見放された(入信者が絶えた)、というのが真相でしょう。
アートマン否定(無いという意味において)などというものはインドでは支持されることは絶対にない。
もちろん、当時のゴータマもそのように説いたわけではないことは、
今日の近代仏教学の研究によってすでに明らかなこと
(本当の意味での“無我の教え”は違うから)。

>>291
>まっ、とにかく自分の言葉で自分の見解をしっかりと語れる人間だということはよく分かりました
>(あなたが、いつものコピー転載やリンク貼りばかりの長老信者だとするならば)。

追記:

〜にしては、
どうも日本の大乗僧侶を持ち上げ過ぎの感があるが...。
あなたはいつもの、これら>>259>>269のリンク貼りをしてくるスマナサーラ長老信者ですか?
0299宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/08(月) 02:34:21.90ID:cKDvkk3s
>>297
それはそれで確かに凄いことだと評価はしますが、
しかし、生存に対する執着を捨てて死をも恐れず(死を選ぶ)...
という人間は他にもいくらでもいるし、そして、いましたから。
しかしながら、その時の本人の心境状態だけで業が滅ぶというものではないのであって、
当人がそれを望む望まずとは関わらずに作用するのが業力というものです。
業がある内は本人の意志の内容に関わらず、次の母胎へと宿るのが業報輪廻です。
だったら元々、来世を信じない唯物論者というのは物欲さえなければ、もう不還なのですか?
在り得ませんよ。

>私は禅の悟りとブッダの悟りは同じものだと思いますよ。

まったく別ものですよ。
もしも、そうだったならば(日本仏教で/日本の禅宗で)別に何も問題ないじゃないですか...。
実際、話はそんな簡単なものじゃない。

“禅の悟り”と呼ばれる精神態度は仏道(道のり)修行においては大いに役立つということ。
ただ、それだけのことです。

禅の話を知って感銘を受けるのは良いことだとは思うけれども、
ゴータマの説く教え(ニルヴァーナへの道)との違いが分からないというのは、
果たしてどうなのかな?
0300神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/08(月) 02:39:18.48ID:Ew9EBtho
>>298
ブッダの説いた無我は諸法無我ですよね。
諸法の法は、色声香味触法の法で、意門の対象です。人間が考える物事、概念のことです。
それらに実体が無い。当たり前と言えば当たり前ですが。
だからアートマンであれ、霊魂であれ、思考される全ての「法」には実体は無いです。
なのでアートマンは無いというよりは、アートマンという実体は無い。見ることも聞くこともできない。考えることはできるが。
それについて考える事に何の意味がありますか、苦しみを無くせますか、という事だと思います。毒矢のたとえです。

無明も概念であり、実体は無く、見ることも聞くこともできませんが、無明という概念を利用して、苦しみを無くせます。
無明を理解するという事は真理を理解するという事ですから。

禅にもブッダの教えが残っています。達磨大師も元々テーラワーダでしょうし。大悟徹底、阿羅漢にまで行けば、全ての概念が抜け落ちているはずですから、
小乗だの大乗だのということは関係無くなると思います。捨てるものが無くなるまで捨てる訳ですから。私は通りすがりです。
0301宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/08(月) 03:26:07.15ID:cKDvkk3s
>>300
「捨てるものが無くなるまで捨てる訳ですから」については認めます。
そして、そのあなたの話の大筋には私も同意します。
まっ、良寛・一休レベルはどうかは別にして...。

>私は通りすがりです。

了解しました
(ウ〜ム、やはりそうでしたか...)。
0302神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/09(火) 01:46:22.49ID:K5xvObLt
>>181
> Q1. @あなたは住職ですか? Aそれとも先代が現役なので跡継ぎ(若さん)ですか? 又はその他。
> Q2. 通夜葬儀各年忌法要各種の死者(祖霊)供養の導師(又は時導師や脇導師)は務めますか?
> Q3. @その儀式は遺族や生者の為の? それとも死者当人のため?  その両方の為?
    Aその理由についてもお願いします。
> Q4. 亡くなった家族の死後がどうなるのかについて遺族に訊かれたら、貴方はその時何と説明しますか?

Q1:@ Y。 A先代は6年前に示寂
Q2: Y。 というか、それが主たる業務でしょwww 現代日本仏教では
Q3:@生者の爲でしょ。
   Aイ、(臨床心理学的に)喪失感を受容、納得するため。(の儀礼)
    ロ、(社会学的に)-a、近隣・縁者への通知、或いは代替わりの宣誓・報告
               -b、世間的体裁として。(特に親類縁者が多い・社会的に高い立場にある、など含)
    ハ、(宗教的・文化的或いは情操(教育)面で)
      -a、「死」というものへの接し方(相対し方)の学び・経験
         また、「死」そのものへの理解等
      -b、他者と感情を共有する経験
      -c、社会的に必要な事柄(儀礼)の必要性・世間的位置付けと具体的な取り組み方の学び(確認)

   →仮に(300歩譲って)死後の(別の)生があったとしても、
     当人(死者)にとっては関係ないでしょう?
     その意味で、
     来世や輪廻云々とは全く関係ないところで、葬送儀礼は120%生者の(為の)ものだと思うよ。
     (寧ろ来世があるなら尚更に!)死者にとっては意味がない。
Q4:
  『ものごとが、因により縁により(…御縁・条件」が変わって)移ろい行くものなれば、
  ―それが、新たな生なのか霊としてなのかは分からない(…お釈迦さん以外知りえない)けれども―
  別の在り様へと遷っていった・変わっていった。
  ならば、それがどのような所であるにせよ、その先で安穏でありますように・・ と残された者は祈る。
  それが、葬送儀礼の本義ではなかろうか』
  といった感じか・・。
0303おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/09(火) 04:18:13.16ID:oNOxRoKw
 
>ものごとが、因により縁により(…御縁・条件」が変わって)移ろい行くもの

仮設としての
縁起している世界の中で
縁起に依存して

「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンという法がある。と掴もうとしている『想い』も、現れ変化して滅している

仮和合である
色受想行識の五蘊も
地水火風の微細な粒子に分解して、そして
異蘊相続して
また新たなる誕生としての
地水火風の微細な粒子をもって
色受想行識の
仮和合である五蘊も、現れ変化して滅している

 − これを対処するために −

(無明に依存することのない)
般若の智慧と慈悲をもって

八正道の正見による → 解脱智見
  _  _  _

ちなみに
(無明に依存している)おじゃるの場合は
『仮設としての』という意味で、輪廻肯定で おじゃります m(_ _)m
0304おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/09(火) 09:22:20.65ID:oNOxRoKw
 
↓アニメを上座部的に解釈してみる

http://anicobin.ldblog.jp/archives/54253838.html
ソードアート・オンライン

心とは?



ということで↓

http://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
上座部 パオ・セヤドー

智慧と慈悲の光は、体を包むようなかたちで、光が現れてきます

http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DY/0071/DY00710L019.pdf
大乗 唯識派 ダルマキールティ

光が輝くとき
その輝くこと(照明)を本性とする故
自己自身を照らす
そのように智慧と慈悲も自己を認識する
智慧と慈悲は光の如く
照明することを本性とし
他に依存することなく
自ら輝き現われる

(この後に、中観帰謬 カマラシー ラに論破されるけど、とりあえず)
0305神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/10(水) 00:36:19.99ID:5G89Ggxg
『大般涅槃経』には思想的に重要な問題がいろいろ示されているが、中でも注目すべきものは、入滅の解釈である。
この経典の編纂者たちにとっては、仏陀のような神的存在が普通の人間と同じ死を迎えるというのはあり得ないことであった。
仏陀の入滅には、必ずや特別の理由がなければならない。
そこで、経典は、仏陀に寿命の延長を懇願しなかった アーナンダの過失をあげ、仏陀の教化の因縁が完了したことを悪魔によって告げさせ、
かくして仏陀がみずからの意志で残りの寿命を捨てられた、と説く。
これは、仏陀の入滅が化縁完了による任意捨命であるとする解釈であるが、ここには歴史的存在としての仏陀から、永遠の存在としての仏陀への関心がはっきり示されている。
かかる仏陀観は、後の『無量寿経』や『阿弥陀経』において展開したアミターユス(無量寿)の観念や『法華経』の 「如来寿量品」における久遠仏の思想、
あるいは大乗の同名経典『大般涅槃経』における 如来法身常住の思想につらなるものであり、その思想的意義は大きい。
この点からしても、 『大般涅槃経』は、仏陀の「大いなる死」の歴史的事実に即して、その宗教的真実を明らかにしたものと言うことができるのである。
http://todaibussei.or.jp/ebacknumber/02_01_061.pdf
0306神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/10(水) 00:38:46.55ID:5G89Ggxg
『大般涅槃経』には思想的に重要な問題がいろいろ示されているが、中でも注目すべきものは、入滅の解釈である。
この経典の編纂者たちにとっては、仏陀のような神的存在が普通の人間と同じ死を迎えるというのはあり得ないことであった。
仏陀の入滅には、必ずや特別の理由がなければならない。
そこで、経典は、仏陀に寿命の延長を懇願しなかった アーナンダの過失をあげ、仏陀の教化の因縁が完了したことを悪魔によって告げさせ、
かくして仏陀がみずからの意志で残りの寿命を捨てられた、と説く。
これは、仏陀の入滅が化縁完了による任意捨命であるとする解釈であるが、ここには歴史的存在としての仏陀から、永遠の存在としての仏陀への関心がはっきり示されている。
かかる仏陀観は、後の『無量寿経』や『阿弥陀経』において展開したアミターユス(無量寿)の観念や『法華経』の 「如来寿量品」における久遠仏の思想、
あるいは大乗の同名経典『大般涅槃経』における如来法身常住の思想につらなるものであり、その思想的意義は大きい。
この点からしても、 『大般涅槃経』は、仏陀の「大いなる死」の歴史的事実に即して、その宗教的真実を明らかにしたものと言うことができるのである。
http://todaibussei.or.jp/ebacknumber/02_01_061.pdf
0307おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/10(水) 01:12:29.74ID:4kM/UNz1
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE
サーンキヤ
永遠に変化することのない、プルシャ

↑似てる気がする↓

http://todaibussei.or.jp/ebacknumber/02_01_061.pdf
如来法身常住
仏は、仏滅後も永久に常にこの世にいる、久遠常住

大乗の場合は
無住処涅槃
仏そのもの
仏性からの真如縁起なので

永遠に変化することのない、プルシャとは『違う』という感じもするけど、とりあえず?

ちなみに
アートマンは
「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない。という意味

↑一応、念のため
0308宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/10(水) 01:38:00.06ID:KrR9hEGB
>>302
ありがとうございました。

解答はまったくの任意であるとして、
質問には、応えてもらえなくても仕方ないものと思っていたし、
そのことで相手を責めようなどとは毛頭、思っていなかったけれども、
さすがはセブンだ。

口(言葉)は多少は悪いところがあるけれど、根は正直で誠意がある。
そして、一貫した見解を保持してその信念も強い...。
まっ、さすがわ私の投稿に付き合ってきた十年来の論敵だけのことはある。
(この前、現れた投稿者なんかは、この私が10年前から投稿を続けてきたとを知るや、
ビックらこいて、とてもそんな奴なんかと付き合ってられるかといった逃げて行った)

で、せっかく解答を頂いたので、
ウーム。さてさてどうしましょうか...。
暫し考えます。
0309宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/10(水) 01:39:29.28ID:KrR9hEGB
>>305-306
私が、いつも述べてきたように、
これら仏典の各シーンに登場する悪魔というのは、ブッダの自分の心理的内的な葛藤表現の象徴や文学表現です。
完成者というものは自分の死期は自分で決めるのです。彼らには“無駄ムダ”というものはないからです。
目的や使命(教えを残したり、弟子の指導などの)を全うしたと自己判断したときにこの世を自ら去るわけです。
マハー・サマーディに入って肉体を放棄する(脱ぎ捨てる)か、或いは、自ら事故を引き起こしたり、病気を呼び込みます。
当然、ゴータマの食中毒による病死も自ら引き寄せたものです。完成者にはカルマによる報いの死というものはないから。
そして、その気になれば、もっと延命ができるというのは事実であって、弟子に対する愛情から弟子たちがそのことを強く望むのであれば、
もう少し残ってあげてもよいという感情もあったということ(別に死を急ぐ必要性もないから)。
ただし、そのことをまったく理解できないアーナンダにやや期待外れ感があって、一気に(一時的な延命の)その気も失せてしまったのです。
個人的には大乗経典の記述にはまったく関心がないが、確かに、これらのできごとが、
大乗の“久遠仏思想”のキッカケの一つとなったということかもしれませんね。
0310宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/12(金) 02:55:19.49ID:MtRcM80z
>>299 >>296 >>291 >>277-278
真言宗開祖の弘法大師空海と、
そして、一部の信者たちから絶大に支持されてる日蓮なんかは、
ほぼ覚者(仏)の扱いであったりもするでしょうが、
それ以外の日本大乗僧侶で完成者(阿羅漢以上)だとして紹介されているものを、この私は見た記憶は皆無です。
各宗門におしても宗祖をそのように述べているものを知らないし、仏教解説書の類にもそんな紹介はないでしょう。
あくまでも全員が弟子というとなのであって、修行者の一人に過ぎないわけだから。
0311神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/12(金) 05:04:06.80ID:Bho5Id7l
仏法は書物の中にも、頭の中にも無く、心の中にあります。
無明に覆われていると分からないのです。
0312湖北鈴屋外道「野狐」 屁ッコキマンペ 統失ヒッキー糞雀鬼ィ自我肥大痔がヒデェー
垢版 |
2018/10/12(金) 22:04:09.82ID:aFTmOBBK
問う、門前の痩せ犬にも仏性有りや、答える、有。
又、問う人あり、門前の痩せ犬にも仏性有りや、答える、無。

>公案が進んで無くよくわからないのです、by無頭が故の無脳糞邪鬼

問う、両手で打てば音がする、片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい。

まず初関を透れ。自求(じぐ)自己をこそ取り扱え。

眼は外を見るが、オマイの内側に在るそれは赤肉団上を真人が出入りす、会すや。
糞邪鬼は月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証
命取りの摂心に親子で家族で100回参加と虚飾。
もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ!40回も透ったら、初関を透る、じゃねーべ。

5ちゃんねるの会話はバトル形式、馴れ合いを禁じる。
ググるシッタカ糞邪鬼は、褒めてクレヨの哀願奴隷。
相手を罵倒する悪口雑言の数々は、糞邪鬼へのリアル社会の絶対評価です。
糞邪鬼は「暴れさせて、ゴミがたまったら透明あぼ〜んが適切で決してレスしない事。

 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 || ○荒らし粘着糞邪鬼は無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。
 ||  荒らし糞邪鬼は常に誰かの反応レスを待ち焦がれます。
 || ○荒らし糞邪鬼は、自己の内側、佛心が観ず。
 ||  荒らし糞邪鬼は常に無視され自己存在の確認要求します。
 || ○荒らし糞邪鬼は問いに問いで返す脊髄反射のパープリンです。
 ||  荒らし糞邪鬼は悟前(ごぜん)、金魚ドジョウと救い難い。
 || ○荒らし粘着糞邪鬼の重複スレには誘導リンクを貼って放置プレイ透明アボーンが一番。
 ||  ウザイと思ったら専ブラのNG機能や あぼ〜んを活用。
 || ○放置された荒らし糞邪鬼は煽りや自作自演でアナタのレスを誘います。
 ||  荒らし糞邪鬼にノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。
 || ○反撃は荒らし糞邪鬼の滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。
 ||  荒らし糞邪鬼につけ入るエサを与えない
 || ○荒らし糞邪鬼が枯死するまで孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除です。
 ||                                                 ||
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0313宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/13(土) 01:39:49.94ID:MlSS8k/P
数日前、
不動尊霊場札所の僧侶との対話で頂いた不動尊祭祀に関するアドバイスの一つで、
不動尊へは“榊を供えなさい”というものがありました。
また、参拝礼拝についてはなんと“柏手”も宜しいというものでした。
なるほど...
どおりで春に新勝寺へと行ったときに
参拝者の多くが柏手を打っていたのに驚かされたのでしたが(「ここは神社ではないぞぉ!」と)、
不動尊寺院では敢えて、そういう礼拝も在りなのだということを今回は知らされました。

もしも、
日本人にとっての最高の礼を尽くした祭祀の在り方が神道式なのだとすれば、
不動尊に対しても、その真心を以て示すということは大いに在りだということなのかな?
元々、日本では神仏習合の時代の方が遥かに永かったともいい、特に仏らしからぬ姿である不動尊においては、
より神道的な神仏習合のお祀りはとても良く似合うというのは確かに事実かもしれない(私も自宅ではそのようにしている)。
不動尊巡礼にて、実際に自分の目で見て回ってきた感想としても、尊像の前へと置かれた「神鏡」や尊像上部へ掲げられた「注連縄」。
それから境内に神社同様の鳥居が設置されていたりと、もろ神道祭祀の様相を呈している寺院が随分と見られた。

すでに日付が変わりましたが、
13日(土)は成田山札幌別院の新栄寺にて、
北海道での三十六不動尊霊場開創三十周年記念の大法要があり、
私も家族と一緒に参拝参加してきます。
この日は護摩法要のみならず、「大般若経転読会」が厳かに行われます。
これまでテレビでしか見たことのなかった転読大法要が目前で繰り拡がれます。
そして、なんとこの模様がYouTubeでライブ配信されます。
乞う御期待!!

美しい景観と雄大な自然につつまれた北海道三十六不動尊霊場巡拝の旅
---開創三十周年記念大法要---
(30周年記念法要 YouTubeライブ配信 10月13日 14:00〜16:00)
【北海道三十六不動尊霊場】
http://www.36fudou.jp/index.html
0314おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/13(土) 03:37:09.99ID:8QHjTWvk
 
>不動尊へは“榊を供えなさい”というものがありました

人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする
宗教なので、それゆえに

日本土着の神祇信仰(神道)と
仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された
神仏習合

…神祇信仰と習合しやすい呪術的要素を持ちながら
国家護持や普遍性・抽象性を備えた教説として
諸国神宮寺の心を捉えたのが空海…

http://www.sightsinfo.com/koyasan/mikkyou_1.html
後期大乗密教

仏教はヒンドゥー教に対抗して信者を獲得するため
(ヒンドゥー(バラモン)、ゾロアスター(拝火教)、その他諸々などの)
土着の信仰も取り入れ
呪術や儀礼も強調するようになりました

不動明王
ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン

地蔵菩薩
オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ

普礼真言
一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン・サラバ・タターギャタ・ハンナ・マンナ・ナウ・キャロミ m(_ _)m
0315おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/14(日) 00:08:19.29ID:7jF2Ut/G
 
おじゃるの場合は
「仮設としての」という意味で
幽霊肯定だけど

それでも、とりあえず

↓テレビ局のヤラセか?インチキ霊能力者か?
https://www.youtube.com/watch?v=OKvAKI3oKfQ
0316神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 09:42:31.96ID:2aXGJlQ0
良寛や一休は神通力を発揮できないので覚者ではない
0317宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
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2018/10/14(日) 10:58:19.78ID:pLnsG5GQ
>>313
>13日(土)は成田山札幌別院の新栄寺にて、
>北海道での三十六不動尊霊場開創三十周年記念の大法要があり、
>私も家族と一緒に参拝参加してきます。
>この日は護摩法要のみならず、「大般若経転読会」が厳かに行われます。

先日、お会いした僧侶と、
それから普段から菩提寺での大祭護摩法要など
で助法参加に来られている僧侶三名などとも暫し楽しく対話ができました。
祈念大法要とイベントは素晴らしいものでしたが、
私自身は、不覚にも前日からの睡眠不足にて終始、睡魔に襲われてしまった...。
それから素人感覚としては、転読というものとは起立した姿勢の僧侶複数が
ピタリと息を合わせて見事に経本を流しめくるものと思っていたので、
護摩の最中に内陣を囲んで座っている僧侶たちが、しかも個々でただバラバラに経本を流しめくっていたので、
見ていた印象としてはアレッ?という感じで、かなりガッカリものでした。
割とこんなもんですかね?

ライブ中継は
(携帯から確認したので稼働してることは分かりましたが)、
これはあとで動画としてアップされて見られるようになるのかな?
0318宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/14(日) 11:00:24.67ID:pLnsG5GQ
>>315
これについても私は、
当時はリアルでTV番組を見ています(特番や特筆ものはなるべく逃さないようにしてきた...)
コレ、30年位前の放送なのかな?

幾つかの心霊超常現象の体験があるし、また若い頃から、
一部の能力者の著作なんかや心霊科学による解説著などを読んできたということもあり、
これらのすべてを理論値でごく普通に理解してるつもりなので、別に何一つとして“不思議だ”
と驚かされるものはこの私にはない。ただ能力者個人のその能力差と人格や人柄の違いがあるということが大きい。

これらの心霊に関する憑依や霊障を氷解至らしめることが十分に可能な宗派は、
ほぼ台密と真言宗だけだといってもいいと思う。たとえ霊に対する正確な理解が不足していても、
時に大きな効果が期待できるのが密教僧侶による供養修法です。
そのための仏教よりも古く数千年と継承され続けてきた呪法伝統なのだから、当然のことです。
(その他、各宗においても基本的に僧侶による慰霊供養の行為には障りを鎮める効果は有る程度ある)
あとは、神道系の能力者と、個々の霊能力者たちに頼らざる得ないかもしれない...。

>>316
まったく同意。
0319宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/14(日) 11:27:51.78ID:pLnsG5GQ
追記:

実際に霊視能力があり、
直接その霊存在を確認しながら対処できる僧侶が比較的多くいるのが密教
(また例え、霊視能力がその僧侶にはなくても一定の効力を発揮できるのが密教です)。
>>183を参照のこと

その他の宗派にも、
個人的に能力も持つという僧侶も中にはいるけれども割合的には圧倒的に少ない。
そして、唯物論化してる僧侶や無霊魂論で洗脳されてるテーラワーダ僧侶なんかに
霊障苦悩について相談したところで救済されることはない。
“無知”は罪。そして、愚かだということ。
0320宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/14(日) 12:34:04.26ID:pLnsG5GQ
>>313
>美しい景観と雄大な自然につつまれた北海道三十六不動尊霊場巡拝の旅
>---開創三十周年記念大法要---
>(30周年記念法要 YouTubeライブ配信 10月13日 14:00〜16:00)
>【北海道三十六不動尊霊場】
>http://www.36fudou.jp/index.html

〜6:12  映像タテ撮りミス
 1:15:58〜転読開始(護摩の炎が上がる少し前か?)

*私、宝珠(ワインカラーのシャツ)の映り込みシーンあり!!
私の左側(黒地に白線チェックのシャツ)は妻
 15:13〜15:45
 16:37〜18:01(17:54-左横顔あり)
 1:16:14〜1:16:46
 1:18:33〜1:18:35 (最大アップ)
 2:18:40〜2:18:50 太鼓演舞(階段での立ち見姿が一瞬だけ)
https://www.youtube.com/watch?v=6DxHBQFrLCM
0321神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 13:02:14.03ID:73mnyNyy
>>316
堅固経に、神通力は恥だ、避けよと説かれている。
サーリプッタ尊者に神通力は無かったらしい。
神通力の修行と解脱する為の修行は別。
0322おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/14(日) 20:34:09.56ID:7jF2Ut/G
 
おじゃるの場合は
上座部系の
菩提分法の
四神足の
(平等性智による、智慧と慈悲による)神通力の肯定だけど

たとえば(中国経由の)日本の禅宗系とかの場合は

そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
修行したり、悟り証したりすることもないはずである

たとえ、自らの仏法の理解を誇ったり、悟りを多く重ねたと自負し
僅かな智慧と通力をもって仏道を得た、心を明らめたといって有頂天になって騒いでみても
それはほとんど自らの解脱の道をふさいでしまっているのに等しい
  _

ベトナム出身の禅僧の
ティク・ナット・ハン場合は
マインドフルネスの普及活動を行なっていたので
たぶん上座部系の四神足(神通力)も肯定だと思う
0323神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 20:55:42.88ID:gWB5v8Nc
このスレの住人なら、勿論見たよな?w
https://www.nhk.or.jp/aibeginner/01/airchive.html?02
Eテレ初回放送日時:2017年10月13日(金)午後10時00分 第2回「感じる」

強いて選ぶ一言。 「身体(感覚)無しに、知能なぞあり得るのか?」

重いフレーズだねぇ・・・。

勿論、番組中の扱いは、≪人間の(赤子から大人への)成長過程に於いての学習≫についての台詞だけれども、
それは、実践・体験無しに「お悟り(智慧)」はあり得るのか?
という問いと同じなわけで・・。
番組中でも、「(ガラスケースの中で)脳だけで生存している生命があったとして、その知識は、果たして本物か?」
という台詞として俎上にあがってもいたけれど。

(余談:ゲストは為末だったけど、最適なゲストだったと思われる)


http://www4.nhk.or.jp/aibeginner/
https://www.nhk.or.jp/aibeginner/01/index.html#sec-archives
0324神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 20:59:51.00ID:gWB5v8Nc
で、この一点で、袴谷松本路線は瓦解してしまうわけで・・・。
0325おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/14(日) 21:02:48.28ID:7jF2Ut/G
 
>神通力の修行と解脱する為の修行は別

おじゃるの場合は
呼吸を3秒も観ることも出来ないので

『四神足(神通力)と涅槃と関係がある』とは断定できないけど
多分『四神足(神通力)と涅槃と関係がある』という感じもする

↓大乗の世界観による説明として

仏そのもの
仏性からの真如縁起

これが
菩提分法の
四神足(神通力)の
般若の智慧と慈悲をもって → 依他起性している世界を観照する

平等性智もって → 世界を見る

仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる

http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
四神足(神通力)の、智慧と慈悲をもって
無の世界も超えて
移り行く世界の様を、ありのまま見つめている

(たぶん↑これが大乗の世界観)
0326ポッタン師
垢版 |
2018/10/14(日) 21:22:58.25ID:x0vtoEWv
325.馬鹿丸出し、である。
0327おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/14(日) 22:19:23.50ID:7jF2Ut/G
 
おじゃるは貧乏でテレビがないので↓とりあえず

第2回「感じる」 人間ってナンだ?超AI入門 NHK
https://www.youtube.com/watch?v=annGFV6yMkI

元陸上競技選手 為末大
「(人間は)自分を知らない生物である」

お笑いタレント 徳井義実
「(人間は)データの集まり + αである」
  _  _  _

↓おじゃる妄想の場合は、輪廻肯定なので

無始からの無明を持って(輪廻を繰り返して)
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている
無明薫習をもって

無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為、言葉による行為、そして心による行為を行う(カルマを積む)

渇愛が生じると誤ったあり方を掴んで離さない固執も生じる

遍計所執性
我癡・我見・我慢・我愛
貪・瞋・痴
0328おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/14(日) 22:39:00.31ID:7jF2Ut/G
 
セブン僧侶は
「如来蔵思想は仏教ではない」という
松本史朗の肯定派なのかと思ったけど

>この一点で、袴谷松本路線は瓦解してしまうわけで…

大乗の立場としての対機説法としては
(セブン僧侶も?)
とりあえず
如来蔵?真如縁起の肯定派ということで良いのかしらん?

(「仏そのものからの縁起もあるからこそ成仏する」というような対機説法として)
0329承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/14(日) 23:10:29.42ID:y5Ep86+N
>>323
>脳だけで〜果たして本物か?

本物に決まってんだろ。(笑)
水槽から出して人体に移植したら、その瞬間から本物になるとでも言うのかよ。(笑)

(^。^)但是一心作だろ。(笑)
0330承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/14(日) 23:24:40.32ID:y5Ep86+N
>>327
「輪廻肯定派なので」

仏教内で「輪廻否定」ってのは「生まれ変わり」の否定であってサンサーラの概念自体を否定してる訳じゃないとおもうよ。
要は解釈の違い。

(^。^)一切が縁起して仮設してるんだから、個人の魂が謎の「輪廻」システムで人体から人体に必ず憑依し続けるなんてのは仏教的にはおかしいよね、って話でしょ?(笑)
0332ポッタン師
垢版 |
2018/10/14(日) 23:33:32.87ID:x0vtoEWv
327.バカ丸出し、である。大爆笑である。
0333神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:42:31.94ID:gWB5v8Nc
>>329
そうじゃなくてw

(身体的)感受無しに経験はないだろ?と。

湧き水の冷たさを、≪【文字(≒知識)から】【『知る』(実感する・頷く)】ことができるのか?≫ という話。

らしくない愚かさだな  >>しょきょたんたん
0334神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:43:51.73ID:gWB5v8Nc
つか、あのセリフは、番組見てないと(→文脈を把握してないと)わからんかもしれんけどw

それは、
文脈読めなかったら仏典を読めないのと同じかも。
0335神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:48:33.20ID:gWB5v8Nc
>>329
もう一つ言えば、それ(329)は、
「来て見よ」と言われる涅槃も、「【来なくても】見れる」、と言ってるようなもんだw
0336神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:51:09.68ID:73mnyNyy
まず前提がおかしい。
人間から脳だけ取り出してはいけません。
0337承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/14(日) 23:51:49.15ID:y5Ep86+N
>>333
五蘊具足せざれども、唯、識を以て成仏を説く連中もいるだろ。(笑)


(^。^)1足す1を知るのに感覚器や対象が必要か?って話よ。(笑)
0339神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:54:03.72ID:gWB5v8Nc
>>337
なるほどw

身体と心は別だと。心だけですべてが成立する、と。
そういうことで宜しいか?www
0340神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/14(日) 23:56:18.52ID:gWB5v8Nc
>>337
感覚器(≒身体?四蘊?)無しに、何が存在し得るのか?と。
勿論、宝珠や在家やカラスやその他は、そっちだろぷけどなwwwwwww
0341神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 00:02:51.91ID:SbM48jjJ
地でも水でもなく 火でも空気でも虚空でもない
感覚器官でもなければ これらすべての集合体でもない
これらは移ろいやすく はかないものだが
自己は 熟睡状態によって証明されるように不変である
私は唯一なるもの 自由にして幸いなるもの
ただそれだけが 存在する


自己は遍在し 真理と一体であり 他に依らない
実体のない現象界はすべて自己ではない
私は唯一なるもの 自由にして幸いなるもの
ただそれだけが 存在する
0342承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 00:05:26.13ID:0H6kwMxX
>>336
(^。^)頭部移植手術しちゃう時代だかな。(笑)

>>340
まぁ、どちらかと言えば俺もオカルティスト側だから。(笑)

「空中ないし無意識界」の一文を俺は単純にそうした区別なく縁起しているものと捉えてるくらいだから。(笑)
0343神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 00:06:25.68ID:byHRJhh4
だからw
身体無しに、何が経験・学習(体得)・実感できるのか?という話。 >>341


 ┐(´ー‘)┌  



寝る ノシ   了解w>>342
0344おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/15(月) 00:19:02.43ID:hlOvjCLB
 
>身体と心は別

という説明も、ちょっとどうなのか?という感じもするけど

↓瑜伽(ヨーガ)の実践をもって唯識の体験を得て教理にまとめて

仮設としての
心(識)は仮に存在すると考え
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする
  _  _  _

「最終的には」というよりも
大乗の場合は
そもそも仏法というものは円満に全てのものにゆきわたっており
それゆえに?

↓法界体性智(大日如来の智)

大円鏡智からの → 阿頼耶識
平等性智からの → 末那識
妙観察智からの → 第六意識
成所作智からの → 前五識
0345神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 00:40:10.79ID:qk0BDftI
いわゆる「こころ」とは、体験による「信号入力」と、その蓄積・・・即ち、ニューロンによる
コード化による保存(一般にいう記憶)に基づく情報処理の過程のこと。

つまり、入力機関が完全に封鎖されている脳には、情報の蓄積がゼロなわけで、
認識、判断、思考等の精神作用は不可能。

赤ん坊に則して言えば、感覚器官の形成以前には、いわゆる「こころ」と言われる
精神作用はないと思われますね。
0346承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 00:43:36.99ID:0H6kwMxX
オジャルさん用にチョイとまとめ。(笑)
「感覚器無しに体験など出来ない」というのは、一つの現象だけ見て
対象➡感覚器➡認識➡対応➡一連を概念的に把握
と時系列から判断したものだが、
此に対して概念的に把握した認識群から更に着想する、想起することもあるし、それにより起きる対応もあるとした訳だ。
しかし、この対応も先の時系列の中でしかないから、過去の経験が全く無いなら起きないと言える。
故に「感覚器無しに体験など無い」とも言える。
物理科学を基本にすればね。(笑)
我らオカルティストは、物理法則外の何物かを想定してるから、それでもあるという訳だ。(笑)

(^。^)おかわりか?(笑)
0347おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/15(月) 00:51:31.07ID:hlOvjCLB
 
オカルティスト側

隠されたものを語源とする
目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する
オカルト(occult)は、秘学・神秘的なこと・超自然的なもの

人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする
宗教(religion)

暗黒物質(dark matter ダークマター)
ダークエネルギー(dark energy 暗黒エネルギー)仮説上のもの

量子力学(quantum mechanics)
ニュートン力学などで成り立っていたような因果律が成り立たない
実在論としては記述できず、非実在論的である

科学崇拝
科学"だけ"でなしうるとする信仰である

カトリック司祭、ジョルジュ=アンリ・ルメートル、膨張宇宙論を提唱

【ガチ科学】人間の意識は宇宙法則とリンクしていた
https://tocana.jp/2017/01/post_12093_entry.html

【ガチ】科学者が本気で議論「宇宙には原意識クラウドが存在し、人間も接続されてる」
https://tocana.jp/2017/07/post_13673_entry.html

そして、おじゃる妄想 『(落武者の)幽霊もいる!』
0348承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 01:02:01.92ID:0H6kwMxX
>>347
ダークマターやダークエナジーは、科学的データを基に数学的に導きだされた論理的に存在するべきもので、オカルトじゃないよ。
そして唯識が外道でないなら、その対極の唯物もまた法です。(笑)

(^。^)全てはね、全部ひっくるめて全てなんだ。(笑)

世の中には様々な立ち位置があって、全てが縁起してんだ。
あんたはあんたが安心出来る立ち位置に立つってだけ。(笑)

おしまい。(笑)
0349おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/15(月) 01:11:26.12ID:hlOvjCLB
 
>我らオカルティストは、物理法則外の何物かを想定してる

ふむふむ =^・ ・^= にゃるほろ

3.0のpodcast法話の場合は

無明薫習している世界の中においての過去からの相続と

仏そのものの世界と

二重構造になっている

という感じの対機説法になっちょります

おじゃるは
仮設としての
自分の呼吸を 3秒も観ることも出来ないので
それゆえに
解脱智見という体験もないので、わからないけど、とりあえず

『円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない』

みたいな感じで おじゃりますな?
0350おじゃる? ◆OzyaRuxKgo6o
垢版 |
2018/10/15(月) 01:47:54.25ID:hlOvjCLB
 
>その対極の唯物もまた法です

仮設としての
縁起している世界の中において
縁起に依存して

たとえば
霊的(精神)世界を中心としている
宝珠殿とかの場合は
「…である」と定義することはできない
「…である」ものではない
アートマンという絶対的な法がある
  _

唯物論とかの場合は
「唯物論こそが真理である」という法もある
  _

霊的(精神)世界を中心としている立場と
唯物論は相性が悪くて対立する場合もあるけど

縁起している世界の中においては

>全部ひっくるめて…全てが縁起してんだ

縁起一代阿闍梨と同じような感じになりましたね?

(縁起一代阿闍梨も
  無明依存の縁起については詳しく説明してたかもしれないけど
  真如縁起については詳しく説明しなかったような気がする…)
0351宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/15(月) 12:21:51.14ID:+Jv5CU7g
>>321
それは神通力を、
客寄せのための見世物や売り物にしてはならない、
という意味ではないでしょうかね。

もしもそうでなしに、
本当にただ神通力を持っていることや発揮することを恥だなどと考えているとするのならば、
それは自分が神通力の無いことに対する相手への嫉妬ではないか、とも思えてしまう...。

まず第一に、
“物質(界)を自在にコントロールする能力”すらも獲得してないのであれば、
とても完成者であるなどとは到底、思えません。
であるから、ある意味で阿羅漢というものは上座部(パーリ聖典)の低き悟りだとした大乗の見方は、
結果論的には正しかったともいえるものと思う。
いくらゴータマの直指導を受け、また素質が堅く優れた人材が多く集結したものとしても、
阿羅漢の輩出し過ぎでしょう。五百羅漢が過剰表現の神格化だとしてもです。
ということで、上座部のいう完成者の阿羅漢というのは、
ブッダと同格同質の境地とはとても思えないということ。
正直、ブッダよりも一歩も二歩も低き境地です。
だから、ゴータマの次の仏陀の出現は弥勒まではないといわれるのです。

とはいえ...
取りあえず「阿羅漢」というものは、神通無しも在り得るということで、
どなたか“戒定慧の三学と解脱の関係”について説明出来る方は、
何卒、宜しくお願いします。
0352宝珠真範@迦楼羅 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2018/10/15(月) 12:23:29.23ID:+Jv5CU7g
>>333 >>340
神智学の理解では、
ある段階に達したイニシエートの弟子というものは、
睡眠中において肉体を抜け出したアストラル体にて経験学修を得て肉体へと戻って来るものとみています。
これは肉体が在ってのことだけれども、
しかし、肉体には拠らない経験学修をしてくるという意味では考慮の余地がある話です。
チベットの高僧においても、睡眠中や瞑想におけるアストラル体上での経験学修はごく当たり前の話なのです。
中には、地球すらも脱して外宇宙の旅をして帰って来る僧侶すらもいます
(剛力ちゃんの彼氏ZOZO前澤社長の説く宇宙旅行の必要なしに...)。
これが単なる空想話ではないというのは、そのアストラル体での経験内容はすべて事実と合致するものであり、
肉体的には未経験の事柄の筈であってもその獲得経験は自分のものとなっていることからみても、
デタラメなどではないということなのです。

それから脳神経科学の理解というのは未熟であり、間違ったものであって、
それは、それまでは脳と神経組織の活動ですべての臨死体験を説明できるとした脳科学者が、
なんと自分自身が瀕死の状態に陥った究極の臨死体験をしてしまったのです。
彼は、この時の手術の全記録を動画付きで残していたので、
自分の状態が完全なる脳死状態の期間(医学上の死)を持つことを認めています。
しかし、その間においても意識は活動し続けていたのであり、
そして、肉体とはまったく異なるところ(霊的な状態)で経験を獲得したのです。
彼はこの不思議な体験を通して、それまでの唯物論の間違いを認めるようになり、
死後の世界と霊は実在するものだと講演して歩くようになりました。
このように、
それまでの脳神経科学の理論や唯物論の間違いを認めて霊界を信じるようになった、
という科学者は世界中に何人でもいます。
しかし、その逆である霊界を信じていた者が唯物論を説く科学者となった、
という事例は一つもありません。
0353神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 13:29:55.63ID:0EyNIxov
参考までに。
臨済義玄は臨済録の中で、六門の空相を観る事が真の神通であり、
いわゆる六神通は呪術のようなものだと軽視しています。
すなわち解脱にこそ価値があるのであって、神通は有為、業をつくるものであるから価値は無いと見ている訳です。
ただ漏尽通によって解脱できる訳ですから、解脱の為の神通には価値があるでしょう。
禅宗は神通力によってではなく、八正道によって解脱を目指す立場でしょう。

また阿羅漢果に至れば、もう存在としては捉えられなくなる訳です。
自分に対しても、世界に対しても、全く心が動かなくなっているはずです。
そうなれば、神通力にも、ブッダにも、三界の全てに対して、意味も価値も感じないでしょう。
そのような阿羅漢にとっては、「完成」「境地」「悟り」などは存在すらしてないはずです。
ですから生命としては阿羅漢で終わりです。
0354神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 17:04:06.46ID:byHRJhh4
>>352>>342もだけどw)

>>335というレスも入れてあるのに、全員、ここを無視してるもんなぁ・・w
敢えてなのか、ほんとに気付かんのかしらんけど。

「修行や瞑想(坐禅)の必要がない」ってこととイコールなんだけどね・・・。 >>「感覚(器)無しの悟り」
ポテチほうばりながらスマホで仏典読んでたら悟れる仏教なら、
そんな楽な話はねーよ(泣w
0355承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 18:45:37.46ID:ZvtuUjAi
>>354

独覚さんって修行や瞑想(別物とは知らなんだ(笑))するんですかね?(笑)
聲聞さんは修行しなきゃダメなんですかね?(笑)

(^。^)そもそも「修行してる私」なんて意識してるなら、アータまだまだなんじゃないですかね?(笑)
0356神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 19:22:18.69ID:byHRJhh4
>>355
お前さんこそ、「修行」という単語に縛られてんじゃねーかwww

「脳味噌に情報流し込めば悟りだ」という言い方を許容するかどうか、って話なのに。
Eテレの番組は、殆どオンデマンドにならないから何だけれど、実際に視聴してから文句言え!
と言いたいくらい。
あれ、AIが人間に近づくとはどういうことかという番組だから。

ま、それを抜きにしても、 『文字を追えばすべてを知る(→自らの体験とする)ことができる』 というのがオカルティストなんだ。
初めて知ったわw
0357承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 19:32:13.30ID:ZvtuUjAi
>>356
いやいや、(笑)
文字読むのも無しで、って話ですよね、独覚さんって。(笑)
で、多分大抵のオカルティストはそうだと思うけど、
AI がいくら進んで、量子コンピューターとか出来たとしても、魂は宿らないと考えてますよ。(笑)
もっと言えば脳髄作用だけでも魂は宿らない。(笑)

(^。^)どれだけ経典読んでもそれだけでは単なる情報入力だけ、ってのはここの連中でも知ってる事ですよね。(笑)
0359神も仏も名無しさん
垢版 |
2018/10/15(月) 20:37:50.54ID:2Kwcu8Ai
モッガラーナってサンジャヤ聖人に弟子入りしたときには既に神通力を使えたんじゃなかったかなあ!?
相棒の舎利弗はアッサジとあって縁起についての概略を教えてもらったときに預流の悟りに達したというがモッガラーナも悟りのレベルでは同じだと思う
つまり釈迦教団に弟子入りした時点ではまだ預流でそのからたちまちに二人とも阿羅漢になったのだろうがモッガラーナは預流以前の段階で神通力を使え
一方の舎利弗は阿羅漢に達しても神通力を使えなかったと

仏教の覚者レベルと神通力は関係ないのではないか?
0361承狂 ◆AHZLgKnOHuTj
垢版 |
2018/10/15(月) 21:05:30.74ID:ZvtuUjAi
>>358
長くなるし、スレの主旨からも外れるので、てすスレにまとめて書くことにします。

(^。^)まぁ、忙しいだろうから見なくても良いよ。(笑)のし
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