【仏教】 悟りを開いた人のスレ307【天空寺】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ鬼和尚さんに教えて頂いたパーリ仏典経蔵中部第57経『犬行者経』もありますね >>922
横からすみません。
「心を求むるに不可得なり」と言いますが、あなたはそこに真理を見られるのですか?
見られる心がそのまま見る心ではありませんか? >>910
全ての経典において「アートマンはない」と断定していないのなら「無我説と輪廻の矛盾」と言う設問自体がナンセンスだわな
スッタニパータの4章での見解を立てることの否定
…当時のインドではバラモン教の有我論だけではなく六師外道の何人かに見られる無我論もあるよ
スッタニパータよりも後代の成立とみなされるが梵網経には62の見解が紹介されていてその中にはアートマンはないとする断滅論もある
http://www.ko-kon.net/religions/buddism/62ken_03.html
見解を立てることを否定しているのなら断滅論も否定されるものである
5章は学生ウパシーヴァやピンギヤへの質問に対しては輪廻前提で問答している
http://suttanipata.com/
1119は「自我に固執する見解」とは何であるかの検討が必要
しかしいくら検討しても答えは出ないだろうけどね >>44
縁によって現れている
現象は
わたしの為すことではなく
自然にある
としても、ある人は幸福に見え、ある人は不幸にある
思い違いによって、わたしが抱えている業の因子がとれないでいると同じようなことになっていくのだが、私だけでは、気づくことが難しい >>925
>全ての経典において「アートマンはない」と断定していないのなら「無我説と輪廻>の矛盾」と言う設問自体がナンセンスだわな
は??
仏教は、「アートマンはない」との断定記述は経典に見られないが、(その言明を釈迦が避けた理由は諸処あるが・・)、 無我を支持するのは、仏教各宗派に通底する
教説なんだが。 お宅がどこの宗派だか知らないが、お偉いさんにアートマンを
支持しているかどうか? 聞いてみなw
(ただし、アドヴィタ系なら知らんw)
そして、輪廻は常に「何が輪廻するのか?」が問題となって「輪廻する基体」を設定してしまうとアートマンの否定、即ち無我に抵触してしまうから問題とされてきたの。 論点わかってるの?w >スッタニパータの4章での見解を立てることの否定
>…当時のインドではバラモン教の有我論だけではなく六師外道の何人かに見られる>無我論もあるよ
・・・・・これ以下は何が言いたいのやらもわからんw
断見、並びに 常見 の二つを共に、釈迦は退ける・・・ことは知っているよね?
>見解を立てることを否定しているのなら断滅論も否定されるものである
wwだから無記なんでしょ? 心の問題として視座をおけば、牛になれば「モー」ヤギになれば「メー」って、本来、牛は牛のままにヤギはヤギのままに解脱しているという自覚があれば、輪廻を問題としないと思いますけどね。 >1119は「自我に固執する見解」とは何であるかの検討が必要
>しかしいくら検討しても答えは出ないだろうけどね
いやいや、一般的に 普通に解釈は定まっていると思いますよ。
換言すれば、・・・・・
自我⇒「自分、即ち、『我』 というものが、あると思っている通常の認識」
普通の人は、「自分」というものがあり、また、それが当然と思っていて、
そこに疑いを挟まないのが普通の見解。
まず、そのような見解を離れなさい。
ということだよ。 それは、続く「世界を空と観ぜよ」 から明らか。
この「世界」は、通常の認識対象たる外部世界は勿論、「自己も内包した」意味ですな。
自己も空。 一切皆空さ。
その他にも「名称と形態」による錯誤を正しなさい。 という言い方でも説かれているが
それも同じことw 「そんな事をしたら犬に生まれ変わりますよ?」って言うのと「食べてすぐ横になったら牛になりますよ?」って似てる気がしてね。
お釈迦様の輪廻に対する態度も実際にはそんなもんだったのでは? 仕事しないで能書き垂れてばかりいては
糞凡愚になりますよ。 こんにちは^^)
ジャンキー大山さんって仕事してないの? 最初は営業の仕事をしているとほざいていたけど
糞凡愚に社会性がまったくなかったので、でおーが問い詰めたら
開き直ってニートを認めた(笑) その前にも妻子持ちをアピールしていたけど
どう見ても妻子がいるように見えないので、妻子持ちのリアリティのなさから疑問を投げかけると
それ以来妻子持ち設定を封印した(笑) >>924
心を認識作用と同一視すると、認識を認識するとはどういうことかと、混乱します。
心は、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊からなります。見るというのは、観察する、念じる、気づくという意味です。
まず受蘊を観察します。人間の感覚は常に生滅変化しています。
ゆえに虚しく、実体はありません。因縁により生滅しており、私の思い通りになるものでありません。
想蘊を観察します。思考、イメージ、妄想、概念などは常に生滅変化しています。
ゆえに虚しく、実体はありません。因縁により生滅しており、私の思い通りになるものではありません。
行蘊を観察します。意志、志向、欲求などは常に生滅変化しています。以下略。
識蘊を観察します。認識、判断、意識は常に生滅変化しています。以下略。
しかしこれらはかなりの集中力を要します。レベルが高いです。
ですので四念処の順番でやるのが良いです。身、受、心、法の順です。
上に書いたのは、四番目の法念処です。 >>937
内容から察するに、上座部系の方ですかね?
一応、仏教関係の研究機関に出向してましたし(総合職ですがw)、現在も臨済宗の老師に参じており、なんとか最初の一関は通らして頂きましたし、基本仏教の話は私には一切無用です。
で、
>心を認識作用と同一視すると、認識を認識するとはどういうことかと、混乱します。
という事ですが、心は認識作用に他なりませんし、混乱も生じませんと思っております。
確かに、混乱が生じやすい問題ではありますが、そこら辺は唯識の四分説で明確に分析されておるようですよ。
則ち、認識とは自証分で認識の認識(メタ認知)は証自証分で、自証分が証自証分を相分とするので、無限遡求は生じません、って事だそうです。 >5章は学生ウパシーヴァやピンギヤへの質問に対しては輪廻前提で問答している
ちと補足説明しとくが・・・・
ウパシーヴァの話のどこが輪廻前提なのかわからんが?w
あれは、通常、「十無記」の話のルーツとされるものなんだが。
ピンギヤの話は、それこそ、最古層の中で、数少ない「輪廻を想定させる表現」の例として
あげられる。 (詳しくは並川などの研究参照。)
しかし、それも全体を通して読めば明らかなように、「輪廻を説いている」わけではないの。
「再び再生しないようにせよ」 って、とこねw
あれは、あくまでも、その前に述べられている教説が主眼なのであって、
「〜〜〜〜〜〜のように心がけなさい。」が主要項目なわけ。
そして、最後に「輪廻を断ち切れ」的な「叱咤する」語句が続く。
このパターンは他にも見られるが、全て「否定的な意味」で言及されている と
並川言ってるけどね。
なぜなのか? 言うまでもなく当時、インドでは「輪廻転生が常識」として受け取られてたの。
そして、輪廻は苦 として認識されて、「輪廻しないようになること」が目的として、
バラモンは修行していたわけで、 一般民衆にも、釈迦の多くの(輪廻を信じ込んでいる弟子たち)
にも、輪廻に絡めて教えを説く方が理解されやすいわけ。
(釈迦の弟子には多くのバラモンがいたしね。)
言い換えれば「方便」さ。 それで、きちんと「理解するべきこと」がわかるのならばOK
というのが釈迦のスタンスw
だから「前提」というのは間違い。
その証拠に、各、釈迦の言説から「輪廻に関する部分」を除去して読んでみな。
全くそれらの言説(輪廻に関する語句)が、釈迦の教説の趣旨と関係なく、
意味内容が変化しないのがわかるから。 >>939
そうですか。
ではしっかり実践してみて下さい。
心は認識作用よりも複雑で広大なものだと分かります。
唯識の説も必要無い事も分かるでしょう。
論より証拠ですからね。 >>927
だから釈迦はアートマンはないと断定してないのに「ないと断定していることにしているその仏教各宗派」がおかしいのさ
「釈迦はアートマンはないと断定してない」それで本来は話は終わりだよ
君が聞いてみなよ「釈迦はアートマンはないと断定してないのに何故お仏教の偉いさん方はアートマンを支持しないのですか?」って
それともう一つ「釈迦は輪廻転生は説かなかったのですか?」って
>>928
>>910で君が書いたことを再読してみなよ
>4章では、「見解を立てることの否定」・・・・即ち、当時のヒンドゥーにおけるアートマンの
>主張に対するアンチテーゼなんだが・・・
このレスを受けてその見解が有我論のみに限定されるのがおかしいという話をしてるのさ
@我は色があり、四大要素から成っている(肉体)が、身体が滅ぶと滅亡し、死後には存在しなくなる。それを根拠として死後の断滅すると主張する。(51)
こういった見解を立てることも否定されなきゃならない
>>931
上の話から自我に固執する見解とは「自我はある」という見解のほかに「自我はない」という見解もあるかもよ
釈迦は見解を打ち破ると同時に見解を立てることも否定してるのだからね
有我にも無我にも固執しないのが死王から逃れる術なのさ
固執は渇愛をもたらすからね めちゃめちゃ混乱したレス書きながら
混乱しませんと思います
だってさ(笑) 現代は現実の仕組みがあからさまに覚醒されている野鴨。仕組みは良くも悪くも関係なく。心の曲がった人が悟りとか覚醒
してもこの世を馬鹿にして思い通り使おうとして麻原いや浅はかな行為する損な人は天国も地獄になるし.この世でも
社会的に偉い役につくと威張りちらかして思い通りに団体を使おうとするのが我々心の小さな普通の人なのか。わ私は社会的
に何の権力もないから大人しくしている野鴨。かっこよい悟りを得たら悟った像と威張る野鴨。でも古い経典なんて何の役立
つのだろうか古いばかりで威厳があるけど今は古く進歩もない僧言う人も何の力も無いけど人は良いからまあ良いか?結局
集まりでは古い人は穏やかでまあまあとか無難な考えをするから未熟な妄想の暴走を止めて平和と言えば平和に生きる野鴨。
でも昔の経典の道具は夢しかたとえられないけど?今は新しいバーチャル映像のテレビや映画DVDでドラマー現実魅せられて
いる。心の用意の出来ていない人は六でも内覚醒剤にはしり天国を夢見地獄の身の欲望に走る野鴨。真実なんて仏の様に
優しくなく.心がけが欲ナイト神憑かれる。ものすごい夢法のエネルギが暴走して覚醒した世界で地獄に落ちる。そんなら
何も覚醒しないでも何も解らないまま庶民として権力も無く我々は頭ぶつけながら方便の仏の経典で小学生として学ぶ法が
まだましな生き方なのかも。宗教の本当の根本は如何に正しく幸せな法を学ぶかなのかも幼稚園小学江中学と山あり谷あり
でコツコツと行きますか。山根会長は見るからにヤクザもの権力は偉い
現代は仕組みがあからさまに表れているけど普通の人の眼は不通で幸せな野鴨 これだったら世間話の方が全然マシだよ^^;)
>>938
どんなお仕事?
差し支えなければ。
今は何をしているの?
ちなみに私は今日は14時からいくつか仕事がある。 >>942
釈尊はアートマンはないと断言しないのは当たり前です。
アートマン自体があやふやな概念、虚妄であるのに、それを無いと断言するのは、
その断言自体も虚妄になってしまうからです。黙っているのが正解です。
無我には固執できませんよ。無いものに執着はできません。
無我は見解ではないです。真理です。 >>942
wwwwwwwwwwww
その辺のところも、全てかつての別スレで多くの碩学たちによって検証済みなの。
今は時間がないので、夜にでも解説してあげるよw
ちなみに、その「各宗派のお偉いさんに直電したやつもいる」んだよw
黄檗宗では、怒鳴り散らされたとよww (まあ、黄檗宗は知ってる奴は知ってるだろうが、きっついからねえw あそこはw) >>940
ウパシーヴァと釈迦の問答は解脱者の存在について問答している
「またそのような人の識別作用は(あとまで)存在するのでしょうか?」と訊いてるのは解脱者じゃない人の識別作用はあとまで存在する
つまり輪廻することを前提に訊いている
とも考えられる(異論は認める) >>940
方便などどいう概念は初期仏教にはない
>>257
<資料> 釈尊(ブッダ)は成道以降は論争を好まなかった。偽りを方便として肯定しなかった。
397 会堂にいても、団体のうちにいても、何人も偽りを言ってはならぬ。また他人をして偽りを言わせてもならぬ。また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。すべて虚偽を語ることを避けよ。
661 嘘を言う人は地獄に墜ちる。また実際にしておきながらわたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。両者とも行為の卑劣な人々であり、死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に墜ちる)。
895 これらの偏見を固執して、「これのみが真理である」と宣説する人々、──かれらはすべて他人からの非難を招く。また、それについて(一部の人々から)称賛を博するだけである。
896 (たとえ称賛を得たとしても)それは僅かなものであって、平安を得ることができない。論争の結果は(称賛と非難との)二つだけである、とわたしは説く。この道理を見ても、汝らは、無論争の境地を安穏であると観じて、論争をしてはならない。
973 他人からことばで警告されたときには、心を落ちつけて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。
(『スッタニパータ』中村 元訳)
※なぜ上記のような釈尊の言葉を掲載したのか。
法華経などでは衆生救済のために方便を肯定しましたが、釈尊によればそれは偽りであり、衆生救済のためには方便は必要なく、真実のみが衆生を救済するからです。 >>947
ならば君もアートマンについては黙っていなさい >>949
こんにちは^^
初めましてじゃよ^^
我輩は事務所で仕事をしているが、
嫁はんと二人でのお^^
嫁はんが、所長で、我輩は
事務員じゃのお^ー^
最近お仕事はある人の遺言執行者に
嫁はんがなって
家裁まで付き合ったのお。
遺言書の検認の時はは嫁はんは一人で
家裁に行くのじゃのお^^
我輩はお留守番じゃよ^^
守秘義務があるのでお話は
ここまでじゃのお^ー^ >>949
こんにちは^^
初めましてじゃよ^^
我輩は事務所で仕事をしているが、
嫁はんと二人でのお^^
嫁はんが、所長で、我輩は
事務員じゃのお^ー^
最近お仕事はある人の遺言執行者に
嫁はんがなって
家裁まで付き合ったのお。
遺言書の検認の時はは嫁はんは一人で
家裁に行くのじゃのお^^
我輩はお留守番じゃよ^^
守秘義務があるのでお話は
ここまでじゃのお^ー^ >>954
エッチでリッチなナメナメおじさん、初めまして^^)/
おじさんは何宗とかありますか? ブッダちゃんの境地になればわかる^ ^
ヒントは十二因縁にある^ ^ >>956
浄土宗の檀家じゃがよ^^
空海さんが好きで光明真言には
世話になったのじゃよ^^w
仏壇では、なんまんだぶじゃがのお^^w 取(しゅ、upādāna) - 執着。
有(う、bhava) - 存在。生存。
生(しょう、jāti) - 生まれること。
老死(ろうし、jarā-maraṇa) - 老いと死。
これは無明から始まる^ ^
無明から生 老死が生じる^ ^
ということは分かるな^ ^ 訂正じゃよ^^
お墓でも仏壇でも
光明真言を唱えちょったのお^ー^ >>960
空海さんはすごいパワーをお持ちですからねえ
宗派を超えてそのエネルギーは伝わるでしょうね。。
誰かが言ってましたけど、私のHN照隅という観点でも、
他の仏教者が宝石とすれば空海は燃え盛る火の玉だと。
光明真言の効果は感じられましたか? >>952
そうですね。
くだらない妄想概念に関わるのは時間の無駄ですからね。 ブッダちゃんには生死がないんや^ ^
ということは^ ^ >>965
嫁はんが去年、夜半に腹痛で倒れて
意識がもうろうとしてのお^^
救急車を呼んで病院に運ばれてじゃよ
我輩は病院の待合室で待たされてじゃよ、
非常に長かく感じたのお。
後で救急で運ばれてきた人の家族は
お医者さんが出てきて、いろいろ
説明等会話をされていたのじゃが、
我輩はそのまま放置で、何の話もしてくれないので
病室に入ろうとすれば、止められて
入れないしじゃよ。
脳裏には最悪のことが浮かんできたのじゃよ^^
その時じゃのお、空海さんが
心に浮かんできたのじゃのお。
我輩は、何故かしら、光明真言をブツブツ唱え始めたのじゃよ。
唱えていると、この状況はなかったことにはならないのを知り、
この状況は(嫁はんが、お腹を押さえて意識はもうろう
、救急車で病院に運ばれて、我輩は医師の返答を待っている。)
変えられない、しかしこの状況でも最善は必ずあると
思ったのじゃよ。
その瞬間じゃよ、診察室・病室から看護師さんが
笑顔で出てきてのお、
我輩に言うのじゃよ、「この後、レントゲンを撮ったら
すぐに家に帰れますよ。」とのお^^
急に我輩の心に安心感が芽生えたのじゃよ。
待合室で1時間半近く待たされたのも嘘のようにじゃよ^^
結果は尿路結石で、薬ですぐに症状は治まったのじゃよ。
その後手術もなく自然に外に石が出たのじゃろうのお^^
本人は自覚なしじゃよ^ー^
これも空海さんのお陰じゃよと、感謝しておるのお^ー^ >>971
自らの置かれた状況をありのままに受け止め、
そこを起点としてのベストを考えるというのはとても大切なことだと思います。
お大師様がそこへと導いてくれたのでしょうね^^)
南無大師遍照金剛m(_ _)m お昼めしの時間で、読み返さず
乱文失礼したのおm(__)m >>974
いえいえ
わざわざそんなタイミングに、とても素晴らしいお話、ありがとうございます^^)/ >>975 訂正
そうそう
ホントおっしゃる通りじゃよ^−^
>>976
こちらこそ、どういたしましてじゃよ^^ その辺に転がる石ころの様でありなさい。
物事が起こるには無数の原因と縁によって起こる。それは言い変えるならひとりでに起こると言っていい。
結果にこだわってはならない。
何故ならあなたは既に完結した世界しか見る事が出来ない。
その様にしてそこに在る完璧な世界をあなたがどうにかしようなどとするのは傲慢だとは思わないかね?
木が木である事を悔やむだろうか?
世界が世界である事を嘆くだろうか?
あなたの見ているその世界で嘆き苦しんでいるのはあなただけだ!
万物はあなたが目を覚ますのを今か今かと
待ち望んでいるのだよ。
石ころを見てみなさい。
まるで師の如くそこに置いてある。 【ダンマパダ】
7.6 サーリプッタ長老の事例
95.(95)
地に等しく、〔何ものにも〕遮られない者(or怒らないもの)
―― インダ(インドラ神)の杭(城門に立てられた標柱)の如く、そのように善き掟の者
―― 泥土を離去した〔澄んだ〕湖のような者
―― そのような者に、諸々の輪廻は有りえない。
7.8 サーリプッタ長老の事例
97.(97)
〔特定のものについて〕信なく、かつまた、作られざるもの(涅槃)について知あり、
しかして、〔輪廻の〕鎖を断ち切った、その人
――〔造悪の〕機会を打ち砕き、〔自利の〕願望を吐き捨てた者――
彼は、まさに、最上の人士である。
17.4 マハーモッガッラーナの問いの事例
224.(224)
真理〔の言葉〕を話すように。忿激しないように。乞われた者は、たとえ、少なくとも施すように。
これらの三つの境位によって、天〔の神々〕たちの現前に至るであろう。
※224で釈迦が説く天の神々とは天界の神々のことであり
天界の神々の現前に至るとは天界へ転生するという意味である
『無我と輪廻は矛盾する論』の人に言わせるとこれら阿羅漢しかも釈迦の二大弟子への説法は
後代の付加、増稿、曲解もしくは方便であるらしい >>978
つまり万物には仏性が宿っている、というお話ですよね?^^) >>969
生きながらにして死んだ者にとって
生きる事と死ぬ事は等しい。
つまり生まれて来なかったのだ。
生まれて来なかった者が死ぬ事は不可能だ。
死ぬ前に死ぬ事をお薦めする。 >>941
ともあれ、早くそうした妄想から覚めますように念じております。 >>946
普通のサラリーマンですよ、営業です。
後、2個所程会社の顧問みたいなもんをやってますw >>954
おお!
検認とか、ずいぶんとお詳しいですね。
法曹?それとも法律隣接職ですか?
まぁ無理して答えなくても結構ですけど。 >>943
何だ、元オームいたんだw
お前、まだあの世の麻原にケツを貸してるのか?
いい加減オームとか卒業しろよwwwww
で、以下透明あぼーんwwwwwwwwww ひっひっひ、おいらは無職引きこもりの専業ネラーだよ。。 >>987
二人でやっているしじゃよ、
仕事は、あまり忙しくないのお^ー^ 大阪で精神世界の好きな人が
集まるオフ会をやっておるのじゃが
今秋で4年目じゃよ^^
開催回数は37回目じゃよ。
人数も減ってきたので36回で
オフ会は終了したのじゃが、
まだ未定じゃが、
また復活するかもじゃのお^^
Skypeの方でもやっておるが
75人集まったが
今は17人じゃよ^ー^
実際話すのは6人ぐらいじゃのお。 なめなめ
「この状況は(嫁はんが、お腹を押さえて意識はもうろう
、救急車で病院に運ばれて、我輩は医師の返答を待っている。)
変えられない、」
そこまではそのとおり、過去は変えられん。
大変でしたね。ご苦労様でした。
ただ、その後の、真言云々で、空海のおかげとかいうと、
へんなことになっている。
空海のおかげは、なめなめの心の持ちように影響を
あたえただろうが、
空海の教えのおかげで奥さんが大事に至らなかった、
という分けではない。
そんなことわかっとるわいということなら、失礼しました。 >>912
当時多くの人が信じていた「彼の世」、心の中の願望、期待ということじゃないね〜?
>>922
忌の際で言ったことですよ、自灯明、法灯明とは。。
それまでは、おれの話を聞け〜、、だったわけですよ。
で、おれが死んだら、おれの説いた「法」を頼りにしなさいということです。。
>>971
アホやなあ。。
尿路結石って、たいてい一晩だよ、痛いのは。。
光明真言関係ないから。。w >その後手術もなく自然に外に石が出たのじゃろうのお^^
本人は自覚なしじゃよ^ー^
石は小さければ、誰でも尿と一緒に自然に出る。。
おれもなったからわかるわ。。
マントラとか唱えてないけど。。w このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 8日 22時間 9分 16秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。