>>843
あのねえ、上にも書いたけど・・・・

車にひかれる  という事実が生じるには、まず、それこそ無数の「因」があるの。
引いた運転手が免許をとれたとか、その人を生んだ両親が存在していたとか。

そして、ひかれた人の方も、なぜ、その時間にその場所にいたのか?
…考えていったら、無数の原因があるよね?

しかし、業報論というのは、それを前世の悪業が原因とするわけ。
前世で悪いことをしたから、その報いを受けた  とするの。

つまり、その人の前世というものがあって、そして、「車にひかれる」という果
を受けるだけの業を積んだとするのが、輪廻業報論なんだよ。