>>25
>只管打坐も、不生禅も、公案も、頭を空にする為の技術でしょう。

その「空」が空っぽの「空」であれば違います。
三昧・禅定に至る為の方便ですので。

例えて云うと、あたかも1つの事に集中して風船を膨らませる様なものです。
そしてそれが臨界を超えて爆発します。
ある人は「心身脱落」と、ある人は「無字が潰れた」、ある人は「整ってる」・・・。
勿論、そこから「脱落心身」「空即是色」と、残骸のお掃除が始まるのですが。