深山センセイは、定職を持ちましたね。
社会人として<有るべき様は>此処に在ります。
君の文言を見ると目がチカチカして苦痛ですから37菩提分法を
少し言いましょう。
アレはお釈迦様在世の頃は無かった、後世の教義学者が纏め、中身は目次を並べたもの。
そのうちの八正道も同体なり。但しこれ等を持ち出されると、まともに我が宗旨が阿含に優れりと
反論できる根拠を示す仏教僧は居るまい、日本の仏教宗派は密教の一分を根本に尊ぶ故である。
曹洞宗の葬儀に参列し、御僧侶が導師を中心にし密教による霊供養作法を拝見した時は
唸った、座禅では効験不足故にか密教作法を修する。此れお護摩も修するが法に適うべきもの。。
浄土信仰なむあみだぶつ称名も、阿弥陀マントラ念誦に他ならない。(直に梵語なり)
かの弘法大師様をワタクシはこの様に考えている。
大師は日本で修行し成道完成した仏陀である。密教は御自身の宗教を残すために
招来せし当時の流行様式。この密教を探るのは結構だが成仏への道はあまりにも細い。
深山氏は火を焚きゃ駄目と簡単に葬る様な物言いで済まされるが、根本仏教と密教の差異を
改めて自ら発見されるのが、己が成道への道標。詰まり接着剤の効かない剥がれた箇所を
見つけるべし。密教と仏教ではくっ付かない筈なものを接着した無名の天才の存在が有る。