阿含宗という宗教294
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※前スレ
阿含宗という宗教293
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1523189480/ いやもう起こっているでしょ
星まつり、w田導師の柴燈護摩法要後
バラバラ殺人事件の遺体の一部が敷地内に遺棄され・・・
どこが仏界と直接つながる聖地なんだ、地獄へ直結する場所だろどうみたって 凡夫と同じ煩悩を持つ預流向は聖者で、煩悩を持つ阿羅漢向は阿羅漢に等しい。それが深山ユビの正しい仏教なんだとさ。それって、アレフや光の輪と同じ教義でないかな。
煩悩持っても阿羅漢や聖者だと強弁しているのだからさ。そんな仏教は深山ユビ教だけだなw 預流向の持つ煩悩とは、1、人は永遠不滅のアートマンという霊魂を持つ。2、仏教は怪しい、釈迦は本当は詐欺師かも、と疑惑を持つ。3、仏教より優れた教えが他にあるじやないか、との考えを持つ。これが三結という煩悩だよ。この煩悩を持つのが預流向だ。 一連の阿含宗とオウム真理教の麻原と幹部と死刑囚との関係大変参考になりました。
ありがとうございます。 華橋事件より通洲事件が大事だと思う。
っていうかイスラエルで仏陀の因縁解脱の成仏法の胡麻をしたにも関わらず、トランプはエルサレムに米大使館を移し、フランスの胡麻もしたのに翌年にはフランス同時多発テロ。
北方領土の海洋胡麻で北方領土が戻って来るかと思いきや、プーチンはミサイルを配備して四島返すつもりもなく海底に光通信ケーブルをしき、華橋粛清事件で胡麻するなら、通洲事件犠牲者の胡麻を炊けよ。効果ないけど。 >>399
>仏陀の因縁解脱の成仏法の胡麻
この大嘘が諸悪の根源で、アゴンがゴマ炊くからその地に悪いことが起こるのでは?花山では悪いことが無いと言われそうだけど、すでに総本殿レンタルらしいし先日の遺棄事件とか…オウム誕生と極刑。 1、人は永遠不滅の霊魂を持つ、2、仏教は怪しい、3、仏教より優れた教えがある、4、欲の貪り強く、5、怒りが絶えない、これらの煩悩を全て持つ者が預流向だ。それが聖者だって?ならばあんたも聖者だ。これが深山ユビの正しい仏教なんだとさ。 >>401 神も仏も名無しさん 2018/07/30(月) 11:12:11.87 ID:4BnnxI3L
>1、人は永遠不滅の霊魂を持つ、2、仏教は怪しい、3、仏教より優れた教えがある、4、欲の貪り強く、5、怒りが絶えない、
>これらの煩悩を全て持つ者が預流向だ。それが聖者だって?ならばあんたも聖者だ。これが深山ユビの正しい仏教なんだとさ。
聖者の仲間入りの預流果シュダオンは4と5が未解決でないか?
それがどうして聖者なの?
説明してごらん。 >>401 神も仏も名無しさん 2018/07/30(月) 11:12:11.87 ID:4BnnxI3L
>1、人は永遠不滅の霊魂を持つ、2、仏教は怪しい、3、仏教より優れた教えがある、4、欲の貪り強く、5、怒りが絶えない、
>これらの煩悩を全て持つ者が預流向だ。それが聖者だって?ならばあんたも聖者だ。これが深山ユビの正しい仏教なんだとさ。
預流向だって1、2、3は薄れている。
外道や凡夫でないんだから。
それをあたかも外道と凡夫と同等とするようなごまかしはやめなさい。 御仏:計は、
空即是色、色即是空まさに。
空とは無境界宇宙論に無へと
無とは汎用銀河論人間性空へと
深層精神の考古と個体発生の対話で
在ろうか?!、 預流向だって1、2、3、は、薄れている、ね。
それは預流向として修行を続けていた者は薄れているが、修行の浅い預流向は1,2,3も、真っ黒けに濃いわけよ。それを聖者だと強弁して何十年だよ、深山ユビくんはさ。狐に騙されていたのではないかな。 >>405
だからそこをどう線引きするんだよ?
煩悩が残っているのなら阿羅漢向だって聖者でないはずだ。
だから聖なる衆とはなんぞや? 私に言わせれば仏門に帰依することを誓っただけで、かなり三結なんぞは薄れるぜ。
教えを馬鹿にしてはならない。
教えを聞いて理解することこそ尊いのだから。 なぜならば、三結は習慣性、感情性の煩悩でないからだ。
教えを理解すればたちまち切れる。 だからその点こそ私が妖怪ヨル公ごときに関係なく桐山批判に使いたかったのだ。
三結は教えを理解すれば切れる。教えを受け入れれば切れる。
しかしアゴン宗ではわかっちゃいるけどやめられないと教えの無力、限界を説く。
教えを理解しただけで聖者で青いオーラ?
アゴン宗的におかしいだろ?
だから三結の中身をよく調べて考えてみなさいと信者さんに説いている。 教えを理解すれば、受け入れれば、それだけで五結だってかなり薄らぐはずだ。
本来普通の人よりがまん強くも欲望も怒りも抑えるからだ。
アゴン宗にはそういう教えが稀薄なだけで。 つまり外道や凡夫と預流向との間には飛躍的な差がある。
これまで意識していなかったことを意識するということは、これは大変な飛躍なのだ。
真っ黒に近い訳がない。
机の上だけで頭の中だけで、あれこれ順番だの微分のような想定をしているから、そんな意味のない預流向など考え出す。
批判側に反論したい自分の糞つまらな意地だけで。 施餓鬼供養の功徳ですね、かのF氏の為に説きましょう。
宗教はマス(大衆)の為、その以前に個の為(パーソン)に機能するべきです。
例えば、個人や檀家にもよりますが縁あって祈祷寺院に祈願をすることが有ります。
社主の祈願が通らねば、多くの従業員が露頭に迷う。
そういう苦しい事ってありますよ。
そこで住職が勧めることは、水陸会といわれる施餓鬼法要を社主が施主で行うのです。
先ず三法に供養し、その功徳を以って
娑婆世界でさ迷う亡者の霊魂を集め、餓鬼の苦しみを抜けさせて浄土、霊界に送る法要です。
その尊い功徳により、社の経営が持ち直し、苦境を脱する。
此れ沢山の事例が過去にあります。
故中岡俊哉氏が自著に掲載する、読者から寄せられた写真に映る霊の多くが、施餓鬼の
供養対象です。
さてお釈迦様は説かないと言う事は、娑婆世界に彷徨う『餓鬼界の境涯の霊魂の存在』を
お釈迦様が全く判らなかったと言う事なのです。
多分F氏の奉戴されるお釈迦様がその様な分からず佛尊じゃなかろうか?と思いますね。
化粧品の乗り云々と仰るが、これ意味深いものあり、心に悩みがあると顔色が悪くなる。
無くないりゃ回復するわけ、他人の悩みを解消すると何故か顔色が良くなる。
詰まり人相学で言うと開運してるのです。 帰依を誓っただけで三結は薄れるなどと、ユビくんの説を論じるスレではないだろう。桐山説が釈迦説に合致しているか否かが問題なのです。私は桐山説が釈迦説と同じであり、釈迦説と深山ユビ説が違うことをレスしてるだけ。 釈迦仏教の基本である四向四果を理解しないのでは話しにならない。向と果は全く違うことを理解していないから、深山ユビは長年、馬鹿げた論を展開しているのです。向は努力中だが未達成の者で、果は達成者なのです。 四階建ての建物と階段で説明したように、向と果は全く違う。一階に預流果が住み、四階に阿羅漢が住むとすれば、外道凡夫と預流向は地下1階に住むことになるのです。地下1階の階段を昇って地上1階に向かう努力中が預流向なのよ 地下1階に住む外道凡夫と預流向は仲間同士なの。預流向と預流果は仲間ではない。預流果は地上1階に住む者なの。預流向は地下1階の階段を昇りつつある者で、昇り切って地上1階に到達した場合だけ預流果の仲間になるのよ。階段を昇ることを途中で辞める者も多いわけよね。 地下1階の階段を昇ることが一番難しいと釈迦は言うのです。桐山説も預流果を得るのが一番難しいと言う。地上1階にたどり着けば、不退転法が身に付き、地上4階の阿羅漢まで歩くのを辞めることはないと言う。しかし、地下1階の階段で辞める者は多いのです。 だから、地下1階の預流向と地上1階の預流果の隔たりは一番大きいのです。地上1階から4階までの隔たりは小さい。その預流向と預流果を同じ階位に入れた深山ユビは、なんにもわかっていないのです。 先祖供養は大事だけど
それで自分が変わる訳ないじゃん
1年もかからずに気づくだろ
馬鹿なの?w >>413
逆に問うが、帰依を誓った者が、釈尊の教えに疑惑を持つか?
だから三結の中身を考えることが重要です。他の信者さんも。 帰依を誓った者が疑惑を持つか?
笑ってしまう。時間が経てば、誓いも忘れて疑惑が生じ、辞める者も多いということよ。
預流果を得る前に辞めてしまう信徒が多いということだよ。釈迦の時代も同じよ。
三結を断じるのが一番難しいということだよ 輪廻する葦・本の258ページに四果の条件が表になっているだろう。ユビくんはそれ見て学び直した方がよい。向はその四果を得ようと努力中の者だよ。私はその表と経が一致するか確かめた。預流向が聖者か否かも、ずいぶん調べたものだよ。 四向四果の仕組みを知れば、ユビくんも、深山くんのデタラメ四向四果説に騙されることはないだろう。煩悩がポイントだよ。深山くんは煩悩を無視して名称だけで、八輩を分類した。無知の為せる業だね。正しいことは知って損がないからね。この際、覚えておくことだよ。 向と果はイエスとノーほど違う。合格と不合格ほど違うのだよ。四階建ての建物を図に書けば、四向四果の仕組みなどすぐ分かる。ユビくんも図に書いてみたまえ。預流果は地上1階になり、預流向は地下1階となる。その隔たりは一番大きいのである。 まこと君
文面をまったく読んでもらえない
つらいのう
つらいのう 向と果は〇と×ほど違う。合格と不合格ほど違うのだ。果は合格、向は不合格ということだ。預流向は聖者の預流果に不合格なのだから、外道凡夫の仲間ということだよ。だが努力中だから預流向という名誉の名称を与えているだけよ >>419 先祖の供養は生存環境問題解決、自分の修行は己の人生問題解決。
先に先祖の問題解決を済ませると言うより一緒にやるもの。
上の二個を解決すると、他人から人生問題や修行上の質問を受ける境涯に至る。
俺が如何したとか言いたい自己評価という曖昧なものでは無くて、
正確に他者が評価をして呉れるのです。
心配しなくても大丈夫... 今の阿含宗
何処の馬の骨が霊視供養してるかわからない
解脱供養に10万円払う付加価値なし。
https://i.imgur.com/kgKkwyJ.jpg >>421 神も仏も名無しさん 2018/07/31(火) 12:57:04.56 ID:ZdYDtlFu
>帰依を誓った者が疑惑を持つか?
>笑ってしまう。時間が経てば、誓いも忘れて疑惑が生じ、辞める者も多いということよ。
>預流果を得る前に辞めてしまう信徒が多いということだよ。釈迦の時代も同じことだよ。
信者さんの中には三結を断った預流果シュダオンになると、不退転を得て、悪趣に堕ちない、この文言を以て、
なんかもう保証がされてるように勘違いする人がいるのではないでしょうか?
しかしそんなことはなく、預流果どころか解脱した阿羅漢果でも転落することが経典で報告されています。
解脱したゴーディカ、解脱というのだからたかだか三結だけを断った預流果であるはずはなく、もっと遥か上のはずですが、
その解脱者が何度も解脱から転落している。煩悩がまた沸き起こっているのですね。
そしてゴーディカは、ならば、また解脱から転落してしまうことも想定されるわけですから、
解脱している間に涅槃を得ようと自殺を釈尊に願い出て許可されるということが経典に書かれています。
自殺を認めるか 認めないかという問題もありますがこれはかなりショッキングな報告といえます。
解脱してしまえばもう堕ちることはないなんてことはないのです。
つまり保証だの安心だの大丈夫なんて話ではない。 >>421 神も仏も名無しさん 2018/07/31(火) 12:57:04.56 ID:ZdYDtlFu
>帰依を誓った者が疑惑を持つか?
>笑ってしまう。時間が経てば、誓いも忘れて疑惑が生じ、辞める者も多いということよ。
>預流果を得る前に辞めてしまう信徒が多いということだよ。釈迦の時代も同じよ。
阿羅漢果を無学 、それ以前を有学と言いますが、釈尊でさえも解脱を得た後一生気をつけていないと転落してしまうのが仏教の教えです。
信者の皆さんは潜在的になんか 神秘的なと言うか特別な力で自分が加護されることを願ってないですか ?
ある程度のところまで行ったら自分はもう守られている、自分はもう落ちない、大丈夫だ、こんな状態になっていることを望んでいる。
しかしそれは結局甘い考えとしか言わざるを得ません。
自分をコントロールするのは自分しかいません 。
なんか知らないうちに自分は強くなってしまっているなんて妄想を抱いてはいけません。
常に今の自分のままで 自分をコントロールするように挑戦することが求められ、それは一生そうですよ。
逆にそういう覚悟がない人は依存心が強くて解脱できないのです。 >>421 神も仏も名無しさん 2018/07/31(火) 12:57:04.56 ID:ZdYDtlFu
>帰依を誓った者が疑惑を持つか?
>笑ってしまう。時間が経てば、誓いも忘れて疑惑が生じ、辞める者も多いということよ。
>預流果を得る前に辞めてしまう信徒が多いということだよ。釈迦の時代も同じよ。
では預流になると悪趣に落ちない、不退転を得るとはどういうことか?
これは保証の話ではなく 仏像に身を置いて常に上を求めている人はもはや六道輪廻から 出して地獄に落ちることのない道を歩むということです 。
だから常に求めて向かっていかないとやっぱり退転もするし、下手すりゃ地獄にだって落ちないことはないのです。
あなたは預流果を建物の一階とした。そして 外道や凡夫を地階とした。
仏教では 厭離穢土という言葉もあるように 、凡夫の世界を煩悩に汚れた世界とみなしますから 、あなたのようにのような地下の例えというのもありとしましょう 。
しかし外道凡夫だから皆地獄に落ちることもありません。六道輪廻するのだから地獄にだって落ちる危険性は常にあるということです 。
しかし仏道に目覚めたからにはそこには堕ちまいぞと 努力するわけですから、これはやっぱり堕ちないじゃないですか ?そういうことです。
それをあなたは 地下を脱して地上への階段を登ろうとしている人を まだ真っ黒などと侮辱する。
それまでどんなに煩悩にまみれた人であっても一念発起してこれを減らして向上しようということは尊いことなんだ 、
尊い集団なんだということを釈尊は四双八輩の中で述べているのに、あなたはその一番大切な初期の段階の人を真っ黒などと侮辱する。
何事においても向よりも果の方が上のランクであることは、あなたに言われなくたって当たり前のことです。
物事には段階があるっていうのは当たり前のことです 。
そんなことがわからないと言っているのではない。
仏道端とは結局最後まで求めるものであり、向かうものであり、果を得た後でもなおかつ気をつけて求めているものなんだから、
そのように向かっている人たちは皆尊いと釈尊が述べていることをあなたは理解しようとしない。
中途半端な段階の線引きなんて意味がないのです。 音声入力の後きちんと直していないので所々読みにくいと思いますがご了承願います。
最近長文書くのがめんどくさくてしょうがない。 >>430
>先祖の供養は生存環境問題解決
先祖供養は今ある自身を感謝する心からのもので、一番近い先祖は両親。「先祖の供養は生存環境問題解決」とお願いしようという心を向けたら、私の御先祖様たちからは叱られます(笑)
バトンを持っている者が走って次世代に繋げないでどうするんだ?と。
親の年金アテにして生活しようという考えがアゴン宗教義ですよね。 他の痛からのお人(まこと君)でしたかw
気づかずのレス(>>436)で申し訳なく思います。
アゴン宗は「釈尊ジキデン」うたっていますから、そのマト考慮されての投稿お願いします。
>>412>>430さん
↑?(w
>>0428 神も仏も名無しさん
2018/07/31 20:53:55
まこと君
文面をまったく読んでもらえない
つらいのう
つらいのう
ID:akJj67he 預流を得ると不退転法を得る、そして悪趣に堕ちない、と説いたのは釈迦であってね、それをとやかく言って否定したがるのが深山ユビよ。
三結を断じるのが一番難しいわけでね、三結を断じたら不退転法が身に付いて阿羅漢まで一直線だと釈迦は言う、時間はかかるけどね。 外道凡夫と預流向とは飛躍的な差があるとユビはレスしたが、全くの勘違いなわけよ。外道凡夫と預流向は仲間だよ、煩悩満杯という点では外道凡夫と預流向は同じよ。雑阿含経・向経でも「お前たちは外道凡夫だ」と、釈迦は弟子に言っている。 釈迦が「お前たちは外道凡夫だ」と言ったのは修行を怠けている弟子に言ったのよ。つまり、修行している外道凡夫は預流向で、怠けている外道凡夫は外道凡夫のわけよ。外道凡夫と預流向は紙一重なわけよ。それに対し、預流向と預流果は飛躍的な差があるわけよね。 ユビくんは自分の体験を元に考えたらよい。最初は桐山教法が正しいと信じて入行したわけだろ。やがて疑惑が生じて退会したわけだ。帰依しただけで三結が薄れると考えるのは妄想だよ。信じることを継続するのは難しいだろ。三結を断じるまで釈迦を信じ続けるのは難しいの >>436 そうですかね、亡くなられた祖父祖母が座敷や居間で
陰気にうろうろされちゃ叶いませんな、環境問題じゃないですか?
亡者は、生きて居る人に関わらない掟がある。
此れを知るべしなんですが、君に判るかな。 >>438
ケイマー妃の例を見よ!
彼女は預流者ではあるが、悪趣に一度転生している。
その他、常識でははかれないような例も多々経典にはある。
辞書引き引きの議論しかできない、脳内妄想の輩には仏道は無理だろう。 >>438 神も仏も名無しさん 2018/08/01(水) 08:07:57.10 ID:mGo2lKKZ
>三結を断じるのが一番難しいわけでね、三結を断じたら不退転法が身に付いて阿羅漢まで一直線だと釈迦は言う、時間はかかるけどね。
三結を断じるのが一番難しいとはある面同意です。
アゴン宗の信者を見ていると、あなたのように頑なに理解しようとせず、三結を後生大事に抱えているわけですからね。
欲望や怒りなどを制御する道は外道でも説いていますしね。
だから順番なんか実はない。
一番難しいはよいが、釈尊の言葉に説かれた教えを聞いて瞬時に悟りを開き解脱した人もいることを経典は説いています。
三結断ってどんな修行法なんですか?
どんな呼吸法をどんな体技とともにする成仏法なんですか?w
だから教えの正しい理解こそが一番大切なんですよ。
それが理解できたらあなたの言うように一直線なんですが、これを自動エスカレーターのように考えてはならない。
あなたの示したように忘れるだのということは常にその危険性は隣合わせなんです。
だから不断の努力を継続するしかない。
それならば不退転で悪趣にも堕ちない。
三結断のシュダオンになると自分がなんか知らんけれども別人のごとく、超人のごとく、改造されているエスカレーターを信じる人は
所詮超能力嗜好なんですな。 >>441 神も仏も名無しさん 2018/08/01(水) 08:33:06.10 ID:mGo2lKKZ
>ユビくんは自分の体験を元に考えたらよい。最初は桐山教法が正しいと信じて入行したわけだろ。
>やがて疑惑が生じて退会したわけだ。
これは全く逆であり、自分が当初帰依もしようと信じた桐山教法こそ、実は三結の固まりだとわかったわけです。
釈尊の説いた教えを疑惑して、全然逆の戒取を教えており、
釈尊の否定した霊魂の問題に囚われている。
これは進歩なわけですよ。
だからアゴン宗をやめたことが、三結の一部を断ったことになるわけです。 >>440 神も仏も名無しさん 2018/08/01(水) 08:21:07.03 ID:mGo2lKKZ
>釈迦が「お前たちは外道凡夫だ」と言ったのは修行を怠けている弟子に言ったのよ。
>つまり、修行している外道凡夫は預流向で、怠けている外道凡夫は外道凡夫のわけよ。
預流向の全てが怠けているわけではないでしょ?
それに三結の中身というのは、これは怠けとかそういう感情的特性とは別の理知的な理解なんですね。 ユビくんはだね、釈迦の言葉より己の考えを優先しているわけだな。だから全ておかしくなっているのだよ。それに気づいてもいない。外道凡夫と預流向は飛躍的な差があると勝手に考えている。釈迦はそんなことひと言も言っていない。煩悩を考えたら分かることだよ。 預流向という名前だけで、何か大変なものだと勝手に勘違いしている。だから聖者だと間違う。煩悩を考えたら三結さえ断じていない、外道凡夫と全く同じなのが預流向だよ。この釈迦仏教の基本も理解していないから、深山ユビは失敗したのだよ。 預流向の全てが怠けているわけではないでしょ?てさ、ユビの頭はどうなっているのかね?怠けているのは外道凡夫だよ。
怠けていないのが預流向だよ。
だから、釈迦の言葉に従えば、怠けている預流向なんていないのよ。怠けたら外道凡夫なのだからさ。 例えば
戦時中に軍国主義と戦って逮捕されたのなら
分かるのだけど
この人 ただの犯罪者だったよね
桐島(だったよね?)猊下さん ユビくんは深山くんに洗脳されて、長い間、まともな思考が出来ないで来た。後遺症は残るだろう。簡単な例で分かる。向と果は全く違うのだ。合格と不合格の違いだよ。果は合格、向は不合格なのであるよ。預流に合格したのが預流果で不合格なのが預流向であるね。 わかりやすくいうと、一来向と一来果も、向は一来に不合格だから一来向と言う。合格した者は一来果という。その合格者と不合格者を深山くんは同じ階位に入れて、そのおかしさに何十年も気づかないで来た。家来のユビも気づかない。これこそ奇跡だね。洗脳の奇跡だよ。 ユビくんは輪廻する葦本の258ページを見たかね?四果の条件が表になっている。それを得るのが釈迦仏教の目的であり、阿含宗信徒の目的でもあるよ。そのためのゴマキ勧進やら梵行というわけだね。深山ユビくんは、その目的も知らずに阿含宗に居たのではないかね? 深山ユビは、三結を断じる修行も、したことがないのでその難しも、知ることがない。教えを理解すれば三結は断じられる、とか馬鹿いう。
輪廻を肯定する仏教の教えを聞いて、輪廻を理解出来るのかね?私なんぞは、何年も何年も、輪廻を説く仏教に疑惑が生じたものだがね。 >>449 神も仏も名無しさん 2018/08/01(水) 13:33:42.20 ID:mGo2lKKZ
>預流向の全てが怠けているわけではないでしょ?てさ、ユビの頭はどうなっているのかね?怠けているのは外道凡夫だよ。
>怠けていないのが預流向だよ。
>だから、釈迦の言葉に従えば、怠けている預流向なんていないのよ。怠けたら外道凡夫なのだからさ。
あっはっは((ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ
あなたの言う通り怠ける預流向なんて想定をすること自体おかしいと思いますよ。
しかし私は仏弟子とは言え、初心の者は四六時中怠けないなんてかことはなく、ついつい怠けてしまう人もいるだろうと思います。
しかしそんなうっかり怠け屋さんもいるだろうことも想定しつつも預流向のそんなしくじりに目を向ける必要はなく、基本的に勤勉でしょう。
しかしとにかくあなたは怠け者は外道凡夫で預流向は怠けないと分類した。
これはあなたが分類したことですから、よく覚えておきなさい。
さて、あなたはなんと説いたか?
>>440 神も仏も名無しさん 2018/08/01(水) 08:21:07.03 ID:mGo2lKKZ
>釈迦が「お前たちは外道凡夫だ」と言ったのは修行を怠けている弟子に言ったのよ。
>つまり、修行している外道凡夫は預流向で、怠けている外道凡夫は外道凡夫のわけよ。
ここでは外道凡夫を怠ける外道凡夫と怠けない預流向に分けた。
そもそも預流向より下に怠ける仏弟子を配置することに何の意味があるのかワケワカメだが、
あなたは仏弟子でない本当の外道凡夫、仏弟子でも怠けてしまう外道凡夫のような奴、怠けない預流向、さらにその上の預流果、一来向、一来果、不還向、不還果、阿羅漢向、阿羅漢果に
分類したことになる。
さてここで議論しているのは預流向です。四双八輩の中に分類される預流向です。
あなたは預流向と外道凡夫を明確に分けた。
預流向は外道凡夫ではないと。
だから私は預流向は外道凡夫でない聖者の仲間とみなしたわけです。
たとえ外道凡夫には一番近くても外道凡夫でないと断言したのはあなたです。
そういう議論の中で預流向未満の怠け弟子を出すことに何の意味があるか?
こちらはあなたが怠け者でも外道凡夫でもない預流向の話だけをしているのです。 >>455 神も仏も名無しさん 2018/08/01(水) 15:54:39.91 ID:mGo2lKKZ
>深山ユビは、三結を断じる修行も、したことがないのでその難しも、知ることがない。
>教えを理解すれば三結は断じられる、とか馬鹿いう。
>輪廻を肯定する仏教の教えを聞いて、輪廻を理解出来るのかね?
>私なんぞは、何年も何年も、輪廻を説く仏教に疑惑が生じたものだがね。
ほほう?三結を断じる修行?
それも教えを聞いて理解するのではない修行?
ではその修行とは何をするのですか?
アゴン宗で指導しているものを示して答えてみなさい。
ここにも桐山ゴマカシの被害者がいる。
預流だのシュダオンだの三結だの解説したはよいが、その三結の1つ1つに対する断じ方については、論理的にも理解しているできるように
示すわけではなく、やれ霊的浄化だの論理の説明もつかないぜんぜん関係ない世界を説いた。
ちなみに釈尊の教えを聴いただけで瞬時に悟りを開き、解脱までした入門者もいたことを経典も説いていることを示した。
その入門者については三結を断つ修行とは釈尊が言葉で説いた教えを聴くことだったわけです。
彼にとって預流向の期間とはその土岐だけと言える。
さあ、そこまでは行かないまでも、あなたが三結を断じるようにする「修行」とは、どういう修行か?
書いてみんさい。 例祭はF田さん?
もう阿含宗辞めたからよくわかりませんw 前にも書いたが、初転法輪で最初に釈尊の教えを理解したのはコンダンニヤはとされています。
釈尊は「コンダンニヤが悟った!コンダンニヤが悟った!」と大層喜ばれたそうな。
その悟りの内容もわかっています。三法印で、諸行無常、一切皆苦、諸法無我です。
釈尊はこれを言葉で説き、やがてコンダンニヤはそれを理解した。悟った。
この過程においてコンダンニヤはいかなる呼吸法を学び、いかなるチャクラを開発したのか?
いかなる霊的浄化をしたと言うのか? >>461ユビキタス氏の疑問にお答えしたい。
此の論はわたくしの仮説だから首肯できなければ其れまでのこと。
三法印は初期仏教全般公式見解でしょう。
あなたも其れはも御存じのはず。
かのコンダンニャ氏の体験談とその伝承記録をわざと消滅させた上座に位置する
老僧侶集団が居たのだと思います。
何故、その様な横暴な法の上での犯罪をやったのか?
自分たちが修行未熟でありながら老齢化し、新弟子から鋭い質問をされて
ウッカリ襤褸を出すのが嫌だった。
精舎に寄宿し安楽に臨終を迎えたかったからだ。と言うのがわたくしが
長年思考し、得た結論です。
仏道修行者が安楽な年金生活を期待する様な心がけでしょうか?
阿含経のすべてを精読していませんが、仏滅後、釈尊の孫弟子以後、
釈尊門下からは仏陀が誕生していません。
其れもユビキタス氏は御存じでしょう。
十大弟子の修行体験談はほゞ、消されて伝承されているのが今、我々が
手にする阿含経典と思います。
この辺の話題は、あまりにも深いのでこれ以上書きません。
神仏界を扱う密教は如何?と言う質問にもお答えしない。
いわゆる日本の大乗は、密教の一分を得て命永らえてまいりました。
桐山師が飛びついた阿含経、謎の不足を少しだけ補う、思考過程の一部分を述べました。
専門学者ではないわたくしが得々と述べるのも奇妙ですが、次代の仏教の発展は
この大穴を埋める者が、仏陀の宝を得ると確信します。
阿含経をいくら読み込んでも答えは無い、遠い昔、インドの腐った老僧が鍵と錠を消した。
ユビキタス氏もそう思いませんか? >>462
桐山開祖も説かなかった現存する阿含経の否定なぞスレ違いだからやめろ。
あるいはアゴン宗を去ったらどう? >>442
スルーしようと思いましたが>>462の連投。
宗教ディベートまこと君?は此処でも迷惑なのでレスして終了します。
1。
>>463コメント同意でスレ違いです
2。
>>442
>亡者は、生きて居る人に関わらない掟がある。 此れを知るべしなんですが、君に判るかな。
「君に判るかな」と折角オブラートに包んでいますが「亡者は、生きて居る人に関わらない掟がある」とこんな5chにも切り口披露されていらっしゃる。
もし貴方の言われる掟が真であれば、発した時点で此処現世にはおられないはず。スレ違いなので返答不要です。というかこのレスに返答したら偽物確定。さようならw ユビくん、三法印も間違えてるぞ、涅槃寂静がその一つだがね、これも基本だ。三結を無くす修行?アホか、それも分からぬアホ。預流向を勝手に聖者だと思い込むのも我見の始まりだ。我思う故に我あり、の我がないというのが、釈迦のアートマン否定を理解する修行の始まりだ >>465
いや、涅槃寂静を加えて四法印なんですよ。
そしてコンダンニャのこの時、涅槃寂静は説かれていない。
アゴン宗にとっては一切皆苦は説きたくないでしょうね。 >>465
我はないと思うのが修行とやらですね?
それからどうするのですか? >>465
実はあなたの修行なんかどうでもよいが、アゴン宗の霊魂観は三結の身見そのものではないですか? >>465
輪廻が理解できず疑惑も持っていたあなたが、不滅のアートマン否定は理解できたのですね。
ほら、あなたも理解でしょう?
言葉で説かれた教えを理解するように努めたのです。 コンダンニャは因縁解脱の悟りなんて開いてませんよね? 一切皆苦を加えて四法印とする、と岩波仏教辞典に書いてあるから、ユビくん確かめてみな。
間違えたことで我を張るのはやめなさい。
それも我見の始まりだよ。 煩悩を無くすことは、理解することとは違う。
煩悩があることを理解しても、煩悩は無くならない。修行によって無くするわけだ。 悟りを開くということは知恵を備えるということだね。因縁解脱ということも知恵を備えるということなのだよ。知恵によって因縁を絶つことは桐山本にも書いてある。だから悟りを開くことと因縁解脱は同じ意味なのです。これも三段論法だね。 >>471
そうなんですけど、釈尊が五比丘に説き、コンダンニャが最初に理解した悟りの教えは、涅槃寂静が入っていないのも事実なんですよ。
もちろん釈尊が涅槃寂静を後に説いたのは間違いない。 >>472
だから三結を断じただけの預流果はまだ煩悩が残っているのてすよ。 >>473
だからコンダンニャの悟りの知恵の中のどこに因縁解脱があるの?示してみなさい。 コンダンニャが悟ったということは、桐山師の言葉で言うと、因縁解脱を成し遂げた、ということなのだよ。悟ったということは、知恵を備えて輪廻の原因である煩悩と業を断ち切った、ということなのだよ。悟ったということは解脱の知恵を備えたということです。 しかしさ、
桐山氏が因縁解脱したっていうのは
すべて自己申告だからなあ
後光が指してたわけじゃないし コンダンニャが悟ったということは、苦滅を得たということです。苦滅とは釈迦仏教では輪廻の滅を意味する。輪廻の原因は煩悩と業だとする。煩悩と業を滅するのは修行による知恵の力とするのが釈迦の教えだよね。それを達成したことを悟ったというのだね。 自己申告というなら、私は一切を悟った勝利者、涅槃を得たという釈迦だって、自己申告だよなぁ。 釈迦は頭のテッペンにコブができたから仏様の証明なんじゃないの? >>477
>>479
いや、だからさ。コンダンニャの悟りを表現した経典の言葉を引用して、それがアゴン宗で言うところの因縁解脱だったことを証明してみせて。 >>483 コンダンニャ氏が述べたであろう修行上の経緯、
それが成仏方法と言えば判りますか?
其れの記述を隠匿、抹消した為に阿含経の価値が下がったのです。
ユビキタス氏は、私の指摘する意味が何だかわからないらしいですが、
此れが阿含経の根本的欠陥です。
ユビキタス氏の注文は一生叶えられないと思います。 >>484
いやいや、現存の阿含経にもコンダンニャの悟りの内容にも成仏法はありますよ。
桐山成仏法がないだけで。 >>485 ご親切、痛み入ります。
早速、読みたく存じますので書籍の詳細、出版社、お値段などを教えて下さい。
わたくしが知りたいことは密教で説く、身口意から見て三点の何処から成仏法が
強調、開始されているか?
老若男女に於いてその実行法に差があるのか?
いわゆる苦行をなす意味を説いているか?その実行法。
瞑想なのか観法なのか、意心を止めるのか。
いや誠に興味は尽きません。
最も肝心な事は、コンダンニャ氏は修業が何処まで来て成仏したのか?現代人の我々にも
それが共通事項なのか?そして現代人に誰が『お前は成仏した』と認可をするか。
全く疑問だらけな宗教じゃ在りませんか。一刻でも早く己が疑問は解くべきですよね。 煩悩満杯の預流向を何十年も聖者だと言い張るアホの言うことなど、 釈迦の頭のてっぺんにコブが出来たというなら、今の阿含宗のリーダーの、あの方の頭のてっぺんもそうだよ。 阿含経に六神通という超能力が説かれているのは事実だね。しかし、それは五下結を断じた不還からであって、超能力だけ求めても無駄なことだよ。阿含経は指導者次第で毒にも薬にもなる危険な経だね。下手な指導者に合うとオウムみたいになるね。 >>486神も仏も名無しさん2018/08/03(金) 01:38:15.99ID:80SgsPAX
>ご親切、痛み入ります。
>早速、読みたく存じますので書籍の詳細、出版社、お値段などを教えて下さい。
[宝生創価さんの御病気一覧]
・代案を出せ!
・このスレにはかつて坊さんがたくさんいたが、宝生さんの書き込みに逃げ出した。
・深山は創価の信者。
・阿含経から成仏ホウは抜き取られた。
・シャカ仏教の後には解脱者は出ていない。
・桐山さんは密教に成仏ホウを発見した。
・夫人の死因はガンではない
・桐山さんの法華経批判に誰も反論しない。
・外れても外れても、当たらない予言を並べる。
・スレ違いと言われも理解できない。
宝生創価さんの脳の「慢性病」がいくつも再発しましたね。
上記はこの十年、宝生創価さんが何をどう反論されても繰り返している主張です。
今回は、「阿含経から成仏ホウは抜き取られた」という宝生創価さんお得意の御高説で、
他の人からスレ違いだと言われても、もちろんまったく気にしない。
今回も「ご親切、痛み入ります」などと慇懃な態度を取りながら、
内心はユビキタスさんが答えられるはずはないと、ほくそ笑み、
相手を小馬鹿にしながら書いている。
阿含宗の基本的な教義を逆に覚えている愚か者が、よくまあ、
こんな態度を取るものだとあきれる。 >>486神も仏も名無しさん2018/08/03(金) 01:38:15.99ID:80SgsPAX
>ご親切、痛み入ります。
>早速、読みたく存じますので書籍の詳細、出版社、お値段などを教えて下さい。
桐山さんは、阿含経に成仏ホウがあると説いているのに、宝生創価さんは無いという。
そのように主張するのは自由だが、ここではスレ違いだと言われても彼はわからない。
宝生創価さんにだけでも、私とユビキタスさんが何度も本を紹介したばかりか、
文章を引用し、学者の解説を引用し、さらに彼の質問にも答えたことか。
まるっきり記憶にないのでしょう?
私やユビキタスさんが何を書いたか覚えてさえもいないのが宝生創価さんです。
それどころか、あなたが質問する前から今回もユビキタスさんがそれを
すでに何度も説明していることに気が付いていないのでしょう?
なぜなら、その釈尊の言葉を引用されても、どんなに説明されても、
理解できないから、それをオシエだと嘲るしか能がないからです。
小学生でも理解できるような内容をいくら説明されても、
宝生創価さんも1.5来補さんもついに理解出来なかった。
過去形で書くのは、あなた方は桐山さんと同じでたぶん死ぬまで理解できないからです。
それは理解するだけの知性がないというよりも、慢心があまりに強烈で、
あなた方の脳を被膜のように覆ってしまい、知識が脳に入っていかない。
煩悩からの解放が解脱だと説明されても、あなた方は煩悩が強すぎて、
この簡単な説明すらも理解できないのは、何とも皮肉な話です。 宝生創価さんも1.5来補さんも絶望的だが、
他の信者さんたちだけでも、釈尊が説いた仏教を理解してください。
理解すると言っても、高い知性など必要なく、10歳の子供なら理解できます。
釈尊は教育も受けていない民衆に道端の立ち話で教法を説いて、
中にはその場でシュダオンになった人もいたのですよ。
今の教育を受けている日本人が理解できないはずがない。
釈尊は煩悩からの解放を説き、その方法として八正道を示した。
これが全てです。
仏教の初歩の解説書も、専門書も、基本はこれだけです。
ここで信者さんたちは
「釈迦は因縁解脱を説き、成仏ホウとして七科三十七道品を説いた」
と反論するでしょう。
因縁解脱、七科三十七道品などという言葉を使っただけで、
信者さんたちは普通の仏教を学んだことがなく、
桐山本しか読んだことがないとわかってしまう。
と言うと反発するだろうが、本当ですよね?
もし、信者さんたちが普通の仏教を学んでいたら、
釈迦が因縁解脱を説いたという桐山説を奇妙に思ったはずです。
なぜなら、仏教は煩悩からの解放が目的であることは常識であり、世間には
数多くの仏教団体があるが、これを違うという教団は阿含宗以外に見たことがない。
世界中の仏教教団の中で因縁解脱を唱える阿含宗だけが浮いている。
信者さんたちは桐山さんの阿含経講義で引用された阿含経の中に
因縁解脱や因縁切りという言葉や概念を見たことがないはずです。
もし、今そのことに初めて気が付いたなら、自分が桐山さんの口舌に
巧みに騙されて、阿含経の中に因縁解脱があるかのように錯覚させられていたと
自覚してください。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています