Satiを「気づき」という言葉で表現するのは適切じゃないと思います
「気づき」というと「何かにその都度気づく」ことだと解釈されます
それだと「気づく」までは「気づいていない」のを許すことになってしまいます

Satiは「気をつけること」「注意すること」であって
それは「あらかじめ気づいている」ことを要求しているものです
だから本来の意味するところとは違ってしまいます

「足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を
回避する人は、この世でこの執著をのり超える。」(スッタニパータ768)

あらかじめ蛇がいることに気づいていて気をつけていなければなりません
蛇の頭を踏んでから「今、蛇の頭を踏んでいる」と気づいても遅いのです