外道の独り言 11
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「ここは誰もが好き勝手に書き込んで良い」というスレではありません
このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に関して
へピーマン殿が私見、疑問点等を提示いたします
「外道がぶつぶつと独り言を書き散らしているスレ」です
極めて恣意性の強いスレであることを了解願います
上げておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく
(むしろその逆で過疎って欲しいくらいです)
「真摯なる碩学」が
へピーマン殿の書き込みを目に留め、その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です
自由に好きな相手と対論したいと思う人は、このスレを覗かずに他スレに移動してください
昨今、スレ立てが大変困難であり、好き勝手にスレを消費されことは大変迷惑なのです >>311
>>313
縁起というものを茶化すという業を軽く見るという事をアンタは簡単に考えすぎ。(笑)
「気付き」というのは、都合の良い事だけを繋げて妄想する事ではないよ。(笑)
人との関わりあい、例えば「ブッダちゃん、オイラの真似した」なんて縁起を逆にして茶化すなんてのは、そうした業をアンタが重ねて来たから出てくる。(笑)
先ずは自分がゲスだと認めて重ねてきた業を直視して、
アンタが「止」だと妄想しているそれが仏教のそれとは間違っている事を認めて、
謙虚に一から学び直すことだ。(笑)
(^。^)お前らは道を簡単に考えすぎだよ。(笑) >>315
うるせーよ
黙れ
あ、また余計な一言をw >>309
三輪神道の本、高野山大学で借りて、コピーしたのを読むと、
神仏習合系は、十八道だけらしいっす。
あと、神仏習合系、山伏系は役行者時代のままの教義ではなく、
熊野信仰あたり、上皇、法皇時代の、天台系密教の影響が多大らしいっす。
>あと、入我我入観は真言宗では「多数の仏の」なんてことはないぞ。
即身成仏に関する考えっす。
天台系の影響の強い伏系は、一つの仏で即身成仏できると考えるっす。
山伏系は、山の中で修行するらしいから、儀式のプロセス抜きで、一気呵成で即身成仏できるという考えっす。 そういう概念は全て捨てないと悟れない気がするがどうだろう^ ^ 頭でっかちも厄介ですが
心でっかちも戒めなければいけません
バランスが大切ですね^_^*) そういう人は変節漢と呼ばれます
そういう末路を皆辿っています 今日も多数の逝っちゃっているレスしちゃいました笑。 まあ
枯れ木も山の賑わいという言葉もありますからね ID変えてまでやるようになったら
すでに末期的だと自覚しましょう^_^) あなたの精神を蝕んでいる可能性が
非常に高いですから https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1528362218/769-
769 :承狂 ◆AHZLgKnOHuTj :2018/06/24(日) 20:26:11.69 ID:20vtZ1Kt
>>717
この因縁果という人は昔は精霊大王とか名乗ってたり名無しだったりした人で、まず、まともな会話は成立しません。(笑)
ところで、密教の学びかたは教相と事相に分けられますが、
君らは教相側とすれば、この大王は行相側です。
アプローチが全く同じ逆で、しかも元々変人なので頭にくるでしょうが、真面目は真面目な人なので、粘着は続きます。(笑)
(^。^)俺的には両方判るんで、スレ止めるも続けるもご自由に。(笑)
771 :因縁果 ◆d........o :2018/06/24(日) 20:28:42.43 ID:9BfAkcR3
精霊大王?
なんやねんそれ^^ >>318
密教の十八道というのは、両部の法を簡略化したもので、両部以外は全ての修法がこの十八道立てで組んである。
サイトウゴマもメインは密教の修法なんで、やってんのはこの十八道立て。
山伏の伝承として、役行者は開祖とされていて、メインは密教の修法だが、修験独自のもある。
で、山岳信仰と密教が交ざったのが修験道で行者は山伏と言われてて、当山派と本山派があり、真言宗の醍醐派と天台がそれぞれ下に置き、
神仏合習というのはまた別の話で、
仏教伝来以来、神道との習合がなされ、平安以降に(お大師さんが作ったと両部では言うらしいが)真言宗から両部、天台から山王が生まれた。
だから、神仏習合では、神々を仏菩薩のスイジャクとしたりして、神々を祀るが、
修験では、仏菩薩をメインに祀る。神々は権現、仏菩薩が仮の姿として神々になったという扱い。
てな感じだろ?
あと、「即身成仏」とは、文字どおり「この身が即、仏となる」という密教の思想で、
修験というのは「験」を修める、即ち目に見えるシルシを現せること。
山伏とは教義云々ではなく山での行を専らとし現世利益をもたらす呪術者のこと。
よって修験ではよく即効性を口にするが、中身は密教と神道と道教(陰陽道)なんで、察してくれ。(笑)
(^。^)独自の信仰とかあって面白いのは面白いけどな。(笑) >>339
>で、山岳信仰と密教が交ざったのが修験道で行者は山伏と言われてて、当山派と本山派があり、真言宗の醍醐派と天台がそれぞれ下に置き、
最新の山岳修験道学会では、
当山派は真言宗の醍醐派ではなく、なったのは明治以降らしいっす。
興福寺修験、
俺は小島流とか想像しているんですが、高野山に宿坊南院がありまして、小島流らしいっす。
東寺系とは別物の興福寺修験らしいっす、
南都系は室生寺、長谷寺と、真言密教本流らしからぬ流れがあります、
三輪神社、現大神神社は、半分は真言律宗の叡尊の管理下の大御所輪寺、あとは、興福寺系かつ、真言念仏の覚鑁の影響がある平等寺があるっす。
この流れだと、神仏習合と山伏は無関係と言えないっす。
あと、藤原道長時代の高野山奥の院の法要では天台密教三井寺坊主が半分いたっす。
現在高野山宿坊でも三井寺系円珍作とか言われる仏尊が多いっす。
三井寺影響下と言われる熊野信仰も、この歴史から、三井寺坊主が流入しており、
東寺とか京都周辺の真言密教と同じような純正とは言えないっす。
あと、高野山神仏習合の御流神道は仁和寺で、ここも、覚鑁時代前後、天台密教が流入しているっす。
神仏習合、山伏は、高野山を起点としてカオスですっす。 >>340
勉強になりました。
ン十年間前にちょっと調べただけなんで、そんなんとは知りませんでした。
(^。^)でも、高野山中心は違うと思うよ。(笑) >>341
現在高野山は興福寺系密教の色が濃いんだと思う、
高野山の霊宝館の国宝大日如来と感触と、
現在高野山根本大塔の感じが違う、マジっす、
興福寺の影響があるのか?と室町時代、宥快以降なのは・・・。
鎌倉時代に東寺の支配下からの独立らしいっす。
上皇、法皇参拝で、正式密教じゃないたまり場状態だから、高野山は、山伏と念仏連中の聖地、奥之院
奥の院が阿弥陀浄土扱いというトンでもカオスだからな。
きっと、山伏と念仏連中のカオス仏教のメッカですっす。 さてっと^ ^
温泉水風呂サウナ瞑想に入るかな^ ^ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄"\
/ ノ^ヽノノノノ^ヽ、 ヽ ):::::::ノ
| / へ へ ヽ | ,):::::::ノ
(| ┫◯┣┫◯┣ |ノ (:::::::ノ
| ノ(、_, )、 | ノ::ノ
| ,r=ニ=、ヽ ━━Ц
|∴∴ `ー'∵∴ | 長崎だけど、こんにちは
ヽ、∴∴∴∴ /
/ ̄  ̄ヽ
/ ,ィ -っ、 ヽ
| / 、__う人 ・,.y i
| /  ̄ | |
ヽ、__ノ | |
| 。 | /
| ヽ、__炎_,ノ |
| (U) |
| / ヽ | 想念を燃やし尽くす^ ^
簡単なやり方がある^ ^
言葉をつかわなければいい^ ^
そうすれば虚妄の世界から解脱できる^ ^
直接知覚でいける^ ^ 言葉が虚妄分別の世界を作りだしているんだよな^ ^ 想念が出てきたら^ ^
言葉は使わないと決心するだけでいい^ ^
簡単明瞭^ ^
そうすれば今にいることができる^ ^ 頭の中で概念化、言語化した共相をいくら積み上げてみても、直接知覚された「それ」=自相そのものを、正しく認識、表示することはできません。「それ」ではなく「そのようなもの」として近づいていくしかないのでしょう。
「比量」によって概念化、言語化したものが、あたかも実在していると思い込んでしまうところに、妄念が生ずる原因があるのでしょう。
これやな^ ^ 「二念を継がず」という言葉があるが^^
想念が湧いてきたら・・^^
「言葉の使用禁止」
これで想念は吹き飛ぶ^^ 「想念を焼き尽して」(Sn.7)
言葉を使わなければいい^^
言葉を使わないことを習慣にする^^
言葉を使うときと使わないときで区切りをつければいいんだよな^^ 「如来は死後に存在するのでもなく、かつ存在しないのでもない」というこの見解は、
見の稠林、見の難路、見の曲戯、見による動転、見による繋縛であり、苦あり、憂愁あり
、悩害あり、熱悩あり、厭悪、離貪、滅尽、寂静、神通、正覚、涅槃のためにならないのです。 かくのごときが〈想〉である。かくのごときが〈想〉の生起である。かくのごときが〈想〉の滅没である。
「それゆえ、如来はすべての妄想、すべての混乱、すべての我見、我所見、慢随眠の尽滅、
離貪、滅尽、棄捨、捨離ゆえに、取著なく解脱しているのだと、私は説きます」 う〜〜ん^^
言葉を使わないと過去未来はないな^^ この調子でいけるところまでいくかなっと^^
想念を焼き尽して・・・と^^
寝る^^ 今年一番笑えたレス(暫定版)
一週間前のレスを今来たレスと勘違いするとか・・・
さすがはでおー大明神!!!!!!!!!!!
施設入所者はキチガイ度が群を抜けて一味も二味も違うねぇwww
でおー/2018/08/31(金) 17:57:53.22
鬼子、ぴっぴ、不思議現象が起きている。
鬼子、ぴっぴのレスのタイムが午後6時になっている、なんだ、これは?
210ピッピ・シェアトゥ2018/08/24(金) 18:24:19.86ID:k57qVemM>>212
212日本鬼子 ◆3yNEHqeJlglY 2018/08/24(金) 18:27:59.44ID:m93AGJaS
でおー/2018/08/31(金) 18:13:12.52
今のぴっぴのレスタイムは2018/08/31(金) 18:10:07.29ID:QQ+2hUm+
だが・・・・。このレスタイムが・・・・。
ピッピ・シェアトゥ2018/08/24(金) 18:24:19.86
日本鬼子 ◆3yNEHqeJlglY 2018/08/24(金) 18:27:59.44
だぞ、時間が後退した笑。
でおー/2018/08/31(金) 18:19:09.43
あ、日にちが違った
ピッピ・シェアトゥ /2018/08/31(金) 18:10:07.29
何が不思議なの
ピッピ・シェアトゥ /2018/08/31(金) 18:34:36.79
あほか ⊂⊃
, ´  ̄ ヾ
ノ Xlノリノ))》 ∬ コーヒードゾー
/⌒リ从・ω・从([_]
/ :::丿::⊂)丱iつ ̄ ̄
/ノノノ~ .く/_|j〉
し'ノ 466 :神も仏も名無しさん[]:2018/10/28(日) 19:08:42.48 ID:zCoMQJAc
>>460
いやいや!癒されないか?
あの情深いところとか。
そも、でおはカムイ君から真心の慈悲を受けている。ならばその恩を返さねばw
まああるところではじま
513 :神も仏も名無しさん[]:2018/10/28(日) 19:44:31.90 ID:zCoMQJAc
>>509
シャロンさんがでおを肯定するセンスを持っているように、俺もカムイ君を肯定するセンスを持っている。
それらのセンスに助けられた君じゃないかw
518 :神も仏も名無しさん[]:2018/10/28(日) 19:48:10.47 ID:zCoMQJAc
>>515
シャロンさんはでおーに優しいカムイ君を見てくれているはずさ...w
な、でお。(圧力) 結局のところ、因縁とか鬼畜猫とか嫌がらせしたかっただけなんだろうが、
あーゆー連中ってのは自分達が嫌がらせをしたって自覚すら無いんだろうね。(笑)
そうして業を重ねて落ちていくんだが、こうした連中には関わらないのが結局のところ一番なんだよね。
何一つ得るところが無い、ひたすらウザイだけの朝鮮人みたいなもの、というかその物な訳だし。(笑)
(^。^)え?お前はなにやってんだって?勿論、連中が更に業を重ねるように撒き餌をしてるんだよ。(笑) 承狂氏、ひさしぶりでござる。
お遍路の弘法大師は釈迦如来の化身という説があることを発見。
ていうことは、法華経の釈迦如来で永遠に生きている釈迦如来から、永遠に奥の院で生きている弘法大師へ・・・と、
謎が解けた。 >>379
そんなことばっかり考えてると……
(^。^)まぁ、赤の他人だし、いっか。(笑) >>380
高野山へ行ってきたぞ、
宿坊で阿字観やってきたぞ。 今年もあと23日だね。
(^。^)平成の御代も残り僅か。
さて、供養の話でもしてみようか。
唯物的な、或は現代科学的な知見から言えば、存在しないとされる霊に祈り、供養しても意味がない事になる。
従って、日々の勤行等は僧侶や式衆の個人的内面的なセレモニーとなる訳だが、
これは間違いだと言える。
悪業が輪廻するように、善業も輪廻するからだ。
但し、正しく念じて居なければ単なる真似事に過ぎない訳だが。
では、正しいとはどういう意味か?
四諦、八正、等の縁起の教え、即ち仏道の事になる。
では、具体的にはというと、戒律が有ったんだが、現代社会ではそぐわないものもある。
じゃあ考えれば良いだけの話だ。
カルトの様な搾取される側と搾取する側は中道ではないだろう。
食事の過剰摂取や偏食や食べないのも中道ではないだろう。
では、修行は或は苦行はどうか?
続きはいつかそのうちに何処かのスレで。(笑) >>383
ジャストーミートです、ありがたい、
最近、供養について探求していました、是非、ここでお願いします。マジです。
是非、続きをたくさん知りたいです、 >>384
「供養について」としたが、個人的にぼんやりと考えてる事を改めて書いてるだけなんで、何の論拠もない話ですよ。
供養について知りたいなら、ネットでググって調べましょう。
(^。^)昔の人は言いました。「ggrks 」と。(笑)
ぐぐれかす
ということであるらしので
とりあえず
ウィキペディア参照
供養(くよう)
仏、菩薩、諸天などに香、華、燈明、飲食などの供物を真心から捧げること
日本の民間信仰では
死者・祖先に対する追善供養のことを特に供養ということが多い
これから派生して、仏教と関係なく、死者への弔いという意味で広く供養と呼ぶこともある
また動物等に対する供養
さらには針供養や人形供養のように生き物でない道具等に対する供養もある
日本における供養
仏像の供養
死者の供養
人間以外の動物の供養
物品などの供養
↑一切悉有仏性ということが関係しているのかもしれない
一切悉有仏性
衆生(人間)に限らず、山川草木や生類(物品などにも?)すべてに仏性がある
みたいな感じ おじゃる? >>383の続き
釈尊は苦行を否定されたが、それは当時の苦行であり、
各宗派の行、何らかの仏教的な思想から生まれた行とは違うと言える。
これは今でもヒンドゥの行者が行っている行と比較すれば明白だろう。
この行の線引きは、時代や社会で異なるが、釈尊の時代に戻るという選択肢は無い。
現代日本というぬるま湯で生活している我々が、日本で三衣一鉢で乞食すれば冬に凍死してしまうだろう。
当時のインドで釈尊が想定された中道とは、社会生活のみでの中道とは違うと言えるだろう。
廻諍論では「縁起」や「中道」などが「同一の意義と説かれた釈尊に帰依」する旨の序文がある。
従って、縁起や輪廻なども中道と同様となる。
この我々の想定する以上にシビアな中道に沿うものが正しい行であり念であり供養となる訳だが、
一般向けには常識範囲内での供養や思惟等が説かれる。
但し智慧波羅密➡中観の空の法門のみが一般まで開かれている。
では、次回に俺の妄想する中観的な視点から供養について書くとする?
(^。^)全て「俺の妄想する」仏教観だからな?(笑)
如来や法門が無尽であるように、個々の道も違うわけだから、特に独学の連中は眉に唾付けてな。(笑)
あと、バカカルトの連中は、もう何しても手遅れだから、こんなの見てないでボランティアでもしてろ。(笑)
↓智慧波羅密ってこれ?
般若波羅蜜 = 慧波羅蜜
智波羅蜜
智は
万法の実相を如実に了知する智慧は生死の此岸を渡りて
涅槃の彼岸に到る船筏の如く
_ _ _
真実の認識(如実知見)に至るための
八正道の正見をもって
解脱したと知る解脱智見をもって
実相般若
般若の智慧によって観照された
対境としての一切法の姿
http://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
…無の世界も超えて
移り行く世界の様を
平等性智をもって → ありのまま見つめている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE
中観派
実有ではなく仮有なるものとして
散りゆく桜と人生の儚さ
仮設としての
客体と主体
たとえば
無明からの相互依存による
生老病死
愛別離苦
怨憎会苦
求不得苦
五蘊盛苦
− これを対処するために −
(無明に依存することのない)
智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動するから涅槃の境地にもとどまらない
無住処涅槃
仏そのもの
仏性からの真如縁起による
安心立命 >>389
直線的な意味での供養だったのですね。
真言密教テイストの供養の話を期待してしまった。
いや、今も期待している。 おじゃるも
承狂元密教僧と
縁起一代阿闍梨と
その他諸々の密教の先生の方々に
越法罪も超えて
ご教示して頂きたい所存で おじゃります m(_ _)m
_ _ _
供養 密教
塗香
仏像や修行者の身体に香を塗って、けがれを除く
焼香
心と身体の穢れを取り除き、清浄な心でお参りする
加持香水
諸種の香を混ぜた、修法に用いる水を浄化する
これを行者自身や壇場に注いで、行者の心身や壇場を清浄にする
https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/40b3fc679fbdf318bf1de41e260d9279
密教辞典
「灯明を
仏に献ずることの功徳は広大であり、世を照らし、闇を除き
知恵を得て世間に流転せず、福徳を得、命終して涅槃を證す等と経典に説く
密教では
灯明は外四供養の中の金剛燈菩薩であり、また六種供養では智波羅蜜とする
法脈を譬えて法灯、昼夜不断にともすのを常夜灯といい
高野山燈籠堂には白河燈,貧女の一燈などの萬燈が断えることなく光を放っている」
供養 チベット
父タントラ
母タントラ
↓密教、供養、華、香、一事一物も
https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/8de547797bacc682f80c146227e2ee06
「…密教では…いはゆる一華一香は
因縁によって生ぜられた有限の一事一物に過ぎないけれども
密教のそれは何れもこれを精神化し
無限化し各々に全宇宙を宿したる一香一華ということになる…
密教の根本佛たる大日如来は
あたかも太陽の如くに,正しきものにも
正しからざる者にも、その生命の光をおしまず一様にこれを照らし
一華一香は勿論、微塵末に至るまで、その生命の光が浸透している
さればいかなる一事一物もそのままが無限であり全一であり、遍法界である
この遍法界の一華一香を以て、遍法界の法身佛を供養するのであるから
供養する事物も供養せらるる佛も俱に宇宙の絶対体で能・所を絶した上の供養雲海である」
https://en-park.net/words/7441
根本仏
…
仏教の開祖は釈迦であり、この世ではじめて悟りを開いた人物ですが
大日如来はその釈迦をも創りだした創造主といった考え方に近いです
…
真言宗では大日如来をご本尊としています…
大日如来が
宇宙の創造、維持、破壊
ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァなども創りだして
仏教の開祖は釈迦であり
この世ではじめて悟りを開いた人物ですが
大日如来はその釈迦をも創りだした
それゆえに
> 一神教じゃん!Σ( ̄□ ̄;)
=^・ ・^= にゃるほろ!
そう言われてみれば
そんな気もするかもしれないけど
それでも、やはり
多神教という感じもするけど、とりあえずは
法身 光明遍照
宇宙の真理・真如そのもの、仏性
報身 般若の智慧
仏性のもつ属性、はたらき。あるいは修行して成仏する姿
応身 解脱智見
この世において悟り、人々の前に現れる釈迦の姿
こんな感じらしい
>>397 応身 解脱智見 の訂正
大日如来からの
↓
この世ではじめて悟りを開いた、釈迦
応身 この世において悟り、人々の前に現れる釈迦の姿
↓
無住処涅槃
智慧によって煩悩障と所知障とを離れているから生死(迷いの世界)にも停滞せず
しかも大悲をもって衆生を救済するために迷いの世界の中で活動する
加持(かじ)
密教においては
仏が大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 仏の大悲・大智を受け入れる
訂正して、お詫び申し上げます スマソ m(_ _)m 398.バカには理解できない。バカ丸出し、である。大爆笑である。 馬鹿にするばかりじゃダメで、何か公案を与えてやってくれよーん?! 黒木香のAVを観賞しつつ、呼吸法の極意をマスターする。 これ即ちヨガ(す)る声。
ヨガによって解脱・悟りを得るなり。
禅だけでなく、体操技法も取り入れるなり。
嗚呼、いくいく逝くーーー。
涅槃に至るなり。 >>405
佐保田鶴治著「八十八歳を生きる」参照。 405.ヨガはバカ瞑想、ばか体操である。
坐禅はバカ坐り、である。
それで悟れることはない。
バカには理解できない。大爆笑である。 「バカ」と「ばか」カタカナとひらがなの違い?
この使い分け方は? >>388続き
さて、供養の話だったな。
供養と言えば先祖供養や諸尊への供養、更には施餓鬼供養や針や魚など様々な事物への供養祭がある。
此処等からも判る様に「供養」とは「捧げ物」という意味ではなく、ネギライやモテナスという意味だ。
よって花や香で諸尊にもてなし、読経などで餓鬼に労う。
これ等もまた仏教思想に裏打ちされた行いであり、六波羅の布施、即ち我が事物への執着を断じて正しく「施す」事。
この「施し」も「布施」と同じく意味が変化して使われている言葉で、
「施し」は立場等の上下は一切無い。
「恵む」等とは違う意味だった言葉だ。
故に密教では、「一切を供養する菩薩」という存在も説かれる。
つまり、視点が違うだけで、中道も縁起も空も、供養と同意義と言える。
(^。^)わかるな?つまり説明が途中で面倒臭くなったから端折ったわけだ。(笑)
=^・ ・^= にゃるほろ
供養
香、華、燈明、飲食などの供物を
(立場等の上下は一切無い、平等性智をもって)捧げる
↓「一切 供養 菩薩」で検索すると
地蔵菩薩
文殊菩薩
薬王菩薩とかがでてくる
日月浄明徳如来(仏)の弟子だった一切衆生喜見菩薩という説明を見ると
(法華経の)壮大な大乗の物語。という感じもする
↓安心立命?
准胝観音
準提功徳衆、寂静にして心常に誦すれば、一切諸々の大難、よくこの人を犯すこと無し
天上及び人間、福を受くること仏の如く等し、この如意珠に遇はば、定んで無等等を得ん
オン・シャレイ・シュレイ・ジュンテイ・ソワカ m(_ _)m >>411
四供養菩薩、八供養菩薩などで調べれば出てきますよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています