>>935
> >>889 それらは少しもおぬしの珍説の根拠になっていないのじゃ。
> 吉瀬はインドの修法に基づくものであろう。とか単なる感想を語っているのじゃ。
> 今は既にお釈迦様は初期から独自の観察を教えていたとわかっているのにのう



最初から「止観」という仏教独自の瞑想法をお釈迦様が教えていたなら、初期の経典に記載されているはずですよ?
初期の経典に「止観」の語がなく、後期の経典で「止観」の語が現れ、更にそれよりも後期の経典でその意味等が解説されたんです。
つまり、インド古来の瞑想法である定(C)から機能として止(A)が分かれ、さらに観(B)に分かれたに他なりません。