>>703 よかつたのじゃ。
 またおいでなさい。

>>704 わしじゃよ。
 瑠璃の色じゃな。
 後は頼むのじゃ。

>>707>>708 おぬしの元々の主張は止観が定の一部ということじゃ。
 論理的に書けばABはCの一部と主張しているのじゃ。
 中村元はAB併称はなかったと主張しているだけなのじゃ。

 ウダーナヴァルガにおいて既にAとBは対立して説かれているとも書いておる。
 初期にはCしかなかったというおぬしの主張を完全に否定しておる。

 AとBは初期からあったが、対立するものとして説かれ、AB併称はなかったというのじゃ。
 その理由はAを行うことでBも行うことになるからではないかと推測しておる。
 CからABなる術語が出たとも書いていないのじゃ。

 これはおぬしが自ら要約して明らかにしたことじゃ。
 これで理解できなかったならば自分の要約さえ理解してないことになるのう。
 
>>709 箕輪は
 AとBは違うものであると説いておる。
 基本的な性格は変らないと書いておる。
 Bと呼ばれるものの中には本当はBではなくAに属するものもあるから注意が必要と書いておる。
 
 Cしかなかったとも、CからABという術語が出来たとも書いておらんのじゃ。
 全然関係ないどころかおぬしの主張を否定する論を何度も書いて何がしたいのかのう。
 
>>710 それが間違いであることは直ぐにわかるのじゃ。
 実際に在る身体を観察しなくては観察にならないのじゃ。
 
 おぬしの間違いを訂正したのであるがもはや錯乱しているようじゃのう。
 @ おぬしの止観が定の一部との主張に反するのであるから止観の記述は関係ないのじゃ。
   初期に在るとか無いとかも関係ないのじゃ。

 2 おぬしが止観が定の一部であることを証明できなければわしの主張が正しいことになるのじゃ。

 おぬしに常に真実をおしえるわしこそ真の和尚なのじゃ。