翠巌、保福、長慶、雲門、の四人は、雪峰義存門下の兄弟弟子である。

翠巌(すいがん)、夏(げ)末に衆に示して云く、

「一夏(げ)以来、兄弟(ひんでい)のために説話(せった)す。看(み)よ、翠巌が眉毛(まゆげ)ありや?」。

保福(ほふく)云く、「賊(ぞく)となる人、心虚す」。

長慶(ちょうけい)云く、「生(しょう)ぜり」。

雲門(うんもん)云く、「関(かん)」。

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注:

眉毛ありや:仏法を誹謗すると眉毛が落ちると言われる。

仏法は言説を超えたものであり、言説に頼れば仏法を誹謗することになる。

ここで眉毛という言葉は悟りの本体としての父母未生以前の本来の面目を表わしていると考えられる。

「賊となる人、心虚す」:盗人は内心ビクビクしている。盗人は賊機を持った翠巌をさしている。

「生ぜり」:眉毛は生え揃っている。

「関」:ピシャリ。「門は閉められたぞ。ここが通れるか」。「関」は悟りへの関門。

本則

翠巌和尚は90日の夏安居の終りの日に大衆(修行僧達)に言った、「この夏安居の間諸君達のために仏法をくどすぎるほど説いた。
(昔から仏法は言説を超えたものであり、仏法をしゃべり過ぎると眉毛が落ちると言われる。
もしかして、わしは仏法をしゃべり過ぎて眉毛が落ちたのではないだろうか)。

どうじゃな、わしの眉毛は落ちてはおらんかな?(言説に頼れば仏法を誹謗することになるので)」。

保福は言った、「ヤイこの盗人め、ビクビクするない」。

長慶は言った、「眉毛はチャンと生えているじゃないか」。

最後に雲門が言った、「ピシャリ(門は閉められたぞ。ここが通れるか)」。

〇 これは、意訳しては、透らない、だろう。
  改めて有無を問う。
  仏法、と言い出せば、下から上に見る人もいたのか、横一列なのだが。マブダチは、眼は、横についているんだぜ、と言う。