>>47(追記)
因みに止と観に分けて行じているのは南伝仏教で、大乗・金剛乗では行ずる上で分けていないそうで。

(楞伽師資記)
又問う、「何者か是れ禅師の定恵等学?」
和上曰く、「其の定と言うは体の不可得なるなり。其の恵と言うは能く不可得なる体の湛然常寂にして、恒沙の用有るを見るなり、故に定恵等学と言う」

(原始仏教における止観/中村 元)
「ともかく「止」と、「観」とは遅れて別々に説かれるようになったのであるが、そのわけは心を静めること(止)が、
結果的には真理を明らかにすることになるので、やがて心を静めること(止)と真理を観ずること(観)とが併称されるようになった。