>>144(其の2)
いい加減にまとめに入ろうと思います。

<当方の見解>
 > 「止観なんてその定の実践の一部分だろうが?」
<見解の根拠>
 > 「(前略)禅定を「止観」というかたちで実践することは、仏教特有であって(後略)」


念のため、先の中村先生の論文から本件の争点部分を引用しましたので。

<以下引用>
「仏教が成立した最初の時期には、  【禅定】※1  の修行は行つていたが、それを意味する術語としては、ウパニシャッドやジャイナ教におけるのと同じ語を用いていた。
すなわち(ディヤーナ、ヨガ、サマディ※2)などである。
最初の時期には「止観」(サマタ、ヴィバッサーナ※2)という語は用いられなかった。
「止観」という語は、原始仏教においては、やや遅れて成立した語であって、仏教以前にはもちろん用いられていない。
ともかく「止」と「観」とは遅れて別々に説かれるようになったのであるが・・・(中略)・・・以上成立史的に考察してみたが、  【禅定】※1  を「止観」というかたちで実践することは、仏教特有であって(後略)」

※1  【】とスペースはこちらの加筆です。
※2  サンスクリット語はカタカナに改めました。