【仏教】 悟りを開いた人のスレ302【天空寺】
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だからといって荒らしのは論外。
議論には議論で対抗すればいい。 見解について
「もし、 この世に論がなくて惑い途方にくれる者が多いならば、世間のよこしまな知恵や巧みな言い回しのために、
共に惑わさ れてしまい悪い行いをなして、悪しき境涯に輪廻し、真実のことがらを見失ってしまう。
もし、論に到達するなら、おのずから善悪の特徴と空の特徴を理解 して、仏教の反対派であれ、他学派の者であれ、謬見を持つ者であれ、皆悩みなくさまたげをなすことがない。
それ故に、私は人々の利益となるように望むために、この論を造るのである。」
(「方便心論」)
「空性とは、一切の見解からの出離であると勝者たちによって説かれた。」
(「中論」) >>136
気がつかないのはあなたでは?
以下の事実はどう思う?
↓
本オーム
> 681 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2018/06/24(日) 13:32:08.87 ID:Db6HgDYa [2/16]
> 曹洞宗は体育会系筋肉バカ養成機関で
> 南もその一員でしかない(笑)
P氏
> 693 名前:***マン[] 投稿日:2018/06/24(日) 14:23:28.57 ID:z7CkQWWH [9/23]
> >>681
> >曹洞宗は体育会系筋肉バカ養成機関で
> >南もその一員でしかない(笑)
> そういう、総論的な揶揄は単なるヤジ、罵倒で、そういうのはここでは
> いらんのですよw
> もし、批判箇所があるなら、そこを指摘してきちんと自己の見解をのべてください。
> ・・・・・・なんか、***がこのスレのレベル低下を嘆いていたが、これじゃあ、なんも
> いえんわww
元オーム
> 726 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2018/06/24(日) 15:05:59.77 ID:Db6HgDYa [13/16]
> パーピマンは気にし過ぎ。
> 嵐はスルーが1番効くんだよ(笑)
> 構ってちゃんだから、構って貰えないと他に移動する(笑)
> 構って貰えないとオウムスレにも来るからねマジで(笑)
ジャンキー大山
> 731 名前:junkie- ooyama.[] 投稿日:2018/06/24(日) 15:14:46.29 ID:auaCsbur [8/13]
>>>726
> 貴方に対するパーピマンの沈黙が、荒らしに対する態度なんだけどw
元オーム
> 735 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2018/06/24(日) 15:17:10.16 ID:Db6HgDYa [14/16]
> ジャンキー(イカレポンチメタボアラフィー) にパーピマンの何が分かるんだよ(笑)
ジャンキー大山
> 738 名前:junkie- ooyama.[] 投稿日:2018/06/24(日) 15:20:27.85 ID:auaCsbur [10/13]
>>>735
> ・・・ これは思い切り笑えるなw
> 嵐はスルーが1番効くんだよ(笑)
> 構ってちゃんだから、構って貰えないと他に移動する(笑)
↓
> 貴方に対する****の沈黙が、荒らしに対する態度なんだけどw なんだ、犬、こっちで狂ってたんか笑
509糞凡夫2018/06/25(月) 21:29:59.14ID:FFO/lqR+>>522
キチガイだな。
ネット殺人を想起させるような奴だな、元オームって。
【ネット殺人】福岡男性刺殺事件でネット犯行声明か / 有名ブロガーHagex氏を殺害した犯人「低能先生と馬鹿にされ殺意か」
522マジレスさん2018/06/26(火) 09:53:10.79ID:4oKD4rl6
>>509
被害者の行動はあなたと50歩100歩
コテハン使い自己顕示欲が強いアホ 犬ジャンキー元気に自演して狂っているではないかっ!
それでこそ、犬だ。いいぞ。 >>123 全部読むのじゃ。
そうでなければ知ったかぶりを続けるだけなのじゃ。
>>124 それがおぬしの誤魔化しであり、糟糠でしかないことは瞬時にわかるのじゃ。
もし本当にそれにおぬしの言葉を証明する一言でもあったならばおぬしは鬼の首を取ったかのようにはしゃぎまくって載せるはずであるからのう。
そもそもディヤーナとは心の状態であり、止観の観は技法なのじゃ。
止観の観とはヴィパッサナーであり、天台の止観等は既にその理解がなくなっているものじゃ。
心の状態の一部が技法というようなことはありえないのじゃ。
例えば野球の打者が一本足打法という技法を行うのに、心を平静にするということはあるかもしれん。
それでも心の平静の一部が一本足打法であるということはないようにのう。
真実がわかったならばもはや知ったかぶりはやめるとよいのじゃ。
>>125 無いのじゃ。
一切の観念から離れるのが悟りであるから、見解からも離れるのじゃ。
空というのも観念を破壊するために設けられた仮の観念なのじゃ。
そうであるから空にも囚われてはいかんのじゃ。
>>131 そうじゃ、心の病じゃ。
自分では正気と思っているがのう。
嘘をつくのも頭がおかしい振りをするのも完全な精神病なのじゃ。
正気な者はそのようなことをしようとも思わないからのう。
>>144
ん?
>>108の証明をしてね。
それと、僧侶でないのに何故和尚と騙るの? >>144(其の2)
いい加減にまとめに入ろうと思います。
<当方の見解>
> 「止観なんてその定の実践の一部分だろうが?」
<見解の根拠>
> 「(前略)禅定を「止観」というかたちで実践することは、仏教特有であって(後略)」
念のため、先の中村先生の論文から本件の争点部分を引用しましたので。
<以下引用>
「仏教が成立した最初の時期には、 【禅定】※1 の修行は行つていたが、それを意味する術語としては、ウパニシャッドやジャイナ教におけるのと同じ語を用いていた。
すなわち(ディヤーナ、ヨガ、サマディ※2)などである。
最初の時期には「止観」(サマタ、ヴィバッサーナ※2)という語は用いられなかった。
「止観」という語は、原始仏教においては、やや遅れて成立した語であって、仏教以前にはもちろん用いられていない。
ともかく「止」と「観」とは遅れて別々に説かれるようになったのであるが・・・(中略)・・・以上成立史的に考察してみたが、 【禅定】※1 を「止観」というかたちで実践することは、仏教特有であって(後略)」
※1 【】とスペースはこちらの加筆です。
※2 サンスクリット語はカタカナに改めました。 >>146
なーに揉めてんだよ。
鬼和尚は、「観」の観察は定じゃないと言ってるだけですよね。
「止」が定のことなんでしょ。
> 「止観なんてその定の実践の一部分だろうが?」
いや、ジャンキー殿の言ってることがおかしいんじゃないの?
横ヤリ失礼^^ 鬼和尚と和尚て同じじゃないよな?
それとただのハンドルネームにいちいちいちゃもんつける
イカレポンチの自己愛の塊、ストーカー体質のキモイやつ(笑) イカレポンチは論破されても負け惜しみから、自分の非を認めたくないんだよ(笑)
なんせ自己愛の塊だからね(笑)(笑) >>147
なら、あなたが代わりに>>108を証明してみれば? >>148
だったら固定ハンの由来を言っても構わないだろ? 「定」はサマーディの事らしいから、観は定の一部ではなく、むしろ全てぢゃ
サマーディ(三昧)は、瞑想などで個我が解けたときに得られる至福感のことで
その状態にあり始めるとフワフワと心地よいものではあるが
鬼和尚が言うとる「観」は、もっと剥がし切った状態のこと
はじめのジャンキーの指摘もなかなかぢゃが、鬼和尚の返しは、まあその上ぢゃ
鬼和尚は三昧レベルでフワフワしてたり、あるいは仏学に励んだ経典引用よりも
もっと空っぽのところから智慧で物申しとる。無認識までいかんと認めない
それが鬼和尚ぢゃわな (●´ω`●)yー~ 自由には責任を伴うよね?
固定ハンは自由でいいと思うけど、特化された板で、その道の専門家の固定ハンをつけるのは如何なものかねぇ?
医療の板で医師を名乗ったり、司法のスレで弁護士を名乗るのと同じじゃないの?
解決を求めに来られる方に在らぬ誤解を招く様な事は避けるのがいいと思うけど? >>11 で、うんそうぢゃ。さすがジャンキーと思うたが
細かく言えば、>>35 の鬼和尚の言うことが正解ぢゃ 鬼和尚に喧嘩売れるのは恵まれた経験ぢゃ。それが精進の糧になれば儲けもの
しかし鬼和尚も生粋の仏ぢゃ。空っぽから丁寧に言葉を返しておる
鬼和尚は良い意味で人間と思わんで話したほうが良い。空っぽの無で智慧の仏ぢゃ
(●´ω`●) >>154
いや、お釈迦様がなされた定の実践が、後代、止観という仏教オリジナルの行法に分かたれただけの話をですよ?
詳しくは中村先生の論文で。 直指人心、見性成仏
瞑想あるのみぢゃ。ケタケタと笑いが止まらぬ三昧を体験し
しばらくはそこでフワフワと心地よく満足はしておれても
ちょろちょろ残った執着も剥がして、止観を完成させれば
鬼和尚みたく良い意味で人間でなくなれる
いや和智かて鬼和尚ほどは精進はしておらんが (●´ω`●)yー~ >>157
コジさんは鬼和尚を認めてる様だけど、その程度の方は少し敷居の高い坐禅会には普通にゴロゴロいる訳で、末単に坐る私からみても「何言ってるの?」って程度なんです。 釈迦はスジャータに恵んでもらった乳粥を食べた後は、ぼーっと瞑想しとった
骨皮筋衛門な身体が徐々にメタボ体型になるまで、普通に飯食って瞑想しとった
己の中でさまざまな思考が飛び交い、葛藤が沸き起こり、心苦に苛まれる状況と
ただただ内観を続ける瞑想で向き合っておったのぢゃろう。それは正しい方法
しばらくして三昧までいき、やはりニヤニヤし出して変な奴だと周りに思われて
それでも三昧までいけた者の言うことはそれなりに智慧の言葉を出すから
周りの者らに「教えろ、教えろ」と言われて、教えれる範囲で教えはじめて
それでも智慧が完成してる訳ではないから、たまにイラッとしたりムカついたり
軽く愚痴をこぼしたり、顔を歪めたりする日々が続いて、もっと精進に励んで
ブッダと呼ばれるまでに至った筈ぢゃ。そんでキノコ汁か何か食って死ぬまで
「内観による執着の完全瓦解から出る智慧」で、人々に説いておった訳ぢゃが
止観と言うものは、釈迦かてしておったのぢゃ。己の思念を止めるだけでなく
認識による分別や、そこに生じるあらゆる「隔て」の数々を意識しなくなるまで
ぼーっと瞑想しとったのぢゃ (●´ω`●)yー~ 159.それは心理学である。
それは宗教ではない。 ジャンキーという個人も、和智という個人も、鬼和尚という個人も、おらん
それらが在ると思うこともまた、認識による分別から生じた「隔て」なのぢゃ
この世の中には、「自分という目線から見たときにどれほどの隔てが在るのか」
それらを細かく数えて見ると良いかもしれん。誰それや、誰のもの彼のもの
良いも悪いも綺麗も汚いも必要で不必要などは誰から見てのそうなのかや
そういった分別とか隔てとか、あれもこれも「認識」でしかないなぁって感じで
ぼーっと瞑想しとったらええと思うのぢゃ。気づけば自他一如どころか
「自環一如」。あれま、ぜんぶ環境に過ぎんのでしたか。ってなると思うのぢゃ
それでも、ぜんぶ環境に過ぎんとは言うても、智慧だとか言われよるもので
説かれる暖かいものは普遍に感じれる訳で、都合の良いものばかりではないが
要するに、隔たりと、そうでないものとが、衝突したり、手を繋いだり
なんか全部いろいろあってこの世なのぢゃ。死ねれば隔たりはすべて消えよる
生じようが無くなるぢゃろう。その心地よさを求めるのが仏教であり
それを知るだけで周りと打ち解け気味になるのもまた、元は全部そうだからぢゃ
でもまあ思う存分で良いと思うよ。焦らなくとも皆んないつか死ねる (●´ω`●)yー~ >>161
それはその通り「自他(環)一如」の三昧境だけど、その先に見性という、無差別の中で差別として縁起する実相の認識があるわけで。 たとえば魚類は、拡散戦略で数万もの卵を産み、親は子供らに力を注ぐが
その大部分は他の生き物に食われてしまう。親の愛が他の糧になってしまう
たとえば猛獣は、少数先鋭で育児期間を必要とする未熟児を数匹だけ産んで
手塩にかけて育てて大きくなれば野に放ち、他を獲って食うようになるが
これらもすべて「環境」なんぢゃ。そりゃあ「個体という隔て」から見れば
嫌だと思うこともあり、救いにはならん言葉に聞こえるかもしれんが
そのように「嫌だ」という思いが生じるのもまた「隔て」のせいであって
それをどうする事もできん免れれぬ死がすべてにあって受け入れる他ないように
せめて仏徒は内観でその「隔て」を解いて解いて、心苦を滅し智慧を得れば良い
この世界は、なんかそういう環境なのぢゃよ。お主らだって今日の晩に魚食うし
猛獣が適度に喰い殺してくれたお陰で残った森が作り出す酸素を呼吸しとるし
はじめは釈迦かて、虫がネズミに喰われて、そのネズミを蛇が喰って
その蛇を鷲が喰うような様子を見て、何とも嫌な世界だなぁとか思うたけども
悟った後には「ごらん、世界はこんなにも美しい」とか弟子に言ったわけで
なんかそういう感じに落ち着くのぢゃ。生の体験というものがそうなのぢゃ
「私は在る」「私は生きてる」「これは私のもの」などという隔たりの意識の
7、80年の寿命がある間の、一時の体験なのぢゃ (●´ω`●)yー~ 言葉などという隔たりを越えて、心穏やかにあり、暫しそこに浸って
瞑想すると良かろう。和智はヨークベニマルに行くのぢゃ (-人-) 164.それは心理学である。それは宗教ではない。
瞑想、坐禅、とかは悟れないバカがやることである。 必ずしも、座禅を組む必要はない
必ずしも、瞑想だけが解脱の道ではない
日々の営みを繰り返すなか、あるいはどこぞに散歩がてらだって
己の心の状態や、外の環境を観察することはできるのぢゃ
それをザックリと「瞑想」と言うておるだけのことぢゃ (●´ω`●) 修行嫌いは、「正しい(だろう)やり方という拘りへの拒否」としては正解ぢゃ
修行好きは、「余計で要らないものを全て投げ捨ててる」としては正解なのぢゃ
そういう意味で、瞑想好きも、瞑想嫌いも、互いに良いところを取り合って
ザックリと「観察」を続ければ良かろう (●´ω`●) 167.観察、か。
それは心理学である。
その観察の結果が、どうなるか、の問題である。
そこで、心理学と宗教とが分離することになる。 >>152
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
>サマーディ(三昧)は、瞑想などで個我が解けたときに得られる至福感のことで
その状態にあり始めるとフワフワと心地よいものではあるが
鬼和尚が言うとる「観」は、もっと剥がし切った状態のこと
剥がしきった状態って止ですか?
瞑想されているとシータ波が出るそうですけど
寝ていて夢を見ている時にもシータ波は出るそうで
ダーツをやったりプラモデルを作っている時にも出ているそうですね
ふわふわ感がシータ波によるものだとしたら
剥がしきった状態って脳波で言うと何になるんですか? >>150
これじゃねえか?
「比丘たちよ、この二つは順明分の法である。
何を二とするのか。
サマタとヴィパッサナーである。
比丘たちよ、サマタを修して何の義(成果)を成就するか。心を修する。心を修して何の義を成就するか。あらゆる貪が断たれる。
比丘たちよ、ヴィパッサナーを修して何の義を成就するか。慧を修する。慧を修して何の義を成就するか。あらゆる無明が断たれる。
比丘たちよ、貪に染められている心は解脱しない。無明に染められている慧は修されていない。比丘たちよ、このように貪を離れて心解脱し、無明を離れて慧解脱する」
南伝大蔵経17 増支部経典1 P93 の口語訳 こじは鬼和尚を相当評価しているみたいが、
鬼の大悟徹底は、大悟しただけに過ぎないのを徹底したと勘違いしている。
剥がし切ってはおらんよ。
それでも、鬼和尚、こじ、なめなめの3人は一段抜けている。
ジャンキーは自認しているように、どこまでも論理と言葉で極めようとしている
点で、自ら池には飛び込む勇気はない。だから一段低い。
もちろん、その他の、大した根拠もなしにギャーギャーケチつけるだけの投稿
をしている輩はそれ以下じゃ。中には微笑ましい者もいるにはいるが。
私? その5chに投稿して暇つぶししている点で、大したことは無い。 >>171
∞ノノハ∞
川^〇^ハレたいした根拠もなくケチ付ける鬼和尚さんですねwww ∞ノノハ∞
川^〇^ハレ僧侶では無いオッサンが鬼和尚さん こじ、じゃんきー、麦とどうしようもないカスが集結状態じゃな。鬼もか。 >>170
いやいや、中村先生の論文をよく読んでみて。
瞑想法の変遷について論証されてるから。 >>175
検索したけど最初の1ページしか読めん。
ダウンロードの仕方もわからん。
なんて書いてんの^^ >>171
悪いけどそのお三方は見性されてる様には・・・ >>176
右側のPDFダウンロードをクリックされて下さい。 >>178
ありがと。
全部読めた^^
止と観は、別の概念。
最古層の経典には、それっぽいことは書かれているが、止観は説かれてない。
で、何が問題なの^^ >>179
もう一回書くけど、お釈迦様がなされた定の実践が、後代、止観という仏教オリジナルの行法に分かたれただけの話をです。 ジャンキーは嘘をついているな、ほんとでたらめだな。
ヒンズーのヒステリー行者肌なわけで。どうりで。
自己観察、自覚が苦手そうだからなあ笑。 >>179
ちなみに、最古層には定、そして次の層にはそれらしき事、新しい層に未分割の止観という感じです、たしか。 >>181
すいません、外野がとやかく言って^^
鬼和尚さま、つづきどぞー^^ 栄進は知識レベルでもすごいのだな。追求センスのみならず。
ふざけモードも多いが。 >>183
ジャンキー殿は、定を実践しなくても、観察できれば成仏できると言う鬼和尚にカチーンときてるわけね^^ >>187
観察したくない反抗期ですから笑。
禅中途半端かぶれ知識で珍説を唱えておられるのでしょう。 >>169
実態性など無い、という事は、所詮はそういう物理的なものなのぢゃ
なんたら波というのは詳しくは知らんが、脳内物質の分泌やら
その思考という名の脳内のデムパの処理過程の、そういうことぢゃ
故に「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」なのぢゃ
だから和智は、かねてより「誰一人として生きてなどおらん」と言うておる
仏というものは、真理は説けるが、得てして無力な者よ (●´ω`●) ジャンキーが狂犬モードでないので。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1503776900/l50
修証の書 3 [無断転載禁止]©2ch.net
425神も仏も名無しさん2018/06/18(月) 15:04:55.75ID:B8mmXwO3
374 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2018/06/18(月) 01:00:22.45 ID:lZTMGpTQ
中観とか唯識とか、いろいろあるけど
原点は原始仏教ですよね。
中観や唯識を学ぶに当たっても、原始仏教から逸脱していたら疑わしいと思う。
龍樹菩薩も原始仏典を「聖典」と呼んでいたように
帰る場所が原始仏教だと思いますね。
394 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2018/06/18(月) 07:23:14.30 ID:lZTMGpTQ [3/9]
麦ちゃん、俺は180で75キロのボクサーのような筋肉質で
しかもチンチンがデカい(笑)
400 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2018/06/18(月) 07:46:16.94 ID:lZTMGpTQ
麦ちゃん僕のレスは無視ですか?
今朝なんてビンビンに勃起しててパンツの穴から飛び出してたよ。
。ρ。
ρ  ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
m
C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
./ _ ゝ___)(9 (` ´) )
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|
_/ ) ( Y ̄ ̄ ̄ ̄)
(__/ \____/ スマホのギガ規制を考慮して、あまり通信量を使わぬように
画質の悪いアニメを観て暇を潰しておるんぢゃが、まんが日本むかし話とかぢゃ
そのまんが日本むかし話には、よく地蔵やら観音やら明王やらが登場して
摩訶不思議な活躍を見せたりはするが、そんなものは単なる妄想なのぢゃ
それが古人の言い伝えであれば、古人の妄想の言い伝えなのぢゃ
鬼和尚かて、和智かて、仏ではあるが、真の理をちょいと覗いた無力な人間ぢゃ
超能力やら、神通力やらは、一切無いのぢゃ。そうあるように見えることは
あるかもしれぬが?見せ掛けることはできよるが、無いものは無いのぢゃ
上の方で般若心経さえよく学べば仏教はそれで良しと言うた者がおるようぢゃが
まあ、そういうことぢゃ。ちゃんとよく理解してくれればええのぢゃ
般若心経では、その経文中でずーっと、あれも無いこれも無い、と説いておる
そういうことぢゃ (●´ω`●)yー~ 知識を得よると、まるで自分という精神が優れた者であるかのように錯覚して
その威厳を示したくもなり、またそれに抗うものと口論を交え勝利したくもなる
それもまた個我という隔たりが生じたが故の、負の副産物がある証拠であろう
だから覚者は「知恵に依るな」とか言う者もしばし居ったりするのぢゃ
どうせ「何者もおらん」のぢゃし、知恵も知識も死ねば消えるものぢゃ
本当の貧乏人が襲われぬように、本当のバカをわざわざ馬鹿にする者もおらん
何も無くて、持たなくて、知らなくて、忘れ去って、それでええのぢゃ
「得たものに所有される苦痛」を、わざわざ背負う事も無くなるぢゃろう
あうあうあー、あちょぷあちょぷうきゃきゃー、あー楽だ楽だ。あひあひ (●´ω`●)yー~ >>190
∞ノノハ∞
川^〇^ハレクラゲは脳みそ無いみたいですもんね
こじさんが前に言っていた腸に興味あります 嫌味では無いのぢゃ。致し方あるまい。人は誰しもがそうであろう?
成長や学びや習熟や熟孝の過程があり、またそれを手離す時も来よるのぢゃ
紆余曲折を経ても、ボケ老人が人生というゲームのクリア間際であるようにぢゃ
人生は巡り巡って戻り道だと、深夜食堂のオダギリジョーが言うてたかの
店主が言うたんだったかの?つまりそういうことぢゃ。在りの侭の受け容れ
この難しさに苛まれ、対応に齷齪と奮闘し、多くの痛みを経験して
けっきょく最後は「納得する」だけぢゃ。そしてあうあうあーで吽と死ぬのぢゃ
あーあー泣く赤ちゃんが年老いて餅やコンニャクを喉に詰まらせて死ぬ吽と死ぬ
それまでの一時を、あれこれフガフガ言うのも、良くも悪くも何とも無いのぢゃ
(●´ω`●) ♪ セロトニンの多くは腸で作られるのぢゃ。つまり苦行はイクナイ
飲むヨーグルト飲んで、腸に調子よくそれを作らせ、脳に運ばせるのぢゃ
しょせん和智らは「ただの物質」であるからのぅ (●´ω`●)yー~ >>189
これじゃねえか?
「そもそもディヤーナとは心の状態であり、止観の観は技法なのじゃ。
止観の観とはヴィパッサナーであり、天台の止観等は既にその理解がなくなっているものじゃ。
心の状態の一部が技法というようなことはありえないのじゃ。
例えば野球の打者が一本足打法という技法を行うのに、心を平静にするということはあるかもしれん。
それでも心の平静の一部が一本足打法であるということはないようにのう。 」 頑張りたいものは、その頑張りに諦めがつくまで、諦観したくなるまで
思う存分に頑張るのも良かろう。大怪我や大病を患っても和智は知らんが?
そういった頑張りたい意欲ですら、心の奥底では「その重荷を手離したい」
「なかなか離れない」「だからいっそのことブッ壊れるまで突っ走らせたい」
だったりするのぢゃ。だって元はすべて同じものも一時の変化の一部ぢゃからの
人を見て繋がりや絆や温情を感じたり、敵を見て嫌悪や憎悪や怨恨を感じても
いやいや、ぜんぶ初めから同じものの一時の変化の一部の状況に過ぎんのぢゃ
お主らが悟ったところで、悟った最中ですら、しばし軋轢や衝突はありよるし
初めから同じものの一時の変化の状況に過ぎんのぢゃ。たとえ殺されてもぢゃ
だから、まあ、好きなようにしとってもええし、ただ楽なようにだけ説くけども
適当に。今日はイカ食った。肉食えば良かった。ここ数年ずっと肉の方が安いね
肉食にシフトした方が無駄に小腹が空かんで済むし、体型も欧米化できよるな
(●´ω`●) 和智の腕の中で、和智を頼りにして、和智を家族としておる愛猫が
安心してスースー寝ておるが、和智もこの子も、生きてなどおらん
こういった絆ですら、すべて同じものの一時の変化の状況に過ぎん
それでもこうして和智は猫と寄り添って寝ながらスマホで書き込みしとる
お主らかて、家族や恋人やペットとそのようにして暮らしておる筈ぢゃ
それでも、何も無いものは無いし、状況としてはすべてそう在る
布団は柔らかく心地よいし、夏の夜はエアコンの涼しさがちょうど良いし
和智の話しを聞けば、次第に心も静寂を見るようにもなってきよる筈ぢゃ
窓際などに風鈴とか、ぶら下げるとよかろう (●´ω`●)yー~ 鬼和尚相談したい
当方、塾の講師をしている。子供の成績が上がらないとよく相談を受けるが、
親子の会話を聞いていると、教育上マイナスの言葉ばかり親が言っている。
お前は駄目なんだ、もっと勉強しないと・・・お前はできないんだからといった
ような言葉を言っている。
私が塾で授業したとしても親がそのような態度ならば成績もあがるものもの上がらない。
そこで面談の時に、そいうった言い方がよくありません。気を付けて下さいね。というと
すぐに辞められてしまう。お金を稼ぐために、マイナスのことを指摘をせずに手玉にころがせばいいと
思うのだが、逆にお金を頂いている以上、きちんと成績を上がらないところを指摘して、
改善させないとと思う。それが善事だと思っている。
善事をしているのに、生徒に辞められ、お金が稼げない。どこかがおかしいと思うのだけど
どこがおかしいのだろう。教えてほしい。
言い方が悪いと指摘したことがあるが、マイルドな言い方であっては大人たちは変わらないではないか!?
だから少しきつめで言うと、すぐに辞めてしまう。
アドバイスを頂戴したい 何をするにしても人はモチベーションを欲しがるが
食い扶持稼ぎは食い扶持稼ぎであり、塾講師は塾講師
学業の付属ビジネスは学業の付属ビジネス。そう言うたらモチベ無くなる
でも本当のこと。生徒に辞められたくはない。でも人として真っ直ぐな愛もある
教え子にはちゃんと成長してもらいたい。学ばせたい。成果を出させたい
その子の親も喜ばせたい。金を払ってる顧客である以上は下手なこと言えぬが
あまり教え子の意欲や自信を削ぐような言葉は吐かんでもらいたい
ところで学問は社会に出てから役に立つのか?ロバート清崎は高学歴の親よりも
中卒の親について学んで大金持ちになった。大企業への就職の切符である学歴
そうと信じて自分も学んではきたが、今自分は塾講師。思い思いが節々に起こる
そういう時は「愛」。学問であれ、技術であれ、何かしらのスキルであれ
それを教え伝えながら、それもまた関わりに過ぎぬものであって
その節々にあるものは「愛」。与える方も、受け取る方も「愛」
金銭のやり取りは、なかなかどうしてそれを遮蔽してくれよるものぢゃ
金は「偶像」であって、「本質」である愛を覆い隠す、悪魔の発明品ぢゃからのぅ
いひひひ (●´ω`●)yー~ ちなみに和智は、中卒ナマポ。たまにアルバイトしてる高等遊民で現代の貴族
あうあうあー、楽だ楽だ (●´ω`●) >>198
いやいや、そもそも定が止観の由来ですから。 >>145>>146 おぬしは誰じゃ?
ジャンキーは既にわしに完全に論破されてこれが最後であると敗北宣言をして逃亡した筈であるがのう。
もしかするとジャンキーは解離性人格障害も患っているのかのう。
解離性人格障害には記憶障害も伴うというが自分が書いたこともわすれているのかのう。
おぬしはわしが認めても居ないものを認めるのじゃなとかかいて頭のおかしい振りをして逃避したのじゃ。
これから何を書いてもやはり最後には頭のおかしい振りをして逃げるのは明白なのじゃ。
北朝鮮とおなじじゃな。
一度でも嘘をついたり、頭のおかしいふりをした者は二度と信用されないのじゃ。
もはや見込みの無い者であるからのう。
本来は戒を破っていることでもはや参禅する資格も師に見える資格もないのじゃ。
今まで嘘をついていたことを懺悔告白して二度としないと誓えば許されるのじゃ。
>>198 それだけでよいのじゃ。
おぬしのような賢者でなくともまともな頭をした者にはそれで十分にわかるのじゃ。
ディヤーナもヴィパッサナーも検索すればわかることであるからのう。
>>202 おぬしはその親と同じ言葉を使ってしまっているのじゃ。
そのような言葉を使うのは親として駄目なんだ、もっと勉強しないとできない親なんだからと言っている事になるのじゃ。
親もまた教育すべきものなのじゃ。
むしろ親を教育することがその子も教育することなのじゃ。
そのような言葉を使っては駄目というのではなく、このような言葉でお子を褒めれば成績もあがるのじゃとかいうとよいのじゃ。
子を褒める言葉を口にさせて親を上手上手と褒めてやるのじゃ。
そうすれば親も育つのじゃ。
まあ、親も凡夫ぢゃしのぅ
親も教師も上司も、しょせん人を凡夫、凡夫と見んといかんのも面倒な話しぢゃ >>1->>207
勝ち負けなどどうでも良いじゃあーりませんか
とりあえず一炷座ろう >>206
ハハハ、根拠も示さず論破とかw
別に急ぎませんから、>>108に対して根拠を示して反証しなさい。
反証出来なければ出来ないで終わるだけの事でしょ?
で、僧侶でないのに何故和尚と騙るのかな?
よろしくw 和智は最近、なかなか良い年寄りと会うたのぢゃ。植木屋の職人ぢゃ
彼はなかなか面白くて、昔は役人と仲良くなるため
タコや毛ガニなどを手土産に、国立公園や市町村の公園の仕事を得て
「役人たちは俺の顔がタコや毛ガニにみえているんだ (笑)」などとも言うが
自然と向き合う仕事柄、インディアンの部族の言葉なども気にかけておって
「土地は子孫からの借り物だから、汚さず綺麗に残し返したい」などとも言う
ところで、和智はその植木屋の手伝いをたまにする事になったんぢゃが
和智は、何もしない方がいい自然農法の「福岡正信」さんが好きなのぢゃ
手付かずの自然こそ実はよく循環機能が働いており、人間は余計な事ばかりする
そこに警鐘を鳴らす教えの、彼もまた目覚めの体験を得た一人ぢゃ
これらの話しに、和智の「怠け心」もプラスして、仙台名物「まがり葱」という
インチキ野菜の話しをする。本来ならば長葱は、成長するにつれ土を盛り上げ
白い部分が長く増えるように畑の畝をせり上げていき真っ直ぐ育てるものぢゃが
仙台では葱を引っこ抜いて畑の畝に横倒しに並べて、大雑把に土を掛けるから
曲がった状態で白い部分を増やして出荷し、それをブランド化するという
インチキ農法があるんぢゃが、それでも農夫にとってはその方がラクぢゃ
和智は刈った後の公園の芝を、熊手やフォークでかき集める作業を手伝っとるが
これがまたなかなか骨が折れる仕事で、面倒だから刈りっ放しのそのまま放置で
「寝芝」などと名付けて、インチキのまがり葱のように済ませられないものかと
思うたのぢゃ。刈った後の芝もまた土の養分を吸うておるし、そのまま戻せるし
掃除しなくていいものならしない方がラクで仕事も減るしのぅ
ところがぢゃ。世の中には「仕事を得る」とか「より綺麗にして仕事を増やす」
そうする事で食い扶持が稼げる、「仕事はあった方がいい」という
昭和世代の「労働賛美的価値観」と「労働の価値の過剰崇拝」も感じたのぢゃ
それで逆にマイナスを多く生み出してしまい、借金を抱えてる日本社会のことも
これからますます自動機械化やAI機器の導入による「仕事を奪われる」などと
アホな心配をしてる労働者たちの居場所や存在価値などの話しもふつふつ思うた その植木職人はのぅ。孫に好かれておって、学業成績がとても優秀らしく
将来は「爺ちゃんが死なない薬を作りたい」と言われたという
しかし本人は、「死はあった方がいい」と言うておって
和智もそう思うておるが、テロメア環状の話しを聞かせて
死なない薬というか、技術があるならば、それのことですよと言うてやった
小一時間いろいろと話しをしたが、戦争の話しもちょこっと出て
戦争を起こすのはキチガイと言うておったが、前々から和智が思うておるのは
「戦争もまた寿命と同じように的確な人口削減の手段の一つ」ということ
はじめは無差別に人が死ぬが、戦況が落ち着くとガイジや年寄りほど死による
生き残って捕虜にされても、長距離の強行軍を歩かせられて脱落させられる
何はともあれ、すべての状況は、そういう流れのなかの一つよのぅ (●´ω`●)yー~ >>210
お釈迦さまだってクシャトリア出身なのにバラモンを騙ってることになるで^^ >>517
ん?
バラモン教から見れば、バラモンでないお釈迦様がバラモンを名乗るのは異端の様に、仏教から見れば、僧侶でないのに和尚を名乗るのは異端よね?
それがどうかしたの? >>214
バラモンは、僧侶って意味もあるんやで^^ 鬼和尚を改めて、
「鬼こしょう」がええかものう^^
なんか、くしゃみが出そうなので、「鬼をしょう」ってのは
どうじゃろう^ー^ これは、吾輩のプライベートでの、本当の話じゃがのお。
この年になって、正式に嫁はんと、籍を入れることになってのお、
今までは、夫婦別姓でいたのじゃが、別居もしておった、じゃが夫婦じゃよ^^
老後は一緒に暮らそうとのお、名前も一緒の方が便利じゃという事で
我輩の性でなく、嫁はんの性を名乗ることになったのじゃよ。
理由は簡単、どちらが名前に執着しているかじゃよ。
執着が強い嫁の性を名乗ることにしたのじゃよ^ー^ >>216
同じやで。
ウィキ調べてみた。
仏教ではバラモン階級出身の僧侶をバラモンと呼び、バラモン階級以外からの出家者を沙門と呼んでいる。
ただし、この用法は、バラモン教側が先に非バラモン階級出身者を沙門と呼んで差別したことによる。 バラモン教から見れば、バラモンでないお釈迦様がバラモンを名乗るのは異端の様に、仏教から見れば、僧侶でないのに和尚を名乗るのは異端。 それと、バラモン教のバラモンは、僧侶というよりも祭祀者の方が訳としては適切。 ∞ノノハ∞
川^〇^ハレウィキペディアより
和尚(おしょう、わじょう、かしょう、梵: upādhyāya)とは、仏教の僧侶に対する敬称である。
upādhyāya の俗語形を音写したもの[1]。
和上、和闍、和社とも書き、親教師、依学と訳される[2]。
概説 編集
本来の意味は、出家して受戒した僧が、日常親しく教えを受ける教師を指す。
『十誦律』では、受戒の師を指す。
日本では、天平宝字2年(758年)に戒師として渡来した鑑真に対して「大和尚」の号が授与されており、その後、高僧への敬称として使用され、更に住職以上の僧への敬称となった。
宗派によって書き方・読み方が異なり、一部地域では更に言葉が詰まって「おっさん」「おっさま」(アクセントは頭高型)と呼ばれている。
日本ですからねぇ
鬼和尚さん得意の言葉のすり替えでおっさん止まりじゃないですか?w まぁ、ぢゃーぢゃーいうから、「バラモンヂャー」とかいいんじゃないの?
または、「バカモンヂャー」とか、「おっさんヂャー」でもいいかもね。 ∞ノノハ∞
川^〇^ハレお釈迦様をインドの人はバカボンって言うとか?
尻の穴を広げてバカモンジャーとかね♪ >>221
何に対して異端なん?
僧侶になるのに僧侶の許可がいるん?
その許可を与える僧侶の僧侶の、、、、僧侶?
結局、仏教の開祖、釈迦が僧侶を名乗るのを許可したってこと? 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
>>206
鬼和尚
これからは鬼バラモンと名乗ると良か >>229
バラモン階級の否定。
平民でも奴隷でもバラモン、僧侶を名乗っていいのが仏教^^ 我輩も「なめなめ牧師」とか「なめなめ神父」とか名乗っても
捕まらないがのお^^ 迫害されるかも^^w
「なめなめ弁護士」とか「なめなめ医師」と名乗ると
ヤバいのお^^w >>230
得度って悟ったって意味?
鬼和尚は得度してるじゃん^^ >>232
調べたけど、仏教の兄弟みたいなもんだな。
むしろ仏教よりも仏教らしい^^ >>234
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ誰がと得度したと証明したの?
悟ったってどういう状態なの?
自分で判断出来るの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています