般若心経 実践篇
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ほとけの心は「で・あ・い」の三つに尽きる。
「で」は「デタラメ!」、
「あ」は「あきらめ!!」、
そして「い」は「いい加減!!!」
(ひろ・さちや)
般若心経
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1522314305/ 白隠も、
すべてをあるがままに受け入れ、
菩薩である本来の自分を取り戻す経として、
般若心経を大切にするよう説きました。 分析すきだなぁ。
>> 触発されたのは事実だし
むーかしむかしの話だよ。
檀家だったから道元の足跡に興味があった。
>(これからやっていくんだから)
ただ、今のわたしの現状が許せればということだろうね。
うちを空けられない。 鎌倉武士が禅を求めた理由の一つには、
武士というのは常に戦闘、戦乱の中で生きていて、
兄弟や親であろうと時には斬り合わなければならないこともある、という非常に厳しい状況の中にありました。
幼子であろうと女であろうと斬らなければ、こちらが生きていけない。
そんな世界に生きていく武士が救いを求めたのが禅でありました。
相手が苦しみ、もだえながら死んでいくのをありありと見ている。
それこそ、夜の夢に出てきて罪の意識に苛まれる。
この心の救いを求めたのが武士達が禅を求めた大きな要因であったのです。 閑話休題
開運・御利益のお経
『 延命十句観音経』について
『十句観音経』(じっくかんのんぎょう)は、仏教経典の一。
別名を『延命十句観音経』(えんめいじっくかんのんぎょう)とも言うが、
「延命」の二字を付け加えたのは白隠である。
大乗経典の観音経系経典に属し、
わずか42文字の最も短い経典として知られる偽経ではあるが、
古来ただ何度も唱えるだけでご利益を得られるとされており、人気が高い経典です。 修行しよとしまいと、山は山なんじゃないか
さらに修行すれば、明らかに山は山となるんじゃないか。
その都度、山は山
山は、時間を超えて偉大な聖賢たちの住むところである。
賢人・聖人は、ともに山を堂奥とし、身心としてきた。
賢人・聖人によって山は山として現れているのである。
人が持つ思慮で推し量って、山はこういうものだなどと理解してはならない。
もしも人間の流儀になぞらえて山をとらえなければ、
いったい誰が
山は流る。山は流れず等の仏祖の言語を疑うだろう。
自己を忘れることであり、万法に証される。 『延命十句観音経』
観世音 南無仏
与仏有因 与仏有縁
仏法僧縁 常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音
念念従心起 念念不離心
えんめいじっくかんのんきょう
かんぜーおん なーむーぶつ
よーぶつ うーいん よーぶつ うーえん
ぶっぽうそうえん じょうらくがーじょう
ちょうねんかんぜーおん ぼーねんかんぜーおん
ねんねんじゅうしんきー ねんねんふーりーしん 白隠は、
いくつかの伝説を取りあげ、
「偽経といえどもこれだけ霊験があるのだからと、人々に唱えることを推奨し、
『延命十句観音経霊験記』をあらわしたため普及した。
現在も白隠の再興した臨済宗を中心に、日常の読経や写経などに用いられている。 >>382
分析じゃないよ。
余りにもあなたのレスが意味不明だから、他人に対して分かり易いレスがどうした書き方なのかカッコ書きで補ってレスしたんだけどね。 いや、公案の方がわかりずらいけどなぁ。
[日本ショー] こころの時代〜宗教・人生〜「禅の語録を読む」
https://www.youtube.com/watch?v=EP50s1dj9mg&t=7s
これは、おもしろいです。
興味のある方はどうぞ。
さて、このすばでもみるかな。
スレ主さん、お邪魔しました。
うるさいのが二人どうも失礼しました。 >>389
>いや、公案の方がわかりずらいけどなぁ。
参禅した事あるの? 接心はでたで。泊りがけで。
あの時は40分を12しゅか。
今は家で、坐禅をしている。
2,3ちゅかな。目標は4しゅ。
今日は調子が悪いので、坐禅をすると目が回るので20分を2しゅ。
皆さん、お休み・・ >>390
成程ね、接心への参加経験はあると。
「あの時は」って事は今迄一回きりってことかな。
ともあれ、俺の言う参禅は老師から公案を頂いて問答する事です。
彼此法縁には恵まれていたんで、接心は少なくとも百回以上は参加させて戴いてるけどね。 一番回数が多かったのは24炷(しゅ)/日かなぁ。
典座とかやってた時は回数減ったけどね。
時には本山からわざわざ管長が来てくださって提唱をして下さったけどね。 あのさ、俺は前にも言っているけど初心者だって。
三年ね。オタク30年だろろ。
そりゃ、30年もやっていれば24しゅぐらいやる日もあるだろよ。
そのなのあたりまえじゃないか。修行なんだから。 でも、ジャンキー君って忘れぽいよなぁ。
わたしは何度も言っている。
こじ君もなんだかんだ、20年瞑想しているからね。
わたしからしたら、皆さん大先輩だなぁw わかるなら、それでいいじゃないかね。
なんかおかしんだよな。
でおーが攻めるはずだw >>397
うそこけw
この頃わかったんだろうがw いや、おかしいのはそっちなんだけど?
なんででおーとが唐突に出てくるの? >>399
どうでもいいだろ。
初心者のまま全然変化がないんだから。 オチ宣言しても気になって仕方なくて、何度もレスするのはでおーみたいだな。
統失と思ってる。 言葉って鏡なんだよなぁ
そう思っているだけ。
相手もおんなじさぁ。
なら、別にいいじゃんってなる。
あなたがそう思っているだけという言葉、
改めて思い知らされた。
気が抜けたw
鏡と戦う・・
其の本を務めよ。 バカボンのパパの言葉
わしは バカボンのパパなのだ
この世は むずかしいのだ
わしの思うようにはならないのだ
でも わしは大丈夫なのだ
わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ
これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ
それでいいのだ
それでいいのだ
わしはリタイヤしたのだ
全ての心配から リタイヤしたのだ
だからわしは 疲れないのだ
どうだ これでいいのだ
これでいいのだ
やっぱりこれでいいのだ ビートたけしさんの言葉もご紹介します。
ほんとうのことをいえば、人も羨むその「輝ける明日」なんてものは、いつまで経ってもやってこないというのに。
人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。その今を、10年後だか20年後だかの明日のために使ってどうしようというんだろう。
昔はそういう人間を、地に足が着いていないといった。
夢なんかより、今を大事に生きることを教える方が先だったのだ。
まだ遊びたい盛りの子どもを塾に通わせて、受験勉強ばかりさせるから、大学に合格したとたんに何をすればいいのかわからなくなる。
夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。
俺は心の底からそう思っている。
どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨い。
お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。
贅沢と幸福は別物だ。
慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。
人生はそういう風にできている。
そんなことは、誰でも知っている。
だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。
頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、有名人になったりしなければ、幸せになれないと脅す。
そうしないと経済成長が止まって、大変なことになってしまうからだ。
だけど、大変なことになるのは、いったいどこの誰だろう。
少なくとも、清く貧しく美しく生きている奴ではない。
北野武 故に常に無欲にして以てその妙を観、常に有欲にして以て其の徼(きょう)を観る。
おはよう。
二時間ネタwww
大手町にく。
ではまた。 常に有欲にして以て其の徼(きょう)を観る。
自分がそう思っているだけ。 dp9さん、タさん、ジャンキーさん、
おはようございます。
今朝もTRFイージードゥダンササイズをやりました。
また、夕方以降にお会いしましょう。
では。 はやく未来という幻想と過去という迷妄と手を切れば
すっきりとするのにね?
思考する脳みそが一番問題
思考するなら将棋でもしてれば 366junkie- ooyama2018/05/21(月) 19:17:43.90ID:67Ztlv5B
非言語の言語な、誤解されるからw
↓
359junkie- ooyama2018/05/21(月) 18:54:21.33ID:67Ztlv5B
バルタンさん、お騒がせしております _(._.)_
「色即是空・空即是色」
(悟前の)修行は「山が山」である事の否定ですよ。
だから、臨済宗では鈴を振るw。
「山は山に非ず」色即是空ってね。(真空)
で、一旦見性して、
(色即是空・空即是色の「・」、ね)
空即是色って再び修行して「山は山」に還ってくるんですよ。(真空妙有) 392Junkie-Ooyama2018/05/22(火) 00:24:01.72ID:wh1MMrx6
>>390
成程ね、接心への参加経験はあると。
「あの時は」って事は今迄一回きりってことかな。
ともあれ、俺の言う参禅は老師から公案を頂いて問答する事です。
彼此法縁には恵まれていたんで、接心は少なくとも百回以上は参加させて戴いてるけどね。
393Junkie-Ooyama2018/05/22(火) 00:35:46.68ID:wh1MMrx6
一番回数が多かったのは24炷(しゅ)/日かなぁ。
典座とかやってた時は回数減ったけどね。
時には本山からわざわざ管長が来てくださって提唱をして下さったけどね。
367junkie- ooyama2018/05/21(月) 19:23:52.32ID:67Ztlv5B
>>364
同じだよ。
むしろ、(本証の)妙修から入る道元禅の方が大変かもな。
てか、専門道場で何年腹練ったの?
370Junkie-Ooyam2018/05/21(月) 19:42:46.43ID:LwxKK+T5
てか、専門道場で何年腹練ったの?>>369
390J.Ooyama2018/05/21(月) 23:15:09.79ID:67Ztlv5B>>392
>>389
>いや、公案の方がわかりずらいけどなぁ。
参禅した事あるの? 389 :せったん@myoejoe:2005/09/13(火) 20:59:12 ID:bvjnAWzV
視点なくって世界、おのれ失せてものみな、求めれば必ず得られます、ノウハウだけになって下さい、そうなあ座禅見性はこうあるべきという、それを明け渡さないと始まらない。
80 :せったん@myoejoe:2005/09/09(金) 20:52:25 ID:Eyy8bEKx77
まずもって何が欲しいか、自分というものちらともあれば不満足、たおい見性忘我も、一念おこって、だからおれはとやるとただのかす。これ仏仏に単伝sうる以外にないとこあります、いまMLで伝光録やってます、参考にして下さい。
914 :せったん@myoejoe:2005/11/13(日) 16:04:16 ID:mFXVFmjQ
良寛の歌を道歌とそうでない歌に分けてみたやつがいる、悟り悪いとそうなる、禅らしい仏教らしいもの云いが必要だ、どあほうが、自然にそんなものあるわけがない、ものみなすなおに行き、しかも迷わず。
642 :せったん@myoejoe:2005/11/05(土) 20:22:49 ID:O+VTmATL
悟り終わって悟りなし、自分という取り付く島もないことを知って下さい、能書き説明が木のいらないただの日送り、完全するんですよ、そういう自覚=無自覚なんです。
632 :せったん@myoejoe:2005/11/05(土) 09:49:43 ID:uyClpsVh631
そりゃ情けない人だね、見れども見えず、聞けども聞こえず、いかなる悪因悪果、なんにもないものに触れているのに、自分という邪まの影を見る、
564 :せったん@myoejoe:2005/11/03(木) 12:18:08 ID:RVrUGGfh
ですからこれをどうしても欲しいという希求の心ある人、あるいは学問架空論理に飽き飽きした人、または人生とつぜんの挫折など、そういう人が仏教入門なんです。 372 :せったん@myoejoe:2005/10/21(金) 20:16:24 ID:jn8PM+BE
参禅弁道はたとい十年二十年坐ろうが、ついに箇の単純を得るんです、捨てて捨てて捨て切手、我今始めて知るという、赤ん坊のまっさらですよ。
332 :せったん@myoejoe:2005/10/19(水) 11:48:58 ID:++ABGZe8
言葉じゃない実行です、自分がなくなった、指と指間が同じにある、鐘の音に五体失せるなどなど、悟った証拠を並べているその自分は何かという問題です、根本的な問題です。 799 :せったんmyoejoe:2005/12/31(土) 20:43:26 ID:h8R7RYLM
おれは悟ったんだからという、自然界にそんなものないです、水が氷になる、大脳の発達が止まる、いいことしいで頭なぜなぜ、ふんぞりかえってものみなわからない、みじめです。
559 :せったん@myoejoe:2005/11/27(日) 08:27:59 ID:Ic5VqC4H
克己じゃなくて己を止めるんですよ、ただ簡単にそれだけなのに、なにを議論してるんかな、議論=なんにもしたくない、お茶を濁していたいってだけ、そりゃ仏に対して相すまぬこってすよ、むかしで言えば罰当たりってな。
135 :せったん@myoejoe:2005/11/23(水) 20:10:53 ID:xcRZgqhs
だから4の5の云っているうちはだめだよ、やる気なりゃそれで終わりだのにさ、どあほ。死ぬことだけはだれでも出来る=仏教ですよ、身心脱落これ
131 :せったん@myoejoe:2005/11/23(水) 19:55:29 ID:xcRZgqhs
ないはずの自分を見つめていたり、いいのわるいの云ってたらそりゃもうそれっきり、何を欲しいんだ、自分ではないものが欲しい、どういうこったかわかりますか、100%いいえ200%与え任せて下さい。
115 :せったん@myoejoe:2005/11/23(水) 14:04:47 ID:fJ9hs0zZ
主観だのきゃっかんだのむずいこと云ってないの、大満足歓喜有頂天ての味わってごらん、すべては一目瞭然事、いいですかまだ夢にだも見ず、仏教のぶの字も知らないってこと知って下さい。なんてまあ無駄こと阿呆だったってこと知る、恥ずかしいってね。
798 :せったんmyoejoe:2005/12/31(土) 20:40:40 ID:h8R7RYLM
見つめる自分のない座禅です、悟った悟らぬという、だからどうのという自分が失せ切る、達磨の不識です、一人じゃなかなか出来ないですよ、野狐禅独りよがりは、思考停止耄碌じっさになっちまう、わっはっは若いくせにさ、いつか取り返しがつかない。 901 :せったんmyoejoe:2006/02/17(金) 20:29:55 ID:0oN/GJsS
仏足石の上に立っているお釈迦さま=身心ともに無し。この単純を知らぬから、だれかさんみたい悟っただの、おれはだの大騒ぎをするんです。座禅と見性のすれ自体成り立たない、下世話に人をかんぐるだけとか、はーいあっはっは一皮むいて下さい。
512 :せったんmyoejoe:2006/01/25(水) 13:34:23 ID:pZFZqmrA
自分を無にするに従い、仏を拝し人を敬うんです、向上心あってようやく一個人です、てめえ悟ったなどいうもの自然界に存在しない、ただの折れ曲がり腐った釘です。
295 :せったんmyoejoe:2005/12/17(土) 20:10:20 ID:4XoFxqg3
>>292
無茶苦茶ではないよ、仏教をなんと心得ているんだ、教養見識のあるやつが救われてそうでないのは石ころか、これいろはのい、まことにこれ仏の大法、教養知識なぞ押し着せの皮つらなんです、試みにどんな知識だろうが振り回してごらんなさい、一刀両断しますよ。
860 :せったんmyoejoe:2006/02/15(水) 10:39:33 ID:svhVnWCd
以無所得故菩提サッタ、すべてを手放すと全体が吾を所有する、たったこれだけの単純な理屈です、他のたわごと饒舌の入る余地がない、まったくの一目瞭然事。 492 :せったんmyoejoe:2006/01/24(火) 11:02:33 ID:KiP/9b4o
諸の師家がたとい見性あり忘我あっても、本来を知らぬ妄想人間であるのは、彼岸にわたるぱーらみーたーの基本を知らぬからです、ひけらかし商売をする此岸の人。
508 :せったんmyoejoe:2006/01/25(水) 09:35:17 ID:uQM6EdJT
座禅と見性というのはほんとうに危険なんです、あわさんんおように毒にも薬にもならんのはさておき、おれは無問関の何則まで行ったなぞあったら青春を棒にふったり、野狐禅見性で天下取ったといって、人をきちがいにしてみたり、
493 :せったんmyoejoe:2006/01/24(火) 11:05:18 ID:KiP/9b4o
だから接心の案内も商売だと思っている、あっはっは語るに落ちたー彼岸にわたる=智慧、そなのほかにはなにもないんです、どんなに何云おうが遠くて遠し。
511 :せったんmyoejoe:2006/01/25(水) 10:47:25 ID:+O051mJ5
無覚の覚というんですよ、野狐禅はたいていこれを間違える、すると平地に乱を起こす、余計物になっちゃうんです、それを用いて世の中お騒がせは、そりゃあっはっは何をか云わんやです
464 :せったんmyoejoe:2006/01/23(月) 20:23:13 ID:M2+M1J1B
越えたのなんだのふんぞり返る、なんという恥ずかしい、いいかたとい100%正義だろうが、そんなことありっこないが、そりゃただのがせねた。 987 :せったんmyoejoe:2006/04/05(水) 20:43:55 ID:BA3X1l15
951さんここにおりますよ、でもやっぱり参禅したほうがいいです、今度の接心は5月3日から7日まで、たいてい受け入れるつもりですが、25人越えたら賄いの都合上締め切ります。
299 :せったんmyoejoe:2006/01/19(木) 20:52:04 ID:RTO1QDH5
仏教だの悟りだの云ってる人は、まったくなんにもなっちゃいないことを知って下さい、人生は一回切り、自分という蝋燭一本なんですよ。 バルタン君に支店長を遭遇させる価値があるかもな。
地獄労働で体を壊してなきゃいいが笑。 多重人格が10連投か。
でおー隔離スレでやれよ、迷惑掛かるから。
416 名前:夕 :2018/05/22(火) 06:23:35.76 ID:Uqe1xqYL
なんかおかしいな。
俺にはあの芸当はできない。 やっぱり、タ=でおーだな。
昨晩、バルタンさんのスレでタを〆たら、翌朝、突然でおーがそのスレに現れて例のコピペ連投をはじめた。
しかもそのコピペは、当日のバルタンさんのスレのものと&13年前の雪担師のコピペ。
キチガイだろ、此奴はw 世の人は
我を何とも
言わば言え
我が成す事は
我のみぞ知る
(坂本龍馬)
??「世間の人は、自分の事を言いたければ勝手に何でも言えばいい。
自分がやることは自分のみが知っている。」
??自分のやりたいこと、自分の好きなこと、自分の信じること、自分の目標は、自分しか分かりません。
??他人に何と言われようが、成功するまでやり遂げましょう! 行蔵は我に存す
毀誉は人の主張、我に与らず
我に関せずと存じ候
各人へ御示し御座候とも毛頭異存これなく候
(勝海舟)
我が行いは自らの信念によるものである。
けなしたりほめたりするのは人の勝手である。
私は関与しない。
どなたにお示しいただいてもまったく異存はない。
勝海舟は、維新のとき、江戸を火の海にしないため、
内乱を避け、江戸城を無血開城し、官軍に勝ちを譲った。
後に、そのことを福沢諭吉は、「痩せ我慢の説」で、
官軍に対し一戦もせずに膝を屈するとは、幕臣としてあまりに情けない、と責めたのである。
実践の人は、その行動の結果を、後でとやかく言われやすい。
もっと、ああすればよかった、他の選択肢もあったろうに、と人から言われる。
時には、断じて行わなければならないこともある。
自らの行動の結果には、一切言い訳をしない。
そして、言いたいものには言わしておけと、ニッコリ笑って受け止める。 さすがでおー、嗅ぎつけましたねw
昨日、コーヒー飲みすぎて、眠れなくなった。
二時間は少々きつかった。
急にどうでもよくなりましてね。
相手も自分の思い、こちらのも自分の思い。
貴方がそう思っているだけですよ。
が重なってしまった。
そうしたら、どうでもよくなってしまった。
セッタン和尚は、支店長に対して、喋らければいいだよ。
そして、支店長は、急に、やめた!やめた!と言い出した。
また、栄進くんは、仏教は捨てろ、悟りは捨てろ、坐禅を捨てろと言い出した。
俺は正直のところ分からなかった。
今は本当にどうでもよくなった。
枝葉を見て、本を見失っていた。
其の本を務めよ。
捨てた坐禅とはどのようなものだろう‥
おそまつさまでした。 と、急にどうでもよくなったと言いながら、折角の良スレで自分語りを始める矛盾。
ともあれ、
>修行しよとしまいと、山は山なんじゃないか
はあり得ないね。 「色即是空・空即是色」
(悟前の)修行は「山が山」である事の否定から始まる、「山は山に非ず」色即是空ってね。
で、一旦見性して、真っ新になり(色即是空・空即是色の「・」)
空即是色って再び修行して「山は山」に還ってくるんですよ。 宗教も哲学も、日常の実生活に役立ってのものだと思います。
その意味で、このスレは実践篇なのです。 >>327-328
> 有名なバカボンのパパの言葉「これでいいのだ」は“あるがまま” “ありのままを受け入れる”という悟りの境地なのです。
この「これでいいのだ」という悟りの境地は、仏教的なものなの?ヴェーダ宗教的なものなの? >>440
赤塚先生は、
「主人公がバカなボンボン(主に関西地方で坊ちゃんのこと)だから」という説と「英語で放浪者を表わすvagabond(バガボンド)のように自由な主人公にしたかったから」という2つの説を話しています。
「バカボン」とは「薄伽梵(バギャボン・バガボン)」=仏教用語でお釈迦様の敬称であり、サンスクリット語の「Bhagavan(バガヴァーン)」「Bhagavad(ヴァガバッド)」=全知全能者、覚れる者という意味で“Buddha(仏陀、ブッダ)”と同義語を漢訳しています。 >>441
「これでいいのだ」という境地も仏教的なものだということ? >>442
ありのままを受け入れるという意味で
「空」に通じると思います。 志村けんがラジオで、
リスナーからの
「ギャグは考案してから、誰かの最終決断があって演じられるものなの?」
という質問に、
志村はこう持論を語り始めた。
「起承転結があって、これがあって、これがあって、こうなってこうなるから、1個のコントになるっていうのがギャグだ。だからおれたちは一発芸みたいなのはギャクだとはいわないんだよ」
「アイーン」「だっふんだ!」
といった一発ギャグを持つ志村だが、
そのギャグはあくまでコントの流れの中から生まれたものだと、
笑いの流儀について熱く語った。 振り返ると、人生、もう半分以上来てしまった。
けれど、好きな道一筋で、ここまで来られたのだから、けっこう幸せだったと思う。
そりゃ、人には言えない苦労もずいぶんした。
いまでは笑って話せることもあるけれど、
吐きそうなくらいつらかったことや悲しかったこと、悔しかったこともたくさんあった。
でも、最後は自分しかいない、最後の頼りは自分だけ、
という信念みたいなものがあったからこそ、なんとか頑張ってこられたのかもしれない。 自分しかできない演技、自分独自の芸というものを早く確立したい、そういう思いで頑張ってきたんだけど……ね。
住んでいる世界は違いこそすれ、人生や仕事において成功したいという、オレと同じ考えで、一生懸命に頑張っているサラリーマンの人たちも、いまの世の中、生き残りはかなり大変だと思う。
いまの時代、いろんなことが新しくなって、ついて行くのもひと苦労。
会社側から自己否定みたいな真似をされると、
「オレっていったい何なの」って気持ちにもなるだろうし、ときには全部を放り投げて、「や〜めた」とケツをまくりたくもなるだろう。
そんな時、たまたま読んだ本が発想の転換のヒントになったり、何気なく聞いた曲とか友達のひと言に、思いがけず勇気づけられたりすることがあるものだ。 でも、意外と簡単に、毎日の習慣や行動、仕事やお金に対する考え方、とらえ方を少し変えただけで、
成功に少しでも近づけるかもしれないし、場合によっては、状況は同じでも満足感が違ってくるかもしれない。
モノは考えようで、どうやって稼ぐかを日夜追求して金持ちになった人たちがいる一方で、
どうすれば金を使わずに済むか、出ていかなくできるか、といったケチ道を実践して、金持ちになった人もいる。
稼ぐことよりも、ケチることに喜びを見つけるというのも、逆転の発想でいいかもしれない。 それに、いつの時代も、成功した人に学ぶことは多いけれど、
そういった人たちが守ってきた人生哲学って、意外なほど拍子抜けするような、常識的な、当たり前のことだったりするものだ。
礼儀作法や時間厳守、努力と忍耐、蓄積と継続……などなど、
当たり前のことが出来て、少しの才能と個性、それに決断力があれば、
今日より明日は、いい生活が出来るかもしれない。
そのことに、どうやって気づくかが、大切じゃないのかな。 『志村流 金・ビジネス・人生の哲学』
著者 志村健(マガジンハウス) >>443
実際の仏教の中で、「ありのままを受け入れる」とか
「これでいい」とした例ってどういうものがあるの? >>450
空が「あるがまま」で
色が「ありのまま」なのかなと思います。
色即是空 空即是色 >>443
例えば、ブッダは裕福な生活に満足ができず出家をした。
つまり、仏教の始まりは現状の否定にあったのでは? 紀元前6世紀のインドには、大小あわせて16の王国があり、激しく争っていた。
戦いの中で特に勢力を伸ばしたのはガンジス川下流のマガダ国、そしてネパールに近い北方のコーサラ国だった。
シャカ族の国カピラヴァスツは、ヒマラヤ山脈の麓にあった。小さな農業国であり、コーサラ国の属国だった。 紀元前566年(諸説ある)4月6日、のちにブッダとなるシッダールタ王子は生まれた。
シッダールタ誕生の伝説は多く、
生まれた直後に 7歩歩いて右手で天を、左手で地を指し、
「天上天下唯我独尊」
と唱えたという逸話は特に有名である。 >>454
> 生まれた直後に 7歩歩いて「天上天下唯我独尊」
そんなのはつくり話でしょ。 >>443
実際の仏教の中で、「ありのままを受け入れる」とか
「これでいい」とした人や例とは、どういうものがあったかな?
それを示していただけると早いかも。 シャカ族は喜びにわいた。
しかし、その7日後、
母のマーヤー王妃は急死してしまう。
王子は、
新たに王妃となったマーヤーの妹マハーパジャーパティに育てられることになった。 王子の誕生を祝って宮廷にかけつけた人々の中に、アシタという名の仙人がいました。
アシタ仙人は未来を占うすぐれた能力を持つバラモンでした。
王子を抱いたアシタ仙人は、目をほそめて王子の誕生を喜びましたが、やがて悲しそうに涙をこぼし始めました。
驚いたシュッドーダナ王は尋ねました。
「なぜ泣いておられるのでしょうか。なにか悪いことが、この子に起こるのでしょうか?」
「いいえ。王子は将来必ずブッダとなられるお方です。私が泣いたのは、老いた私はたとえ生き長らえても、この方の教えをうけられそうにないからです。」 シッダルタは小さいころから、物事を深く考える子どもでした。
シッダルタが7歳の時、王さまは種まきのお祭に、シッダルタを連れて出かけました。
その時。農夫の鋤(すき)に掘りかえされた虫を、どこからともなく飛んできた一羽の小鳥がついばみ、さらに、その小鳥を大きな鳥が襲いました。
「かわいそうに、なぜ生き物は互いに食い、争わねばならないのだろう。」
シッダルタの心は痛みました。 >>451
「あるがまま」と「ありのまま」はそれほど違いがないと思う。
肝心なのはその後に何が続くか。
(1) {あるがまま・ありのまま}を受け入れる
(2) {あるがまま・ありのまま}を見つける
この二つには大きな差があると思う。
1は受動的だし、2は能動的だから。 >>456
赤塚先生の「これでいいのだ」は、「前後際断」。
「前後際断」とは、禅の言葉で「過去や未来との対比として現在をとらえるのでなく、絶対の今の一瞬一瞬ととらえて、刻々を大事に生きる」意味。
『正法眼蔵現成公案』(道元)
「たきぎは はいとなる さらにかえりて たきぎとなるべきにあらず
しかあるを 灰はのち 薪はさきと 見取すべからず
しるべし 薪は薪の法位に住して さきあり のちあり??
前後ありといえども 前後際断せり」 「前後際断」とは、
過去にとらわれず、未来を憂うことなく今を生きよという禅の教え。
やり直せない過去を引きずるのも、起こるか起こらないかわからない先のことを憂うのもすべて心を惑わせる雑念。
今を生きることに専念せよという考え方です。 また、ありのままとは「真如」
「事実」ではなく「真実」を、
「現象」ではなく「本質」を、
「体の目」ではなく「心の眼」
で観ること。 >>461
受け入れて、観つめる。
因果を読み、受け入れ、呑み込む。 >>462
> 「前後際断」
それなら一理あるけど、悠長なものではなく瞬発的なものでしょ。
> 道元
道元に至っては、悟りも否定する。
「悟った」「これでいい」という境地を徹底して認めない。 >>464-465
ものごとには、固定的で実体的な「本質」というものはなく、
仮に縁起する「現象」だというのが仏教。 >>466
実際の生き方としては、「これでいいのだ」の方がいいでしょう。
仏弟子ではないのだから、別に悟らなくてもいいと思いますが。 >>468
では、「これでいいのだ」を仏教だ、悟りだという必要もないのでは? >>469
受け取り方は、お任せします。
宗教や哲学は人生の参考書ぐらいに思った方がいいと思います。
否定も肯定も、受け取る人の自由です。
友よ、水になれ!(ブルース・リー) ご回答ありがとうございます。
今日はこれで失礼いたします。<(_ _)> 「柔よく剛を制す」
古代中国の老子の思想を基調に書かれたと言われる『三略』の中の有名な一節です。
意味は
「柔軟性のあるものが、そのしなやかさによって、かえって剛強なものを押さえつけることができる」
ということです。 この言葉には、続きがあります。
「剛よく柔を断つ」です。
近代では、この「剛よく柔を断つ」という言葉も用いられるようになりました。
これは「力は技を破る」という割と夢も希望もない言葉ですが、
「柔よく剛を制す」とセットで使われ、三略の言う所と同じような意味で使われるようになりました。
「剛柔一体」と言って、多くの格闘技で極意とされています。
「柔よく剛を制す。剛よく柔を断つ。」これは格闘技のみならず、色々な物事に言えることです。
学業や仕事においても、その場その場で適切な手段を講じる人が高い成果を挙げています。
何事にも凝り固まらずに、時に強く、時にしなやかに生きていきましょう。 バルタさんって、鬼子さんと重なるんだよなw
俺の思い違いかもしれないがw
人とはそんなもんだよ。
特定できない面白さw
コテはコテとしてあつかう。
誰かは言う、
=と。
中には、同じだと言ってくれた方が面白いのにという人もいる。
また、名無しでも誰かとすぐわかる人もいる。
俺はそんなこと言っていないのに、受け取り方は人それぞれ。
本当に面白い。人の思いとは。
その想いに振り回されぬように。
雪乃曰く、話してもわかりあえないのよ。
結衣曰く、だから話つづけるのよ。
近くにいるだけでわかりあえるのかもしれない。
近くにいてもわかりあえないのかもしれない。
わがままな思い。
わかる人はわかる、わからない人にわからない。
満ちていれば、満ちていなければ。
おはよう! 孟子ずき、一方にいることの否定。
空の解釈等・・
禅宗駄目じゃないという発言等などの発言。
が重なる。
其の本を務めよ。
主人公主人公! しかめ面は、人も運も逃げていく。
笑顔は、人も運も引き寄せる。 >しかめ面は、人も運も逃げていく。
上手いことを言うねw
水は特性は柔だからね。時に自然も破壊をする。 柔なわりに、水は重い。
鉄も柔だが、熱い。そして冷めれば水より重い。
それぞれだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています