ところで、渇愛をなくすことができると、どのような状態になるでしょうか。
最終的には苦もなくなって安らぎを得ますが、その安らぎは存在の中にあるものでも、存在の一部でもありません。
これは気をつけて覚えておいてください。
渇愛と無明がなくなると、もう二度と苦しみが生まれません。
「その境地はどこにあるのか」と聞かれても、存在の中には成り立ちません。
存在は苦ですから、存在の中にあるものや存在の一部はぜんぶ苦です。
ですから、そこにその境地はないのです。
そう考えると、涅槃と永遠の天国が同じ境地だというのは、とんでもない話なのです。
人間(生命) の知ることのできる範囲を超えた境地なので、それについては語れません。
「涅槃はすごいところだ」「涅槃に達することはすごい安らぎにいるのだ」とは言えるのですが、涅槃とはどういうものなのかということには「表現、単語、知識、概念はないのだ」というしかないのです。


(アルボムッレ・スマナサーラ著 「苦しみをなくすこと」)