大乗仏教が気持ち悪い、許せない、と思っても、大乗仏教が世の中に迷惑をかけているわけではない。
彼らは彼らの伝統を大切に守ってやっているだけで、もっと現代的に分かりやすく仏教を教えようと思っても、本山に怒られて手足を縛られているだけで。
世界のどこを見ても、大乗仏教が社会に迷惑をかけているということはない。
社会に迷惑をかけているなら、対処しないといけない。
カルト宗教や新興宗教を作って若者を誘っているなら、親たちが立ち上がらないといけない。

大乗仏教も、教えはおかしいところたくさんあるが、社会には迷惑かけない。
真言密教から出てくる怪しい坊さんはいるが、個人的にやっている。
真言密教の本山(高野山)が認めているわけではない。個人が悪いだけ。
高野山ではふつうに自分たちの修行して、伝統守って頑張っているだけ。
基本的には社会に迷惑かけてないんだから、その辺は評価すべきです。
イスラム教キリスト教がどれだけ社会に迷惑をかけてきたかと。
それと比較すると、大乗仏教はずいぶん人間には優しいんです。

時々、葬儀で高額のお布施を取る坊主もいる。その個人の坊主を批判すればいいだけ。
本山で高額の布施を取れと言っているわけではないんです。「布施は気持ちです。気持ちは500万円です」とかねw
それは大乗仏教でもテーラワーダ仏教でも、教えに反している。
自発的に差し上げるものでなければ、布施にならない。商売になってしまう。
出家の僧侶は人々の役に立つために無償ではたらく存在であって、在家の人々も自由な気持ちで、布施をする。
自分でこれだけ差し上げます、と決めなければ布施ではない。
相場を気にしたら、それは商売です。
どこかの宗派の本山が布施の額はこれだけ、とか決めたら、それは布施ではなくなってしまう。でもそんなことはしていないんです。
http://naagita.hatenablog.com/entry/2015/09/24/144233