>>699
梵網経六十二見(六十二の邪見)

2.部分的永遠論

我と世界について、一部分常住(永遠不変)で一部分無常(非永遠)であると主張する。

@禅定により、ブラフマ神殿に生まれた過去世のみを思い出すという境地を得て、それを根拠として梵天は常住だが、梵天によって創造された存在は無常であると主張する。

世界が破壊すると、生けるもののほとんどが光音天に転生する。
その後、この世界が創造されると、空(から)のブラフマ神殿が現れる。すると、ある生けるものが寿命が尽きるか功徳が尽きるかして光音天で死去し、空(から)のブラフマ神殿に生まれ変わる。
彼は長期間、そこで過ごすうちに「他の生けるものもここに来てほしい」という思いが生じる。すると、他の生けるものたちが寿命が尽きるか功徳が尽きるかして光音天で死去し、ブラフマ神殿に生まれかわる。
この時、最初に生まれかわってきたものは「私は梵天であり、創造主であり、全能者である。これらの生けるものは私によって創造されたものだ」と考える。
また、後から生まれかわってきたものも「このお方こそ梵天であり、創造主であり、全能者である。我々はこのお方によって創造されたのだ」と考える。
最初に生まれかわってきたものはより長命で、より輝きがあり、より力があるが、
後から生まれかわってきたものはより短命で、より輝きが劣り、より力に劣るので、先に死んでしまう。
それらのものがこの世界に人間として生まれてきて出家する。
そして、禅定によって、ブラフマ神殿での過去の生存のみを思い出し、それ以上は思い出さないという境地を得て、
「あのお方は梵天であり、創造主であり、全能者である。我々を創造された梵天は常住で、永遠にそのまま存在するが、
梵天に創造された我々は無常であり、死すべき存在としてここに来ている」という。

この主張、見解は邪見