>>693
個人的にはなかなかいい線ついていると思う
もちろん自分も覚者ではないので正解は分からないし
釈迦も正解を求められても無記としそうであるが

こちらの
https://www.weblio.jp/content/%E5%9B%9B%E9%A1%9B%E5%80%92
「凡夫の四顚倒」からも「二乗の四顚倒」からも離れ.あらゆる議論(戯論けろん)から離れると涅槃の境地に至ると

「永遠の悟り」の「永遠の」というのはあくまで境地だとは思うけど…
滅尽定で識別作用(あなたの好きな無分別でもいいけど一般には心の働き)を止滅させるともちろん苦も感じないしその禅定の経過時間は分からないし
まあ一種の仮死体験になるのかな?>滅尽定
滅尽定によって現世涅槃に達する、それは滅尽定から覚める時に感じるのだろうし、覚めるのだから縁起の理法の内にある(となると本当は有為法になる?
(滅尽定以外の禅定で現世涅槃に達したと見るのは梵網経では外道の邪見とされる)
永遠の境地を求めてまた修行に励む、これは如来や阿羅漢も変わらないと思う
釈迦も目連も死ぬその時まで法布施や瞑想、托鉢などの行に努めていたわけだし

涅槃も一切内なのだから十二処の内にあり結局は縁起からは外れず無常である
だから涅槃だけが実体でその他は空であるというような一元論ではなく、涅槃も含め全ては縁起なので0元論である、というのが仏教の捉え方なのかもしれない
断定はできないけどさ