外道の独り言 9
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「ここは誰もが好き勝手に書き込んで良い」というスレではありません このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に関して パーピマン殿が私見、疑問点等を提示いたします 「外道がぶつぶつと独り言を書き散らしているスレ」です 極めて恣意性の強いスレであることを了解願います 上げておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく (むしろその逆で過疎って欲しいくらいです) 「真摯なる碩学」が パーピマン殿の書き込みを目に留め、その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です 自由に好きな相手と対論したいと思う人は、このスレを覗かずに他スレに移動してください 昨今、スレ立てが大変困難であり、好き勝手にスレを消費されことは大変迷惑なのです 自由に書き込みしたい方は↓こちらへ ひだ =^・ ・^= まり ttp://super2ch.net/test/read.cgi/mattari/1505400181/?s2 ttps://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1500265524 前スレ ttps://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512891346/ ログ保管庫 ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html >>582 >>579 一貫して人類の平和を語る教えなので →スッタニパータの「武器を執ること」の内容や五戒のうちに不殺生戒があること、マガダ国王にヴァッジ国を攻めるのを諦めさせたこと、などから間違ってはない 一貫して一切の差別を否定する教えなので →バラモン以外の人でも正しい道の実践により悟れるとした、事実アウトカーストの人でも阿羅漢に何人も成っている >>585 したがって〜と思います と個人の見解を述べているのであって 従えと強制しているわけでもなんでもない >>585 まさか真言宗では法布施や利行などの四摂法をスルーしているわけではあるまいて( ̄∀ ̄) >>587 理解出来ないんだが、君は 「人類は仏教に、したがってしあわせになると思います」 と書いてあるように見えるのかな? それとも「したがって幸せになると思います」という文章だけしか理解出来ないで、前後の単語は読んでないのかな? 外国の人か? 日本語の翻訳ソフトがわるいのか? なんにせよ、まるで話にならないな。 「俺のブッキョーに従えば幸せになるんだよ」 なんてのは、ごく一部の日本人にしか通用しませんよ。(笑) あと「文化」云々と言ったすぐ後に、 「どうでもいい習慣は止めろ」なんてところからも、 此奴の駄目っぷりが垣間見えるわな。(笑) こういう文脈を全く理解出来ないで、偉そうにされたらコロッと騙されんのはバカカルト信者と同じだよ。(笑) あと、俺は元真言で、今は全く関係ないからね?(笑) 思想的にも大分違うから。(笑) まぁ、古参なら今さらだろうが、 なんかバカカルト信者は俺が今も真言だと誤解しているみたいなんだよな。 (^。^)連中には日本語通じないからイチイチ訂正してないけど。(笑) 皆さん、ただいま〜♪ 「成田山新勝寺」の開基1080年祭/記念大開帳、 二泊三日の参拝旅行から帰宅して、やっとこ落ち着きました。 元々、普段から脚のふくらはぎの痛みを持っているので、 隣接する公園と合わせて東京ドーム約8個分の広さを誇るという新勝寺の敷地内を歩き回り、 そして、お土産選びのために総門前の参道を行き来して、遂に脚がパンクしてしまいました(苦笑)。 ところで、 新勝寺では4/28〜5/28(毎月28日は不動尊御縁日)の1ヶ月間限定で十年に一度の御開帳だとしていたので、 これは秘仏である成田山開山の縁起不動尊を拝することのできる実に貴重なイベントという認識なのでしたが、 しかし実際には、成田山新勝寺ではあくまでもそれはイベントの開催ということであって、 開基の縁起不動尊が普段は秘仏として非公開となっているということではなく、 普段から常時、大本堂にて公開のままでお祀りされているということなのでした。 現地で初めてそのことを知り、私はやや拍子抜けした...。 まっ、結果的には有難くお不動さまを拝することができたわけだし、 元々、以前から“非公開の秘仏”という在り方に対してはいつも疑問を持っていたので、 その意味では、嬉しい誤算なのでした。 そもそも非公開の秘仏の意味やメリットとは何か? というと、 結局のところ、参拝者に対してレアな有難感を与えるためなのだろうけれど、 これって、秘仏扱いのホトケ様ご当人にとっては如何なお気持ちなのだろうか? 私の察するところとしては、そんな暗闇に閉ざされて寂しい扱いを受けて絶対に嬉しい筈がないのであって、 きっと本当は、普段から普通に明るい処で多くの人々に慕われて拝されることの方が遥かに嬉しいに決まってる。 ちなみに成田山新勝寺について簡単に紹介しておくと、 私の家の菩提寺である真言宗智山派の三つある大本山の一つ(他二つは、「川崎大師平間寺」と「高尾山薬王院」)で、 例年、初詣(正月三ケ日)の参拝者数では明治神宮に次ぐ全国2-3位を川崎大師と分け合っていて、 年間参拝者数1000万人を誇るという人気の大寺院。 歌舞伎の初代/市川団十郎が跡継ぎに恵まれず、こちらで一心に子授けを祈願したところ見事、待望の長男を授かったという。 以来、感謝の心を込めて成田のお不動様を演じる演技で人気を博してから、寺院の信徒参拝者が大きく膨れ上がった。 現在の成田屋市川宗家の十一代目/市川海老蔵と麻央さんはこの寺院にて挙式をあげました。 そして、肝心の成田不動の開山縁起はというと、 寺院側からの説明によれば、この不動明王の尊像は真言宗宗祖の空海、自らが一刀三礼で彫り上げたものだという。 平安時代に平将門の乱が起こり、朱雀天皇の勅命を受けた寛朝大僧正がこの戦乱を鎮めるべく 不動明王の御尊像と共に関東(現在の成田)の地にて二十一日間の御護摩祈祷を厳修して、 めでたく結願の日に将門の乱が終息した。 寛朝大僧正が役目を終えて都へ帰ろうとしたところ、不思議と御尊像が磐石のごとく動かず、 「我れここに留まって、関東の地を護る」とのお告げを受けた、というのがこの成田不動の始まり。 >>325-326 要するに、 あくまでも対機説法なんだということを理解しないとまったく話にならないのです。 これらのゴータマによる湖の中への投石や油の話というのは、 パラモン呪法を全権万能だと錯覚しているバラモン祭祀たちに対する諭と戒めの対機説法ですから。 つまり、如何に強力なバラモンの呪力であろうとも、物事にはできることとできないこととがあるということ。 生前の生き方と行為のすべてが死後の行き先を決定づける業報においては、 たとえバラモン呪力といえども直接的な作用はできないでしょう。 しかしながら、それでも死者供養という意味においては決して無駄ということではなくて、 ゴータマは善生経(シンガーラへの教え)の中で先祖供養について説き、 祖霊に対して適当な時々に供物を捧げなさいと教えています。 また、特定の祖霊に廻向することはできないとしながらも、 餓鬼地獄に堕ちている自分の祖霊を含めた餓鬼存在に対しては広く供養を届けることができるとしています。 そして当然、これらの供養の行為は善行として施者に功徳をもたらすものであるので実践されることを奨めています。 (藤本 晃著『パーリ四ニカーヤに説かれる先祖・施餓鬼供養』) http://nbra.jp/publications/69/pdf/69_26.pdf ゴータマによるバラモン呪法に対する禁止事項というのは直弟子である出家僧たちに対してのものであって、 その理由というは単純明快であって、自分の教える解脱成仏法であるところの 三十七菩提分法の修得実践に完全集中しなさいということ以外にない。 もちろん、バラモン呪法が単なる迷信に過ぎず効力が皆無という意味などではないから、勘違いしないように。 ゴータマのバラモン呪法の優れた効果を認める記述は『スッタニパータ』の458.509.568などに明らかです。 真言宗が修する加持護摩祈祷は、このパラモン呪法のホーマを継承したものであり、 彼らこそは、現代に蘇ったバラモン達そのものなのです。 私がいつも述べるように、 本当に困難の只中にあって苦しんでいる者には説法などはまったく役には立たない。 行方不明ですでに死んでいるかもしれない我が子の安否に苦悩する日々を過ごす母親に、 「それらは無我であって、自分ではない、また自分のものでもない、 自分のものでないものと自己を同一認することから苦悩が生ずるのだ...」 などという言葉などは母親の耳には入らないし、たとえそれを知ったところで苦悩の解決にはならない。 きっと母親は、「そんな話はどうでもいいから、一緒になって子供を探して欲しい」というでしょう。 この母親の苦悩を終焉に至らしめる方法はただ一つ。それは我が子が(生存の有無に関わらず)見つかることだけです。 密教には、それを可能ならしめる神秘力がある。 子供の居場所を示し、或いは遺体を浮かび上がらせる奇跡を発揮する。 顕教(密教以外の諸派)にはできない。 この密教の神秘力によって援けられた人間は、 必ず心から神仏に対する感謝の念を抱くようになる。このことが重要なのです!!! その後、その人は自ら進んで教えを受けて道に入ることになる。 密教の現世利益をもたらす加持祈祷はそのためにあるのです。 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512891346/639-713 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1512891346/454-456 https://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1404308683/964-965 >>401-402 >例えばラーマクリシュナの言葉を読んでみますと、色界第一禅定くらいは経験がある感じはしますが、 >それでもまだ、「神がいる」とか「魂がある」とか「梵天がいる」などという状態なのです。--中略-- >これは、スマナサーラさんが仰るところでは、 >魂論・真我論・有神論・などの観念信仰からラーマクリシュナといえども抜け出せなかったので、 >正しく真実を見抜く眼力を持つことができなかったからのようです。 “魂の認識”や“神(梵)との融合”という話はすべて、 彼らによる実際的な自己体験にもとづいたものです。 長老にその体験がないのなら、まだそのレベルまで到達してないだけのこと。 ゴータマがこれらを完全否定したなどとい話は、単に仏典の読み違いによる誤認です。 テーラワーダの伝統護持とは、間違った部派の教義を守ってきだたけのこと。 >>568 はい、その通りです。 重要な部分をシッカリと読まれていますね。 >>571 >一切というからには、涅槃もその中に含まれるのでしょうね。--中略-- >なにか根本的なところで勘違いをされているように見受けられるんですが? いやいや.冗談じゃないな。 では、私のほうから(自称仏教徒らすべてに対して)問う。 (私からの図式解説はそれからだ) 一切の中に涅槃が含まれてることを示す経文があるのならば、是非ともここに提示して欲しい。 そんなこと絶対にできやしないから。そんな教えは最初からないのだから、当然できる筈がない。 ゴータマの説かれた一切に涅槃が含まれることがないことは、 経典の中から一切に関する経文をチェックしていけばすぐにわかること。 ただし、何でも在りの創作/大乗諸経典や論書の類いからではなく、 歴史上のブッダの教えが含まれるとされる仏典/原始経典(パーリ五部聖典or漢訳阿含)のみでお願いする。 もしも、この私が間違ってたのならハッキリとここに謝罪し、 そして、二度と馬鹿な発言は投稿しないことを約束する。 では、 ハリキッテどうぞ。 仏教徒の諸君!! >>589 自分もそう読んでますが何か? すべての人類は仏教の教えに、したがって幸福になると思います。 では日本語として理解できる人はいないと思いますw あとその分節だけではなくその前の >一貫して人類の平和を語る教えなので、一貫して一切の差別を否定する教えなので、 から通して読んだ方が良いですね^ - ^ 逆にもっと全体を通して読んで引っかかったのが>>590 か これは先に>>500 こう言った話を語っており、神秘主義は >>579 >テーラワーダ文化も大乗文化も、お釈迦さまの真理の教えが両仏教の心臓だと思えば、仏教はもう一度、世界一の宗教になるはずです。 の「お釈迦さまの真理の教え」からは外れているとスマナサーラはとらえているということです >>578 >互いに汚れているのに、相手に向かって「あなたは汚い」と言えたものではありません。 の「互いに汚れている」は、テーラワーダでも神秘主義でお金を取ったりしていることを言ってるのですな 「すべての人類は仏教の教えに、したがって幸福になると思います。 」 う〜ん^^ 考え方が人それぞれあるとして・・^^ 捉え方がおいらとちがうんだよな・・・^^ 仏教の目指すものは涅槃寂静の境地であり・・^^ 幸福を目指すものではないと・・^^ 幸福を感じることはそこには不幸があり・・^^ 涅槃の境地とは幸福・不幸も寂滅している^^ まぁ真理を悟れば・・幸福も不幸もないんだよね・・^^ 永遠の幸福が得られないのはなぜか・・^^ これが幸福を解く鍵となるかな・・・^^ 「目指すもの」 これは違うな・・・^^ 目指すんじゃなくて・・・^^ 「自然とそうなる^^」 だな・・^^ 「仏教」・・これもおかしい^^ 真理を悟れば自然と涅槃寂静の境地に到るだな・・^^ 特に現象世界の真理・・虚妄の世界をね^^ となると・・^^ 幸福・不幸も虚妄の世界に含まれるかもしれん^^ 虚妄の世界・・・^^ 簡単にいうと・・^^ 分別の世界やな・・^^ 君は「教えに従えば幸せになれる」のか仏教だと本当にそんな事を思うのか。 「何の価値もない神秘やしきたり」なんて文化は「やめて」「世界一の宗教」なんかを目指すのが仏教だと?(笑) (^。^)たまげたなぁ、それではオウムと同じエセ仏教だよ。(笑) >>604 お釈迦さまは何のために悟った後に布教したのですか? (^。^)そんなん俺が君に言える訳ないじゃん?(笑) 「仏教とは人民を従わせて幸せにするために異文化を殲滅するもの」 って考えてるような人には何にも言えないよ。(笑) 桑原桑原。(笑) 「人間が自己に執着するのは真実の自己を知らないからである」 う〜〜ん^^ なかなかやな・・^^ 温泉瞑想に行って真実の自己を見てみるかなっと^^ 「お釈迦さまは何のために悟った後に布教したのですか?」 布教? 真理を説いたんだよな・・^^ たぶん・・言っても分らないとおもいながらも^^ スマちゃんは真理を説くのではなく・・^^ 世の中をうまく渡っていくにはどうしたいいのか・・^^ を説いている感がする^^ ほーらw ↑ 結局、(宝珠のアートマンスレ以降に限らずw)およそ仏法の議論が、 「言った言わない」 「後代の敷衍か、誤解か」 に尽きてるじゃん。 >>576-577 仏典の方は発言した当事者が生存してないので例え裁判しても判決はでない アメフトの方は世論で日大側を支持する声はほとんどないので議論にはなってない 日大を批判、教育方針批判、隠蔽批判といった批判の声が圧倒的 一即多、もとい一緒くたにはできないよ仏教議論とアメフト反則問題はw 仏法の議論は・・ 「言った言わない」ではなく^^ 「真か偽か」^^ 真理かそうではないかになる^^ >>327 >>>325-326 の相応部経典の仏説からは、 >釈迦は呪文や祈祷や式典を否定するのみにあらず、葬式までをも否定しかねなかったというのがうかがえる > >今の世でいえばいくら葬式で花をあげて立派で高い戒名をつけて焼香してお経をあげようとも極楽浄土にはいけない >涅槃や浄土や天界にいけるかいけないかはそういったものの力ではなくあくまで生前の善行為による善業の力である >悪業を積んだ者はいくら立派な葬式をしても地獄に落ちるということになるね あっ、肝心なレスをすっ飛ばすところでした...。 ハッキリいって、あなたはテーラワーダや原始経典や藤本 晃氏の翻訳解説著を読む割にはまったく分かってないな。 ゴータマが仏弟子たちに対して「葬儀に関わるな」と説いたというのは、 バラモン呪法やバラモン祭祀に対するものとまったく同じものであり、 その理由は自らの説く解脱成仏法であるところの三十七菩提分法の修得に完全集中しなさい、 ということを徹底したいが為です。 それは、別に葬儀そのものに対する否定意などではないから。 その証拠に、 仏教教団における一番最初の葬儀とは、 ゴータマ自らが執り行った父スットーダナ王の葬儀です。 その内容のすべては息子であるゴータマが自らすべてプロデュースし、 最後に父の棺を自らの手で抱え上げて運んだ(今日の棺の手運びはここからきた)。 それから、 先ほどの『先祖・施餓鬼供養』藤本 晃著の論文>>594 を読めば分かる通り、 確かに、戒名はおろか死者に対する行為による直接的な救済はないけれども、 遺族や子孫が執り行う供養のその行為を死者である当人が気付いた時に、 その気持ちの対する有難い感謝の念が自身に自然と沸き起こることで、 自動的に自らの心が浄化され、その結果として死者自身の向上に繋がるということ。 これは原始経典の中でゴータマ自らが説かれた教えです。 ゴータマが葬儀や供養を否定したなどいう理解なんてトンデモナイことです。 反省して欲しい! 仏式葬儀の起源 http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199809.html >>597 ふーんw それはあなたの主張と文意から汲み取ったんだけどw 話を転がすなら議論する意味はないなw >>616 意味不明。 あなたは一切に中に涅槃が含むと理解するのでしょう。 だから、その根拠を仏典の記述から示してくれといってるのです。 私はそうじゃないから。 私は一切には涅槃は含まれないとするのがゴータマの教えであって、 勝手に一切に含むことにしたのは部派の間違いだとしています。 そのことについては私はいくらでも説明ができる。 そして実に、 アートマン無我の間違いもそこに原因があるから。 >>614 フーム。。 因縁果さんは、時々いいことをいうね! >>86 >涅槃という境地は、認識概念では説明不可能です。 >すべての概念は現象の世界を指しています。 >現象を乗り越えた世界に対して、言葉も概念もありません。 アートマンの説明とて同じこと。 それは現象世界を超越したものです。一体、何が違う? >最初から自我はなかったのです。 >自我があるとは人間の錯覚·幻覚です。 >覚りに達する人には、自我の錯覚が消えます。 >幻覚が無くなるのです。それだけです。 >覚った人に、今までなかったアートマン (自我)が突然現れるはずはないのです。 今までなかったアートマンが突然現れるのではなくて、 元々からあったアートマンに(初めて)気付くことが本当の覚りです。 これまでのアートマンではないもの、 つまり、間違った自我の錯覚は理論としてではなくて、 自身の実体験として完全に消える。 >>224 >※ここが、一番のネック。 ただ、2500年の間にも、宝珠のような考え方を許容出来ないが故に > 阿頼耶識なり何なりがでてきたりしながらも、彼らの言う「我」を認めることができなかった。 > 2500年間、膨大な人数の行者が、その方向性を採れなかったことを、もっと重く受け止めるべきだろう・・。 それは逆でしょう。 矛盾してる無我(アートマンはない)なんてものを継承してるから、 2500年の間にも阿頼耶識なり、如来蔵なりがでてくることになる。 また、どうしても仏性という概念を無くすことはできなかった、と...。 そりゃそうだ。無我のほうこそが間違った理解だったのだから。 そこには必ず無理が生ずるから。 >>617 絶対を立てれば絶対が相対化される様に、一切を立てれば一切を一切たらしめる虚空を引っ張りださなければならなくなります。 そういう意味で(絶対的)一切なら当然に涅槃はそこに含まれるし、(相対的)一切なら涅槃は一切か虚空の何れかに含まれる事となります。 私の基本的スタンスは、絶対的一切というなら涅槃は当然にそこに含まれ、相対的一切というなら涅槃は虚空に含まれる、です。 が、根本的スタンスは「そんなの戯論」ですね。 >>615 >その証拠に、 >仏教教団における一番最初の葬儀とは、 >ゴータマ自らが執り行った父スットーダナ王の葬儀です。 『浄飯王般涅槃経』という経典に書いてあるらしいけど、『浄飯王般涅槃経』はパーリ5部聖典や漢訳阿含に収められてる経典なの? >>619 一切には、 絶対的や相対的の区別などの必要がなく、その何れかに拠って回答が異なることはないのです。 何故ならば、仏教の説く一切は一つであってそれ以外はないのだから。 あなたが仏教の説く一切をまったく知らないことはハッキリしました。 であるのに、自分が知らなことを勝手に虚論扱いしないで下さいね。 一つだけ教えておきます。 仏教の説く「一切」というのは、 私たちが日常で普通に使用している一切の語句とは意味も使い方も異なります。 あなたは勝手に、日常言葉の意味で解しようとしただけでしょう。 >>621 > 何故ならば、仏教の説く一切は一つであって > それ以外はないのだから。 ん?だから、 > 絶対を立てれば絶対が相対化される 云々を話して、絶対的一切と言ったんだけど? その次元から説明しないと分からないのかな? >>622 (続き) 分かるかな? 絶対とか相対とかと言う相対化以前の絶対ね。 弱犬チワワわわわわーんが居ついているじゃないか笑、 最近、曼荼羅ネタで反撃しているつもりらしいが笑。 ま、チワワ君が食いついてくるのは、 承狂tyわんが用心する「越法」を恐れて「入我我入」とか三密加持とかの表現を嫌って、茶化して表現したレス内容が、 チワワ君の追及しているつもりのネタらしい笑 103ジャンキーのハッタリレスをまとめると2018/05/12(土) 17:57:41.23ID:AGCU2KA5 1、>それ、仏像を曼荼羅模様に配置したものな 高野山の金堂の曼陀羅と根本大塔の仏像の曼陀羅提示と混同。 2、>立像にしろ画像にしろ、仏像を特定のパターンで配したそれは曼荼羅っていうんですよw 真言密教教学における、曼陀羅の定義がある。 で、実は、根本大塔の・・・・と。 詳しくはやめておこう、ジャンキーのウソハッタリ知識の放出を繰り返させて(・∀・)ニヤニヤ笑ってやろう。 無限嘘つきわんわんの姿を曝してやろう笑。 102嘘つきわんわん、また知ったかレスです、懲りんなあ笑。2018/05/12(土) 17:52:41.83ID:AGCU2KA5 真言密教教学によれば、このジャンキーのゴマカシ言い訳も間違いなんだな、 ジワジワハッタリ知識を放出させて放置する方針だからな。 何が間違いか?真言密教教学の曼陀羅の定義を見れば、明白、 下記の表現、ジャンキーのデタラメ知識は放置してコケし倒すに限る笑 >立像にしろ画像にしろ、仏像を特定のパターンで配したそれは曼荼羅っていうんですよw 867Junkie- Ooyama2018/05/11(金) 18:33:56.60ID:Q2iyllff>>868 >>865 昔、高野山真言宗には仕事で高野山に行きましたからw 金堂、御影堂、根本大堂、そして奥の院等、一通り回りましたんでw 立像にしろ画像にしろ、仏像を特定のパターンで配したそれは曼荼羅っていうんですよw 魔法陣じゃないからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 121さらにダメ押しとするか笑、はい、論破2018/05/12(土) 18:56:57.37ID:AGCU2KA5 >立像にしろ画像にしろ、仏像を特定のパターンで配したそれは曼荼羅っていうんですよw という、ジャンキーのハッタリの言い訳は 下記によってデタラメと判明される笑。 http://www.toji.or.jp/mandala.shtml 羯磨曼荼羅 東寺の仏像が、羯磨曼荼羅 で、真言密教教学でいうなれば、四種曼陀羅の内の一つが羯磨曼荼羅で、 ジャンキーの表現では、真言密教の曼陀羅は、 >仏像を特定のパターンで配した(羯磨曼荼羅) だけが曼陀羅と主張していることになる。 はい、論破、 嘘つきワンワン君笑 865嘘つきワンワン・ジャンキー伝説2018/05/11(金) 18:26:18.63ID:ptUe2Gpt なんかクリスチャンスレでクリスチャンにレスした魔法陣にはまって、ワンワン吠えている犬ジャンキー笑、 麦は相変わらず、嘘つきワンワンをい信奉している笑、きもいな笑、 さて、高野山金堂を大塔と思い込んだ、ジャンキーの恥ずかしいレスだ、 まさに知ったか、ハッタリを象徴する事件なのだが笑。 756神も仏も名無しさん2018/05/10(木) 14:45:12.74ID:MXlp3M94 高野山根本大塔と金堂の区別もつかないレスして、わんわん犬山は、根本大塔の事をレス笑 嘘つきワンワン犬山かな笑。 ↓ >それ、仏像を曼荼羅模様に配置したものな (根本大塔のことを金堂とお思い込み笑) ↓ 660junkie- ooyama.2018/05/09(水) 19:49:07.97ID:z9m0773G でおーくん、 > 高野山金堂で魔法陣ぶちまわしたので、 > 俺脳、今、仏教化濃厚やわ・・・・。 それ、仏像を曼荼羅模様に配置したものな 「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」・・・三法印^^ 諸行と諸法か・・・^^ 考えると難解やな・・^^ >>613 自画自賛するのは、貶されるだけだから自分で褒めるしかないじゃんw で、「文言非我、文脈無我」をなぜ自画自賛するかと云えば、 金言を知りえない以上、文脈で判断するしかないから。 また、今回の違反プレー問題を、 批判意見・反対意見があるかないか、或いは法律面で是か非か、 でしか見れてないところが、君の器の限界なんだろうよ。 *多分、コーチはケガさせろと言ってる。 監督は、【もしかしたら】【ホントに】言ってないかも。 じゃあ、「言ってない」なら責任無いのか? ということ 監督の意図として(文脈として)ケガさせろだったのではないか?と。 無我と言ってないから、有我なのか?と。 「無我」とは言われていないなら、「有我」だとも言われていない。 そこが、たとえお釈迦さんの体験が田上論文の通りであったとしても、 有我と言えなかったなら、「その文脈」をこそ、目を見開いて見るべきなんじゃないか? >>613 構図を見れない人間は黙ってろ。 諸法・・・^^ 舎利子よ、是の諸法は空相にして、不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減なり 【一切法】 〘仏〙 すべての存在,事物。 事物か・・^^ 一切法 「一切法」という場合、「法」とは存在するもの、事物を意味する。 したがって一切法とは物質的・精神的なすべてのものごと。 「一切諸法」「万法」ともいう。 ただし、一切が「縁起した存在」つまり有為法に限定されるのか、 無為法をも含むのかなど解釈は一定ではない。 うん^^ なんやねん^^ 説一切有部の法有に対して龍樹は法空を説きましたが、 ということは、縁起や無常あるいは涅槃なども空である ということなのでしょうか? ご存知の方、詳しく説明していただけるとうれしいです。 ここら辺を問題としているのかな・・^^ 法か・・^^ 「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」・・・三法印^^ 「諸法無我」の諸法ね・・^^ 仏教の核心やな・・^^ >>628 てか、論破済み、さよならw ,,、-‐‐-、 /:::::::::::::::::ヽ ,、-‐‐-、 /‐‐‐‐-:::::::::::|. /:::::::::::::::::ヽ / ,,,, / /‐‐‐‐-:::::::::::| / /:::i / ./ .,,,, / / /::::/ / ./ ./:::i / / /::::/ /./ /::::/ ./ ,i、-‐-、l:::/ // /::::/ / / ) / l:::/ / (_ _ 、ー-、 / . // ゙゙゙ \_,,,、-(_,,,_(:::○::)/ / ヽ、-‐-、 \`ー'\ . ! / iflllli 、-‐-、 ヽ ヽ | i llllf l iflllli、 ヽ. | | |lllll i llllf l |-‐ | . / !lllll!' |llll | i .i i 〃 O !lllll!' i _________________ | 、___ / / でおー くん! . !. | |_/ ̄ ̄ノ 〃. / < それは曼荼羅だよ? ヽ \/:::::::::::::::/ / \ 魔法陣じゃないからね!!! \ `ー--‐'´ _/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `'''‐、、_______,,,,、-‐" / ヽ------' \ . // ̄'''''、___,,、‐、,___,、‐、,,,,,、-'''' ̄ ̄\ / /:::::::/ |:::::::| \ >>640 「一切」についての議論に加わるならそれもよし。 が、用も無しに荒らしはお断りだよ。 >>641 反論できずに発狂した弱犬の哀れな虚勢か笑。 弱犬の発狂の根が、しらじらしくマトモ風にレスする。 ライヤー机越えだよ笑。 一切 南伝 相応部経典35-23 一切 漢訳 雑阿含経 13-17 ✽生聞一切 かようにわたしは聞いた。 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。 その時、世尊は「比丘たちよ」と呼ばせたまい、 彼ら比丘たちは、「大徳よ」と答えた。そこで、世尊は、つぎのようの説いて仰せられた。 「比丘たちよ、なにをか一切となすのであろうか。 それは、眼と色(物体)とである。耳と声とである。鼻と香とである。舌と味とである。身と触(感触)とである。意と法(観念)とである。 比丘たちよ、これを名づけて一切というのである。 比丘たちよ、もし人ありて、< わたしは、この一切を捨てて、他の一切を説こう>と、そのように言うものがあったならば、 それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るだろう。 何故であろうか。比丘たちよ、それは、ありもしないものを語っているからである」 http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama70521.html 六根六境の十二処が一切でこの一切が実在すると言ったのが説一切有部で、空であると言ったのが初期大乗仏教(般若経、龍樹) なお説一切有部では実在する一切の中に無為法も含んででて、択滅というのが涅槃のことである http://livedoor.blogimg.jp/tojiruwa/imgs/e/0/e071c596.JPG >>645 五蘊の働きというのか、法則というのか、なんというのか知らんが、そういう、存在、現象を成立させるもの、法は、実在するものである! いやいや、そんなもんない 縁起してる、いまここが 永遠の今 みたいな話になってるんちゃうの >>646 つまり、この悟りという、なにか、如来というなにかが、ある! という人に対して、それは、存在しないのだから、存在しないものには、 あるとも ないとも あってないとも ないのがないとも あらゆる論議ができないじゃないかー? >空であると言ったのが初期大乗仏教(般若経、龍樹) なんぞ、中論読んで気づいたことがあったが・・・・。 反論できるものかどうか知らんが・・・。 内容を忘れた・・・。 >一切が実在すると言ったのが説一切有部 は覚えている。 大乗仏教の中観は一切皆空と説き涅槃もまた例外なく空である 「輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない」 >それゆえに、「今ここで」という釈迦の発想にかえるなら、実は「涅槃」はこの世において、「ここにおいて」しかあらわれようがないのである。 >つまり、十二縁起のどの状態であれ、悟りの境地であれ、すべては空のうちから縁起によって瞬間的にあらわれるのみであり、 >たとえ悟ったとしても修行を怠ればすぐに無明ともなるし、あるいは悟りっぱなしでは死あるのみなのである。 >そこで「何を為すか」ということになるが、それが「中道」なのである。 https://nekonaga.hatenablog.com/entry/20150808/1439037000 相応部(サンユッタニカーヤ)有偈篇 第四悪魔相応 第三章 3ゴーティカ経 では6回心解脱してもその都度病気を犯して元に戻り最後の7回目の心解脱の際に阿羅漢のまま死にたいと自殺したゴーティカの話を伝える http://s.webry.info/sp/76263383.at.webry.info/201205/article_3.html なお、ゴーティカが何度解脱しても退いたのはゴーティカの過去世からの宿業(カルマ)が原因であるとしててた仏教学者がいたと思った >大乗仏教の中観は一切皆空と説き涅槃もまた例外なく空である 思い出した、「空」ではなく、 正解は、あるのでもない、ないのでもない。 やった、本当の大乗仏教の中観は。 この説が正しいなら、般若心経の「色即是空空即是色」は不要。 「一切空」とあるはずだ。 >>649 空のうち?から縁起によってあらわれる?? それこそ、空を実体と見ている それこそ、批判されていた、法のあるなしの話ちゃうの? >>646 本題は説一切有部や大乗仏教(中観の他に唯識も含む)、経量部などの他の部派(テーラワーダもそうか?)などのように一切に涅槃を入れると ゴータマは一切皆苦と説いたのに一切に涅槃を入れると滅諦の涅槃まで一切皆苦になってしまうのは矛盾しているのではないかという話 一切に涅槃を入れると , その辺を、大乗仏教にひとくくりにしてしまうと、無理があると思う。 >>652 空というのは仮名であり本来は言語化、概念化することはできない 空亦復空(空も亦た復た空) 大乗仏教教義学をポイントだけ、全般に学ばないと意味がないような・・・。 >>657 『およそ、縁起しているもの、それを、われわれは空であること(空性)と説く。それは、相待の仮説(縁って想定されたもの)であり、それはすなわち、中道そのものである。』(中論) >>658 むしろ一切に涅槃を入れない大乗含む部派があるのか 少なくとも私は知らない >>653 涅槃というものは空であり、実在しない 実在しないものが一切にはならない 苦の滅尽は、生じたり滅したりする、わたしが、存在してないことだとすると、それを涅槃と呼んでも、その涅槃なるものが一切のうちと同じなんじゃないの 縁起してるから、自己はない それを見抜いたから安らぎ、涅槃にある しかし、その涅槃という真理が、実際にどこかにあるわけじゃないってこと?? >>643 >比丘たちよ、もし人ありて、< わたしは、この一切を捨てて、他の一切を説こう>と、そのように言うものがあったならば、 >それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るだろう。 >何故であろうか。比丘たちよ、それは、ありもしないものを語っているからである」 涅槃を一切外にするとその「ありもしないもの」になるのではないか?という話もあるよ >>660 そういうことを今まで延々と議論していたということです >>659 >むしろ一切に涅槃を入れない大乗含む部派があるのか 少なくとも私は知らない 一切に涅槃を入れるという定義化で決め打ちが難しい表現だと思うが。 道元、修証義。第一章(総序) http://www3.ic-net.or.jp/ ~yaguchi/soroku/syusyou1.htm 但(ただ)生死すなわち涅槃と心得て、 生死として厭(いと)うべきもなく、涅槃として欣(ねご)うべきもなし、 涅槃というやすらかな彼岸の世界も表裏であり本来同体であって、さとりに対して迷いの生活があるというのではなく、このいのちの事実そのものが、 そのまま、仏の世界であると得心して、人生を苦しみときめつけてきらったりすべきでもないし、涅槃のみを求めたりして、こだわりおぼれるのもまちがいです。この無常なる人生そのまま涅槃(さとり)と心得るべきです。 >>659 大乗は難解で論理性がなく、ワケワカメ、ていう意見なら妥当性があるかもな。 >>664 涅槃という安らかな彼岸の世界、なんてものが、この目の前の世界、内面の世界と別に どっかにある? それこそ、批判されてたことやんかw >>664 道元といえば正法眼蔵の仏性という巻で仏性を我(アートマン)と理解するのは外道としているという説もあるね https://hirosaki.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download& ;item_id=2354&item_no=1&attribute_id=20&file_no=1 ↑の一ページ目 現代語訳をしているサイトだと 仏性は妄想の結果現れるものではない。 それが、普く世界に隠れないからである。 しかし、普く世界に隠れないということは、世界が一つの自我によって成り立っているということではない。 世界が一つの自我によって成り立っているというのは、バラモンの誤った考えである。 http://www.ncn-t.net/kunistok/shobogenzo-3.htm 事実、いま、自分が生存していると思っている この、ここ これが涅槃であるってことでしょ でも、それは、安らいでいるとかいう意味やったんちゃうの 静かであるとか、そんなの まあ、シロウトが口出したらアカンか しかし、生じてないなら滅するわけない >>668 無為法というのは本来、縁起の法則を離れた不生不滅の世界だからねえ。 空観の不生不滅は縁起によらず自性として生じたり滅したりしないという意味になるけど 「遠離一切顛倒夢想、究境涅槃」やな・・・^^ 問題は・・^^ 「梵語原文に漢訳文の「一切」の部分はない」 つまり・・^^ 「一切」を付け加えたのは・・・^^ 鳩摩羅什ちゃんか・・玄奘ちゃんや・・^^ う〜〜ん^^ >>670 頭いいですね! 空というイメージしたものが、あって、そのそれと色がある そして、その、色は空であると見る 見た先には空が実在してしまう そうではなく、縁によってしかないんだから、空であるという意味なのだから、この、現実、そのものの姿が、そのまま空 別に、空なるもの その法があるわけじゃない 原文「遠離顛倒夢想、究境涅槃」 玄奘訳「遠離一切顛倒夢想、究境涅槃」 涅槃のところに「一切」を付け加えたか・・・^^ なんでや・・^^ もう一度あげとく。 絶対を立てれば絶対が相対化される様に、一切を立てれば一切を一切たらしめる虚空を引っ張りださなければならなくなります。 そういう意味で(絶対的)一切なら当然に涅槃はそこに含まれるし、(相対的)一切なら涅槃は一切か虚空の何れかに含まれる事となります。 私の基本的スタンスは、絶対的一切というなら涅槃は当然にそこに含まれ、相対的一切というなら涅槃は虚空に含まれる、です。 が、根本的スタンスは「そんなの戯論」ですね。 >>673 自分がこれから、消失しなければならない と、 こう考えていたから かもしれないね 【幸福の科学】清水富美加「枕営業」発覚か!?【大川隆法】 https://togetter.com/li/1230345 【枕営業発覚!?】千眼美子(清水富美加)、絶体絶命! 教団永久追放へカウントダウン開始!? http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2690 幸福の科学教祖、大川隆法より、千手千眼観世音菩薩認定された、千眼美子(清水富美加)の KANA-BOON飯田祐馬との不倫に次ぎ、レプロ時代の「枕営業」が発覚!? 千眼美子(清水富美加)、絶体絶命! 教団永久追放へ、カウントダウン開始!? 教祖の長男にしてアリプロ社長の大川宏洋氏は、既に教団永久追放処分。 次いで、三男、雄太の新妻にして、アリプロ「もう一人の看板女優」雲母も、家族丸ごと教団永久追放。 次は、千眼美子(清水富美加)の永久追放は必至!! 教祖の逆鱗に触れ、中核メンバーが次々と粛清されるアリプロ。 そして唯一の、教団維持の生命線だった千眼美子(清水富美加)の「枕営業」の発覚。 アリプロ、倒産の危機! 幸福の科学、まさに崖っ淵! 「怒れる宇宙神・大川隆法」の運命や、如何に!? https://ameblo.jp/01000440ktndy/entry-12378547163.html 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 viparyāsātikrānto niṣṭhanirvāṇaḥ. 梵語原文に漢訳文の「一切」の部分はない。 「誤った見解から離れており,永遠の悟りに入っている」 viparyāsa^=「転倒すること」「誤った見解」 atikrānto=「通り過ぎている」 「誤った固定概念から離れている」・・・ niṣṭhanirvāṇaḥ・・・永遠の悟りに入っている つまり・・ 究竟涅槃=永遠の悟りか・・^^ Heart Sutra in Sanskrit with English and Chinese subtitles https://www.youtube.com/watch?v=qCIakSaE2_k 5:32分のところやな・・^^ 「一切」がない・・^^ 「超脱」・・「終結」・・「ニルバーナ」の文字訳がある^^ う〜〜ん^^ 興味深い^^ 鳩摩羅什訳 「離一切顛倒夢想苦悩 究竟涅槃 」 玄奘訳 「遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃」 梵語 「誤った見解から離れており,永遠の悟りに入っている」 「梵語原文に漢訳文の「一切」の部分はない」 う〜〜ん^^ niṣṭhanirvāṇaḥ・・・永遠の悟りに入っている この訳がな・・^^ 煩悩が吹き消された状態か・・^^ >>683 まさに言うは易すしにゃん♪ 南無南無 (-∧-)合掌・・・ 鳩摩羅什訳 「離一切顛倒夢想苦悩 究竟涅槃 」 「一切」を付け加えたのが鳩摩羅什ちゃんと分っただけでもいい^^ 鳩摩羅什ちゃんは 『坐禅三昧経』3巻 『仏説阿弥陀経』1巻 『摩訶般若波羅蜜経』27巻(30巻) 『妙法蓮華経』8巻 『維摩経』3巻 『大智度論』100巻 『中論』4巻 『摩訶般若波羅蜜経』27巻(30巻) 『大智度論』100巻 『中論』4巻か・・・^^ なるへそ^^ となる^^ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる