一切というからには、涅槃もその中に含まれるのでしょうね。

ところで、「苦」とはご周知のとおり「思うがままにならない」の意だったかと思います。
つまり、様々なものが因縁仮和合してまた縁起しているから「思うがままにならない」のです

ところで、涅槃に至るのも至らないのも「思うがままにならない」なかで起こるその方の内面の変化です。

「思うがままにならない」中で顕現した内面の変化や智慧の発現(ほつげん)によって得られたものは、果たして「思うがままにならないもの」でしょうか?

勿論、内面の変化があったその方は五蘊からなるものですから「思うがままにならない」存在ですが、その存在の智慧の発現よって得られたものは、果たして「思うがままにならないもの」でしょうか?

 > 仏教徒の大間違いの原因は、
 > 「一切」の理解に失敗したことにあります。
 > つまり、「一切」の中に「涅槃」を含めてしまったことです。

なにか根本的なところで勘違いをされているように見受けられるんですが?