≪勝義諦 4:涅槃は寂静≫    

 心、心所、物質を全部理解したところで、四番目の涅槃 nibbana という状態も分かるのです。
 エネルギーとエネルギーがぶつかって認識が生まれて、それでまた違うエネルギーになって、
きりがなく流れていきますが、ではその流れを変えたら(止めたら)どうなるか。
どうにもこうにも、話すことも動くことも心に何か思うことも、何もできない世界になります。
そんな世界があるのかないのかさえ、 想像することもできません。  
 認識することによって「私がいる」と言うだけなのですが、その認識することができなくなったら
(認識の流れが止まったら)そこに「私」はいるのでしょうか?
「私」はどうなったのですか?次の状態はどういう状態ですか?何も説明できません。
次の状態は認識できない状態ですから、何の言葉も、何の存在の次元も当てはまらないのです。
どんな理屈でも考えられません。言語の世界も、体験の世界も、思考の世界も、すべて終わりです。
 心と心所と物質を理解しても、それは全部、現象の世界です。
その現象の世界を理解してしまえば、それを全部乗り越えてしまいます。それを涅槃と言います。
ですから涅槃は一つしかありません。現象が消えた状態、それだけです。
現象が消えたら、それは消えたという一つのことだけですから、一つなのです。


アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃. ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―第1巻 物質の分析)