>>533

>譬えば実に諸々の部分が集まったならば「車」という名称が起こるように、
>それと同じく、五つの構成要素(五蘊)が存在するのに対して〈生ける者〉という仮の想いが起こるのである。

この「仮の想い」というのが重要かな、と。

その後に続く、ヴァジラー比丘尼がいう苦しみは無常、無我、空という言葉に置き換えることもできる。