これが説一切有部が示す一切
http://livedoor.blogimg.jp/tojiruwa/imgs/e/0/e071c596.JPG
涅槃は無為法の真ん中の択滅
説一切有部ではこれらの一切法が三世に渡って実有であるとした

択滅
http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%A4

真我みたいな恒常の我の存在は説一切有部でも認めてないので一切には含まれない

あと説一切有部だけではなくどの部派でも一切の外に真我が存在するとは言わない
何故ならアーガマの中で釈迦は
「比丘たちよ、もし人ありて、< わたしは、この一切を捨てて、他の一切を説こう>と、そのように言うものがあったならば、
それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るだろう。
何故であろうか。比丘たちよ、それは、ありもしないものを語っているからである」
と比丘たちに説いているからである
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama70521.html
一切に含まれないものはただ言葉だけがあるのみであって実際はありもしないものだからである
(説一切有部では上図五位七十五法が一切であるとしたがそれは説一切有部の説である)