>>440
◼︎道徳が破れるまで語ってはならない

宗教に興味を持つ人は、何かしら苦しんでいるのです。
だから宗教は、苦しみに対する答えを出さないといけないのです。
「そんな苦しみなんかはないんだよ(無苦集滅道)」と言っても、それは答えになりません。
だから私が批判しているところは、「空論を語るのはかまわないけれど、語ると、私たち一人ひとりがどうするべきか、ということが言えなくなってしまうではないか」ということです。
つまり「あなた方はやり過ぎだよ」と言いたいのです。
『般若心経』の作者は、言葉を使う程度がわからなくなって、操縦がきかなくなっているのです。
それはブッダの立場からすれば「やり過ぎ」なのです。
言葉を使うときは語り過ぎには気をつけること。
そうしないと、どこまでも、頭の考えだけで飛んでいってしまうのです。
『般若心経』ではどこまでも観念を回転させて、結局、修行も道徳も成り立たないところまで脱線してしまいました。
道徳が成り立たなくなったので、宗教としても人々を引き付ける力がなくなってしまったのです。
何を語るにしても、道徳が破れるところまで語ってはならないのです。
話の内容がいくら緻密であっても、道徳が成り立たないような結論に至るならば、お釈迦さまはそれを「邪見」の類に入れるのです。

(アルボムッレ・スマナサーラ 般若心経は間違い?)